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kabojako販売品検索のAjax版がなんとかIEでも動くようになりました。本当はページングとか実装したいところだけど、まあとりあえずこのへんで。IEの方がInnerHTMLが許容されている要素が厳しいようで、そのへんでひっかかってたみたいな感じ。
JavaScriptを使うせいでデバッグが面倒だけど、ある程度パターンさえ築いてしまえば通常のWebアプリケーションよりずうっと楽に作れそう。
ロジックが綺麗に書けるって点では継続渡しスタイルの方が有利だと思うけど、軽快性ではこっちのがいいかな。取り合えずお手軽に始められるのもあるし。
今さらUnlimited SaGaとかやってるわけですが。
巷でさんざん酷評されていることで有名なゲームですが、なんか普通に面白いじゃん。異様にとっつきが悪いだけで。散々積み重ねられて来た「CRPGの文法」とでも言うべき物をことごとく無視して文法を再構築しただけのことで、本質はRPGだなと。むしろTRPGに近いかもしれない。
シナリオ選択した時点で実はボス敵が自分らに比べて強すぎて詰んでます、などというあたりが攻略本必須っぽいけど、それは昔のRPGってかSaGaシリーズにはわりと共通の手ごたえではあるまいか。
むしろ問題はインターフェースの出来の悪さ。文法を全部ブッ壊してるあたりで既にわかりにくいのに、その上わりと大量の情報を扱っている、のにインターフェースがこなれてない。とりあえず要領を飲み込めないと、ターゲットに対して使えるコマンドすら見付けられないよなあ、これ。ナビゲーションの能力不足がコンセプトの全てを台無しにしていると思う。コンセプトはむしろ面白いと思うだけに残念だ。
NintendoDS(2画面ある)とかPSP(画面が横長なのでナビゲーションのデザインコンセプトを変えることも可能)とかで作りなおせばそのへん解消されるかもなー、なんて感想を抱いてみたり。
自分では自分のことを「みんながアナーキーにやればやったでそれなりにバランスの取れた世界ができるよー」という楽観的な無政府主義者だと思っているわけですがそれはそれとして。
_本家 Political Compass(質問訳文@霞ヶ関官僚日記)の結果:
Economic Left/Right: -4.38
Social Libertarian/Authoritarian: -3.49
でもって日本語版ポリティカルコンパス ドラフト1版の結果:
保守・リベラル度: -2.81
右・左度: -2
つわけで、わりと予想通りにあんまり極端でないリベラルかつ左という結果でした。
_ところで要望はコメントまたはトラックバックでということなので該当エントリにping。少なくともMozilla Firefoxでは結果がきちんと画面に表示されませんでした。遷移後の画面で「ソースを見る」とHTMLが見えたので、処理に使ってるjavascriptの問題かと思います。いきなりdocument.openしてwriteしちゃってるのがFBと相性悪いのかなあ、という気が。勝手にデバッグした奴を送りつけるということも考えましたがどうかと思うのでとりあえず報告だけ。
あと、「わからない」があるのはいいのかなあ、という気が。無理矢理選択させることはテストの趣旨として大事なんじゃないかなあと思います。
PCがひでえ音を立てまくっているので不安になって音源を調べてみる。HDD突っ込んでる安物リムーバブルフレームのあたりが主因らしい。
とりあえず二本あるHDDを片方ずつ外してどっちの系統が悪いのかを特定。次にHDDを外したまま悪い系統のラッチだけONにする。ビンゴ。リムーバブルフレームの冷却ファンがへたっているのが原因だとわかる。
_ディスクが死んでるんでなければいいかあ、と思いとりあえず放置したが矢張り五月蝿い。ついカッとなってPCの電源を切り、取り出してケース開けて問題のファンを取り外してしまった。おかげでえらく静かになった。花粉対策でぶん回している空気清浄機の方が音が大きいぐらいだ。快適快適。
あまのさんが文章について魔法を感じないのは単にあまのさんが「魔法のような文章」を書く必要がない、書こうとしていないから、に過ぎないのではないかと思いますけど。
_もちろん単純に意志を伝えるための文章なら魔法みたいなものなんてこれっぽちも使う必要がないしむしろ使わない方がよいわけですが、しかし確かに魔法のような文章というのは存在すると思います。
やまぐうさんに置いておかれてしまった詩なんかがまさしくそうですが、普遍性や知識をベースとしていながら、いやむしろ、普遍性や知識をベースとしているからこそ、ときに魔法としかいいようのない力で読むひとの心に響くことがある。そしてそういうものを書くとき、書けるときというのはやはり本人にもわからない魔法のような何かが動いているのではないでしょうか。それすらも言語化できるもっとすげえ人というのも世の中には存在しそうな気もしますけど、その人はさらに上の境界線ですげえ(言語化ではない)文章生成を行うんじゃないかなー。
_あるいは、魔法を信じるものだけが、魔法を使うことができるのです、というお話。
マビノギやってます。主に自分用メモということで例によって適当にWikiを立てやがりましたよこの人は。
生産系ゲームとしても遊ぶことができるし、ダンジョン攻略なMORPG的に遊ぶこともできる、なにげに良くできたゲームなんじゃないかと思い始めました。特に戦闘は、考えれば考えた分だけ、PLのスキルがちゃんと反映されるのが素晴しい。もちろん(韓国系MMORPGに多い)殺伐と野で敵を狩り続ける作業もできますが、折角このゲームでそれはいかにも勿体ないよなー、と思います。
しばらく前に同居人とラーメン屋でした話。
_「正しい日本語」という物言いは、「正しい人間の遺伝子」という物言い程度にはナンセンスなのではないだろうか。
あるサンプルDNAと厳密に同一でないことはそのDNA人間のものでないことを意味しない。「これこれこんな具合の特徴を持っているからとりあえず人間だろう」みたいな判定はできる。
同様に、言語も「これこれこんな特徴があるからとりあえず日本語だろう」みたいな判定はできる。しかし厳密に同一でないからといって日本語でないと断じてしまうことは違うと思う。
_言語というのは、概念を表現するための道具である。言語使用者が新しい概念に遭遇した際には、使用者はこれまでの言語を<乱す>ことで、この新しい概念を表現しようとする。すなわち、使用者が新しい概念に接触しうるのであれば、言語は<乱れ>をも許容する必要があるのではないか。ちょうど生物が遺伝異常という形で乱れる――工学的な意味での「遊び」――余地を担保しているように。そして、言語にしろ生物にしろ、その遊びこそが環境に対して適応していく強靭さにつながるのではないか。
_もちろん、状況に対しゆるやかに変化していく言語なり遺伝子なりがそれでも保持し続ける「本質」とでも呼ぶべきもの(いわゆる「ミーム」?)はあるだろう。だが、それすらも言語や遺伝子のような遺伝性情報にとってはとりあえず保つべき形質に過ぎず、本当に必要があれば今見えている本質らしきものですら打ち捨てて、平気で変化していくのだろう。
_もちろんあんまり無秩序に変化されても困るので、変化に抗する形の逆圧力だって存在する必要があるわけだが、少なくとも唯一無二の言語の本質なんてものも人間の遺伝子の雛型なんてものも存在しない。それらは変質していく――本質なんて究極的には霧散しうる――ことこそが、本質なのではないだろうか。
_しかしこれって、ボランチがヒデのときと戸田のときで全然違うシステムになるような。戸田のときはまあ、戸田と中田浩のダブルフォアリベロって感じの動きになると思うので納得ですが。問題はヒデのとき。それって中田浩に皇帝(と書いてベッケンバウアーと読む)役をしろってことですよね。あるいはドゥンガ。後に意識を残しながらもするする上がって行ってしまうであろうヒデの穴を中田浩が埋め続けるため実質2バックシステムになってしまうような気が…だからこそ左右ストッパーが松田&中沢なんだなあ、ってのも理解できる。
_理解できるけど、あまりに大胆。確かに、機能すれば最高の日本代表が見れると思うけど、それにはいずれにせよ中田浩と心中する覚悟が必要って気が。確かに、ポテンシャルを信じたくなるすごく良い選手だとは思いますけど、ねえ。