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ゲームを巡る思考における逸脱よりの逸脱(1)

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ゲームを巡る思考における逸脱よりの逸脱(1)

Vidさんとのゲーム話の更に続き。といいつつも、既に本来の掘り下げは完了してしまっているのでありますが、更なる逸脱による発見を目指して反応。

_パズルとゲームを分けるもの。コスティキャン風の定義とはいささか異なる定義になりますが、以下のように分類できると考えます:

「回答が困難」というのは計算量の概念を使って言い替えるなら「回答には十分な量の計算が必要」ということになるでしょう。

_ここでパズルに挑む行為が何故ゲームたりえるかということを考えます。端的に答えるなら「人間の計算能力が無限大ではない」からでしょう。

人がパズルに挑むとき、以下の事実から人にとっては「時間」あるいは「計算量」というトークンの概念が発生します。

仮に無限の計算量を想定できる何者かがパズルに挑んだ場合、その者にとってこれらのトークンの消費はなんら意味がありませんから、おそらくそれがゲーム化することはないでしょう。

_と、いうことを考えたとき、ある行動が単に行動ではなく「ゲーム的なもの」になるためには、プレイヤーの側に起因する有限性・制約性がそこに強く影響することが条件になるのではないかと思います。

この図式は少し変化させればそのままスポーツとかにもあてはまるので、この制約性は「身体制約性」と呼びたいのですがそこまで説明してると長くなるのでとりあえずこのへんにて一旦了。

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