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ゲームを巡る思考における逸脱(2)。

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ゲームを巡る思考における逸脱(2)。

更に続き。間に一日置いたのはわざとです。あんまりハイペースでやると見落しもあるし仕事もしなくなるから(--;

_まずは総論めいたところから。単に私の信仰告白かもしれませんが。

Vidさんが人間から離れた外的な原理としての「ゲーム」に着目しているのに対し、私は人間(を始めとする実行者)の身体性と切り離せないところに存在する内的な原理としての「ゲーム」に着目しているのかなあ、という気がします。

私の考えについてもう少し掘り下げます。

「これはゲームである」という判断を下すのはプレイヤー自身である。外形的な何かによって機械的に判断が下されるものではない。ただ、「これはゲームである」という判断を下したときにはおそらくなんらかの基準があり、その基準の根源となる共通した何かがあるはずである。この最も根源となる共通項がなんであるかを探るのが、私の「ゲームについての探究」である。

これを言い替える:私は「これはゲームである」という判定が「家族的類似性」によってなされることを一旦認めた上で、その家族的類似性の核心がどこにあるのかを探究したいのである。

この探究についての、今のところの私の回答は「如意性と不如意性のせめぎあい」です。この先も徐々に修正されていくのだと思いますけれど。


_そんなわけで以下本筋に戻って(?)各論をば。

_ルールと遊び。(またそれかよとか言われそうですが、)芸術におけるデュシャンの「泉」と同様に、「プレイ」がある種の逸脱として発生する以上、「プレイ」自体もそこからの逸脱を許容せざるを得ない(その逸脱を別の「プレイ」でないとは言えない)という構図を本質的に持っているのではないかと思います。などと、ポストモダンなアナーキストっぽいことを言ってみるテスト。

_巡回セールスマン問題そのものやナップサック問題そのものは単なる「パズル」でしょう。ただし、これに回答しようとするプレイヤーが現われると、それは「ゲーム」になりうるでしょう。

_荒しプレイについて。人狼BBSでも、攪乱のための荒しプレイは成立するんじゃないかなあと思います。むしろリアルでやってる方が荒しプレイはやりにくいでしょう。空気読めない奴として現実の友情を破綻させる可能性が高いので(*1)

_ゲームにおける報復行動について。いかに「リアル・ゲーム」をやっているという認識であっても、そこでは同時に「ファニー・ゲーム」も発生してしまうものです。ゲームと言えども遊びであり、そこで悪辣な手であるプレイヤーの勝利を消滅させるのは直近の「ゲーム」のためには正しくとも「遊び」という観点で見れば望ましくない。そのような局面において「リアル・ゲーム」のことだけを考えて「ファニー・ゲーム」を一方的に破壊するプレイヤーに対しての報復行動を同一ゲーム内で行うのは、ゲーム外での報復行動(*2)よりも「優しい」報復行動にあたるのではないでしょうか。

_(狭義)ゲームとは?に対して、「ライフ・ゲーム」とは別の「ゲームっぽいが非(狭義)ゲーム」を挙げてみます:「タイル舗装された路面で同じ色のタイルだけを踏んで行く遊び」 これは終了性を持ちませんが、ルールが存在し、かつ実行の過程が極めてゲーム的であると思います。そしてプレイヤーが感じるものもゲーム的でしょう。

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