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杜の奇跡5参加レポート。我が家から供出されたばんぺいくんPinkyも写っているのでリンク。
Java。それっぽいコードが書けるという段階はとりあえず抜けて、リファレンスを適当に引きながら独力でコーディングできる段階へ入りつつあり、やってる内容もいよいよ本命の(だと私は勝手に思っている)状態遷移マシンにさしかかりつつある。
同居人が起こしてくれたので後半途中から。
3バックで中田(英)抜きって形がやっぱり結果を出すのかなー、と思えてきた試合だった。試合を通して見てないからあれだけど、見てた部分でつらつらと感想:
相性の問題ってのもあるんだろうけど、モチベーションの高い状況ではチームが機能することが見えた、って点では日本代表にとっては収穫の大きい遠征だったんじゃないだろか。あと、中田(英)は「特別な選手」ではないってことが見えたのも収穫かな。勿論良い選手ではあるのだけれど、チームの機能のために必要かどうか、という視点で見直すべき機会がきているのかも、しれない。
で、試合が終わったあたりからなんか頭痛が。
熱はない、若干呼吸が苦しい、というあたりでこれはパニック障害の発作っぽいなー、と思ったので薬飲んで寝る。おかげで凄い寝過ごしを敢行してしまった。
まだ若干頭は痛い。ここのところ、薬の量を抑え気味にしていたのが悪いのかしらん。
いいかげんな記事抜きだしスクリプトを書いてみた。SSIを使ってるあたりの対処がちょっとベタベタになってしまったのが難点。
_やっぱり、make一発で正しくあれこれがリビルドされるように頑張ってみるべきなのだろうか。
著作権法改正――「原案通り可決」の可能性高まる[ITmedia]。
あちこちで情報を見ていると文部科学委員会での議論では法案のダメっぷりがかなり露呈したということらしい。にも関わらずこれが通ってしまうのは立法院としての基本的な機能に問題があるんじゃあないのか?
Subversionを動かすようにしてから部内レポジトリサーバが頻繁にdisk fullを起こすようになった。Subversionのhot-backup.pyで作ったDBのコピーが領域を圧迫しているらしい。仕方ないので昨日ディスクが増設して対処することにした。
ついでに分散先のホストを見てみたら、こっちのディスクも溢れていた。仕方ないので、とりあえずCVS / SubversionのバックアップはHDD1からHDD2へのコピーだけで済ませることにした。
_そんな方針で仕方なく書いた定期バックアップスクリプト:
#!/bin/sh echo '---' Backup start at `/bin/date` echo '- Exec cvsup on master -' /usr/local/bin/cvsup -Z -g -L 2 /export/backup/cvs/supfile echo '- Exec subversion hot-backup.py -' /usr/local/sbin/hot-backup.py /usr/local/share/svn /export/backup/svn rm -rf /export/backup/svn/svn-*-* echo Backup finished at `/bin/date` '---'
コメントがつくということは、TrackBackの受信まではあともうちょっと。
_送信の方はどうするかねえ。安易に送信機能を追加するよりは、スパゲッティ化しているモジュール全体を再構築してしまいたいところだけど。
一応くっついたコメント数が表に出るようにしてみた。
_静的生成ファイルでタイムスタンプは変わらないようにしているから、ブラウザ立ち上げっぱなしだと明示的にリロードしないとキャッシュが表示されてしまうのが難点かも。くっつきBBSみたいな方向の方がいいのかしらん。
rotooldについては、私は既に単なるメンテナーだと思ってますので、各種Fix / パッチ / 周辺スクリプト等はむしろ積極的に取り込みたいと思ってますです。
_というか、自分で使ってないだけにそうでもしないと開発が進まないのです(苦笑
ということで泥縄的にコメント機能が実装されたわけですが、正直機能が付いてるだけで盛り上がらんだろうという予測を既にしていたり。
一回別ページへのクリックを要求する(しかもそのナビゲーションが何を意味しているかを全く説明していない)という現状は、インターフェースデザイン的には問題が多すぎ。
なにも言わずに表にフォームが付いていて分かりやすく「コメント欄」とか「書き込み」とか書いてあるのとは、やはり敷居が違うってもんでしょう。
_あるいは、その程度の活性しか欲しくないからわざとそのようなデザインにしておく、という考え方もあるわけですが。使われたくなければ使いにくい隠し機能にしておけ、と。
_とかいう話を、各種制度や法律のデザインの話で展開すると危険そうだ、とか思いながらこの段終了。
朝日の書いたことだからそれなりに話半分に聞くとしてもー。
_前文に「健全な愛国心」とか書く前にあのグダグダな国会とかをどうにかするべきじゃないんですかね。あんなもんで国の方針決められてるんだと思ったら愛国心なんて育つわけないでしょー。
愛されるためには、愛されるに足る国作りをする必要があるでしょ。「人は石垣、人は城」じゃあないけれど、そういう考え方が政治から透けて見えるなら、当然愛国心は育つはずだよね。
_正直、今の政党がなにをぐちゃぐちゃ言うよりも、皇太子殿下が「俺の嫁をいびってんじゃねえ(意訳)」とブチかました一件の方が、よっぽど愛国心が育ったというものですよ(個人的事例)。
まあ、自民党が何を言ってたってある日陛下が「平和憲法に断固たる誇りを持ち」とか言っちゃったらこんな方針は即撤回されるのであろうな、という気もするわけで。現実的にそんなことが起こることはまずないだろうけど。
しかしながら、やっぱりこの国には憲法を含む法規のその上に真の統治者がいるわけですよ。その最終手段が動かざるを得ないような状況には、なってほしくないものだけど。
週末は高校〜大学時代の友人が集まって非電源ゲームな日だったわけですが。このへんの面子が集まってだらだらしてるとどうしても天皇家話で盛り上がるというのはどういうことなんでしょう。
とりあえず今回のポイントは、昭和天皇のキャッチフレーズは「生まれたときから責任者、責任者は責任を取るのがお仕事」かなあ。皇太子時代からあれこれ苦労して、天皇になったと思ったら軍部がガッツリ暴走しやがって、それでも責任者らしく責任を取ったわけで。そうしたことを考えてみると、戦前教育があろうがなかろうが年寄りが天皇家を敬う気持ちってのは実に自然なのだろうなあ、なんて話でありました。
なんだか開かれるらしい「くじあんオンリー」とかに「某国立大学現視研OB」とかで申し込むという嫌がらせはどうだろう、というネタ。勿論、単なるサークル名ではなくて実際にその名を名乗る資格のある人々を募って申し込む(笑
しかも同時多発的に申し込みが発生してOB会島とかできたらやだなあ、というところまで含めてネタということでひとつ。
_というか、某国立大学生/OBにしてみれば、木尾士目の作品は全てがもう笑うしかないというあたりで全く等価なのだよな。取材の場所を変えようが設定上の所在地を変えようが、作者の頭の中にあるイメージは確実に見知っているアレなわけであるからして。
お前ら少しは昭和天皇を見習えと小一時間(以下略
……という冗談は置いておくにしても。頭の悪い政治団体が書いたら「国賊」とかいう言葉が連呼されそうな内容ですが、これはきちんと論理的な文章なので読んでおくべし。
なんにしても、目先の「責任問題」を回避するべく真に担うべき責任を放棄するってのは背任と呼ばれても仕方のない行為でしょう。
ロケット打ち上げなんて基本的に実験で、当然失敗するもので、そういう性質のものにおける「責任の取り方」ってのは「成功するまで断固やる」が正しいと思うのですが。そういう工学系な世界の理屈を解さないまま、「責任を取る」と称した政治ゲームばかり考えるから、こういう効率の悪いことが起こるわけで。
外交面や科学技術面における効果とかも考えず、内輪的なゲームに徹してそれを「政治」と称するのは、本当に政治をする人々にとって失礼だと思うのですけれどね。
ミーティングに出てcvs pserverを止める相談をしてミーティングに出てcvs pserverを止めてcvs pserverを止めたことに伴う説明とか設定変更レクチャーをしていたらもう仕事を終わってもいいやという時間になっていた。
「地方の小さい箱で見るのをオススメします」と言っていた大学時代の後輩の言葉は正しかった。
脚本なんかウダウダだし役者の演技なんかもさっぱり期待してなかったし、そのへんはまったく予想通りだったのだけど。だがしかし、爆発とか変身とか戦闘員の列とか、ともかく映像としての気持ちよさに真直な映画だった。とにかくヌルい役者の演技も、ドキドキさせてくれる映像の列を引き立てるスパイスになっている。
庵野秀明はやっぱり凄い映像作家だった。映画監督としては正直どうよと思うけど、映像作家としては間違いなく一級品だ。
後輩の言葉のくり返しになるけれど、新宿の大きめの映画館とかじゃなくて、出来るだけ小さくて客の反応の素直そうな箱で見ていただきたい。できれば徹夜明けの眠い頭でとかが望ましい。そして、躊躇なく笑うときには笑うべし。
組織的な堅守とカウンターのギリシア、ひたすら技巧的なポルトガル。
開催国でもあるしポルトガル有利かと思われたけど、相性で言えばギリシアは最悪の相手。
そして戦前からのプラン通りという感じで、立上りでギリシアの鋭いカウンターが見事に決まって0-1。それからもギリシアはボールは持たれつつも激しい守備でスペースは与えず狙い通りにゲームをコントロールしていく。それにしても、ポルトガルのディフェンスの弱いこと。ギリシャとは好対照に、スペースを潰す意識に欠けたボールだけを見てしまっている。対人で強いとも言えない。
それでも時折攻撃の形を作ってしまえるポルトガルのテクニックは素晴らしい。ポゼッションの高さもあって、ポルトガルが徐々にペースを掴んでいったか、というあたりで前半終了。
_後半。ポルトガルはデコとクリスティアーノ・ロナウドを投入。掴みかけたペースを一気に手繰り寄せるための交替だろう。しかしポルトガルの守備は相変わらず型がなく、カウンターを喰らったところでクリスティアーノ・ロナウドが相手を倒してギリシアがPKを獲得。これが決まって、おそらくここで勝負あったのだろう。
そこからもポルトガルは攻めたが、ゲームは完全にギリシアのコントロール下にあった。相変わらずギリシアの守備は激しく、ポルトガルは好対照にルーズなパスゲームを続けようとする。これでは流れが変わるはずもない。幸運な一撃も飛び出さない。70分を過ぎてもギリシアの運動量は落ちなかったあたりで、もう勝負は決まったと思った。
_ロスタイムに入ってからCKで点こそ取ったが、結局ポルトガルはゲームの流れを切替えられないまま、地元開催の開幕戦で敗北を喫した。
これしかないというゲームプランを忠実に遂行したギリシアが「攻撃的に行くか、もっと攻撃的に行くか」というオプションしかないポルトガルを見事に計算通りに叩き伏せた。そんなゲームだった。
SFというよりは災害物の仮想歴史物みたいな感じ。個人的には花田一三六を読んでるみたいな錯覚を憶えたり。「SFは書けるが小説は書けない」小川一水にしては、ずいぶんと小説っぽい話だ。最近は薄々そんな感じがしていたけど、これはいよいよ「化けるか?」と期待させてくれる出来だった。ギミックだけ出して萎ませるという前科がいくつもあるだけに不安もあるが、期待……できるか?
薦めるポイントはいろいろある。とりあえず国粋主義系の友人には薦めてみた。公務員の方々には是非読んで頂きたいものかもしれない。小説としての出来は完結を待ってから判断したい、かな。
なんかトラウマでもあるんかのう、という勢いの話。確かに、家族に犯罪歴が付いた場合には執行猶予と引き換えにしてもいいぐらいの実質刑が待っている、という話はあるのだけれども。
(*1)BTRONの すごい ハイパーリンクファイルシステム
近鉄の命名権売却構想話とかの時点でなんか起こりそうだよなー、と思っておりましたが遂に具体化。オーナー会議とか大紛糾しそうだ。
これぐらいだったら大人しくナベツネが近鉄の命名権を買って「大阪読売近鉄バファローズ」とかにしとけばよかった、という事態になることを期待(笑
総評:誰が何と言おうとバルテズが神。
_前半からしてイングランドの守備が異様だった。
イングランドは4-4-2のダブルフラットライン――のはずだが、そうは思えなかった。
立ち上りこそ普通に守備をしていたが、次第にそれは異様な陣形に変化していった。4-4-0-2とか8-2とか言いたくなる形。とにかく中盤のラインが下がる。あっという間に最終ラインと混ざって、ゴール前を8人で守る形になる。狙いは全く明らかだ。ジダンにもアンリにも仕事をさせないこと。ゴール前にスペースが無ければアンリは怖くない。ゴール前にターゲットが無ければジダンは怖くない。
カウンターの機会すら捨てて、イングランドはとにかく守った。ボールを奪取しても前に受け手がいないので回らない。あっという間にフランスの中盤の守備網にかかり、再び攻撃を受ける。
だが、前半の終わり近くにベッカムのFKからランパードの頭で先制。何度かしかなかった攻撃の機会を、この上ない飛び道具(=ベッカムのFK)で得点に繋げた。
_後半。イングランドは何も変えなかった。まるでカテナチオだ。中盤でろくに守備をしない。ペナルティエリア外で激しく当たったりもしない。スペースを与えず、FKの機会も与えず、守る。
そんな折のカウンターで、ゲームが動きかけた。ルーニーの突進にシルヴェストルがやむなくペナルティエリア内でファウル、PK。蹴るのはベッカム。これが入ってジ・エンドか――と思われた。
だがこれを、バルテズが止めた。
信じられないファインプレイに、場が乱れた。動揺したイングランドの隙を付くようにカウンターが繰り出された。これが決まっていれば、バルテズのゲームとなったであろう。だが、決まらなかった。
_それから再びゲームが停滞した。イングランドは攻めない。フランスには高さのあるポストもPKを狙えるテクニカルなドリブラーも不在だ。バルテズのファインプレイが報われないまま、ゲームはロスタイムに入った。
_そこまでは、エリクソン監督のゲームプラン通りだったのだろう。
だがしかし、そこに至って再びゲームは動いた。まるで糸が切れたように、遂にイングランドがペナルティエリア近くでファウルを犯す。ダイレクトで決められる位置からのFK。ジダンが蹴り、ゴールに吸い込まれた。
ゲームプランが崩壊して、イングランドは慌てたのだろう。あるいは、失点を挽回しようと思ってしまったのかもしれない。まともな陣形で、イングランドは攻めようとした。フランスはその堅守でボールを奪った。ゴール前にはスペースがあった。スルーパスが打ち込まれ、この試合ずっと死んでいたアンリがそこに飛び出した。GKがたまらず止めに行ったが、遅い。PK。
蹴るのは再びジダン。ジェームスは奇跡を起こせず、ネットが揺れた。
_フランスは危うくポルトガルの二の舞になりかけたが、イングランドはギリシアと違って良きフットボールを実践していたわけではなかった。きっとそこに、幸運が微笑かけたのであろうと思う。
もうとにかく、堪能した。
_お互いがお互いの持ち味を発揮した、そんなゲーム。
デンマークはいつもの4-3-3的な香りのする4-2-4システム。明確なウィングプレイヤーを置き、縦にも横にも広くフィールドを使うムービングフットボールを展開する。対するイタリアは、システム的には3-4-3。と言っても例によって「7人で守って3人で攻める」のだろう。相変わらずボールポゼッションには全く拘らずに堅守と鋭いカウンターでゲームを進めようとする。ポゼッション率の目安はデンマーク:イタリア=60:40ってあたりか。お互いこれを上回るようだと事実上そのチームのペースと言うことになる。
前半はワイドに展開し運動量も豊富なデンマークのペース。特にサイド攻撃が徹底される。普通のゲームなら中盤で展開される攻防が、そのまま(よりゴールに近い)両サイドで展開されているような錯覚すら覚える。中盤でのフィルターをベースとしたイタリア本来の守備網は機能せず、ゴール前での対人勝負を余儀なくされる。しかしこの苦境を難無くこなすイタリア。
後半はデンマークの運動量が流石に落ちたか、サイドへの侵入が減る。代わってイタリアの中盤でのフィルターが機能しはじめる。必然的にイタリアのペースに。鋭いカウンターの繰り出される機会も増える。それでもデンマークは前へ移動する意識・未来位置へボールを出す意識が高く、あのイタリアの守備網を前にして何度もスペースへの侵入をやってのける。
_そんなわけで、得点の匂いは濃厚であった。しかしこの試合では両チームともGKが絶対的な壁となって機能した。幾度もの好機と、幾度もの好セーブ。素晴しい90分は見た目とは裏腹に膠着したままのスコアで進み、そのまま終了を迎え、0-0で終了した。