Whiteのふりーとーく

2007年9月後半

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9.17

@「ノベルゲーム」という分類語

お呼ばれした感じも勝手に受け取ったので自分なりに書き散らしてみる件。参考URLは以下の通り

_まずはひとつの質問から:「コマンド入力式/選択式ADVって、その要素を考えれば「RPG」と言ってしまっていいはずなのに、なんでRPGって言わないの?」実際、RPGの元々の形式であるいわゆる「テーブルトークRPG」の形式そのまんまなのにね、なんでそう言わないのかと考えることはできるわけです。

で、この件についてはたぶんいろいろ言えるとは思うのですが、そんな長くなりそうな話は掘り下げないで置いといて。

今回着目すべきは「ゲームの「ジャンル分け」において、実はその形式はあまり重要でない」という事実のほうです。分類学優先なら、ADVって名称は早々にRPGに吸収されて(もしくは逆方向に吸収されて)、片方しか名前が残ってないはずだと思うんです。でも現実にはそうなっていない。

_ゲームについて日頃なんとなく行われている主要な分類って、要はマーケティング的な事情による区分です。たとえば、大半の「スポーツゲーム」はその実「アクションゲーム」でもある。だけどそいつらは(主に売り方の都合で)「スポーツゲーム」である。

これはジャンル名が「買うときの判断基準」として機能しているということでもあります。そういう意味では従来の商品ラインとの継続性がなければ価値がない。だから「なんかこういう形式のゲーム」が「ノベルゲーム」と呼ばれるなら、近いものはとりあえずそう呼ばれるし、そう呼ばれるべきなのです。

そりゃあ「分岐選択式ADVでありストーリーが主導する形式のゲーム」とか分類すれば「正確」なんでしょう、でも長いしわけわかんないし。もし俺らがラテン語使ってたりして正確な議論を求めるならそんな感じの名前になってたところでしょうが。しかしこと商売ということを考えるならそんな正確さなんてどうでもいい。消費者が「ノベルゲーム」で理解しているんだから、既に通用している「ノベルゲーム」が十分かつ望ましい。分類の観点がなんだかずれていようが客が理解してるんだからそれでいい、と。

その一方で、ゲームの(メーカーによる)自称ジャンルが2000年あたりを境に分類学的にはおよそ役にも立たないものになってきているという話もありますが、まあこれは余談ということで放置することにいたしましょう。

_しかしながら、このへんの用語の正確性が欲しい土俵も存在します。学術的な観点とか、あるいは再現性を求める工学的な観点とかでは、ですかね。というか先月のDiGRA JAPANの月例研究会がまさしくそのへんの話だったわけですが。ということでまとまってないままのメモにリンク。他の言及も探そうと思ったら他に検索にひっかかるものがないでやんの。そんなんでいいのか学生。

分類学的な観点から言えば、表面上の形式は分類基準のひとつでしかありません。その内実まで掘り下げた上で、はじめて適切な分類が成立します。

たとえば「ノベルゲーム」に分類されているものにも一考すべきものはあるわけです。例としてTo Heartを挙げてみましょう。見た目の形式上は「全画面テキスト表示、分岐選択式」なのでわりと疑いなく「ノベルゲーム」に分類されています。しかし一方で(内部的な)分岐管理・ゲームルールに目を向けると、実は「同級生」とかに近いんじゃないのかと(というその事実が「ノベルゲーム」という言葉の混乱の一因かも)。で、実際コンシューマ版のTo Heartではそのように形式が変わっているのですが。

_メーカーによる自称ジャンルがもうちょっと内容に即した「正確性」のある名付けになっていればいいのですが、あれはもはやキャッチコピーのようなものですし。あるいは「ノベルゲーム」という言葉の使われ方の大雑把ぶりはどうかと思いますが、(日本語の)ゲーム関係の言説なんて大方そんなもんなので諦めるべきところかもしれません。商売上の道具としてはそれで成り立っているのだし。

あるいは出現から応用までのサイクルが19世紀あたりと違ってそれこそ数年で起きてしまうので、単に整理するに足る時間がないだけなのかもしれません。従って状況論的に用語が選択され再定義され原義からはかけ離れた用法になってしまう、とかなんとか。

そんなわけでごうさんによって掘り返された黒歴史数年前に提唱した言葉は整理を試みたも所詮世界の片隅の活動で利用者の少なさにより価値がなかったわけですが。内心では「マルチレイヤ表現」という物言いは本当はまだ有効だと思ってるのですが、まあ自分でもあんまり使ってないしね、ということで。

_あと、ごうさんも言及していますが「テキストの存在なしでは基本的に成立しない」という意味では「ノベル」という言葉にそれなりの蓋然性はあると思います。3〜4行程度のウィンドウでは「小説」にできることができないこともあって抵抗があるのですが、しかし今やケータイ小説とかもあるわけですよ。「小説っぽい小説」なんて単に本という媒体にに合わせた進化をしただけって可能性もあるわけだし、「ある環境での文章で可能な表現へのこだわり」があるのなら「小説」「ノベル」と呼ぶのはアリなのかも。そのへんはたぶん言ったもん勝ち。

_まあそんなわけでまとまってませんがこんなもんで。気になるのは、高橋さんがなんでそんなに「画面形式」ばっかにこだわるのかな、というあたりかも。まあ大事なんですけどね、画面形式。

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