Whiteのふりーとーく

2002年12月前半

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_ 掲示板:YaPW 旧掲示板 SMIL Boston日本語訳(頓座)


12.1

@yet

たとえばあなたの不在に怯えること。それも含めて、生きるということなのだ。

生きる。その道程の中、魂が震え、様々な有り様を経る。そして変わっていく。それが生きるということだ。

可能であればあなたと共にあることで変容していきたいと願っても、しかしあなたが不在であるといって変容せずには居ることは出来ないだろう。不可能であるなら、不可能であるが故に私は変容するだろう。

私は生きる。私はその点に於て確かに貪欲であると思う。もしもあなたを失ったとしても、それで得た慟哭や絶望、あるいはその克服における忘却や決意、または過日における回想で、すなわち「生きている」という実感でもって、きっと満たされてしまう。

私はそのようなものであり、けれどあなたと共にあろうと思う。私の激しさにかけて、あなたと共にあろうと思う。

@久々

ここしばらく体調を崩していたのだけど、久々に自転車で。

金曜夜のIRCでのなりゆきから中野中央図書館でOFF。2時間ぐらいかかるかなー、と思って出たら一時間半ぐらいで到着して時間を持て余したり。私、C.F氏、紺瀬さん、入江さんという面子。俺的収穫は「柳田は頭良過ぎ」「俺は今更サイバネティクス疑惑」ってあたりか。

私、C.F氏、入江さんは四ツ谷で用があったので移動。当然私だけは自転車で。時間帯のせいで、新宿抜けるのに時間がかかる。このへん多用するならルート探索はしておくべきかも。

四ツ谷についたら、入江さんがthen-dさんに化けていた(違。私とC.F氏の用を済ませてから、食事とお茶。あれこれとりとめもなく話す。

それなりに疲労を感じつつ帰宅。心地よい疲労ではあるけれど。


12.4

@近頃のあれこれ

@hacking issue

HESSLA。こういう発想はあるんじゃなかと思いつつもやっぱりどうかと思う。

確かにハッカーという極めてアナーキズム的な人種からすれば、国家によらない、国家に阻害されない世界というものを望むのは自然な話で、それをライセンスという形で表出させたい、というのもGPLの普及と成功から考えれば当然起こる発想だろう。

_しかしこういうのは、技術の発展によってなし崩し的に革命を起こしてしまうことこそがハッカー的なんじゃないだろうか。

たとえば。誰がなんと言おうとP2Pベースのファイル共有ソフトは合理的な上に便利なものだ。著作財産権保護という観点を除けば、これを使わない理由なんてない。あとは評価の重みの問題で、結果一部の人々は既得権などお構いなしに有用なものを使い、期せずしてゲリラ戦的な図式を発生させている。そしてベトナム戦争においてアメリカは絶望的なぐらいに勝てなかった、という事実がある。

自発的な流れを起こしてしまえば、それを止めるのは容易でない。きっかけは人為であっても、起きてしまった自然災害はやはり自然災害であって、人間なんて結局災害に対しては絶望的なまでに無力なものだ。

_ところで表現の不自由があるからこそ表現の自由と言うものは意識され尊重されるのだ――という逆説はいささか穿ちすぎだろうか。あるいは、人権擁護の強要は真の人権擁護の機会を剥奪するんじゃないか、なんて言い方もあるか。私があなたと共にありたいと、万人が万人に対して思うその状態では、「人権擁護」なんて概念は必要あるまい。

@

perl質問箱MLのメールより

P.S. すでに Perl5 が出て8年もたつのに、未だに require 'cgi-lib.pl';だのというのを見ると結構むっとしますね。

という文句はPerlの魂のひとつであるところのTIMTOWDIに反しているのではないか、とか思ってみたり。cgi-lib.plを使うスタイルに慣れているならそのスタイルでやるのが一番よいわけであり、それを否定しない(むしろ積極的に是とする)ことこそがPerlのPerlらしいところなわけで。

勿論むっとするのは勝手であるが、それを安易に表明することはPerl的なエレガントさとは遠かろう。便利なら便利なように使えばいいのだ。原則はあくまで原則として適当に馬鹿にすべきで、己の信念なんてのも「原則」に近しい類のものであろう。


12.6

@

P2Pってどうよ?って話に反応。毎度ながら電波めいた発散文。

_まず一点。P2P技術と、それをベースにしたファイル交換は分けて考えるべきです。そりゃあ確かにP2Pモデルが圧倒的にファイル共有に向いているという事実はありますが、P2Pという自体は分散コンピューティングにおけるトポロジーの一つでしかありません。まあ、核融合やら宇宙開発やらに金突っ込むよりはよほど現実的で即効性のある技術かと思います。

_「P2Pによるファイル共有」については、トータルで見ると帯域の節約になるかもとか、「誰か」は持っていてくれるからファイルの所有管理をしなくて済むとか、配信そのものが非常な低コストで可能になるとか、あれこれとメリットはありますが、それはとりあえず置いておきましょう。

_ということで、暗黙のうちに問題にされているであろう著作財産権の話です。

今、コンテンツの複製コストというものが劇的に低下しています(*1)。誰がなんと言おうとこの破綻/革命は進行してしまうと思います。プロテクト技術は当座有効な延命措置ですが、複製コストの高さに依存した現状の著作財産権運用モデルは早晩破綻してしまうでしょう。というか、既に現状がその破綻の過程だと思います。

_行うべきは、この流れへの抵抗ではなく、この流れを前提としたモデルの確立だと思います。ネットゲーってのは回答の一つでしょう。CM/スポンサー・モデルも当分有効かと思われます。覚悟を決めてパトロン・モデルに立ち戻るのも回答でしょう。なにげに現実的なのが限定品・初回特典で商売するってモデルですな。グッズ商売もこのたぐい。NHK的な権力と結び付いた押し売りモデルってのもありますか(*2)。あるいは、形態で金を取る、って手もありますか。青空文庫のコンテンツを綺麗に製版して売る、みたいな。

_そういう目で見ると、エロゲー業界はいち早く対応が進んでいると言えるかも知れません。建前はいざ知らず、実際のところ各種コピーの流出は大前提だし。規模が適当に小さいおかげで音楽業界みたいにお大尽なこと言えないし。

まあ要するに、旧態依然なこと言って「今まで」にしがみつくのと、今後を予見して来たるべき状況に対応するのと、どっちがいいですかって話ですな。もちろん延命を図りつつもじっくりこれからを研究する、ってのはよい作戦かと思いますですが。

しかし延命がどこまでも利いてしまうこの国の体質って奴は結構邪魔だったりもするのです――ってのは余談ですな。


(*1)P2Pによるファイル共有もその変種だと言ってよいでしょう

(*2)洒落にならない額の受信料をふんだくっては、その金額に見合う高品質の作品を作るというモデル。たとえば「NHKスペシャルのために」とかいう動機で受信料を払う人は一定数いるはず。

@

P2P話もとい配信話

流通物の同一性の保持は今後の研究課題でしょうが、Digestによる照合すりゃあええやん、とか思います。Uniqueな名前の命名規則と、その照合システムを作れば落ちて来たものの同一性を確認することはそんな難しい話ではないでしょう。照合を行うときにcheck pointを設けることもできるし。っていうか"P2P"と"P2Pによるファイル共有"を混同するべきではないと思いますですよ。

ところでP2Pの威力については、「デモソフト/ムービーの勝手ミラー」とかを考えればわかりやすいんでないでしょうか。現状では有志が勝手に自分の責任でミラーサイトを立てるわけですが、P2P共有/配信が発達した世界では配信系に突っ込めばあとはまったく全自動になると。そのぶんコントロールができなくなりますが、それを補って余りある劇的なコスト低下が得られます。

あとは即時性とか、入手容易性とか、そういうところで勝負ですかね。コスト低下による低価格戦略ってのもあり。

_現状は「複製と流通に金がかかる」世界です。ところが昨今のIT化とやらでデジタルコンテンツに限っては「複製と流通がインフラになる」という流れが発生しているわけです。よりにもよってゲームは純デジタルコンテンツなので、まともに影響を受けると思われます。コンシューマであればライセンシー、独自規格メディア、流通経路の提供などでコントロール可能ですが、PC向けとなるとその汎用性が命取りに。

であれば、「上から下まで全部抑える」ではなく、「好き勝手に流通させて首根っこだけ抑える」戦術を目指した方がいいんでないかと思ったりするわけです。逆に言えばそこがビジネスチャンスになるかもしれませんが、これはゲーム作りとは直接関係しない話ですな。

@やりすぎ。

とかなんとか言ってたらCD仮想化ライティングP2P共有ソフトとか出るらしいですYO! いちおう法的には違法性を問うのは難しそうだけども、さすがにここまでなし崩し的なのはどうよ。っていうかそれを売るのはもっとどうよ。


12.7

@

P2P話の続き

_まずは、P2Pの利点の話から。たしかに容量コストはそんなに重要なファクターではないでしょう。

目下重要そうなのは、たとえば回線コストです。TVのように10万人に数Mbpsのストリームを提供するのに、現状の一対一サーバ/クライアント方式では数百Gbps、要するにテラオーダーの回線が必要です。それを捌ききるルーティング能力、ってのがどれだけの計算量になることか。物理学的な壁が見えてくるようなオーダー、と言ってもよい。56Kbpsのしょぼいストリームを一万人、でも560Mbps。この数字でも現状叩き出すにはかなりのコストがかかる。

これに対する合理的な回答としては「マルチキャスト」と言えればいいのですが、これはちょっと現実的でない

となると、PeerCastのようなP2P技術による配信が現実的プランとして浮上してきます。これだと親玉に必要な回線は、ぐっと少なくて済む。数Mbpsでも、光ファイバーかVDSLの一本でもあれば十分な性能を発揮することができる。

_他にも、並列計算プラットフォーム、分散バックアップシステム、分散グループウェア、などなど。インターネットというものの性質を考えるなら(*1)、その正常進化の先には必ずP2P技術が登場してくると言ってもよいでしょう。今、P2Pによるファイル配信を潰そうとしたところで、再びP2P技術は浮上してくる。P2Pをなくしたければ、インターネットをなくすほかない。そのぐらい両者は親和性が高いものだと思います。

インターネットが便利であることは、もう疑いようのない事実です。もうこの流れは止まらない。少なくとも今はそう思えます。

_そして、この流れが止まらないなら著作権は変わる必要があります。活版印刷の登場に伴って著作権が(主に著作財産権の側面から)法として確立されていったように、新しい配信技術(インターネット)の下では新しい著作財産権モデルが必要になる(*2)と思います。

_著作財産権などなくなってしまえ、とは思いません。むしろ「インターネット時代=コンテンツの時代」だからこそ、インターネットが更なる文化の発展の土壌となりうるからこそ、著作財産権は重視されるべきです。しかし、現行の著作財産権モデルは複製難易度の高さに依存したモデルでしかありません。

_新しい技術の下で「文化を守り育てる」ために。すなわち、著作者の権利を守るために。そのことを第一に考えるなら、ここで従来の著作財産権モデルに固執することが正解であるとは思えません。著作権を崩壊させないためにこそ、著作財産権を再構築することが急務であると思います。今ならまだ間に合います。従来のモデルが完全に崩壊してしまう前に、新しいモデルを確立することが可能です。ここで上手に折り合いをつけられなければ、一時的にせよ、著作物不遇の時代が訪れてしまうでしょう。

_新しい酒には新しい革袋を。新しい技術の上には、それに相応しい著作財産権モデルを。新しい技術が止められない流れなら、なおのこと必要な仕事になるのではないでしょうか。


(*1)そもそも、インターネットそのものが情報や機能の分散を目標として――まさしくP2P技術が目指しているものを実現するために――開発されたものであることには注意。

(*2)著作権のもうひとつの要素:著作人格権についても、オープンソースソフトウェア(同一性を保持されないことが前提の著作物)という形で歪みが発生しているのですが、こちらは放置しても当座大きく問題にはならないでしょう。


12.9

@器と精神。

重要な示唆。現行の著作財産権モデルは、配信技術(活版印刷)が先行した結果、規定されていったものです。まあ、議論としては「卵が先か鶏が先か」なんですが。

なんにせよ、従来のコンテンツ配信ってのは基本的に「物質」を媒介に「流通経路」を抑えることによってコントロールできたわけで、著作財産権モデルもそういう発想で出来ている。だから「ソフトウェアの利用権」なんかはかなり苦しい運用がされてるわけで。

このへんは今後法整備の対象になってくんじゃないかと思うけど、当座「無法に見える」状態に陥るのは致し方ないことでしょう。

_ところでよくよく考えるとテレビ/ラジオの民放はとっくの昔にこの枷から解かれているわけですな。広告収入モデルが小規模で回るかどうかは結構微妙なとこですが。

ときに、コストが数万円と安いなら「手弁当でやったるでー」という馬鹿が出てくるんでないかと思います。馬鹿ってのは「資本主義的観点から見て間違っている」という意味ですが。でも(収入源が別にあるなら)趣味でやっちゃう奴は確かにいるわけで。

私は法整備についても、同様のことが起きるんじゃないか、とか楽観視してます。オタクな法律家が己の利益を守るべくNPOとか起こして資本主義的にはまったく馬鹿げた運動を展開したりするんじゃねぇかと。

_ってな感じであれこれ考えてくと、結局ブランド商売すりゃあいいんじゃない? って話に収束する気もしますですが。できれば買って欲しいけどコピーは宣伝だと割り切って、評判良ければグッズとか次の作品を買う人が増えるよねって、それは現状と変わりないじゃん(笑。

ただそういう流れは、ぐんぐん加速されちゃうんじゃないかと思うわけです。なんでかってーと、インターネットというものがそういうものだから。現行著作財産権モデルが「使えなくなる」とか判断するのも、同様の理由。器に合わせて中身は変わってしまうんでないかと、単純に言えばそういうことだと思います。

_私には、「器を残すか精神を残すか」って問題に思えるのですのよね。答えは、「両方変化しつつ残る」だと思うけど。

@仕事状況。

諸般の事情で夏ぐらいまで逆戻り。資料・情報の少なさ(≒マイナー)を振り切ってまでMiniGUIを選んだ理由(IMのための入力フック処理の有無)がなくなったため、GUIサブシステムの選び直しとか言い出してみました。

折角作ったPOBox/skkserv利用のMiniGUI用日本語IMは今回のプロジェクトについてはお倉入り。要望あればBSD相当のライセンスで配ります。自発的な公開は面倒なので当面パス。

結局microwindowsになるのかなぁ。FLTKFLUIDが魅力的なのだけれどUnicode(UTF-8)でやらないと行けないのが、微妙にネック。世界がUnicodeで閉じれば幸せなのだけれど、Shift_JISとの可逆変換を要求されたりしそうなのでベタだと知りつつEUCで動かすべきなので。

@体調。

なにげに風邪引きさんなのです。というかずっとなにかの症状は出てて「喉・頭→胃腸→気管支→喉・頭→…」をぐるぐる回ってるという感じで絶好調に喉・頭に戻ってきた状態。ふらふらへろへろに微妙にハイな気分を感じつつ、microwindows上でちょっぴりだけ実験して私見を確定させてから、離脱要求を発信。無事受理された模様により本日早退の巻。


12.10

@電話漬け。

風邪で早退だってのに、よく電話のかかってくる夜でした。

親だの妹だの互いに関連のない親友どもだの、うち何人かは二度かけてくるし、電話中に携帯が鳴ったりもしたりして。近況報告とか年末の予定とか、そんな感じで。こたつだの布団だのにはくるまってたけど、結局本格的に寝たのはそれなりな時間でしたとさ。

@結局。

ということで、今日は体調不良につきお休み。仕事もそんな急じゃないし、むしろ明日の客先ミーティングのために体調整えとけ、という感じ。のんびりしますー。


12.11

@

デジタルと現行著作財産権の話。

とりあえずは火塚たつやさんから歴史的観点からの補足とか。ついでに探した参考文献として、Q & Aによる著作権入門第5回:著作権保護の歴史も挙げておきます。

活版印刷の登場によって初めて「著作で金を稼ぐ」ことができるようになったわけで、活版印刷それ自体は文学芸術の発展に大いなる貢献をしたと考えるべきでしょう。

そもそも現行著作権モデルは、ユーザーによるカジュアルコピーを全くと言っていいほど考慮していません。海賊版ってのは「組織的に」「営利目的で」行うものという大前提が(暗黙のうちに)存在してます。しかし、カジュアルコピーはそれとは大いに性質が異なります(*1)

_今起こっている技術革新の結果として導き出されるのは、単に「潜在的に著作権侵害を行う可能性のある人(個人・法人)」の増加でしかないでしょう。しかし、桁違いの数の増加は、それだけで問題を別種のものにします。携帯電話のペースメーカーへの影響なんて、十年前にはほとんど考慮されていなかったように。

現行の著作財産権運用モデルは所詮「業者を押えればなんとかなるべー」という前提に基づいたモデルなので、誰も彼もが複製能力を持ててしまう状況にはおそらく対応しきれないでしょう。おまけにデジタルデータなんて実は「複製される事が前提」だったりするのですよね(*2)

_他にも、改変される前提の著作物(オープンソースコードやそのドキュメント)の登場など、現行著作権法はいろんな点で現状に対応しきれていなくなってきています。資本主導で進んできた著作権の拡大についても、「過度の著作権保護は文化芸術の発展を侵害するのでは」という異論が出てきています。

このへん、火塚たつやさんの修士論文がなにげによくまとまっているかと思うのですが、というか君はもう少し積極的に宣伝をやるといいですよ>火塚氏。

_ところで、認証技術の向上とか監視体制の強化はコストに見合うか疑問です。っていうか、そんなん作ったら"1984"そのまんまの社会になりそうで嫌です。まあ、ネットワーク認証コンテンツってのはいい落しどころじゃあないですかね。


(*1)いわゆる二次創作についても、同様の問題が存在すると思います。こちらについては「組織的に」「営利目的で」やってる奴らがいるのが問題でもあるのですが。

(*2)利用のためのメモリへのロードも国によっちゃ「複製」ってことになってるし。参考:ソフトウェア・ライセンスの法的根拠に関する考察


12.12

@

automakeとかautoconfとか使ってみる。ということで、あんまり役に立たないメモとか。参考にしたとこ:autoconfとautomakeの使い方autoconf and automake入門utoconf / automake を使ってみよう!


12.13

@仕事状況。

……の話の前にとりあえずツッコミにお返事とか。

microwindowsって最近は元気なんですかね?

(一年ほど前にNetFrontv2.0の日本語表示とその遅さに泣いたのは良い思い出ですわ)

本家のユーザーML(nanonui-ML)は結構流量ありますかね。わりとどうでもいいコンパイルの仕方とかの質問ばっかりですが。

_で、今回の仕事。あれこれ悩んではおりますが、要はFLTKで日本語EUCが通ればいいわけで、とりあえずFLTK on Xで慣れないC++のソースとか追っかけ。

Unicode化したものと見比べたりとか、結構無駄な時間を過ごした後に、突如FLNX(*1)ならフォントの処理はえらく単純だよなあと気づいてみたり。試しにFLNXのアーカイブを解いてこっちでフォント周りを追いかけたらありましたよ。なんでライブラリのソースの中に"/usr/local/microwin/fonts/arial.ttf"とかハードコーディングしてあるかね(笑

もちろんベタってことは単純ってことでありがたくフォント名の指定を日本語フォントに置き換えて、見事FLTKで日本語EUCを表示させることができましたとさ。

_今回は(幸か不幸か)テキストボックス等のマルチバイト文字対応を考える必要がないので、とりあえずこれで十分。これで「FLUIDでUIをデザイン -> ソース吐かせてラベルだけ手で貼り換え」という流れで作業する目処が。ということで、microwindows上でad hocに日本語EUC、という線で決まりそう。


(*1)microwindows用のFLTKのこと。名称は "FLTK on nano-X" って意味だと思われる。nano-XはmicrowindowsのX的APIの名称。


12.14

@盗難

先日、自転車のサドルだけ盗まれました。駅の自転車置場に置いておいたらキレイさっぱりサドルだけ外されとりまして。被害額4000円強。

@

同居人と共に秋葉原。久々の友人と会って焼肉とか。どちらかというと食事の後の会話を堪能。「太平洋戦争前後でアジア地域に恩は売り済なのだから威光が残っているうちに日本はアジアのリーダーになればいい」とか「いまだにアメリカは植民地政策気取りでイラク空爆とか言ってやがりますよ、この素人が」とか「中国、もとい漢民族は常に『五百年後には世界は中華のもの』と思っているに違いない」とか「日本の政治を動かすなら東京都知事になるしか!」あるいは「組織においては鬼軍曹重要」とか政治、軍事寄りな微妙トークを炸裂させたりしましたよ。

あとはASOBITCITYのヤバっぷりを見せたり。Age of Mythologyに心惹かれたりしつつなんとか耐える。店内をへれへれ回った後、彼ら(同居人+友人)はこれから筑波行き、ということで私一人が離脱。御徒町まで足を伸ばしてSPECIALIZEDのBody Geometry MTB Sport Saddleを購入。


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