Whiteのふりーとーく

2003年6月前半

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_ 掲示板:YaPW 旧掲示板 SMIL Boston日本語訳(頓座)


6.5

@衝撃的

会社を出たら停めてあったはずの自転車がありませんでした。合掌。


6.6

@「高度に進歩した科学は魔法と見分けがつかない」

昨夜同居人と行なった与太話より:

「Cellアーキテクチャっつーか、あれの狙ってる動的分散コンピューティングがいよいよ本当に普及すると言うことは、きっとBluetoothとか無線LANとかで近くにいるCellを勝手に利用するとかそういうことが起こるわけで、となればあれだ、『DVDプレイヤーをプレステX?に近づけたら画質が良くなりました』とか『この非力なノートPCでも近くにプレステがあれば3Dゲームもバッチリ!』とかなるんだな」

「そこまでいくとモノリスとあまり区別がつかないような」

御家庭内に一台、謎の黒い板とかが置かれるようになる未来。イヒ。

@教科書

connect24hから 第6回本人確認情報保護審議会(2003.5.28)。長野県の住基ネットに関する審議会における資料集。ここの、 長野県本人確認情報保護審議会 第1次報告[PDF]が(若干冒頭部の筆致に難を感じるものの)素晴しい出来。特に第3節(P16-)からはたいへん簡潔にセキュリティ概念というものを説明している。「いいから読め」と言いたいレベルだ。


6.9

@例によって例のごとく、見、聞き、言い、考え、実感したことをごたまぜにして。或は自分語りであり、もしくは恋文であり、その結果「私はこんなぐちゃぐちゃな人間なのだ」という自己顕示をしているに過ぎない:

「論理は通じる」と思っているのは、「『議論はしたくない』は通じる」と思っているのと同じぐらいに偏った考えである、という可能性。論理しか通じない人に感情をぶつけても通じないのと同じぐらいに、感情しか通じない人に論理をぶつけても通じない。

たとえばぼくは彼女にぼくの気持ちを告げるときに、あまり論理的なことを言わなかった。それはきっと、論理よりも感情の方がそれを伝えるのにはよかったからだ。(それは実のところ、ぼくがそこのところを論理で考えていないから、ということの証左でもあるのだけど)

論理の人と感情の人との違いは前者の方が意識的に道具(=論理)を選択しているであろう、という点にあるだろうか。しかし「女には勝てない」という物言いはこれに対するある面での決着を示しているような気もする(「電波には勝てない」「宗教には勝てない」でもきっと同様)。

してみると、フェミニストというのは論理的でないらしい(これは論理的でない三段論法のはずだが、一面の真実を示していたりもしそうだ)。

_ぶっちゃけ論理だってある種の宗教だ――とか言い出すと怒られそうだが、ある意味では世の中なんだって宗教だ。あるいは信仰。または信念。その道具立てが正しいかどうかはともかくとして、人間誰しも己の信じるところを守って(それにより己を守って)生きようとする部分があり、そういうときに何に頼るかという話なのだ、とか思うのは大雑把に考え過ぎか(おまけにかなり論理的でない)。

_論理と感情の、はたしてどちらが明瞭性が高いかと問われれば一応の回答は出そうに思う。だがしかし、脳という機構が感情の存在する余地を残しているという事実は、なにかを示唆しているのではないか(わりとトンデモ)。

_あるいは、現に論理が通じない相手が存在するという事実(このへんで自省が入る)。通じない相手からすれば、それは盲目の外側からやってくる異形に過ぎないのではないか。そしてともかく異なるそれらを「論理」だの「感情」だのと呼んでいるだけなのではないか、などとSF者としては(きっとそうでなくとも)すごくどこかで聞いたようなことを思う。とはいえ、ゆんゆんな電波よりは論理の方が通じる可能性は高いだろう。論理ばかりでは通じない相手、さらには論理よりも感情の方をより明瞭と思うような相手だって、存在する(再び自省)。

_なんにしても、話が通じないというその事実はなにかを示しているはずだ。なにを? それは貴重な証拠であるが、見方を間違えるとろくでもない結論しか取り出せない。果して証拠が悪いのか、それとも観察者が悪いのか。

「証拠が悪い」と言うのは簡単だ。そしておおむね、水は低い方に流れる。

そして私は究極的には私にしか興味がないから、私は観察者が悪いのだと思う。証拠は私ではないが、観察者は私であるかもしれないからだ。私は私が観察者だったときのことを考える(究極的にはそれしか考えない)から、そのとき容易に直しうるのは観察者の方だ(という私の思考から、私は如何ともし難い主観論者であることを知る)。

_こんなぐちゃぐちゃな文章がなんらかの結論を出すなんてまったくもっておかしなことだ。だからここでは結論は出さない――ただ、私が私にとっての真実を語る以外では。これは私のやり方で、この方が伝わる人もいて、これでは伝わらない人もいる。それだけのことだ。

_結局のところ、ぼくは君ではないのだ。ぼくが君のすべてを理解することは決してないし、君がぼくのすべてを理解することも決してない――のだと思う。それでもぼくは君のことをたくさん知って、君のこのへんはわかり、このへんはわからないのだということを知っていく。ぼくはそれを言葉ではなく、ただ共にある中でそれらを見つけて行きたいと思っている(話して伝わることなんて、存外少ない)のだけれど。それが君のメソッドと違うなら、妥協点を見つけたい。ぼくはぼくのことを話すのが実はそんなに上手じゃない(だからこんなものを書いている)のだ。きっと。


6.10

@

「高度に進歩した科学は魔法と見分けがつかない」への反応へ逆リンク。どちらも笑わせていただきました、はい。

精霊とか、マナとか、エーテルとか。(徒然日記 2003年6月6日付 : kusseさん)

デジタル公害(jagarlさん)

某所に数万人が集まって(端末持ち寄って)みんなの(端末の)力を集めて悪の組織の情報中枢にアタックかけちゃったりするという儀式クラッキングとかが行なったりする日がくるのでしょうか。あるいはユビキタス電源と組み合わせて、「みんなで集まって巨大妨害電波を!」とか。


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