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午後になってからお出かけ。都営交通の一日乗車券とかで。
とりあえずは都営新宿線→東京メトロ有楽町線で東池袋に出てISBSで何台かに試乗してみたり。まあ一番念頭に置いているのはF20-RACなのだけれど。
_その後都電荒川線でもへもへも乗るかのう、と思って東池袋駅前からまずは早稲田方面に乗って周囲を散策してから電停に戻ってみると車両故障と接触事故が重なってダイヤが大幅に乱れておりますとかなんとか。仕方ないので手近なバス停から上野公園行きのバスに乗る。
上野広小路で降りてアサゾーとウエノクラシックを適当にのぞく。本当はボトルゲージのところにくっつけるツールケースが欲しかったのだがサイズが微妙で両店で売ってるポンプでは入らなさそうだったので断念。で、そのまま歩いて秋葉原でちょろちょろものを見て夕食食べて岩本町から帰途に。
_ほとんど買い物もしなかったし、なんつーかエコノミーな休日でありました。
ゲームとプレイスタイル論(落穂拾い編2)(200410021551)への返答として。既にほとんどの論点で正しく了解が得られてしまっている感があるのですが一応続き。
「プレイ」が変質/変わる事を全ての参加者が認めていない場合には「逸脱/非逸脱の間での闘争」という新たな「ゲーム」ないしは「プレイ」が立ち現われるのです、というのは流石に無茶苦茶なもの言いですか。しかし、「プレイスタイル論」というのはまさしくそういった闘争そのものでありますし、あるいは世の中に溢れている論点の発散しきった議論のなれの果ての罵り合いというのは得てしてそうやって産まれる(もしくは意図的に産み出される)ような気がします。
1)仮想的なものであり(なんらかのモデル化など現実からある程度離れている)
2)最終目的があり
3)有限時間で最終目的に到達することが可能であり
4)最終目標を目指して行動するもの
(2)で示される「最終目的」と(4)で示される「最終目標」で語が違うのは意図的でしょうか? ここで語が違うことは「最終目的」とは違う「最終目標」を認めることになり、すなわち逸脱を許容してしまうことになるのでよろしくないと思うのですが。
というツッコミはさておき、(4)はプレイヤーの行動指針に対する言及という点で、(1)〜(3)とは性質が違いますね。実際にはルールに記述されることではなく、「ゲームプレイヤー」の側で自発的に規定するルールになるでしょう。ここで(4)の部分を破壊するケースが大半の「逸脱済みゲーム」になるのでしょう。
_ゲームにおける報復行動について。これは該当部分の私の記述が明快でありませんでしたね。ということでまずは言い直し。
悪辣な手であるプレイヤーの勝利を消滅させるのは「リアル・ゲーム」のためには正しくとも「ファニー・ゲーム」としては望ましくない。
この場合において、「リアル・ゲーム」は間違いなく全員に共有されている(はず)です。しかし同時に「ファニー・ゲーム」もそこには存在している。このどちらをどれだけ優先するかという割合・指針も含めたものがそのプレイヤーにとっての「ゲーム」と言えるでしょう。
そして、この個々人の「ゲーム」は同じではない、と思います。だから、それがどの程度共有されているかを見極めるのが、実際にゲームをプレイする場合重要になることがある。
とはいえ、全員が純然と「リアル・ゲーム」としてプレイしていても報復行動は「ファニー・ゲーム」に起因する報復行動とは別のロジックでもって遂行されるはずですが。
_(狭義)ゲームが連続して立ち現われるという現象について。これと同様の構図が(狭義)ゲームを行っている場合にも、あるいは(広義)ゲームを行っている場合にも発生することは理解していただけるでしょうか?
「目標」を持った存在が行動するとき、その最小の局面は必ず(狭義)ゲームになる、と言ってもいいかもしれません。あるいは、「行動」という意志を伴った所作そのものが小さなゲームを誘発し成立させる必要十分条件だと言うことができるのかもしれません。
Vidさんとのゲーム話の更に続き。といいつつも、既に本来の掘り下げは完了してしまっているのでありますが、更なる逸脱による発見を目指して反応。
_パズルとゲームを分けるもの。コスティキャン風の定義とはいささか異なる定義になりますが、以下のように分類できると考えます:
「回答が困難」というのは計算量の概念を使って言い替えるなら「回答には十分な量の計算が必要」ということになるでしょう。
_ここでパズルに挑む行為が何故ゲームたりえるかということを考えます。端的に答えるなら「人間の計算能力が無限大ではない」からでしょう。
人がパズルに挑むとき、以下の事実から人にとっては「時間」あるいは「計算量」というトークンの概念が発生します。
仮に無限の計算量を想定できる何者かがパズルに挑んだ場合、その者にとってこれらのトークンの消費はなんら意味がありませんから、おそらくそれがゲーム化することはないでしょう。
_と、いうことを考えたとき、ある行動が単に行動ではなく「ゲーム的なもの」になるためには、プレイヤーの側に起因する有限性・制約性がそこに強く影響することが条件になるのではないかと思います。
この図式は少し変化させればそのままスポーツとかにもあてはまるので、この制約性は「身体制約性」と呼びたいのですがそこまで説明してると長くなるのでとりあえずこのへんにて一旦了。
連休は母校(大学)の学園祭に行っていた。人に会ったり思い出のある食い物屋を巡ったりが主で、「学園祭をダシに集まった」感が当然強かったのだけれど。
指示になっていない指示とか、まったく不親切な指示とかから勝手に仕事内容を逆質問するような感じで。まあ、一部についてはお互いさまかあという気も。
ひとつ思いついたんだけど。とかインパルスというかミネルバの話。とか読んでちょっと思案。若干リアルの仕事の愚痴が入っているような気もするが気にするな。
「おお振り」はアフタヌーン掲載なので分類的には青年漫画ですな。
連載開始時はには「あの鬱々とした漫画しか書いてなかった作者が!」みたいな驚きがあったのですが、よくよく読んでみると実はベースのテイストは鬱漫画のそれを踏襲していて単にそこで描かれてる世界が健全なので健全に見える、というあたりに気付いてその持って行き方の巧さに膝を叩いておりますですよ。
とかなんとかいう作家論は別にしても、「おおきく振りかぶって」は今1、2を争うぐらい「面白い」「万人向けの」漫画なのでぶっちゃけ「読め!」なのです。
暇なのでホームディレクトリの整理とか、開発過程でとっちらかってしまったCVSチェックアウトコピーの整理とか。
その後でhuginnのrcfileの整理とかも。2ch関係のエントリ再登録が面倒すぎるのでw3mで小細工をして外部ブラウザ扱いで登録できないかと画策したけど失敗したので中途半端な登録スクリプトが書き上がった。少しは便利になったけど、screenでいったりきたりしながら作業なのが格好悪い。
#!/bin/sh TITLE=`wget -q -O - -U "My HTTP Lib" $1 | nkf | sed -n 's/.*<title>\(.*\)<\/title>.*/\1/p'` && echo ref=\"$1\" title=\"$TITLE\" >> ~/.huginnrc && echo OK
なんとなくyapwの改造というか機能整理。
_本体にがっちりビルトインされた履歴保持機能をプラグイン化、する過程でミスって会社マシン上の開発兼自分用メモのデータを全部吹きとばしてみたり。pdumpfsがなければ大変なところであった。
その後もカッコよく意図せぬ無限再帰を引き起こしてあわやメモリ不足でカーネルフリーズの危機を引き起こしてみたりと、やってることのわりにやたらと派手なトラブルに見舞われつつ目標達成。
_そんなわけで新版をパッケージ化してみました。そろそろアップグレードパッケージとか必要な人、いたりするのかなあ?
Object Data Baseが格好よさそうなのにアレなのは、結局フロントエンドアプリケーション開発言語べったりにしないとOR変換ならぬOO変換が必要になるあたりが格好悪いからかもしれない、とか思ってみた。
XML使おうがYAML使おうが、このへんはどうしようもなさそうだ。S式だとなんか格好よい解決がみられそうでS式の格好よさに改めて気付かされてみたり。