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Game beyond Game.

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< プレイ・スタイル | ゲームを巡る思考における逸脱。 >

 

Game beyond Game.

Vidさんからの反応に対する再反応、ということで。予め参考文献として私の「ゲーム」という語に対する認識を知るべくGameDeepで以前に書いたものを読むと理解の助けになるかも。

_以下、Vidさんの話とは論がずれることは理解した上の論です。

さて、少し突っこんで考えれば、「複数人で遊ぶゲームの上で、遊戯性・楽しみを追求するための行動」もゲーム理論で言うゲームに相当することが自明となります。それもまた、「複数のプレイヤーがいて、各人の行動が各人の利得に影響する状況における利得の最大化局面」ですから。

遊戯性・楽しみを追求する「ファニー・ゲーム」、対して本来のルールが提供するところの「リアル・ゲーム」。誰かが「リアル・ゲーム」の上で本来のルールを逸脱した形で楽しみたいと思ったとき、そこでは「ファニー・ゲーム」が上積みされる形で立ち現われることになります。

このように、一つのゲームがプレイされている場において、実際には二つ(ないしはそれ以上の)ゲームが展開される状況は頻繁に発生します。そして、プレイスタイル論というのは、こういった状況において、「どのゲームをどの程度優先するべきであるか」という問題について論じることだと捉えることが可能です。

以上のような前提に基づいて考えるならば、この問題の真の姿は「ゲームであることにこだわるべきか」ではなく「どちらのゲームを優先するか」であるのです。

_ちなみにTPRGの話についての回答ですが「行うゲームと参加する卓におけるゲームマスターの宣言による」が模範的な回答になると思います。たとえば先に例に上げた "It's came from late , late , late show!" をプレイする場合、あたりまえのように最初から暴走したキャラクタープレイを行うことが求められるでしょう。


_以上が本論として以下雑感的に。

Vidさんの論に対して反応したのは、Vidさんが、『Vidさんの考える「ゲーム」「ゲームプレイ」が唯一無二の<ゲーム>である』という誤謬を侵しているのではないか、という感を抱いたからです。「ファニー・ゲーム」と「リアル・ゲーム」のいずれもゲームの楽しみかたとしては「正しい」のであり、対してVidさんの論は「ファニー・ゲーム」を「正しくない」ものとして断じてしまっているように見えました(「リアル・ゲーム」をするなら「リアル・ゲーム」を徹底するべきだ、という論なのだからそう見えるのは当たり前なのですが)。

というわけで、少々ずれているなと思いながらも敢えてプレイスタイル論として反応した次第です(「反論」ではありません。私の先の反応はメタ概念が存在しうる、ということを提示するためのものに過ぎませんから。ただし、「Vidさんの論は限定的な状況に対してのみ有効である」という位置づけを行ってはいるでしょうから、(政治的には)反論となっている側面があることは否定しません)。

_最後に、これはもうまったくずれた話として。

既にホイジンガやカイヨワあたりが指摘していそうな話ですが、遊びの上で「逸脱」することは本質的に避けえない話でしょう。「遊び」そのものが本来あるなにかを「逸脱」させた結果の産物であることが多いのですから。

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