Whiteのふりーとーく

2004年9月後半

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Wiki/BBS


9.16

@

修理が上がった自転車を回収しつつ出社。

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@仕事。

相変わらず2038年問題と戦ったり、昔の恥ずかしいプログラミングミスが発覚したり、シリアルクロスケーブルの不足でロックがかかってみたり。

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9.17

@仕事。

先生! 休日出勤したいのに必要なものが揃っていないので休日出勤すらできません!

_客は無体なことばかり言ってくるので「バールのようなもの」の出番も近いかもしれません。

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@

プロ野球スト決定おめー

_経営側が強引で無茶で勝手なプロセス拙速に合併を決めておいて、新規参入に対しては「時間が足りないから来季は無理」とかなめたことを言い腐れば(その他交渉態度も選手側をなめすぎ)、そりゃあスト決定は当然なわけで。

むしろ経営側はストさせたかったとしか思えないですよ。そして日本プロ野球機構が消滅して全球団解散で赤字消滅とかそういうシナリオ?

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9.18

@「イラクに大量破壊兵器の備蓄なし」 米調査団最終結論[asahi.com]

「軍需産業に金を流すための一種の公共事業みたいな?」なんて本当のことを言えるわけがありませんからこうやって適当な因縁つけて喧嘩売るしかないわけでありますが。ぶっちゃけ大きすぎる力のコントロールがぜんぜん利いてない状態なんだろうなとか思うわけで。この暴走が中期のものか末期のものかはわからないけど、資本主義だか民主主義だかの限界ってものなのかなあ、なんて思ったりも。

_まあ、あれよね。捜査協力までさせといてある日いきなり(情報流出で)面子潰されたからって完全に筋違いな報復をぶつけるべくWinnyの作者を逮捕したみたいな感じ? 

_どっちも「ある種の正当性を持ったヤクザみたいなもの」が暴走してるって意味では、似たようなものということで。

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9.20

@

yapwの行頭'@'によるheading生成時に自己参照アンカーをくっつけるように改造してみた。

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9.21

@仕事。

肝心のコードは数年前に試験用と称してろくなテストも確認もされないままにそのまま使われているコードなわけで、サスペンドさせたらトラブったのも実はsingedとunsignedを取り違えているのもまあ概ねありうるだろうというような品質のままここまで来ているわけであって。

_なんにしても昔の自分の恥を晒しながらデバッグは進むのでありました。

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9.22

@

なんとなく鬱気味ではあるのですが、仕事はそれを許してくれそうにありません。そんなわけで今日も今日とてSDLの内部で何が起きているのかを調べるべく格闘開始。

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@仕事。

空白文字をレンダリングしようとしたときにfreetype2がエラーを返してくるので、このときの回避コードをSDL_ttfに適当に突っこむことでとりあえずの問題を回避。

あとはプロトコル実装をしてしまえば当初担当分はほぼ完了……なのか?

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9.24

@

富野信者だからSeedを拒絶する訳ではない、と思ったへの反応。

ここでいう「宇宙世紀戦中派」とはそのまま「ガンダム信者」と言ってしまってもよいのではないだろうか(「富野信者」というカテゴリが別に存在しているので)。

_というか、「富野信者」は「アニメファンの一種」であるのに対し、「宇宙世紀戦中派」というのは「ガンダムファン」である、というあたりが両者の決定的な違いだろう。

そしておそらく、「宇宙世紀戦中派」にとっては∀とて「黒歴史」でなのであろう。

_だが、∀であればそれこそ黒歴史として無視すればそれでよかったのだ。それに対し、SEEDはガンダムファンが行ってきた「MSVを起点とするガンダムという遊び」を劣化させたような模倣をしようとしている。そのために、これはまったく無視できない存在になってしまったのではないだろうか。

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9.26

@芋煮

C.F氏らと杜の奇跡5.75に。前日に磐越東線経由で仙台入りして参加。不幸にして雨の日でありましたが、怪しい肉ばかり出てくる謎な会を堪能させていただきました。

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@電波的な彼女[スーパーダッシュ文庫、片山憲太郎]

読了。部分部分はそれなりにライトノベル的であったりするものの、話は普通にサイコサスペンスだったよーな。ライトノベルを期待して読んでいたのでナイスなビーンボールっぷりに結構満足いたしました。

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@約束の柱、落日の女王[富士見ファンタジア文庫、いわなぎ一葉]

読了。良くできたファンタジア風味のハーレクィン(ぉ いろいろブレとかアラもあるものの、きちんと一気に読ませてくれる良品でありました。ファンタジア大賞的には似たようなものだった「はじまりの骨の物語」と比較すると、準入選というのはちょっと辛いけど妥当かな。個人的には好評価。

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9.28

@プレイ・スタイル

Vidさんのゲーム〜「汝は人狼なりや?」語りに反応。とりあえずはmunchkin.txt読め、とは言っておくところからかなあ。もう読んでるような気もしますが。

_つーわけで本題。

Vidさんの論からは、「同一のルールが提示されたとしても、全てのプレイヤーが同一のゲームをプレイしているわけではない」という前提がまるっきり抜けています。いわゆるTRPGの世界では「プレイスタイル論」として散々議論が繰り返されている部分の話ですね。

プレイヤーの中には勝敗を気にせずキャラクター・プレイのためにゲームを遊んでいる人もいます。同様に、勝敗のためにロール・プレイに専念して遊んでいる人も居ます。その場がどちらのプレイヤーを重視してゲームを行うのか、というのはゲームルールの上位に位置する「メタ」なルールです。

_カードゲームとしての「汝は人狼なりや?」は五分から十分に一回のペースでバンバン人が死んで行くゲームになるため、論理ゲームというよりはパーティゲームのノリに近くなります。勝利云々は実は重要ではなく、そのような場を作って没入することが楽しい、という遊びですね。

だいたい、「人狼フェイズでは人狼が誰だか分からないように全員で机を叩くように」なんて馬鹿馬鹿しい(褒め言葉)ルールが存在するゲームが、キャラクター・プレイを楽しむパーティーゲーム以外にはそう簡単にはならないと思います。

しかし、その雰囲気を導き出しているのは「汝は人狼なりや?」のルールそのものではなく、そのルールが暗に示すブラックジョーク的な愉悦であり、いわばメタな部分でその楽しみが規定されているのだと思います。これは、「It's came from late, late, late show!」などと同様の構造でしょう。

_これがネットワーク上でのBBSゲームになった場合、ルール運用上での「馬鹿馬鹿しさ」は自然と消えてしまうので、改めてプレイスタイル論が浮上してくるのでしょう。そして、望ましいのは事前に「ガチンコで論理ゲームを遊ぶ」「キャラクタープレイを楽しむ」などのコンセンサスを予め掲げておくことだと思います。

_ところで「汝は人狼なりや?」のプレイスタイルを論じる上では「超人ロック」や「アステロイド」が参考になるかも、などと思ったあたりでこの論放置。

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@Game beyond Game.

Vidさんからの反応に対する再反応、ということで。予め参考文献として私の「ゲーム」という語に対する認識を知るべくGameDeepで以前に書いたものを読むと理解の助けになるかも。

_以下、Vidさんの話とは論がずれることは理解した上の論です。

さて、少し突っこんで考えれば、「複数人で遊ぶゲームの上で、遊戯性・楽しみを追求するための行動」もゲーム理論で言うゲームに相当することが自明となります。それもまた、「複数のプレイヤーがいて、各人の行動が各人の利得に影響する状況における利得の最大化局面」ですから。

遊戯性・楽しみを追求する「ファニー・ゲーム」、対して本来のルールが提供するところの「リアル・ゲーム」。誰かが「リアル・ゲーム」の上で本来のルールを逸脱した形で楽しみたいと思ったとき、そこでは「ファニー・ゲーム」が上積みされる形で立ち現われることになります。

このように、一つのゲームがプレイされている場において、実際には二つ(ないしはそれ以上の)ゲームが展開される状況は頻繁に発生します。そして、プレイスタイル論というのは、こういった状況において、「どのゲームをどの程度優先するべきであるか」という問題について論じることだと捉えることが可能です。

以上のような前提に基づいて考えるならば、この問題の真の姿は「ゲームであることにこだわるべきか」ではなく「どちらのゲームを優先するか」であるのです。

_ちなみにTPRGの話についての回答ですが「行うゲームと参加する卓におけるゲームマスターの宣言による」が模範的な回答になると思います。たとえば先に例に上げた "It's came from late , late , late show!" をプレイする場合、あたりまえのように最初から暴走したキャラクタープレイを行うことが求められるでしょう。


_以上が本論として以下雑感的に。

Vidさんの論に対して反応したのは、Vidさんが、『Vidさんの考える「ゲーム」「ゲームプレイ」が唯一無二の<ゲーム>である』という誤謬を侵しているのではないか、という感を抱いたからです。「ファニー・ゲーム」と「リアル・ゲーム」のいずれもゲームの楽しみかたとしては「正しい」のであり、対してVidさんの論は「ファニー・ゲーム」を「正しくない」ものとして断じてしまっているように見えました(「リアル・ゲーム」をするなら「リアル・ゲーム」を徹底するべきだ、という論なのだからそう見えるのは当たり前なのですが)。

というわけで、少々ずれているなと思いながらも敢えてプレイスタイル論として反応した次第です(「反論」ではありません。私の先の反応はメタ概念が存在しうる、ということを提示するためのものに過ぎませんから。ただし、「Vidさんの論は限定的な状況に対してのみ有効である」という位置づけを行ってはいるでしょうから、(政治的には)反論となっている側面があることは否定しません)。

_最後に、これはもうまったくずれた話として。

既にホイジンガやカイヨワあたりが指摘していそうな話ですが、遊びの上で「逸脱」することは本質的に避けえない話でしょう。「遊び」そのものが本来あるなにかを「逸脱」させた結果の産物であることが多いのですから。

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9.29

@ゲームを巡る思考における逸脱。

つーことで、人狼BBSの話を起点としたVidさんとの「ゲーム」論の続き。本論の方は既に煮詰まってるので細かい部分について発散気味に。

_遊びと逸脱の話は、いわゆる<遊び>やゲームに限った話ではなく、人間原理の一つとしての「遊び」みたいな話のつもりなのでむしろ言いたいことは逆かもしれません。新しい発見につながるかもしれない他人の「逸脱」を阻害してまで「自分のゲーム」を固持するのは本当に正しいのか? という視点も同時に必要だと思うのです。で、答えはないんだと思います。ルールを守るのも遊びなら、そこから逸脱するのもまた遊びなのです(*1)

_「人狼」におけるファニー・ゲーム。「人狼」における最も基本的な派生ファニー・ゲームは「ごっこ遊び」ではないでしょうか。これはプレイヤー一人でも成立してしまう遊びですから、コミュニティ/コミュニケーション以前のものでしょう。もちろん「ごっこ遊び」には論理的に規定された終了性はないでしょうから「完全なゲーム」にはならないでしょう。ですのでVidさんの言う「狭義のゲーム」には相当しないと思います。ですが、実際に「ごっこ遊び」を行っているプレイヤーは「ゲーム的な何か」を感じるとも思います(で、私の探求としては一抹でも「ゲーム的」であればそれは「ゲーム」なのです)。

_他に「人狼」でありそうな逸脱には、勝利のためではなく撹乱のためにプレイするとかがありそうです。普通のBBS相手に同じことやるといわゆる「荒し」ですな。この場合、撹乱を目的とするプレイヤーは一人で別の利得空間に存在していることになり、その目的は「いかにゲームを破綻させられるか」です。終了条件もあるのでこれは立派な「狭義のゲーム」ですね。

こういう行動は、リアルゲーマー的にはときどき意図的にやることがあります。端的には、「報復行動」です。悪辣な手段で勝利から除外された場合に、その選択を行ったプレイヤーを勝たせまいとするわけです。これはその一回のゲームを見れば無意味な行動ですが、繰り返しゲームとしては有意な行動です(次回以降に同様の選択をさせない効果が期待できます)。人狼BBSの場合は各回の独立性が強められているので、あまり成立しない選択でしょうけれども。

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(*1)このへんWikiPediaの「遊び」の項参照すると理解の助けになるかも。ならないかも。

@仕事?

何日か前に買ってきておいたFDD + マルチカードリーダーを会社でデスクトップに使用しているLinux機に接続。数日前にも試していてそのときはカードリーダーを繋いだまま起動すると何故かPS/2 mouseが認識されなくなるという謎現象の前に挫けて(時間もなかったので)断念していた。

_今日は幸い時間もあるのでdmesgやら/proc/interruptsやら/proc/ioportsやらを見ながらあれこれ調べる。dmesgではカードリーダー接続の有無に拘わらずカーネルではPS/2 mouseを認識しているようだ。しかしカードリーダーを接続して起動すると確かにPS/2 mouseのIRQが消滅している。

_で、よくわからんまま堂々巡りを繰り返した揚句、/etc/modprobe.confと/etc/modules.confを覗いてみたら、なんかusb-controllerのalias定義が複数ある。いかにも怪しい。

ということで、 'alias usb-controller' の定義を 'ehci-hcd' から 'usb-uhci' に変更してから再起動すると、無事PS/2 mouseとUSBカードリーダーの共存に成功した。

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9.30

@ゲームを巡る思考における逸脱(2)。

更に続き。間に一日置いたのはわざとです。あんまりハイペースでやると見落しもあるし仕事もしなくなるから(--;

_まずは総論めいたところから。単に私の信仰告白かもしれませんが。

Vidさんが人間から離れた外的な原理としての「ゲーム」に着目しているのに対し、私は人間(を始めとする実行者)の身体性と切り離せないところに存在する内的な原理としての「ゲーム」に着目しているのかなあ、という気がします。

私の考えについてもう少し掘り下げます。

「これはゲームである」という判断を下すのはプレイヤー自身である。外形的な何かによって機械的に判断が下されるものではない。ただ、「これはゲームである」という判断を下したときにはおそらくなんらかの基準があり、その基準の根源となる共通した何かがあるはずである。この最も根源となる共通項がなんであるかを探るのが、私の「ゲームについての探究」である。

これを言い替える:私は「これはゲームである」という判定が「家族的類似性」によってなされることを一旦認めた上で、その家族的類似性の核心がどこにあるのかを探究したいのである。

この探究についての、今のところの私の回答は「如意性と不如意性のせめぎあい」です。この先も徐々に修正されていくのだと思いますけれど。


_そんなわけで以下本筋に戻って(?)各論をば。

_ルールと遊び。(またそれかよとか言われそうですが、)芸術におけるデュシャンの「泉」と同様に、「プレイ」がある種の逸脱として発生する以上、「プレイ」自体もそこからの逸脱を許容せざるを得ない(その逸脱を別の「プレイ」でないとは言えない)という構図を本質的に持っているのではないかと思います。などと、ポストモダンなアナーキストっぽいことを言ってみるテスト。

_巡回セールスマン問題そのものやナップサック問題そのものは単なる「パズル」でしょう。ただし、これに回答しようとするプレイヤーが現われると、それは「ゲーム」になりうるでしょう。

_荒しプレイについて。人狼BBSでも、攪乱のための荒しプレイは成立するんじゃないかなあと思います。むしろリアルでやってる方が荒しプレイはやりにくいでしょう。空気読めない奴として現実の友情を破綻させる可能性が高いので(*1)

_ゲームにおける報復行動について。いかに「リアル・ゲーム」をやっているという認識であっても、そこでは同時に「ファニー・ゲーム」も発生してしまうものです。ゲームと言えども遊びであり、そこで悪辣な手であるプレイヤーの勝利を消滅させるのは直近の「ゲーム」のためには正しくとも「遊び」という観点で見れば望ましくない。そのような局面において「リアル・ゲーム」のことだけを考えて「ファニー・ゲーム」を一方的に破壊するプレイヤーに対しての報復行動を同一ゲーム内で行うのは、ゲーム外での報復行動(*2)よりも「優しい」報復行動にあたるのではないでしょうか。

_(狭義)ゲームとは?に対して、「ライフ・ゲーム」とは別の「ゲームっぽいが非(狭義)ゲーム」を挙げてみます:「タイル舗装された路面で同じ色のタイルだけを踏んで行く遊び」 これは終了性を持ちませんが、ルールが存在し、かつ実行の過程が極めてゲーム的であると思います。そしてプレイヤーが感じるものもゲーム的でしょう。

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(*1)で、私の視点で言うならば、この場合にも「友情の破綻」と「"汝は〜"における荒しプレイの楽しみ」が見合うかという一種のゲーム状況がここでも成立している、わけです(笑)

(*2)例えば「もうお前とは遊ばない」

@仕事。

なんか明日は延々紙と鉛筆で数学脳を使わなきゃ行けないらしいですよ?

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