Whiteのふりーとーく

2001年2月後半

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_ 掲示板:YaPW 旧掲示板 SMIL Boston日本語訳(頓座)



2.17

@

萌えゲーにおける分岐というのは、単に多様な萌えを提供する手段であると思うのですよ。芸能人で誰が好き、ってのと根は一緒でしょう。いろんな人から選択できるし、無意識的に選択しているはずですよね。そのときに外面だとか挙動だとかの記号がどうとか、というのが関わってくると「萌え」となるらしい、というのが私の理解ですが。

_ノベルゲームにおいて「用意されていない分岐や、決着」に言及するのは反則です。そこに分岐や決着が用意されていないことも、ノベルゲームのデザインに、ひいては表現意図に関わっているのですから。あ、もちろんそう理解した上で片手落ちだと指摘するのはアリですけど。

_Airは萌えに代わる別のものを提示できてない――っちゅうか、むしろ邪魔なのは萌えなので。萌えがなければふつーにふつーの話をしようとしてるし。いや、ゲーム表現的な面白さはあるんですけど、既にAirについて語っても、上位互換なモノがあるからしょうがないじゃん、というのがGameDeep的な共通見解だと私思ってることですよ。

萌えに考察はない、と思うのですよ。

自分で萌え話書こうと思ったりもするから感じることなんですけど。あんなもん要するに記号とパターンの集大成です。考察もクソもありません。システムがあれば萌えなんて産めます。いくらかの表現する才能は必要ですけど。

_さて、「考察」というのが、どのような意味でのことを指しているのかをまず明確にして欲しいのですが――仮に、対象作品から読み取れることから、真相らしきものを推測する、という作業だとしましょう。これ、非常に内向きな作業です。あるいは、木のないところに森を見ている作業です。

Airは銀色でよかったんじゃないかと思います。っても銀色やってないけど(--;

まぁ、あれですな。クロニクル形式というか。完全な連作短編でもよかったはず。そうなってないのは、プレイヤーの引き込み、移行を図ったため、だと思うのです。麻枝氏が形式についての固定観念払いきれてなかった、とか邪推することも可能ですが。

@実装

卒論発表2日前にして実装が進んでみる。予想通り1時間でコーディング完了して動きました。いやまったく、実にあっさりと。ちょほいと一部の関数をコピー&ペーストしてわしゃわしゃと書き換えて完了。こんなことなら論文書く前に実装しとけや、と思いたくなるほどあっさりと。

ちなみに動かす前に一番苦労したのはVMwareがぐずったことだったり。

@電波

引っ越し祝い発言の方面は、実は多岐に渡ってしまうのでわ、と気付いたのが発言後であることはヒミツだ。

@萌えゲー談義、から彼方の方向へ(たぶん意図的に)

ちうことで、萌えゲーの話にお返事なのです。

_ノベルゲームにおける「用意されていない分岐や、決着」について。そこに分岐や決着がないことも含めてデザインであり、作品であると思うのですけど。あ、もちろんそう理解した上で片手落ちだと指摘するのはアリです。

_Airは萌えに代わる別のものを提示できてない――っちゅうか、「萌えに代わる」なんて最初から思ってないでしょう。単に「物語」を提示しようとしてそのために手練手管を駆使しただけのこと。物語表現以外の何かではない、と思うです。

で、まぁ表現のために「萌え」を使ってるので、一見「萌え」から別のものを、と見えるかもしれません。むろん、客がそこを楽しむのはまったくもって自由です。しかしAirは「萌え」をひっくり返すことをして演出と利用してるので、そのように楽しむと最後に手痛い仕打ちを喰らいます。かくて絶賛と不評の嵐が吹き荒れる、と。

_もちろん、Airの「入口は萌えゲーで出口が年代記」というちぐはぐな構成が成功してるとは思いません。むしろ連作のような構成でよかったはず。そうなってなかったのは、単に麻枝氏が形式についての固定観念払いきれてなかった、とか邪推することも可能ですが(--;


2.19

@

ワンセット――ってKanonとAirがですか? あの「久弥の至らなさに麻枝大反逆」のKanonと、「麻枝の至らなさ大爆発」のAirがですか?

商品として「Kanonで客を掴んでおいてAirを買わせる」となっているという主張であるのなら、納得はします。ただ、作品としてワンセットかと言われると、Noでしょう。

それとも、Airには「アンチKanon」としての性質があるとか、そういう意味でしょうか? だとしても、それをワンセットとみなすのは横暴でしょう。独立した作品の関連としてそれを見出すのならともかく、上下巻、前後編、未完成版と完結編、のような構造ではないですから。

_ところで思うのですが、先の記述の文脈の「考察の人」って、「補完の人」って意味あいですよね。あくまで物語世界の内的なところに留まって、その内部で解釈をどうこう、っていう。結果を外部から見据える、というようなことをやってる人は少ないですから。

つーか、そんな人が多かったらそもそもGameDeepなんてやってないわけですが。

いや、話が根本的に噛み合わないのは、そのへんかのう、と思ったので。

@卒論発表

特に大きな問題もなく、無事発表を終えました。ちうことで、あとは不祥事を起こしたりしない限りは無事卒業の見込みです。いや、長い学生生活でした(--;


2.21

@ゲーム評論

GameDeep的には読んでおかねば、ということで今売りのゲーム批評のガンパレ記事と、今売りのColorful PureGirlのAirスタッフインタビューを読む。

前者について。なぜかくも「ゲーム」という定義が曖昧なものに無自覚か。ゲーム批評という本そのものに言えることだけど、もっと用語を定義すべきだ。だいたい、ガンパレというゲームそのものから見えることについても全然考察が足りないように思う。

後者について。誰か腕のいいゲームデザイナーを彼らに紹介してあげてください。ゲームを作るのが上手い人ではなくて、ゲームを利用するのが上手い人を。日本に何人いるかも怪しいけど。つーか、なんでTactics飛び出たねんお前ら。YET-11氏の力があればどうなってたろう、とか思わんでもない。

つーかあれだ、ゲーム評論にはアカデミズムが必要だ。もっと言葉の定義をして、分析のための道具を用意して、評論する人たちが共通言語で喋れる土俵を作るべきだ。そういうことすると、道具に取り込まれて逆に道具に振り回されてしまう人たちが出てくるような気もするが、それは礎と思って諦めることとする。

そんなわけで、私は道具立てをそろえる人になりたい。GameDeepというちっぽけな活動で、どこまでできるかはわからないけど。

@権利団体

市販改変セーブデータは利用も違法――おもちゃはいずれバラされることも含めておもちゃだと思うのですけど。ユーザーがそうやって遊ぶことが、将来の技術者を育てる土壌になるだろうに。守りたいものがあるのはわかるし、守られるべきとも思うけれど、必要悪ってものもあると思います。

@萌えゲー話

俺的にはしばらく続きそうな雰囲気になってきた萌えゲー話ちうことでお返事。

_前提知識の要らない表現はない、と思います。大なり小なり、必ず前提ってのは必要です。表現というものは、書かれる時点である程度受け手が想定されているものです。そうでないものを作れるとしたら、私は喜んで魂を売るつもりですが。

閑話休題。確かに、Airが前提としている部分は大きそうです。ただ、前提の部分について、たとえばノベル型ギャルゲー一般のプレイ経験ではなく、Kanonと限定するのはなぜでしょうか? 単に「前提として一番適切なもの」を挙げられてるだけという気もしますが(^^;

_「でもそうでないなら、何で、女の子で分岐して、TRUEとBADで分岐するのか、よくわかりません」は、なんについての言及でしょうか? 萌えゲー一般についてか、それともAirについてか。

_現在のところ、萌え生成システムには、判定機構としての人間は必須です。自動生成系を機能させるためには、良い評価関数が必要ですから。ただ、「属性」というものをリストアップし、それを(人間の思考という関数が)組み合わせて「萌える」ものを産む、というのは十分システマティックだと思うのですけど。

_考察、について。辞書通りに受け取っても、その定義にはちと無理があるような(^^; 個人の行った考察に対し、論点を共有しようとする行為は「議論」「討論」と呼ぶのが一般的かと思います。このへんは単に語の定義なんですが、定義が不揃いだと話にならないのが世の常なので。

_ノベルゲームは、もっとオーソドックスに物語を作ってりゃいいと思うんですけど。

決して凄く斬新な表現ではない。スタイルとしては、分岐付きの紙芝居でしかない。でも、その枠内でもまだまだできることがあるはずですよね。

商売的に厳しいでしょうけど、ソツのないものを作るようなやり方こそがノベルゲームにはふさわしいんじゃないかと思います。


2.25

@引っ越し進行中

ということで、今週末は引っ越し作業だったのです。まだ終わってませんけど。電話だって通じてないので、ネットワーク環境も当然まだだし。そんなわけで、しばらくは筑波と東京を往復する生活の模様。つーか、呑み会とか呑み会とか呑み会とかがあるし。

あ、ちなみに新居に侵攻をかけてお祝いの会を開きたいという方はご一報下さい。と死ぬほどいい加減な作戦に出てみます。だいたいの場所は一応都内・千葉県近くという感じらしいです。詳しい住所とかは折り返し連絡っちゅーことで。


2.27

@引っ越し更に進行中

引っ越し作業はまだ続いています。つーか、壮絶な量のゴミの山。明日には筑波の部屋から撤収の予定ですが、まだ結構な量の荷が残っていて俺様ピンチ。いや、隣の部屋に運び込まれるんですけどね。移送するのが大変そう。

@ゲームがゲームたるために。

【N.C.P】特別編(のふりをした雑文)「2001=1978」を読みつつ、気色の悪さを感じる。

論証めいた文章のくせに所詮は(宣言通りに)雑文であり、そこを論証すべきという肝心な部分がざっくりと飛ばされている、なんて点も不満の一因ではある。実際、【N.C.P】本編の雑誌連載時に感じてたのも、それが原因なのだろう。

だけど、今回感じた気色の悪さは、主に以下の2点から来てるように思う。

  • 筆者がゲームを単方向メディアであると捉えている
  • 筆者がゲーム性というものをよく理解してない

要するに、筆者がゲーマーでないんではないか、と思うわけだ。

前者について。筆者がガンパレをゲームとして遊んでない。筆者の経歴(漫画編集)上仕方がないのかもしれないが、たぶんガンパレを彼岸の物語として受け止めようとしているのではないか。そして、そのように(彼岸の物語として)ガンパレを取り込もうとしても、なにも出てこない。

ガンパレというのは、基本的に道具でしかない。道具でしかないのだが、道具を道具として使うと、道具以上のものに化けうる。そういうものである。とにかく、一度遊んでみないことにはなんら意味を持たないものだ。遊んでみて、できることを発見して、とにかくやってみる。やってみると、新しいことに気が付いて……というのが繰り返される。その繰り返しを楽しむ過程の中に、物語を見い出すことも出来る。

コスティキャンの言葉を借りるならば、元々トイでしかないガンパレに、目的を導入することでゲームが発生するのである。で、目的を発生させる要因をあれこれとブチ込んでおけばプレイヤーは引っ掛かってくれるわけである。が、肝心の筆者はここに到達しているか怪しい。トイであるところのガンパレのレベルを必死に見据えようとして、なにもないと感じているのではないだろうか。

_さて、トイがゲームになる、などと口走ったが、ここが後者に絡んでくる。

ということで後者について。文中で筆者は、ゲーム性を「全能性=可能性」であると言及しているが、ここがたぶん間違いである。確かにゲーム性には全能性に近いものであるが、等価ではない。ゲームがゲーム足るためには、それが困難であること――不如意性が必要だからだ。このへんについては、コスティキャンのゲーム論だとかあるいは手前味噌な文章に書いてあるのでそちら参照。

あ、それからなんで不如意性が必要かについての理由は聞くなよ。まだ論証できてないからな。つーか、論証できるなら私が事更に決意する必要などないわけだ。もちろん、誰かやってくれるなら大歓迎である。俺様楽ができるから。

閑話休題。

ここでは、シューティングゲームが難しくないのならそれはただのシューティングであって、シューティングゲームではないだろう。その気になれば敵を撃滅し突き進んでいける。しかしそれが思い通りにできるわけではない。

その、全能性=如意性と、不如意性の背反があってこそ、物事はゲームになる、のだと思う。くれぐれもいうが、なんでかとはしばらく聞かないでくれ。ただでさえ、究極的には脳の機能がどうのこうのとかになりそうで、取り掛かる前から嫌な気分がしているのだから。


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