Whiteのふりーとーく

2006年9月後半

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_ another blog@hatena/Wiki/BBS


9.21

@プログラマーは哲学者たれ

ひらしょーさんのとりあえず、オブジェクト指向って言葉使うのやめようという発言に反応するふりをしてだらだらと。

_ひらしょーさんが力説してるあたりのことは「カプセル化」というそのものズバリの言葉があるじゃん、と思います。しかしオブジェクト指向そのものにカプセル化は必要でもなんでもない(ex. perlのオブジェクト指向)。カプセル化できた方がいろいろ都合がいいことは確かだけど。

_「オブジェクト指向」なるものは「データ構造中心デザイン」とでも言い替えれば比較的実情に近いんじゃないかと。

まずはデータの塊を考える(構造体とか)。でもってデータ構造とそれに対する処理は密接に関係する(関係せざるを得ない)。だったらデータ構造とそれに対する処理をくっつけてしまえばいいじゃん?、と。そうすればprintという術語がstringというデータにしか使えなかった不満が解消されるよね、と。

_ぶっちゃけオブジェクト指向そのものにはprivate methodもprivate fieldも不要。書く人がそのへんを意識できてればいらない。でも意識し続けるのってダルい。だからオブジェクト指向のための言語デザインをするときには、そのへん楽できるように、明確なカプセル化の文法を用意し、カプセル化するなら折角だからprivateも入れる。

その結果言語の表層はカプセル化とかprivateとかが重要なんだ、と思えるものになってしまう。まあそういうふうにデザインされたんだからあたりまえなんだけど。でもデザイナーほどオブジェクト指向を知らない人がその言語を使うと、その表層ばかりが大事になっちゃう、と。

_よいプログラマはいっぱしの哲学者である、というのは私の信仰なんだけど。あるいは言語学者。言語というものは背景になんらかの思想、視点、指向を抱えていて、よいプログラマとはプログラム言語を使いながらそれを理解できる人間である、と。あるいは言語に囚われない。背景になってる思想とか指向とかをきっちり学んでいて、臨機応変にそれを使い分けられる。……自分がそういう人になれているかというと、微妙なところだけど。

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9.25

@ゼロの使い魔読んだ観た。

同居人の部屋から発掘してゼロの使い魔4〜9まで読了。1〜3は読んでません。同居人の部屋に全巻あるのはわかってるけど埋まっていて発掘できないので、発掘できたぶんだけ。

_うん、これが売れるのは納得できる。

キャッチーで俗だけど、そのくせところどころに教訓的なものがちゃんと入っていて。構成にはシリーズ通しにしろ各巻の内側にしろその場その場のツギハギ的な印象があるけど、その場を面白くしようという意思は明確。大デュマ読んでるときの感覚に近い、というと怒られるかな? でもそんな感じ。

こうも同じ展開を飽きずに飽きさせずに続けるには腕が必要だ。これは実にプロの仕事だ。足りないとすれば「化ける感」だけど、そういうのを突っ込むと売れ線からはやや外れてしまうだろう――たぶん新城カズマみたいに(でも俺は新城カズマの作品は大好きだ)。

_10年ちょっとぐらい前、丁度俺らが今でいうところのライトノベルのターゲット年齢ぐらいだったころに、大きな仕切り直しもせずにこのぐらいの巻数が出ていれば、そのシリーズはもうダレていたと思う。でもこれはスタイルを固めて見事なマンネリを構築してる。技術だかシステムだかが進歩してるってことなのかも。

_ところで丁度読んでないあたりをベースにしているアニメ版の最終回は実にひどいもんだった。ラストエピソードに使う尺が明らかに足りてないのが致命的。作画力は安定してたけど爆発力には欠けるんだから、そのへんはシリーズ構成で補わないといかんのに。原作が文章であることと挿絵の力とで誤魔化してるグダグダ感がそのまま浮き上がってしまった…のかな? 明らかに切ってもいいエピソードはあったと思う――そういうのはファンアイテムとしては重要な回だったけど。

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@Throw theme test.

_ところで先日たまたまくわね氏と新宿とらで出会ったときに話したのだけど、ラノベの歴史を考えるなら神坂一、吉岡平、庄司卓あたりはきちんと考察しないといけないかもね、というような話をした。多分並べた順に重要。要は富士見ファンタジアの歴史を押さえろってことやね。そのへんで象徴的な作家は秋田禎信なんじゃねえかと思ってるんだけど順応しすぎちゃってて話としての盛り上がりに欠けるような気がする。

で、そうやってファンタジアを押さえるならソノラマと初期スニーカー文庫も押さえるべきだろう。初期スニーカーを押さえ始めると渡辺由自あたりを押さえなきゃいけなくなってそのへんからのつながりで辻真先とかに及んでしまってあれあれどうすんのよ、ってことになりそうな気もするけど。ソノラマは世代が違うから知らん。

そんな「べき」とかそういう話をして何になるかって? まあ何かになればいいね。もちろんやる気がないからこんなこと書いてる訳ですのでまあそのように。

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9.29

@折り合い

今日も今日とて起床後の調子が適当によろしくなくて薬突っ込んで効いてくるまで家で寝ていたら昼ごろに仕事で舞浜まで来たという親父様が(実家に届いていた)高校の同窓会からのDMを持って登場。でもって夕方ごろには母親様から電話。そういえばメール来てたのに(面倒で)返事してなかったな、とか。いっそ実家から通えばどうよとか。私のパニック障害と満員電車は相性が悪いので、むしろ会社そばに引っ越せるもんなら引っ越したいかもなー、とか思ってる身にはぜんぜん無理な話ですよ、とか言えばよかったか。混雑がダメなだけなので日々グリーン通勤とかならいいかもしれませんが。

_それはそうとして微妙に鬱分が蓄積しつつあるのでここらで一発解消したいあたり。というか、よくよく考えると盆も年末年始も会社は休めど休めていないのだなと気付いてみたり。仕事が一段楽したらどこかでドカンと休みますかね、うん。

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@読んだもの

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9.30

@アニメ観録

GD#で原稿にすべきかもなー、と思いつつ鮮度のために今書き散らす感じ。もしくは下書きとも。

_コヨーテラグタイムショー

動くこと、見ている間の映像快楽、という点では夏期もっとも強力な作品だった。しかしシナリオはぶっちゃけぐだぐだ。演出もキャラ立てることより動く快感に走りがち。つーことで、おいしい設定を発揮しきれずに終わってしまった感じ。それでも気持ちいいんだけどさ。気持ちいいからこそ文句が出る系だな、たぶん。

_ゼーガペイン

今期一番楽しみに見てた作品。とにかくきっちり計算され、化けるべくして化けたシリーズでありました。しかし序盤からずっと感じてきたメカの格好悪さがようやく解消されたのがラスト3話とかなのが悲しいところ。やっぱり3DCGメカに芝居をさせるには、シリーズ半年ぐらいは続けないといかんのだろうかやっぱり…とか。技術は進歩しているけれど、2Dのアニメが持っていたウソの快楽を取り込む手法は未成熟なのかな、と改めて感じてしまった。シナリオとかシリーズ構成がすばらしかっただけに。

あと個人的にはあれだ、普段はまあ話を眺めてる&技術面を見てる系なのに、ゼーガに限っては「だがカミナギは俺のものだ」とか言いたい俺がいるのとか重要かも。

_「僕等がいた」をへろりと見てみた

継続視聴はしてないんだけどへろりと観てみたら、面白い画面の作り方をしてるなー、と思ったので。かなり意識的に画面を白くしている。最前面は外側に行くほど白く、あるいは画面の奥に行くほどオブジェクトが白くぼけていく。――少女漫画の画面が持ってる「白さ」感をアニメに持ってくるための処理なのかなあ、と思った。アニメだとどうしても色がついてしまって、漫画の印象に対してカラフルになっちゃう。それを抑えて原作の持ってる色感に近づけるための工夫。おそらく通常工程のあと、デジタル加工で白くしてるんだと思うけど。ぐりぐり動くとかそういうことはなくて、むしろ漫符とか頻繁に使われててかなり紙芝居的だけど。でもこういうデジタル制作の使い方もあるんだな、と感心。

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