_ another blog@hatena/Wiki/BBS
益体もない思索をするためにtwitterが非常に便利過ぎます。とりあえず昨夜を経たうえでの俺の結論としては、計算量という概念は実は(数学ではなく)物理学の産物かもしれない、ってあたり。
なんか捕捉されてるので補足。
数理というか論理はトートロジーです。数式の変形というのは同じことを別表現にしていく作業に過ぎない。ならば本来は数式の変形なんて必要ないわけです。変形前後で言ってることは変わってないはずなので。
にもかかわらず、計算という作業が必要なのは、人間が「純粋な数学の過程」を実践できない=物理的な情報媒質を移動・操作させることで数理過程をエミュレートする「計算」という作業しかできない、からではないかと思います。
_純粋な数理過程では、計算に時間はかからないのではないかと思います(というのは嘘で、時間をかけた数理過程の摸擬こそが「計算」なんですが)。そこは「時間のかかる」作業である、情報媒質の移動と操作が不要な世界ですから、なにをするにも時間的コストはかかりません(そもそも何もしていない、とも言える)(というか時間という概念ってそこにあるの?)。
(というか証明という過程の存在すら「計算」による限界の産物なのかも)(ぼくらの知っている"数学"って、そう考えるとかなり"物理"に依存した形に歪んでいるのかも)
_数理過程そのものは、「計算」という概念を必要としない(なにしろ最初から等価なので、変形するとか必要ない)。「計算」という概念がないのなら、当然「計算量」なんて概念も必要ない。
実のところ、「計算」というのはすごく物理的な過程なのです。といったあたりは量子情報科学とかちょっとかじるとわかるかもしれません。ええと、http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0502/space.html とか?
_ところで上記の文の()の中のあれこれをバラバラにして投げておけるあたりでtwitterがすごい便利なわけです。周囲からすると激しく電波にしか見えないかもしれませんが。
_最後に余談、でありながら元記事には近い話:コンピュータによる証明の話
これ、問題は「コンピュータで」ではなくて、「力づくで」やってることなんじゃないかと思います。
残念ながら人間は計算することしかできません。そんな人間にとって力づくの証明からでは次の何かにはつなげにくい。人間が"数学"を発展させてきた系譜を考えれば、力づくの証明が割り込まれても困る、もっとエレガントな方法でないと応用がしにくいじゃないか、と。
http://white.niu.ne.jp/Freetalk/0407b.html#281710aの続き(?)
C++等の演算子オーバーロードができる環境だとうまくすればこんなことができる気がする。
"俺はもうだめだ" > orz; _no < "もはやこれまで!";
ここまで書いてだからどうした、という気になったので実装はしない。誰か頼む。
Re: 数理と計算への返答として。
_まずはいまさらですがちょっと説明。厳密な徹底はしていないのですが、この話においては(途中から)おおむね以下のように言葉を使い分けるようになってきています。
_さて、「計算」という行為は、以下の行為の組み合わせで行われます。
(よくよく読んで考えると中身が重複していることに気づかれると思いますが、まあわかりやすいと思うのでこのままで)#この「計算」という行為を熱力学の世界に叩き込む考えかたに基づいて、情報を量子的ふるまいをするものに持たせれば、これまでにない特性を持った変形ができるではないか、と考えて生み出されたのが量子コンピュータの概念です。
で、計算という行為が意志的なものであるという先入観(人間原理的ですよね、それって)を排除して考えれば、あらゆる運動は計算であると見なすことができます。その見地に立って物理学、情報理論、計算というあたりの統合をしようというのが量子情報科学なわけです。
_無限の計算力を持つ存在がどんなものであるかというと、そいつはたぶんすごくデータベースなんじゃないかと思います。ある表現(数式とか)を入れたら、それと等価な表現が無限個取り出せるようななにか。探しだす必要もなく全部自明なので、パズルになんてなりえない。計算だの数学をやらなきゃいけない存在とはまるで違う。……とか考えたのですが、そういえば不完全性定理ってループ停止性問題だったなあ、と思い出しました。不定(=非停止)な問題与えたら無限をどう取り扱うかの話になりそうですね。
_最後にまた余談のような本題。
「力づくだと困る」のは数学者の立場ゆえのものではないかと思います。
まあ数理にとってはちっとも関係ない話です。数学にとってもどうでもいいはずなんですが、しかし大抵の数学者というのは計算の実践者でもあって、エレガントな計算で証明を組み立てることの欲望が少なからずあるんじゃないかと思います。あるいは他人のエレガントな計算を理解する喜びとか。そこに計算量勝負でできましたと言われても、はあそうですか、なんだかなあ、と思ってしまう人はいるでしょう。
なんかこの話、要はプロレスみたいな話なんじゃないでしょうか。
単語定義な気がしてきたへの返答として。
相互了解点にはお互い触れずに楽しそうな方向へ話を分裂させつつ突っ走るのはVidさんとやりとりするときの定番ですね(苦笑)。とりあえず今の争点は「人間原理」と「量子力学の解釈」かなあ。
(量子力学の)コペンハーゲン解釈と多世界解釈のどちらを信じますか、とか。量子情報科学は多世界解釈をベースに構築されているもので、この方向で突き詰めれば不確定性原理を打破できるところまで進展する可能性を持っているように思えます。熱力学と量子力学を統合したらコンピュータが出てきた!とかそんな感じ?
_物理的操作を伴わない「計算」なるものが可能であるとすると、媒質を持たない情報というのが存在するということになるのですが、それが存在すると無が無限の情報を持ってしまうように思います。そんなものは物理的操作を伴わない数理の世界にはありえても、物理まみれのこの世界ではありえません(ゆえに計算=物理なのだと思う)。確かにホワイトノイズなランダムはすべてを内包しうるのですが、しかし取り出せない情報に意味はない、というかそれは既に情報ではない。
色即是空、空即是色?(誤用) この方向に突撃すると仏教だか禅問答だかに突入するので私としては回避します。
ああ、とかいう概念をひっぱっていくと、光速度限界があるから計算量が必要になるんだ、とか言い出すことができそうに思います、とは言っておきましょう。妄言なので議論の対象にしないでおいてくれると助かりますがSF的遊びとしてなら受けてたちます。
_「現象」は計算です。私の立場として言えることはそれだけ。
真に計算のことを考える限りにおいて、人間原理の入り込む余地はありません。人間がするかしないかにかかわらず、数理は存在し、この世界はこの世界に定められたルールセット(公理)に従って動きつづけます(人間発生以前に世界はなかったとか、あるいは類似のことをおっしゃるのであれば、これ以上の議論は成立しないのでその旨宣言していただけると助かります)
_量子情報科学とは、多世界解釈に基づいて量子力学を捉えてみたら、量子的ふるまいが計算にすごく便利そうだからちょっと計算してみるか、という学問だと思います。制御できるかどうかは(大事だけど) 量子情報科学にとってはわりとどうでもいいかもしれません。
状態変化は計算です。で、放っておくと勝手に起こってしまう計算を、「人間原理下で」制御して行うと「人間にとって」有意な結果を得られる、というだけのことです。
無秩序な干渉の価値が低く思えるのは人間原理的に価値を考えるからであって、干渉や事象それ自体は(量子情報科学としては)等価なものでしょう。制御できてても制御できてなくても計算は計算。計算を(人間の都合で)より大きな構造に組み込むときには制御性の有無は大事になってきますが。
_数理データベース存在は、取り出すときに公理との検証が既に済んでればいいじゃないですか、みたいな。最初は公理でも適用結果のものを拡張していけばどんどんデータベース的になる。で、計算力が無限なら公理が示された時点で全てが明らかになっている、と。
ところで今日はありあまる代休権をちょっぴり行使したわけですが。
しかしそんな日に限って
/usr/bin/vmnet-bridge -d /var/run/vmnet-bridge-0.pid /dev/vmnet0 eth1
とかやって強制解決
とりあえずUEFA CL決勝まで寝よう。
血液検査の結果に基づいて「いいから内科行け」と言われて内科に行って三大成人病生活習慣病コンプリート認定を受けてきましたよ。
特にこの半年ぐらい摂生という言葉とは無縁の生活を(意識的に)送っていたわけなので当然の話ですが。そんなわけで体重Wikiが再稼働しています。今のところ順調に横ばいですが--;
とりあえず年間医療費の10万円突破は間違いない感じになりそうです。
ところで数理とか数学とか計算の話は週末忙しかったので放置しただけです。あとああいう話は毎日ペースでやるのが辛いので、堕落した私としては週一とか月一ぐらいに抑えたいという気持ちもあったりとか。そんなわけでそのうちひょっこり続きを書くかもしれませんがその節は適当にお取り扱いください。