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_ 掲示板:YaPW 旧掲示板 SMIL Boston日本語訳(頓座)
_しかし今回のトルコの強さをみるに、グレードの高い大会の重要性を感じたり。チャンピオンズリーグの存在は、やっぱり大きい。ちうことで、アジアがもー少し強くなるためには、たとえばKリーグとかにもも少し頑張って貰いたいとこ。
_ときに、ちょっと話は逸れるけど、ぶっちゃけた話「韓国協会はJリーグにお礼言っとけ?」とか思わないでもなかったり。
雨が降り出しそうな気配で、湿度がかなり高い。気温も低くないので、じっとりと暑い。吹き出した汗が、ちっとも乾かない。こういうときに限って体はむしろ調子が良く、いつもの一割増しぐらいでペダルを踏み込んでいける。すなわち、いつもより汗をかく。
九段の坂にさしかかったあたりで、何滴かの雨を感じた。幸い本降りになることはなかった。
着替えて背中を確かめると、いつにも増して濡れていた。心地よい疲れに体を浸しながら、ぼちぼちと仕事を始める。
ものは確かに動く。出来も悪くなさそうだ。中国人or中国系の人が作っているようなので、標準で2バイト文字が通る&Input Methodを標準で考慮している。ところで日本語フォントが一見存在しそうだがダウンロードできない(404 Not Found)。一応TrueTypeが使えるようなので、そっち経由でどうにかすることを考えている。
ドキュメントは整備不足。なにがなにやらぜーんぜんわからん。しょーがないのでidutilsの出番。mkidでさっくりインデックスを作って、とにかくそれっぽいシンボルを探してはソースを眺め始める。
悪くないのだが、使うとなると日本語関連の開発をまともにやらなきゃいけなくなるのがちと微妙か。
W杯も終わったことだし、サッカー日本代表についてあれこれてけとーに考えていることを。
_トルシエの築いた守備ブロックを、どこまで壊して作り直すか。まずはそれを、考えるべきだ。
_曲がりなりにも、トルシエは「コンパクトフィールドでの守備とカウンター」をコンセプトに据えていた。それを完成させるには、彼は未熟で戦術眼も不足していたように思うが、ともかくコンセプトだけはそこを目指していたはずであり、ゆえに守備ブロックもそれを指向して作られていた。だから、「コンパクトフィールドでの守備とカウンター」を目指すなら、ある程度は彼の築いたものを流用していくべきだ。
問題は、どこまで残すか、だ。
最終的にトルシエが築いた「フラット3+フォアリベロ」を忠実に継承するのか。それともオールコートプレスだけを保持し、最終ラインの形は変えていくのか。私個人の好みで物を言えば「2(4)バック+フォアリベロ」が見たいところであるが。
_一方で考えるべきは、攻撃だ。残念ながら、今大会のブラジルのような真似、攻撃を選手の才能に任せてしまうようなことはできないだろう。しかし一方で、相手の組織を壊すためには、どこかで選手の才能に頼らなければならないのも事実である。となれば、「誰か」の才能を活かすための布陣が必要となる。軸を決め、相性・バランスを優先して周辺の選手を配していくわけだ。
というと中田英とか小野とか中村とかの名前が出てきてしかもポジションが決まってトップ下、というのが日本の論調のお決まりだった。W杯を経て少しは変わってくれると嬉しいのだが。
閑話休題。攻撃陣の軸という観点で言うならW杯の日本代表は柳沢のチームだったと思う。柳沢がパスを受ける、あるいは柳沢がパスを出す。形はともかく、多くの決定機には柳沢が絡んでいたことが証拠だ。
_ところで、司令塔型王様サッカーを展開するつもりなら、中田英でも小野でもなく中村が適任だろう。というか、中村は司令塔型王様サッカーの王様しかできなさそうなところに難がある。4-2-4で前線のダイヤモンド状の4の底に中村という妄想も可能だが、有り余る中盤の人材を捨ててまで試すシステムではあるまい。
_中盤の人材と言えば、中田(英)と小野と稲本。W杯での彼らを見ていると、なんだかポジションが微妙に歪んでいるような印象を受けた。システム上では小野がサイド・稲本がボランチ・中田がトップ下だったが、むしろ中田がサイド・小野がボランチ・稲本がトップ下の方が適任だったのでは、と。異論も当然あるだろうが、しかし彼らは今後クラブでどう使われるかがわからない。すなわち、どんなタイプの選手になるかわからない。彼らがどうなってしまうのか、というのは4年後に大きな影響を与えるように思う。
_あとはやっぱりストライカーか。西沢は判断の遅さとプレイ意識の悪さを露呈した。鈴木には致命的にテクニックがない。とはいえ、中山のようなヘタクソ(そのくせ彼はよいFWだ)の例もあるか。で、その中山はいいかげん論外になっていただかねば困る。4年後にまだ彼の名が上がるようでは駄目だろう。
ともかく、ストライカーは上手くて強くて速くあるべきだ。今のところ最短距離にいるのは高原、久保あたりか。と考えると、つくづく久保を使わなかったことが悔やまれる。なお、柳沢がストライカーでないことには注意すること。
_まあ、こんなことうじうじ悩まなくていいぐらいの爆発的な成長を誰か一人でも遂げてくれれば、それで構わないという話もある。――もちろん、今回のフランスの二の舞ばかりは避けねばならないところだろうが。
記録更新。49分。
_一応国際化を意識したふうなコードは入っているものの、むしろベタベタにハードコーディングな雰囲気も強い。本当に使いものになるのか? と不安になりつつある今日このごろ。
_覚悟を決めて日本語環境の開発用員として参加してみたいという気持ちもなきにしもあらずであるが、しかし会社の業務として行なう以上は私の独断で決められるはずもない。
昨日とはうってかわって、空が焦げるかというほどお天道さまが頑張ってた。おまけに湿度も高い。あっという間に汗が出はじめ、ちっとも飛ばない。梅雨らしいというか、夏らしいというか、そんな天気。
靖国神社のあたりで、その手の街宣車の群れに出会う。でかい図体でちんたら走っていたので、結構交通の邪魔になってたような。
大変どうかと思うシェルスクリプト。でも楽。
#!/bin/sh TARGET_HOST=foo.example.com MASTER_DIR=./sync_master/ MIRROR_DIR=/home/foo/sync_mirror/ DATEFILE=./.checkout while [ 1 ] do LIST=`find ${MASTER_DIR} -type f -newer ${DATEFILE} \! -name '#*#'` if [ "$LIST" != '' ]; then rsync -e ssh -auv ${MASTER_DIR} ${TARGET_HOST}:${MIRROR_DIR} touch ${DATEFILE} fi sleep 2 done
昨夜録画した「朝霧の巫女」第一話。古くてちぐはぐ。
林原キャストでOP/EDって何年間の夢みてんだよ。おまけにミスキャストだし。テンポも原作と比べるとかなり違和感が。監督森山雄治も微妙。堅実っちゃあ堅実なんだけど、作品の色と合ってないような不安。
導入編が終わってもっと平々凡々としたエピソードで回り出せばハマるかもしれないけど……。
私見では、そもそも更新通知ファイルって考え方がおかしいよーな気もするんですけどね。
と書くと一見喧嘩売ってるようにも見えるので先におことわり。単にダシにしてあれこれ考えているだけです。あしからず。
_で、本題。
文書メタ情報というのは文書そのものから抽出する(*1)のが本来だと思うわけです。
という線で更新通知ファイルってものをどうにか定義するならば、
ということになるんじゃないかと思います。「元文書」という実体に対してView的なInstanceが複数存在する、ってな感じのモデルですか。
_ところでHTTPの枠組で物事考えるなら、文書の一部メタ情報へのアクセスメソッドはHEAD、元文書本体へのアクセスメソッドはGETなわけであります(*2)。
さて、ところで「閲覧文書」「メタ情報文書」が分かれているモデルでこれを考えると、
となる。書籍で言うなら「奥付は別冊参照」。本文と別個に奥付だけ書いてある本がくっついてて、という。
_とか考えていくと、いわゆる「アンテナ系」で用いられてる更新通知ファイルってのは、根本的に場当たりなシロモノなのだなぁ、とか思えてきてしまうのであります。どーゆー経緯で出てきたものかは寡聞にして存ぜぬところではあるのですが。
_なにが「当たり前か」なんてそう簡単に決められる話ではないですが、どっちかってーと「同じ実体についての情報は同じ場所から得られる」という枠組みの方がエレガントなのではないかなぁ、とか思うところではあります。
なんて言い出すと、「理想的にはHTTPにメタ情報伝達拡張を突っ込めばよいのだ」などなどわけわからんちんなことになっていくことが容易に予想できるゆえ、このへんで一旦打ち切り。
ウェブ文書のメタ情報話。
外在的メタ情報ファイルについては、現状に即した実装としてその意義を認めるところではあります。ただ、その導入の結果として、先に上げた「奥付は別冊参照」みたいなねじれが生じてしまうのが、ちょっとエレガントでないな、と思う次第。で、エレガントさなんてヘンなこだわりは無視するとしても、メタ情報文書と閲覧文書の関係記述の記法が定まっていないことは気になります。特に閲覧文書のほう(*1)。ちろっと<meta>タグでも書けば、論理的にはすっきりするかような。
それで何の得が?って問われたらとたんに返事に窮するあたりが弱々ですが。それともXLinkとかで解決できる話なのかしらん?
_論理性とかこねまわすのはこのぐらいにして、ともかく今動くことに目を向けますれば――Location: ですっ飛ばす、はよい解決策だと思います。が、これはこれでなんか問題の種になりそうな気も(*2)。
_ところでResponse Headerに使える文字は、RFC2616の4.2、2.2の各節から鑑みるにISO-8859-1の文字列orそれ以外の文字セットの文字列をRFC2047に従ってエンコードしたもの、のようです。
field nameについても、4.2、2.2の各節よりtokenでさえあればよいように思います。ただし、14章にあるstandard header fieldsと重複させるのはよろしくないかと。
金曜日の帰りに白詰草話を買ってきたのですが、そんなんさっぱり無視して(今更)SID MEIER'S ALPHA CENTAURIにハマってます。
おかしいです。白詰草話は去年雑誌記事をちらっと見た瞬間から即購入決定だった俺的大注目作なのに。
_わかっていることを当然のように確認するのと、結構プリミティブなゲームの快感と、どっちに私が惹かれているかってことなのかもしれないけど。やっぱゲームが好きなのよねえ、と確認するような手間も惜しんでひたすらハマり中。
雪駄さんの雑記が近頃アクティブなので書くことが少なくなって楽である。
_というのもどうかと思うので二言三言。
そーいえば今日の昼間はサーバメンテナンスで見れなくなっていたようです。というか、会社でちろちろ更新しようとして止まってること思い出したのだったり。
いろいろ考えてみると、やっぱり「外在的/内在的メタ情報の取りまとめ」っちう枠組がすぽーんと抜けているなぁ、と。これに対してはXLink、htmlのmetaあるいはlink要素、あたりが解決の手法になるのだとは思います。
_しかしながらそこまで真面目に周囲が動いてくれるとは思わないわけで。
「悪貨は良貨を駆逐する」ではないですが、そんなしち面倒くさいことせんでもGETで本文取ってなんとなく処理すりゃそれなりの情報が得られるわけで。そして誰かがそうすることをページ所有者が決定的には防ぐ方法は、唯一ページを公開しないことであろうと。
_ところで極めて手前味噌になりますが、MISXってのは一応「分散されたメタ情報の統一的取扱い」を念頭に置いたフレームワークであったりします。そもそも念頭に置いてるアプローチが(既存の)「巡回ロボット」ではなく「データフロー型自律系」なのですが。理想的には更新通知したい奴が自分で情報を流せや、みたいな。
ちなみに計画頓挫中なのは主に気力の問題です。進行させるのに哲学脳シフトが必要で他のことが手につかなくなるからでもあるのだけれど。
仕事のきりがよかったので早めに上がり。
家とは逆方向、東急ハンズ新宿店へ。机の上方にラックを組んで縦方向に空間を利用しているのだが、こいつの再検討のため。実際に売ってる部材を眺めながらの方が、考えがまとまる。いっそ机を押入れに押し込んだ上、適当な高さに棚板張ってこいつを机代わりに、なんて案も含め検討。こういうのは検討している間が一番楽しい。結局閉店寸前まで長居してしまう。
帰ろうとすると、小雨が降っている。大したものではなかったが、土砂降りになることも少々覚悟。幸い、本降りにはならなかった。荒川を越えて少々のあたりで本屋に寄り、表に出るともう止んでいた。
帰って夕飯を食べ風呂に入り、あとはのんびり。ろくなこともせず、時間を潰していくのをただ楽しむ。
流石は台風の威力か、天気予報を見ると凄い勢いで雨を告げている。
出張で直帰の可能性もあるし、台風の雨の中走るのもアレだし、今日はおとなしく電車かのう、ということで約二週間ぶりの電車通勤。なーんもしないでいると会社の最寄り駅に着いている。楽チンだけど、はりあいがないと思ってしまう。
駅を出ると小雨。傘をささないで会社まで歩く。あっという間。
_小さいといえ共鳴する環境での影響力ってのは、握ってる本人が一番わかり辛い――とは思うです。おかげですんげー危なっかしいことになっちゃいるんだろうな、とかわかったふりもしてみたり。
それにしたって、この季節ともなれば緑が実に鮮やかだ。おまけに日射しも強い。それが台風一過の晴天ならば、もう目に痛いぐらいに鮮烈な視界が開ける。いつもより少々のんびり、少しは汗が乾くことに感謝しながら、走る。
耳タコだとは思うけども、任意ラジオライブのお詫びとかについての苦言。
警察からのお話って、ぶっちゃけてしまえば「俺らに手間かけさせんようにな」なわけで。立場考えるとすんごい妥協してるわけで。ところが実際にはそういう相手に尻拭いまで押しつけちゃって。\
おまけに「黙認」とか「ここだけの話」を明かしちゃうってのは、ますますもって「手間」の種バラまいた可能性があるわけで。明言しないことで産まれるハードルってものもあるのだし。
相手の顔に泥塗った上、後ろから突き飛ばしたようなもんですぜ? あるいはごうさんの仰るhackである
ってのには同意したいのですけど、hackを主張したいならばこそ仁義はきっちり通すべき。crackとhackの境界は仁義の有無でありますじゃよ?
_そんなわけで、警察から聞いたあれこれが書いてある方の「お詫び」にはわざとリンクしません。
直観的には選択肢Aでは[0.5/1]の成果、選択肢Bでは[0/3]の成果のときに「どっち?」と聞かれるときに発生するよーな気が。この微妙な複雑さがじゅーよー。
で、ダークロウズのシステムではジレンマ構造が薄い(リスク/リターンの関係がわかりやすすぎる)という印象。体力と休養の概念があれば、途端にジレンマ構造が強化されるのですけど、ねぇ。
_ついでに異世界感再現を兼ねて星の運行に従って成功値上下、とか思いついてみたり。あるいは(不謹慎だが)ユルセルーム(*1)的調教ゲーとかアリかも、とか。
(*1)国産TRPG "Roads to Lord"シリーズの世界感。近頃無印の新版が出たらしい。
市ヶ谷駐屯地前の信号に負けて新記録を逃す。49分30秒。
主にDirectFB、あるいはGTK+-DirectFBと格闘。インストールまでにあれこれ手間を取られ、Gtk+の大幅な変化にやられまくる。
時間も知識も足りないと痛感しつつ、予想以上に手間がかかると判明したところで業務終了。
目的は東急ハンズ。以前から目をつけていた椅子。
ということで珍しく電車でお出かけ。
_最寄りの駅まで自転車で出て、暇つぶしに雑誌でもと思って入った本屋でOKINAWA 〜ワタシノシマ〜[THE BOOM/東芝EMI]とNo Control[THE BOOM/東芝EMI]、それからSPORTS Yeah!を購入。
さて、電車に乗りこむ前に、うっちーさんに連絡。前夜に神田界隈でぶらぶらするつもり、と聞いていたの。適当に話をして、秋葉原で合流ということに。
_都営新宿線→大江戸線で上野御徒町まで。ウエノクラシックに寄ってウェアとかパーツとか物色。オリジナルデザインの携帯工具にちょっと心揺れたけど、買わず。気付くと結構時間ぎりぎりで、ちょっと早足で秋葉原駅に。若干遅れ気味だったのでpingを打つ――もとい、電話をかけると書泉ブックタワーに居るとのこと。私も寄りたかったのでこっちから行くことで話をつける。
宇宙消失[グレッグ・イーガン/創元SF文庫]、月世界へ行く[ジュール・ヴェルヌ/創元SF文庫]、イマジナル・ディスク[夏緑/ハルキ文庫]、導きの星II[小川一水/ハルキ文庫]、赤城山卓球場に歌声は響く[野村美月/ファミ通文庫]と適当に文庫を買い、コンピュータ本の階でバックナンバーの棚からComputer Today No.102[サイエンス社]とDIVA 1号を購入。
_それからうっちーさんの目的地であるところの神保町へ。微妙に道に迷ったり、疲れてマクドナルドで小休止したり。ちろちろとノベルゲー/ADV話とか。それから古書店街をあれこれ物色。何冊か手に取るも、本当に欲しいと思う本は大概ちょっと悩む値段。ほとんどを見送る。
_午後7時ごろに回り終わり、都営新宿線で新宿まで。「なにしに会ったんだろうね」と笑ううっちーさんとここで別れ、私は本来の目的を果たしに。4階で目的の椅子とラック増設用部品いくつか購入。帰りがけ、自転車のブレーキレバーをやってしまっていたことを思い出し2階でそちらも購入。
_結構な大荷物を抱えて帰途。最後の自転車区間は(ポジションセッティングも悪いのだけど)不安定で怖かったり。
椅子はかなり具合がよい。一見背もたれが使い物にならなさそうだが、もとより寄りかからない姿勢を作るための選択だ。むしろ机の高さを変えたい気分。
棚の方は結構不安。ろくに固定方法を考えてなかったので。こっちは様子見てぼちぼち改良せにゃならんか。
昼前に起き出してブレーキレバーの交換。こないだ折りたたむときに後輪用レバーのアジャスターバレルをやってしまっていたので。
ハンドルから一通りのものを引っこ抜いて、前輪用はレバーだけ、後輪用はワイヤーごと交換。それから掃除。ディグリーザを車体のいたるところにぶっかけてタオルで拭き取る。あっという間に黒ずんでいくタオル。スプロケット回り&チェーンも外しはしないものの汚れをそれなりに落としてから、油を差す。
ホントはもうちょっとこまめにやるべきかなぁ、とか思いながら、シャワーを浴びて人間様の方の汚れも落とす。
導きの星II[小川一水/ハルキ文庫]読了。前巻のときも薄々思っていたけれど、もの凄くずるい設定だと思う。もちろん、実現のためには高い筆力・発想力が必要だろう。しかしそれを認めた上でなお、この設定はずるいと思う。
SFであり、歴史小説であり、なによりエンターテイメント。今一番続きが楽しみなシリーズだと、思う。
およそGive & Takeというのはわかりやすい原則だ。たとえば貨幣経済なんてのもGive & Takeでできている。世の中いたるところにGive & Takeがあって、あらゆる規模で「経済」ないしはそれに類する局面が発生する。見方を変えれば「ゲーム」と呼ぶこともできるが、それは余談。ともかく世の中は複雑化したGive & Takeで回っている。
_ひどく単純な事実。利益もなしに行動する奴はいない。ボランティアだって、「経験と心の充足」という利益がある。ということで「清廉潔白な政治家」にせよ必ず報酬は受けとるわけだ。それがいわゆる貨幣経済的には計量できないってだけの話だ。
_ごくごくおおざっぱな思考。あらゆる政治家が「経験と心の充足」で動いてくれる状況を考えてみる。ところであらゆる政治家が「経験と心の充足」を目的に動く政治家であるならば、それ以外の原理が政治に反映されない。資本主義者社会の場合それでは困る人々がいるので、違う原理で動く政治家が擁立されることになる。かくして「あらゆる政治家が経験と心の充足を目的に動く」という図式は崩壊する。
_徹底した資本主義を貫くなら、人権ももちろん金で買えばいいし、票ももちろん金で買えばいい。そうでないのは人間に資本以外の価値観があるという信念だか信仰だかのせいだろう。
_ときに、「経験と心の充足」の貨幣経済的計量化ができれば、この話は一気に収束する。無理な話だが人間の歴史とは無理を道理でやりこめてきた歴史でもある。他の様々な無理に比べれば大した無理ではないかもしれない。ともかく計量化できたとすると、「清廉潔白にも経験と心の充足を目的に動く政治家」は消滅し、「資本(金/経験/心の充足)を報酬に動く政治家」だけが残る。そして人権ももちろん資本で買えばいいし、票ももちろん資本で買えばいい。
_しかしながら、貨幣経済の中においてさえ我々は単一的なはずの価値がなお不均衡に至ることを否定できない。そもそも資本主義経済における利益とは不均衡なGive & Takeから産まれるものだ。たとえば行商は移動によって不均衡を作り出す。証券やら為替やらの投機的市場は互いの価値認識の違いを巡る戦いである。
してみると、資本というものの指標を絶対化すれば絶対化するほど、それは資本主義社会から遠ざかっていってしまうのではないか、ということにハタと気付く。そもそもそれが相対的であるからこそ、資本主義は資本主義たれるのである。
_けれどこれは、「神」という絶対的なものを失った近代やら現代の、極めて相対的な空間の中にしか居ることのできない我々にとっては実に正しい崇拝対象であるかもしれない。けれども同時に「人権」「人道」という絶対的扱いを受ける指標も発見されていて、してみると人間やはりなにか絶対的なものに寄りかからないと生きていけないということなのか。
_案外千年後ぐらいには「人道主義が文明の発展を阻害した暗黒時代」とかいう評価を受けたりするのかもしれない。もちろん現代の我々にできることは、ただ目の前の状況に対することだけである。だからといって千年後の評価を無視してよいとも思わないが。
_我らの仕事は刈り取ることなのか、はたまた種を蒔くことなのか。あるいは刈り取りもせず弄んでいるだけなのかもしれない。