原則匿名で公開・個人情報は送られません。必要に応じ御署名/非公開希望をお書き添え下さい。
このシリーズはおそらくだらだら続けるので書きたい順にへろっと書くということで前の記事の話の直接の続きは一旦置いておく(余談:あの話を私が続けると過程はどうあれ結論は「いいからゲームに分類学作ろうぜ!」になると思う)。
_今回の発表の中で最も毛色が違い、かつ皆が興味深く聞いた話は、hally氏が紹介したWho killed Miss Norway?だったろうと思う。
これはMMORPGの前身的存在であるMUDというゲームのコミュニティにおけるとあるプレイヤーの死を巡る話だ。具体的には英文を…とか言いだすと敷居が高くなるので問題があることを覚悟しつつ当該部分の発表資料を転載する(なお、代替手段確保後にクレーム付けていただければ対応しますのでそのように、とは明言しておく)。
- Who killed Miss Norway?(1)
- 1996年、Karynという名のオスロ大学の学生が、LegendMUDというMMORPGをプレイするようになる。彼女はこの手のゲームはまったくの初心者だったが、そのブロークンな英語の可愛らしさもあいまって、LegendMUDコミュニティの人気者となっていく。やがて熟練プレイヤの仲間入りを果たしたKarynは、インターネット上にホームページを開設し、そこで自らの写真を公開、実は自分が1995年度のミス・ノルウェイであることを明かす。
- Who killed Miss Norway?(2)
- しかし1998年1月29日、彼女は自動車事故で不慮の死を遂げる。その死を告げる新聞記事が彼女のホームページに掲載されると、LegendMUDコミュニティだけでなく、それ以外のオンラインコミュニティにも衝撃が走った。LegendMUDには彼女の追悼スペースが作られ、そこはオンラインゲームがリアルなものであるということを、いやが上にもプレイヤたちに実感させる場となったという。
- Who killed Miss Norway?(3)
- それから5年後。ふとしたことから彼女の死に疑問を抱くことになったSpaightは、Karynについて独自に調査を行い.その結果1995年のミス・ノルウェイはまだ生きているという事実を確認する
- 女性の本名はTrine Solberg Lepperod。Karynのホームページの写真はたしかに彼女のものだった.しかしその写真は一般公開されたことがなく.そもそも彼女はLegendMUDなるものは聞いたことがないという。
- また彼女が死亡したとされるその日、その場所で交通事故は確かにあったが、本物の新聞記事は彼女のホームページのそれと微妙に異なっており、死亡したのは若い女性でもなかった。
- ついでにKarynというのはノルウェイ人の名前でもなかった。
- ミス・ノルウェイの死のリアリティ
- LegendMUDコミュニティの人々は、少なくとも5年のあいだ、虚構の死を現実として受け入れ、悲しんだ。
- 死のリアリティということについていえば、いまのところこれに勝るインパクトを持つ事例はないだろう。
- 「Karynの行動は、リアルとヴァーチャル、ロールプレイングとマニビュレイション、プレイヤとキャラクタの狭間についてよく考えてみなさいという問いかけだったのではないだろうか。このストーリイもまた、ヴァーチャル世界での言動と行動がリアルな人々にどのように影響しうるかということについてよく考えてみなさいと誘いかけている」(Spaight)
_実に興味深い、考察に値する話だ。しかし自分の見解を言わせて貰うならば、これは「ゲームにおける死」の話ではない。単にネットゲームのコミュニティでコミュニティ越しの知人の死が起きたというだけの事例だろう。死者の存在そのものがフェイク、というのが特異性こそあるけれど、そうした匿名性はネットワーク社会によくつきまとう話題でもある。
もちろん実際に体験した人々にとってはLegendMUDとKarynとその死、更にその存在が架空であったことは不可分な体験だろう。だが、遠い第三者である私には分割できる話である(ここらあたりは前の記事で触れた「近しさ」の話の構図であることを念のため言及しておく)。
_むしろリアルとバーチャルの境界のあいまいさ、ということでならその後の懇親会で話に出た韓国や中国のRMT事情の方がよっぽど興味深い話だった。
以下、裏付け取らないままでいい加減に話すのでそのように。
ときどき韓国や中国から入ってくるネットゲームのやりすぎで死んだというニュース。あれがなんで起きるかというと、要するにあれはRMTをやっているんだからだろう、と言う話である。あれは「日本人がコンシューマゲームのやりすぎで死んだ」のとは全く違う話で「RMTで稼ぎ時だから寝食を忘れて稼いでいたら死んだ」のだと。いわば形を変えた過労死であると。ちょうど日本でデイトレードをやるような感覚なのではないか、だがRMTはデイトレードと違って24時間稼げるから24時間稼いでしまう、とかそんな感じのいいかげんな推測も立つ。そしてこいつは少し見方を変えてみればミス・ノルウェイの話とは逆の構図:「バーチャルがリアルの人間を殺す」という話でもある(そもそも現代経済なんてかなりバーチャルだ、という話もあるけれど)。
ともかく、そう考えれば中国や韓国でネットゲームに政府の法的規制がかかるのも至極納得できる。「たかがゲーム」とか言ってられないぐらいにリアルの経済にRMTが食い込み始めているということだろう。そもそも政府が対策に乗り出すってことはリアルとバーチャルの境目が本当に消失しかけている、ということだ。
とりあえず長くなってきたのでこのへんで一旦〆。
次はこの調子で引用困難性とプレイしないで語る技術と分類学が必要という話…をするつもり。今のところは。
GameDeep vol.9で書いた人の限界とゲームをWebにも掲載してみました。考察と称していますが実のところ結部のあたりを除けば論理的に導出できることしか書いてません。わかる人が読めばいろいろ気付けることのある文章だとは思いますが、わかる人の幅はえらく狭いという自負もありますorz。
オラクルが必敗側でオラクルvs人間のゲームを行った場合、オラクルのやっていることは人間にとっての双六ないしは壁打ちのようなものである。
近隣の席に近ごろJavaの仕様にあの手この手でやられている同僚様がおられる。その同僚様とあれこれ話していたときの俺の結論:
_いろいろ文句を言われそうなことを書いているという自覚はあるので解説。
世で一般に言われているオブジェクト指向とは、実際にはクラス指向と呼ばれるべきものである。Javaは「オブジェクト指向言語」というよりは「型指向言語」「クラス指向言語」という方がより適切にその指向を表現しているように思う。
そもそも(真の)オブジェクト指向においては、型による引き数の制約をかけるべきではない。仮に型付けがあるとしても、厳密で静的な(C++やJava的な)型ではなく、もっとソフトな型付けであるべきだろう。具体的には、「所定のメソッドと所定のデータフィールドを持つオブジェクト」を全て包含できるソフトな「型」こそが(真の)オブジェクト指向には向いている。
_静的な型付けやクラス指向が悪いとは言っていない。Javaが多重継承を排除したという決断もそんなに間違っているとは思わない。むしろ(作るもの/作り方によっては)それらはとても良い手助けになる。だがしかし、その結果でき上がったC++やらJavaやらはやはり静的で型/クラス指向な言語であり、(真に)オブジェクト指向らしい振るまいを記述したいと思ったとき、仕様の壁にぶち当たって仕方なくバッドノウハウでこれを実現することになってしまう。STL等のテンプレートは一部への解決手段であるが、本質的には解決できない。というか、そのへんのバッドノウハウ化は言語設計時の思想に起因して発生する問題なので、そもそも解決すべき問題ではない。
じゃあ何を使えばそのバッドノウハウ化を防げるのよ、と言われるときっと答に窮することだろう。結局何を選んでも継続的にいじるなら継続的なリファクタリングが必要になるわけで、全部把握してリファクタリングする覚悟があるならなんでもいいんじゃないの、と思う。いや、向き不向きは考慮すべきだが。
_ところで話の発端になったその仕事、ご多分に漏れず同僚様はあくまでメンテナーでありオリジナルプログラムの作成者ではない(そして作成者は既に社にいない)のだ。というわけで納期と予算と理解の不足ゆえリファクタリングもままならないという手詰りっぷり。そもそも客が(検閲削除)なのだがそれはきっと政治層で解決すべき話なのだが、弊社内での政治的事情によりその層での解決もままならないというよくある不幸な話の典型なのであった。
以上、まとまらないままこの段終わり。
週末は同居人様が借り手きた鷲巣麻雀牌で遊ぶ会…だったのだが肝心のそれはプレイヤー1名の体調不良による轟沈により人数不足に陥り中途で終了。普通に一局、コンビ打ちで一局とか考えていたけれど、普通場の東場で頓挫してしまった。それでもいちおう感想を書くと、
といった感じ。「いっそ全局七対子狙いでいいよ、当り牌の有無が判定しやすいし」などという発言もあったり。
_で、稼働人数が3になったので仕方なくSan Fuanと妖精奇譚とかで時間を潰す。San Fuanは判断ミスでまくられて負け…だった。超がっかり。
妖精奇譚は、要するに「MtGのブースタードラフトは楽しい」という前提に基づいてデザインされたゲーム。まあ目のつけどころは悪くない。悪くないのだけど、問題はカードセットの中味にある。
で、これらの問題を抱えるがためにドラフトした後のプレイフェイズがとにかく単調になってしまう。MtGのドラフト戦が楽しいのはドラフトしてるときに延々プレイフェイズのことを考えているからだと思うので、明らかに魅力が減っている。
4人プレイだと3属性しかないために嫌でも競合状況が発生する…のは狙っているのだろう。問題は3人プレイの場合。3人が綺麗に3属性に分かれたりするとかなり引き勝負になってしまう。ベースシステムを考えるなら、3人プレイこそがもっとも有望そう(全てのプレイヤーが「隣」なので、ドラフト戦術の比重を大きくできる…はず)なのに、ドラフトにおけるカット(あるカードを「渡さない」ための選択をすること)の価値が低いのだ。ということで結局 '*' 集めゲームとなってしまう、と。
カードセットを工夫すればかなり感触の違うゲームになると思うので、エキスパンションや置き換えカードセットを作る余地はあると思うのだけれど。
とか思っていたら公式サイトにペアマッチ用のバリアントが載っている。考案者の名前も驚きだが、シンプルな追加で一気にプレイフェイズでの戦略性が向上しそうなのも驚きだ。これは試してみたい…かも。
会社PCのHDDが死亡。起動しない、適当なCDから起動してマウントすると中身は読める、別のハードディスクつないでOS入れると普通に動く、という感じなのでブートセクタ死亡というのが一番ありそう。
問題は社内物品管理担当がいなくて社内在庫の引き出しができなかったこと。困ったことに社内使用PC用の部品を買うにはその担当のハンコが要る。…まあ事情が事情だけにそこは中抜きするかあ、と思ったらその上もいないでやんの。しょうがないから部長の承認だけとりつけて帰り道にHDD購入。現在Fedora Core 5をDVD-Rに書き込み中。明日はインストールだだだ。
TVハルヒは消失をシリーズの山場に持ってくるための構成を取っているんじゃないかなあ、というのが個人的印象。そのぐらいには(後ですっとばすための)詰めこみをやっていると思える。場所はラストエピソードかラス1つ前か。個人的にはラス1つ前に2〜3話かけて消失をやり、ラストはどーでもいい話でなんとなく終わらせる、となるに1票。
HDDの(事後報告)購入申請は無事通過。
それはそれとして復旧作業。
方針:買ってきたHDDはとりあえずデータ退避用。最低限必要なデータをこいつに引きあげた上で可能なら壊れた(起動しなくなったが中味は読める)ディスクを復旧する。その場合、新HDDはpdumpfs用とする。
ということで具体的作業開始
_その1。買ってきたHDDのパーティションを分割。旧システムの復旧がダメならこいつをシステムにすることを考えて、「1:40GB 2:1.5GB(swap) 3:残り200GBぐらい」という分割にする。そしてそれぞれフォーマット。
_その2。買ってきたHDDに元システムディスクから最低限必要なデータ類をコピーする。具体的にはホームディレクトリ、VMwareのイメージ、DJBTool類、ってあたり
_その3。起動しない元システムディスクにGRUBのブートローダをとにかく上書きしてみる。で、書き込みはおこなえたようだが見事に起動せず。新HDD上にシステム再構築決定。
_その4。新HDD上にシステム再構築決定。だがしかし、この事態を見越して家で焼いてきたFedora Core 5のDVD-Rが(論理的に)壊れていたorz。仕方なく更にこの事態を見越して持ってきていた私物ノートPCでisoイメージのダウンロードを仕掛け、近所のコンビニに走ってDVD-R入手。
_その5。気を取り直して新HDDにFedora Core 5インストール。つつがなく成功
_その6。インストールが終わったところで旧ディスクだのなんだのを繋いでなんとなく復旧作業開始……と思ったらfstabがLABEL指定だったため旧システムパーティション(/dev/hdd3)を誤認してルートにマウントしてやがる。tune2fs -Lで各パーティションのラベルを変更して再起動、/dev/hda1が正しくルートになるようにした。
_その7。yum update祭り。時間こそかかったがまあつつがなく完了。
_その8。不足しているあれこれインストール祭り
_その9。sambaのユーザーを追加。これをやらないとvmware上のWindowsからホームが見えない。
というのがおおむねの現状。LANGがja_JP.ujisからja_JP.UTF-8になったためいろいろ問題が起きているがきっとなんとかなるだろー。ソフトもいろいろ不足してそうだがそれは追々。
本当は5/3に発刊予定だったGD# vol.21が4/30発刊になったため本日は原稿書きDayです、って相変わらず24時間ででっちあげコースですか我々は。とりあえず自分が書くネタは決めたのでへろっと書いて明日になるころには原稿が出てくることを期待。