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製作途中のものを、それでもなんとか評価していただくべくドキュメント書き。どう作るかについては構想ができてて、技術的問題はひととおりクリアされている状況(=手を動かせばそのうち完成する状況)でもって、完成形を予想しながら書いているので、あとはお客様の理解力とやる気と想像力次第ってところか。
先日壊れた自転車の修理を依頼に、購入店のある晴海トリトンスクエアまで。事前に電話を入れておいたので、メーカーとも話をつけておいてくれたようで、対応はかなりスムーズだった。メーカーに送ってフレームだけ交換、残りのパーツは移植ってことで、ほぼ予想通りの対応。まあ、バーテープとかワイヤー類とかが交換されることぐらいは期待してもよかろう。
_だいたい2週間ぐらいかかると思います、とのことで、これもほぼ予想通りか。まだしばらくは電車通勤ってことになる。定期券を買うか否か、悩みどころ。
仕事が詰まってるので月島駅から有楽町線で出社――してみると、外のデモが五月蝿い。そりゃあまあ、会社の向かいは事実上の日本軍の大本営ではありますけれども。
……なんつーか。いや、今回トータルのクオリティも相当すごいんだけど、それ以上に三石琴乃の演技のすごさが目立つというか。ラストの展開がなかったら、完全に一人で話をくっちゃってる勢いですよ。すごく見えてるのは、三石の演技に騙されてるかな。なんにしても、ここ最近のたるんだ雰囲気を一掃するような演技でありましたのことよ。
やっつけ仕事だからこそ、抽象度は高くしておきましょう。
自分の担当分が順調に進んでいる & 相方の進行状況が(予想通り)思わしくない、という現状を承けてスケジュールの最適化を図る。今月の作業は私の方が得意(慣れている)分野だから、わりと予想通りではあるけれど。
ということで、なんか仕事が一気に増えた気がするが、今月に入った時点でもそんなことを思っていたから、きっとなんとかなるに違いない。
SEってなんだろう。「そもそも『システム』ってなによ?」というのが重要な問題だと思うのですけれども。使う人や使われる環境も含めて本当は「システム」だと思うのです。たとえば、人手で無理矢理回しているのも「システム」。で、そのような「ともかくなにかをやる仕組み」に対し、その改善や効率化を提案していく(そのために技術の使いかたを考える)のがSEのお仕事なんだと思います。技術を使うための技術の専門家、ってイメージ。
_唯物論的(?)な見方をするなら、ある系の中で働いている人だって一つの機能ブロックであるわけで。そうやって「全体」を捉えたときに、いかによりよい系を構築できるか。そういう意味では、管理職ってのは「システムを作るためのシステムのSE」なのかも。
秋葉原で12cmファンATX電源SS-350FBと8cm静音ファンTP8017Aを購入。その後C.F氏やthen-d氏と合流していつものようになにもしない。
_帰宅して録り溜めたあれこれをひとしきりみてから、PCを空けて作業開始。使ってるのが小さめのATXケースなため、電源を横置きする仕様になっている。すなわち、電源のファンがCPUのヒートシンク直上に来る=CPUファンがなくてもそれなりのエアフローを確保できそう。ということでCPUのヒートシンクも以前に買って放置していたファンレスのCGP4785AL-0に付け換え。
ついでに既存ケースファンの作動音をチェック。正面側の8cmはそれなりにうるさかったが、背面側の5cmはもっとうるさかった。両方外して正面側は新しいファンに付け換える。
そのままDivXな動画の再生テストをして、CPUが異常加熱しないことは確認。音もそれなりに小さくなったか。しばらくは運用しながらテストの予定。
スクリプトはこんな感じ。実際に使うときは出力先指定を忘れないように。
set xdata time set timefmt "%m/%d" set format x "%m/%d" set yrange[69.5:85] plot "targetfile" using 1:2 with linespoints
謎メモを実装してみた結果。家鯖で動かしてるので遅いかも。
ある型Aを与えられたオブジェクトが、別の型Bを与えられたオブジェクトを生成し、その型Bを与えられたオブジェクトから再び型Aを与えられたオブジェクトを生成する――実によくあるデータ/オブジェクトの還流の図式。しかしながら[A1]->[B1]->[A2]->[B2]->...
という流れの中における'->'を経たとき、その同一性を完全に保証することは不可能である、と感じる。
_この不可能性はたとえば言語というものの持つ本質的な不可能性と同様のものであって、だから「完全な対話」なるものは本質的に不可能と考えるか、それでも可能だと信仰するか、はたまた「完全な対話」なるものを考えることに意味はないという別の本質に着目するか――そのへんの態度の差がまた言語の不可能性を増幅しうる(負の増幅=減衰をもたらすこともあろう)。
「国連は救ってくれない」 首相が日米同盟重視理由示す[asahi.com]。まあ朝日の書いてることだからいくらかはさっ引くとしても、この言い草は一国の政府最高責任者としてあんまりだ。ここまで外交音痴ぶりが酷いとは。
国連が一種の外交サロン的なものに過ぎないのは事実だが、これでは「俺は外交努力をしない」と言っているも同然だろう。だいたい、「国連」という外交軸の事実上の中心であるフランス〜EUやらの存在をわかってて言ってるのか。
わかってて言ってるのだとすれば問題だし、わからないで言っているのだとすれば大問題だ。
そして今日もEncodeモジュールに苦しめられるのであった。utf-8フラグ許すまじ。
自分のために「体重」のリンク追加。