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映画を語ろうと思うなら、とりあえず「燃えよドラゴン」とか語ってみるべきだろう。別に「マッハ!!!!!!!!」とかでもいいんだけど、まあそういう類のものを。
_燃えよドラゴンにはよい映画たるに必要と思われるもののほとんどがない。話の筋はグダグダだしテーマらしきものもおよそ存在しない。ブンガク的視点というもので切ってみれば燃えよドラゴンは間違いなく完膚なきまでのクソ映画だろう。
しかしながら、燃えよドラゴンには「ブルース・リーが格好よい」という事実が断固として存在する。あの完璧な立居振舞で動く、殴る、蹴る。もうとにかくそれが気持ちいい。リー先生が立っているだけでシビれる。その圧倒的な身体の威力の前には、それ以外のなにかなどどうでもいい。そして撮るほうもまたそれを理解していて執拗に先生を格好良く撮るのである。難があるとすればいまいちメリハリの効いていない構成であるが、まあ大事なところではだいたい先生が奇声を上げてくれるのでそれに従えばよかろう。
この映画に対してあるべき態度があるとすれば劇中の言葉の通り『考えるな、感じろ』であろう。実際それ意外の態度でこの映画に対峙したところでろくなものは見えてこない。
しかしながら、「燃えよドラゴン」は圧倒的にすばらしい映画であり、映画を語ろうと思うならば間違いなく見ておくべき作品のひとつだろう。このまったく無為な作品を観ることで、「考える」ことの非万能性、「感じる」ことの有用性、あるいは映画が映画たるために最低限必要なものはなんなのか、ということを知ることができるはずだろうから。
Apple、新型アルミ製キーボードを発表、Bluetooth版もラインナップ
やばい、このサイズのBluetoothキーボードはあまりに欲しすぎる、diNovo Edgeよりも小さそうだし。
HHKよりは大きいだろうけど、でもケーブルから解放されるんだよなあ。是非買いたい。むしろ買おう。
perlのスクリプトの修正……というか書き直し。
元のプログラムがあまりにもフリーダムな呼び出しをしているのが辛い。perlのスクリプトからssh経由で他所のシェルスクリプトを呼び、それが(Cで書いた)バイナリを呼び、更にストアドプロシージャを呼んだり。あるいはシェルスクリプトが直でストアドプロシージャを呼んでいたり。自由がろくでもない結果を招く典型のような乱雑ぶり。
呼び出し元のperlのスクリプトも単体レベルで既に厳しい。可読性を下げるだけのよろしくない抽象化の嵐。読んでいてすごいへこたれそう。むしろへこたれたい。
そろそろ仕事をしようか、という気分になったあたりで「パッケージを貰ったアプリの動きがなんだかおかしい」という連絡がお客さまから。
開発用の環境ではそんな症状が出ないのだが、リリース前テスト用の環境では確かに動きがおかしい。両者の違いはサーバが違うことぐらいじゃないか?とか悩みつつともかくも調査開始。
なにしろ相手がサイズ制限も厳しいiアプリ様なので、リリース前テスト版はデバッグプリントすら切り捨ててある。Javaのくせにろくなスタックトレースも吐かないし。そんなわけでビルド環境でちまちまとデバッグプリントを書いてはリリース前テスト版のコンフィグでビルド、作ったバイナリ(?)をエミュレーターで動かして確認、というのをやって問題の箇所を追い込んで行く。
2時間ほどかけて行きついたのは「必要なリソース定義が消えている」という結論。起動時に読みこんで基本的には消さないデータなのに?と思って起動時の読みこみ処理にデバッグプリントを入れると――その項目のリソース定義がそもそも行われていない。
ひょっとしてビルド用のコンフィグが間違っていてリソース定義ファイルのダウンロード先を間違えたか、とパケットキャプチャで調べてみる。うん、アクセス先のURLは間違ってない。
_……アクセス先は、間違っていない。
そのアクセス先にwgetしてみる。ファイルが落ちてくる。落ちたファイルの日付を見る。先月の日付。
もしもし。そのリソース定義ファイルはひょっとして以前のリリースで渡したものじゃございませんか? 定義ファイルを開いてみると見事問題のデータの定義がない。そういやこのバージョンで動作に問題があってその解消のために追加したデータだったなあ。
_よけいなことを書くと罵倒になりそうだったので極めて事務的に、「このURLに置いてある定義ファイルを最新版にしてください」というメールを書いて送る。更新したと報告がある。動作を確かめる。動く。
_とりあえず教訓。ものごとは単純なところから疑おう。
もっとも、経験しなけりゃ思い付けない教訓ってのもある。
仕事:あまりにも自由なの続き。
を呼んでいる部分を発見。くらくらしてきた。awkの部分は過去の一時措置っぽいので放置、今回見つけてしまったsh via sshはそのまま放置(perlからsystem文で呼ぶようにした)、というやっつけな対応で今日のところは忘れることにした。
_なんでこういう嫌げな分離が進んでるかについての推察:
出来の悪いフレームワークを使うためにバッドノウハウの上にバッドノウハウが詰まれた、という感じ。こういうときは怖れずフレームワークから直してやらないとひどいことになる、の典型か。