原則匿名で公開・個人情報は送られません。必要に応じ御署名/非公開希望をお書き添え下さい。
_ 掲示板:YaPW 旧掲示板 SMIL Boston日本語訳(頓座)
なんとなく思いついてみたので某方面とかいぢめてみるテスト。あるいは表明とかアドバイスとかでもあるけど。
_人を待っている。認めてくれる人を。できれば、強くて美しくてここには書きたくないような私の我儘をありったけ抱擁して、そしてなにより私のことを許してくれる人であればいい。でも、現実にはどこをどうさがしたって囚われの乞食を無償で救い出してくれるお姫様なんて居やしないし、仮にいたとしても私は白馬の王子様にはなれない。
_王子様を殴ってこようか。それとも頭突きがいいかな。人形では自分も痛くないので面白くない。自分のことはもう殴りすぎた。もっとも王子様に立ち向かってしまうのは、あまりに楽すぎて的外れなやりかたなのだが。
_馬鹿で、失敗して、叱られなくて、笑われもしなくて。罵倒もなく、それでも悔しく、認めさせてやると固く誓って、それで人は成長していくのだろうと思う。でも、それで成長を続けていくのは到底できないと思う。続けるには、あまりに寂しくて辛いことだから。だから、足りないものをあげたりもらったりと思うのだ。そして、心に決めてしまえば得るのも与えるのも酷く簡単だ。
仕事。プロトコルスタックごと取り替えて様子を見てみた結果、「うまくいくのは偶然」ということが判明してぐんにょり。
無補給(=コンビニ等でお買いものなし)で54分。これ以上には巡行速度をあげないといけない。こうしてクロスバイクかロードへの物欲がずんずん高まる罠。
物事にはなべて理由がある。たいてい因果は巡ってくる。喧嘩腰には喧嘩腰。右の頬を殴っておいて右の頬を殴られないと思うな。もちろん俺にも一理はあるが、所詮は一理でしかありえない。相手の一理に耳を向けよ。言葉を読み聞きしているのは、己の目や耳ではない。心は決して中立でない。最初から歪んだ言葉も存在するが、己の心も言葉を歪める。なによりまず、己の心が読み聞きしているのだということを、決して忘れるべきではなかろう。
まったく、見聞きとは実に難しい。
平面BBSというのは面白かろうか、とか妄想中。レスが上下左右あるいは斜めについていくっちうの。もっとネットワーク的なトポロジの方が面白そうだが、そういうグラフは図示するのが難しい。しかもhtmlでとなるとなおさら。テーブル状のセルに対する書き込みとかが妥当なところか? ともかく実装してみるのがよかろうか。
サッカーW杯メンバー発表。
中村落選は怪我のせいであるか。最近のパフォーマンスは素晴らしかったが、調子が微妙となると仕方あるまい。そこまで支配的な能力には欠ける。で、代わりに小笠原といったところか。
波戸落選も予想はできた。右サイドには攻撃的には市川、守備的には明神を選択すれば良いことが見えていた。小野という選択肢もある。
「開眼すれば2002年のエース」と言われ続けた久保は結局開眼しなかった。最近はぐんぐんフィットしてきていたように見えただけに、もっと使ってやっていれば、と思う。
中山の選出は予想通り。ベテランを一人入れるなら疑うことなく彼からだろう。近頃おとなしい鈴木への刺激としても期待。
驚きは秋田の選出。おそらくはノルウェー戦が決定打。中沢との天秤で、ベテランを選択せざるを得なかったということか。森岡が微妙なときの精神的支柱、あるいは4バックというオプションも考えての選出だろう。
これを、先日同居人とテストプレイしてみた。これは劇的にゲームが変わる。この差は、トータルフットボール以前以後、と言えばわかりやすいか。
ディフェンスラインというものが、単なるオフサイドラインから移動阻止線としても機能するようになる。「ロングパス放り込み+DFラインすり抜けてシュート」という黄金パターンの威力が格段に落ちる。あるいは、前線にて「守備をさせないための防御線」を張ることが可能になる、前線でのスペース争いの意味が格段に上がる。
ゲームトークン的バランスも悪くない。守備側はコマ2つで相手のコマ1つの動きを阻止する。強引に突破(ZOCによる移動終了覚悟で前進)されると、再度ZOCを有効にするには守備側コマ2つを動かさなくてはいけない。
同時に、ターン当たりの移動可能コマを増やすことも、検討するべきかという感じ。難点は、一般人には遊べないゲームと化すことであるか。
_まだ一般人にも遊べそうな改良案として、「相手ターンでのタックル」ルールがあるのだが、これは未テスト。こちらの方が、レジスタ本来のゲーム性は損なわないか。
_ところで裏面のフットサル、我が家では開始3分で封印が決定された。テストプレイもろくにしていないに違いない。
世界は、シンプルにできている。と思う。
それを最初に意識したのは万有引力と電界の力と磁界の力の極めて類似した公式からだ。それから、日々年々とこう思うようになってきた――「世界は驚くほど類似する。思いもよらないところに類型が見える」
だが、同時にこうも思う。それは、脳というハードウェアの機能に由来していると。
_脳というニューロン・コンピュータのパターン検索能力はあまりに強烈だ。形の違うリンゴを同じ「リンゴ」だと思える。その認識能力に、人間の知というものは依存していると言ってもよい。パターンを探し、パターンを当てはめ、応用し、類推する。
なにかからパターンを見つけ出し、そのパターンを別のものにあてはめていく。極めて高い類似があれば、そのパターンを洗い出し明確にする。
_いかに多くのパターンを知るかが知識であり、いかにパターンを適用するかが知恵だと思う。知性とはこの両輪によって成り立つ車軸であり、一方が欠ければ他方の価値もまた薄れる。
_中学時代の恩師が、こんなことを言っていた。「頭が悪い奴というのは、2の力しかない奴じゃない。10の力が出せるはずなのに2しか出そうとしない奴のことだ」
本来の授業をそっちのけで、授業時間の何分の一だかをその話に費やしたはずだ。養護学校での教鞭の経験などを交えた話に、何故だか恥ずかしい思いを抱いた。――私は、与えられた10のすべてを使えているかと。
今でも同じ思いを抱く。私の両輪は足りているだろうか。私は、じゅうぶんシンプルに、世界を見据えるに足るだけの知識と知恵とを持てているだろうかと。
ラグナロク始めてみました。現在全力で廃人中。
とはいえ、このつい見えてしまう悪意は当然私に由来しているのだ。私に悪意があるから、私はそこに悪意を読む。記述者の脳裏に悪意があったらば、それは拡大させられようが――それでも根源は、私の悪意にほかならない。
――なんかそれであれこれ気分を害されている方もいるような気がしますが、ええと、その、歪んだ愛情表現ということでお許し下さい、とかこの場を借りて言ってみたり。
それが完璧に体現できているとは到底思っていませんが、そのようになりたいとは思っています。そしてそのための道は唯一、そのように振る舞ってみることだけ。
本日のタイムは変わらず54分。タイヤやらホイール(&ハブ)やらSPDペダルやら、いろんな誘惑が脳内から湧いてはきますが。タイヤぐらいは変えてみるかなぁ。
昼食時に(いつものように)二輪な車両の話になって、折り畳み自転車に興味があるという同僚様をBD-1に乗せてみた。目論見通りに心動いている模様。
_で、まさしく「効率の問題」に書いてあることなのですが、最適化というのはおそろしく非効率な作業です。
人間様が手を下さねばならない最適化というのは、わかりやすくするための抽象化をひん剥いて、裏に隠れている物事の例外をひたすら見極めて潰していく作業です。必要な知識は「なんでも」。使うCPUのアセンブリコード、コンピュータのアーキテクチャ、コンパイラがどこまで仕事をしてくれるか、etc,etc. 知識があればあるほど最適化できるポイントは発見できるし、むしろ広範な知識がないとボトルネックの見極めすらできない。逆に言えば、よい最適化のためにはそれだけ学ぶ必要があると思います。
自律的分散コンピューティング環境はまだまだ未熟で、となると今注目すべきはサーバ/クライアントモデルであろう。というわけで、ともかく枯れた技術の結合効果で商品価値を上げていこうというDDIPの戦略はまったくもって恐れ入る。
分散コンピューティングと言えば、Javaは「ちょっと扱いやすいクラス指向言語」として定着した感がある。当初の構想はどこへやら。もっと大胆な、エージェント指向的な環境というビジョンには興奮したものだが。
今週の仕事は、Ethernetのリアルタイム性の評価試験。
ということで、NICだのハブだのあれこれ変えて実験するべく今日までしこしことテストプログラムを書いていたのだが、未だに悩んでいるのが負荷発生の部分。
リアルタイム性の試験ということは、まさに適当な量の負荷をかけた状態でのテストが肝心となるのだが、「適当な量の負荷」をかけるためのプログラムが果たして自分で書いたものでいいのかが甚だ疑問。
――というか、よくよく考えると定量的な負荷をかけ続けるのには、まさしくリアルタイム処理が必要になるような気がしてきた。ちょっと片手間で作れるものではなさそうだ。ということで、今回のところはいいかげんなデータで諦めることにする。
ちなみに、ユーザコースには若干の改訂が予定されてます。交渉次第では、ニーズに合わせた参加形態なども用意できるかと思います。
興味のあるかた、冷やかしのつもりでも結構ですので、一声かけていただければ幸いです。
想ったり考えたりするなんて恋みたいなもので、であれば書くなんてのは恋文みたいなもんだ、とか思う。
_たとえば学問なんて、未知なるもの、あるいは既知のものの見知らぬ相を望んで行われる。自分の知っている相手の、いろんなところを見てみたいってのは――これはまさしく恋みたいなものだ。
もっと直接的に、誰かのことを想ったり考えたりするのはますます恋みたいでしかも恋愛感情のためなれば、これは疑う余地なく恋だろう。
_なににどんなふうに恋したにせよ、恋をしたら想いのたけを伝えたくなる。想っているだけの恋ってのもまああるけど、それは恋の奏でかた、綴りかたを自分のなかに留めておくってだけの話だろう。
ともかく、恋をすれば、自分がどんなに相手を想っているかを記したくなる。陽にするにせよ、陰にしまいこむにせよ、だ。してみると、創作ってのは恋に恋してるってことなのかもしれない。
_生きている人に恋しているのならいい。恋文はその人に見せればいい。
でも、そうでないとき。学問やら、物やら、死者やらに恋したときには。恋文は綴ることに意味がある。
でま、そういう恋文はたいてい誰かに見せなきゃいけない。その恋を誰かにわかってもらうためか、もうわかっている誰かと想いを共有するためか、あるいは誰かを自分と同じ恋に陥すためか。だから恋文書くのにも上手下手があるわけで、しかも恋した相手には絶対に届かない恋文だったりするわけだ。
_もっとも、そのへんいわゆるほんとうの恋、というか生きている誰かを相手にした、いわゆる普通に恋と呼ぶような恋でも大して事情は変わらないのかもしれない。
相手にどんなに恋を届けたところで、自分の恋している気持ちそのものが相手に入り込むわけではないし、なにより自分も相手も移ろいゆく。あのとき恋した彼女(僕は異性愛者の男性だからこう言っておこう)は次の瞬間にはもういないのだ。
_それでも恋が続いていくのは、まあありていに言えば錯覚なのだが、錯覚だろうとなんだろうとそれは恋だ。恋があれば更なる恋で上書きできる。もっともっと彼女のことを好きになり、となればこれは新しい恋だ。これも錯覚なのかもしれないけれど、それでもそれは恋だ。
_想ったり考えたりするなんて恋みたいなもので、ましてや生きてくなんて恋みたいなものだから、僕は構わず恋をする。見るもの、聞くもの、触れるもののすべてに、願わくば全身全霊で、恋をする。馬鹿馬鹿しいぐらいに恋することしかできない心だから、僕は構わず、恋をする。
どちらも何も考えなくていいようになるのが、技術的には理想。それとは別に、マナーの話はあるとも思いますけど。
Ethernetのリアルタイム性評価のレポートはそれなりのものが出来上がったが、必要部数をコピーするときソーター設定するの忘れてハマる罠。
話の本筋にはあまり関係ないけど、<!-- -->によるコメントアウトの意味。ROT13のような、解読されることを意図した暗号ってとこですか。ちょっと知ってれば読めるけど、面倒だったら読まなくてもいいかとか思う程度の(*1)。
以下、「ターン頭にチット入れて、引いた順に行動」というイメージで話しますが、
あんまり乱数強すぎるとコントロール不能なクソゲーと化す恐れあり。チットを入れないメリットを明白にしないといけないでしょう。
デザイン指針としては、「ドラゴンハーフRPG」とかが参考になるかも。よく出来たベースシステム(ソードワールド)の上に、適度なバランスのアドオンを追加、というデザイン。あるいはバランス無視の馬鹿ゲー作るという方向もアリですか。
(*1)解読者にコストをかけさせている以上、これも立派な暗号の使い方、かもしれない。
「EDEN - It's an Endless World! - 」の7巻を購入。「強烈に唾を吐きかけながら、それに値するほどクソったれであるがために世界を愛する」――延々貫かれてはいたが、どこか迷走気味だった遠藤節が、ようやっと走り始めた感じだ。残酷なほどに汚らしいゆえの美しさに、惚れ惚れする。まだまだゆっくりとではあるが、一度完成してしまった物語をどこへ向けるのだろうかと、期待する。
ということで、諸事情あってお引越しした新実家(市原市)に行ってまいります。天気がいいから当然BD-1で。
親がお引越し、ということで昨日は親の新居へお出かけ。最寄駅は姉ヶ崎。上々の天気に歌など口ずさみつつ、千葉市を抜けるあたりまでは順調に。
途中、五井のあたりから横道に逸れてみたら、逸れ過ぎて道に迷う罠。裏から回っていくつもりが、田舎道の案内のなさにやられて、結局新居を270度ぐるりと回るようなルートに。非常に疲労。
_ちょっとしたアクシデントとしては、部屋の中にツバメが入り込んだり。
_一泊して今日は帰路。買い物に出るという親の車にBD-1を積んでちょっとだけサボる。県道24号→国道16号→国道14号→江戸川サイクリングロードといった感じで帰宅。最後にちょっぴりだけ雨に降られつつ、所要時間は約4時間。
たとえ私が幸福であれ、誰かが不幸であるならば――私はそれを悲しいと思う。
であれば、私が幸福になるためには、その不幸をどうにかせねばならないだろう。それは傲慢であるかもしれないが、それでも私は彼の(あるいは彼女の)幸福を願うのだ。
であれば、私はすべてを幸福にしなければならないのだ。何一つの例外もなく、ありとあらゆるものすべてが不幸でないように。すべてが幸福であれるように。ただ、私の手の届く世界はあまりに小さい。私が幸福をもたらせる範囲もまた小さい。
そもそも幸福をもたらせるかどうかですら、定かでない。
それでも、私は願うのだ。幸福になるのだと。そのためには、せめて手の届く、あまりに小さな世界ぐらいは、なべて幸福にしなければならないのだ。そこの不幸を断じて認めてはならないのだ。
血を吐き、腕を振り、それでも私は笑うのだ。いいや、私は世界を幸福にしているのだ。私が世界を幸福にできているなら、たとえどうあれ笑わずにはいられないはずなのだ。
――同時に、己の腕の小ささに泣くのであるが。それでも私は、駆動するのだ。幸福のために、駆動するのだ。
己のために魔法を使おうとした報いだ。魔法は私の手からこぼれ落ちる。ほんとうに必要なのは今なのに、魔法が私の手の中にない。
悔やむ。歯噛みする。触れられもしない己の弱さに、怒りすらする。
――裏切る以外なくなることに、涙する。泣いたところで、魔法にはならない。
NHK-BS2 25:15- 「ビューティフルソングス2002」 On AIR。
NKH-BS2 ビューティフルソングス2002……に合わせてというわけでもないけど、ビデオデッキ新調。今までのやつは地上波チューナーが調子悪かった(電源入れてしばらくしないと写らない)ので。HDDレコーダー付きと悩んでみたけど、妥協して普通にSVHSのやつを。
でま、試運転と称してビューティフルソングス2002を録画。エアチェックもしようと思ったのだけど、WinDVRにはあずまんが大王の録画予約が入っていたので前半は音だけで堪能。
50分。新記録。
親友から電話。彼と俺とがまだ親友なのが不思議なぐらい、一方的に連絡をくれる。
たいてい、俺が、話を聞く。子供の頃にも薄々見えていたけれど、今考えると彼は本当に大変なのだと思えてくる。主に、家庭の事情などで。自分のなんと恵まれていることか。
言ってしまえば、コンプレックスの塊になってしまってもおかしくないほど、俺と彼の立場は違う。それでも彼は俺を心配し、親友として扱ってくれる。そうなるまでに、相当喧嘩もしたのだけれど。
今回も今回で、W杯の話でひとしきり盛り上がった後、まあ、そういう話になった。妹がそろそろ働き出すとか、また苗字が変わるかもとか、まあ、そういう、景気のいいとは言い難い、それからなんとも返事のしようのない話。
黙って聞く俺に、彼は感謝の言葉を言う。なにひとつ、ろくな言葉もかけてやれないのに、それだけで彼は俺を親友と思ってくれる。彼は一つも落ち込んだところがなく、ただ俺を頼っているようなことを言ってくれるのだ。
普段はそれで終わりだけれど、今回だけはお返しをした。ずっとずっとくだらない、俺自信についての話。彼は自分のことのように考えてくれて、それからまたありがとうと言った。俺が話してくれて嬉しいのだと。
連絡させてばかり、話をさせてばかりで、彼はそれでも感謝する。なにごともなかったように別れの挨拶をしてしまえば、俺はもう彼のことなんて次の連絡まで忘れるような性分なのに、彼はそれでも感謝する。
そうして俺が優しい気持ちにさせられてばかりいる。俺ばかりが貰っているのに、彼は俺に感謝する。
――ひどいことだと思い、同時に感謝もする。だからせめて、俺は存分にやさしくありたいと、柄にもなく誓ってみたりする。なにごともない、平穏な夜が、今日も過ぎる。
損な性分であるらしい。
小賢く先が見通せるようなふりをしているが、目先に困り果てたものがあれば、それで頭がいっぱいになるらしい。煙たがられるほど親身になるし、ときには行動に出ることもある。それもたいてい無茶苦茶なことをする。若いにもほどがあるだろうと、今では思う。
結局、他人などどうでもよい顔をしていながら、その実私などに触れてくる友があることをなにより幸福に思うのだ。だいいち、彼らなしの私などまったく考えられない。
だから、これまでの日々と同じように、こう思う。
私と共にあってくれた全ての人に感謝を。その感謝を巡らせるために、私も誰かに好意を向けよう。好意が円環となり、広がっていけば、世界は必ず幸福になる。何人にも、この円環を止めさせはしない。
ただ、値段がそれなりの(=走行性能が高めの)自転車って、乗ってて楽しいんですよね。継続のためには、楽しいことって相当重要なので。あと、「高いから乗らなきゃなー」って心理も働くし。
_お試しから入るにせよ、あるいは最初から覚悟を決めるにせよ、もし本当に続けるつもりなら、店頭で直接触って試乗して気に入ったものを買うのがよいと思います。御予算は3-5万円ぐらいで、かな。
家Linuxサーバ崩御。HDDのスワップ領域が、少なくとも論理的に死亡の模様。
仕方ないので昨夜は錦糸町ヨドバシカメラでHDD購入して帰宅。あれこれと復旧を試みたあと、断念して新環境構築開始。幸い旧HDDのデータ領域は存命なので、データの吸いだしだけはやっておく。
しばらくは復旧作業が必要な模様。もう少しマシン設計を考えるべきかなぁ、とか思ってみたり。
ところで錦糸町ではHDDを眺めるついでにカラープリンタとか物色。ブラザーのMFC-5100Jに心惹かれてみる。あからさまにSOHO向きなのは気にすまい。流石にカラーレーザーは設置空間の問題が、ねぇ。
あるいは自転車2台目への欲求が高まっていたりも。とりあえずClick Folding Action 1かTransit Compactを考えているのだけど、本格的通勤シフトのためにロード/クロスという話もある。物欲的にはリカンベントという考えもアリ。
あるいは現BD-1を誰かに譲ってBD-3かBD-1wって噂も。つっても、使い方荒くて傷多いし、あれこれ微妙に交換・修理すべき部分もあるから、半値で売るのがやっとぐらいか。そうするとBD-1wまではちと遠い。
と、あれこれ考える皮算用の時間が一番楽しいのかも。これもまた、ボーナスの恩恵なのかしらん。
_私も番号押さえて晒しものになってるProgressive9の原稿を進めてはいますが、えらく微妙です。本当に出せるかどうかは俺様の頑張り次第。――ちうか、なんでW杯が来ちゃうかなぁ。絶対落ちるぞ、こんなん(責任転嫁)。