原則匿名で公開・個人情報は送られません。必要に応じ御署名/非公開希望をお書き添え下さい。
_ 掲示板:YaPW 旧掲示板 SMIL Boston日本語訳(頓座)
_ 要素分解してしまえば感動できない、ってのは、道具の使い方を間違えてるだけだと思うのです。
_ たとえば木の家具を作ること。ほとんどの木製家具は、木と釘とネジでできています。
出来上がりを決めるのは、個々の材料の品質と、作る人の腕。
どんなにいい材料を用意しても、作るのがトンカチ一つ満足に扱えない人だったら、悲惨な品が出来上がる可能性は高いです。同じ部品なのにね。
_ 構造中の意味も解さず、ただただ要素分解を繰り返すことは、単なる道具の乱用です。
いい椅子を見つけたからと、その椅子を釘抜きとハンマーを駆使してバラバラに分解するようなこと。
_ 更に言うなら、CGの理解をしようとバイナリデータをつぶさに見るのは、「出来のいい椅子は美味しいかどうか」を論じるようなものです。いくら四本足だとしても、中国人ですら食べないってのに(笑)
_ 分解することに意味がないわけじゃありません。たとえば時計の分解。バラして、どういう構造になってるのか確かめて、もう一度組み立てる。組み立て作業を模倣することで、部品と構造について理解を深められるわけです。
_ 分解と再構成は、構造を理解するためには重要な作業です。ただし、誤解してはいけません。それは、部品が全体として形作る『構造』と言われる明確な実体のないモノを探り出すための作業です。全体を忘れ、分解のためだけに分解を行なうのは、本末転倒な行為。
_ それと、もうひとつ。アナログなものをデジタルに直すという「分解」には、必ず切り捨てが発生します。頑張れば元のアナログに近いものを再構成できるかもしれないけれど、完璧じゃない。
もやもやはもやもやのまま、とっておいた方がいいこともあります。それをどうしても伝えたいのが、伝えたがる人の性なのですけど。
_ 一昨日話を出してみたことでもあるし、EDENのことについて書いてみたり。
_ わざわざ説教を探すことはないってのは、「お前ら(適当なハリウッド映画の名前)観て楽しくないの?」という質問で置換できると思います(笑)
こういう置換ができるってことは、「説教を探したがる」のも「説教探さなくてもいいだろ」のも、所詮信仰告白に過ぎないことを暗に示しているわけで(--;
_ 無理に自分の説教こじつけるのも自由だし、あるがままを楽しむのも自由だし。
受け手は所詮消費者なので、商品をどう使おうと自由なのです。そういうふうに使って欲しくないなら注意書をしておくことです。ex.電子レンジで猫を加熱してはいけません。
_ だいたい、世の中につまらない説教なんてないんじゃないかなーと。賢明な人からしたら全部当然。でも、人間なんて所詮馬鹿だから。失敗しないとわからない、反省しないとわからない。でなきゃ冷戦なんて起こってません(--;
_ 切り裂いた想いをもう一度つなげることはできるでしょうけど、分解したものは元には戻せません。ホントは心なんて切り離せないもの。それを無理に分解するのですから、代償は払われなければならない。その結果が、例えばおクスリだったりするわけです、というのは某シンガーソングライターのニュースに思ったりしたこと。
_ 以前に見かけて気にはなってたページだったりするので、反応の形を取りつつJIUJING創作を読んで思うことなど。
_ 「二次創作の書きかた」には、客を見て文章を書けと主張してる部分とか、小手先のテクニックとかに、見るべきものは感じます。
でも、並んでいる作品を見ると、全てが実践されてるとは思えません。特に、読み手のことを見てない。結局自分の書きたい話が大前提にある気がします。
_ 一番大事なこと、「娯楽作品は面白ければ勝ち」ってことを忘れてるような。どんなに卑怯で俗悪で禁忌を侵していようが、面白ければそれでいいのに。自分で張った禁忌に絡め捕られて、身動き取れなくなってるのじゃないかしらん。
それに、そんなに自分の話が書きたきゃ、オリジナルで書けばいいのに。なんて思ってもみたり。
_ 以下は発展的な話題。
(繰り返しになりますけど、)「二次創作の書きかた」はそれなりのものだと思います。私が二次創作をやってみた経験上で感じてきたことことの多くが、よく表現されてるのがその理由。
実際、二次創作に、(プロ・アマ問わずに)「せっかく小説にするんだから小説の良さを考えようよ」という感を受けることは多いのです。
媒体を移せば演出方法は変わる。変わるのなら、変化をプラスにしなきゃ損。
難しいのですけどね。両方の媒体の良さを知らないといけないから。
_ ところで、真に優れた二次創作って、「原作以上に原作らしい」ものだと思うのです。原作というソースを元にして、もっといい演出法はないか、もっとエッセンスを引き出せないかと思案した結果なんだから。
あるいは、原作というソースから、思いもつかないような味付けを見せてくれるとか。
_ 創像の翼ってそういうものですよね。一次とか二次とかは大事じゃない。どう見せていくか、伝えていくか。一次的であることにこだわってつまらないものより、二次創作であっても面白いものの方が、私は好きです。
_ 切り裂いていくことの話の続きのように。
深く知ることが、ときには良くないこともあります。
たとえば人間という存在の在処。唯物論的に切り分けていけば、そんな存在どこにもないのですよね。ただの電子の流れ、ただの化学反応の群れ、ただの物理運動の固まり。
でも人間という存在の在処を知りたくて、切り分けている人間は確かに存在しているのです。では、その人間は何処にいるのでしょう?
_ たとえばそれは、使う道具を間違えたのかもしれません。あるいは、道具で取り除いてしまったまさにその場所こそが、在処なのかもしれません。
どちらにしろ、その作業は一人の人間の心をバラバラにします。あんまりバラバラなものは、張り合わせるのに苦労します。そうやって答えを求めすぎて、こころをすっかり砕ききってしまった人は、もう元には戻れないのです。
_ そうやって突き詰めていくことでしか、見えないものだってあるのですけど。
_ 遂に講義に出てみる。数学なんてさっぱり忘れてました。でも、1週間ぐらいかけて勉強し直せばそこそこ思い出せるかも、ぐらいの手応え。
_ 主に自分の勉強を目的として、自作の更新日時取得スクリプトをバージョンアップしてみたり。0.5bから0.6bへ。ベータ版でなくなる日はあるのか。結構大幅な変更により、互換性消滅。個人用とはいえ、一応公開に耐えるように作ってあるのだから、最悪の所業。
_ 掲示板みたいなものも作ってみる。こっちはホントに間に合わせなので、(恥ずかしいから)スクリプトは公開しない。
_ perlがあればなにもいらないという思想がだんだん強まるのはよくないことでしょうか?(Y/y)
_ モバイルなテキスト打ち機が欲しい今日このごろ。モバギ(I/II問わず)のモノクロモデルかのう、と思案してみたり。しかし、金はない。
_ 掲示板のスクリプトを若干更新。公開前に放置されてたバージョンを参考にされたりもしたようですが、JKSな方はパーミッション開いてるので見たければどうぞ。
外部の方でも万が一見たいなどという奇特な方がいれば考えます。
コメントも付いてないしドキュメントも書かなきゃいけないから公開するのは面倒なのだけど。
_ ちうことで、来週の努力目標は掲示板スクリプトのメッセージ記録方式の変更と、StaticなURIポインタの設置、一定期間を過ぎたログのパッケージ&圧縮、cookieを利用した新規記事のみの表示機能、あたりでしょうか。っていうかそれってMailing Listの機能では?
_ もっとも、大半のWeb上の掲示板はNet NewsやらMailing Listに比べれば著しいローテクなわけで、それらの機能を取り込むように進化するのはある意味当然。
_ っていうか、情報分野で一般人に目新しいことなんて、たいていはローテクの組合わせなんですよね。ま、正しく工学的ですけど。
_ 今日はこれから水戸に言って呑み。
明日にはつくばに戻ってくるつもりだけど、どうなるかは未定(^^;
_ ここ数日やったこと。水戸行って呑んで宿酔いで苦しんでだらだらしてバイト。
_ 金曜日の水戸行って呑みですけど、土曜日には帰ってきました。しかし月曜まで更新がなかったのはなぜかといえば、ひどい宿酔いで土曜日がまるまる潰れたことに主因があるかと。三日酔いになりそうな勢いでしたから。ぐでーっと寝続けて、なんとか回復。今もちょっと胃腸の具合が良くないのですけど。そんなわけで、日曜日も勢いでだらだらしてました。
ところで、用向きは高校時代の友人と呑むってだけでした。いえ、高校が水戸だったもんで。これでもあっし、茨城育ちなのでござんす。
_ 冬コミ用の超短編本。原稿執筆は進まず。週1本のペースを既に2本溜め込み。困ったもんだ。そういえば、機会がなければ書かなかそうな某氏になんか書いてって頼もうと思ってたっけ。心当たりの方、勝手に書いて勝手に送りつけるが吉。
_ 掲示板を若干バージョンアップ。閲覧ページがhtmlベースに。SSIも追放したので、読み込みは随分早くなったはず。リンク用のアンカーも装備。過去ログを圧縮追放するようになったら、cgi側で対応しないとなりませんな。
書き込み画面に、ログが一緒に表示されるのは賛否分かれるとこだと思います。
過去ログは、
てな感じで管理しようかと思案中。
普通の個人ページ用だと、これでも余力があると思うのですけど。
書き込み時にサーバー負荷が軽ければ圧縮とか、二次→圧縮への移行部分はcronで動かすとか、アイデアだけはいろいろ考えられますけどね。こういうスクリプトはお手軽であるべきだと思うので、そこまでは凝らないんじゃないかなぁ。
_ ゲーム評論本で「ゲームノベライズの話」をかくと言っていた御仁と、どういうものを書くのかの打ち合わせみたいなことを。
話の途中で、実はゲームから小説にする(レイヤーを少なくする)ことによって、逆に広がるレイヤーもあるということに気付く。いわゆる視点の問題で。
ゲームでは視界の中心に(ほぼ常に)主人公が必要だが、小説ではそうでもない。小説の方が自然に三人称の視点を導入しやすい。RPGのノベライズを考えるとわかりやすいか。視点を主人公から離すことは、ゲームの特徴であるインタラクティブと相性が悪い。
これは、ゲームが万能であることの反証に使えそうなネタ。
_ ときに、参加各位のうち、それなりの長文書くつもりの方、そろそろネタ固めて頂けるとありがたいです。小話とか、ショートレビューであればギリギリでOKですけど。
_
火曜日の夜、呼ばれたりしたので、なぜかT-ruth氏を引き連れて、まるさんとこへに出発し、頂く約束になっていたThinkPad220を無事回収――のはずが、何故か綾金名古屋へ。
事前連絡もなしの状態だったのに、綾金の責任者の人に回収して頂けたのは僥倖でございました、ええまったく。
味噌カツを食べ、次は射撃だと思ったら休みだったのでファミレスでダベり。お土産にはきしめんを買ってきました。今夜のダメ部屋夕飯の予定。
_ ちうことで今日は、ThinkPad220を分解&HDD換装の予定。
_ ときに、ゲーム評論本(そろそろ名称も決めるか)私の記事は、「ゲーム」の本質の話をするためにコンピュータゲームが持つ表現レイヤーの解説をする、ってことになると思います。
やりたいことは、「コンピュータゲーム」という玉ネギの皮をはいで、「ゲーム」の本質を探るというあたり。コスティキャンのゲーム論を、コンピュータゲーム用に特化した話。
ネタは、一部かぶることになるかも。ま、まったくかぶらないのは不可能でしょう(--;
でも、直接重なる部分はそう多くならないと思うので、特に問題はないでしょう。というか、私の話は「論」というよりはコンピュータゲームを分析する上での道具造り、という方が適切なモノになりそうです(^^;