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会社帰りに新宿に寄って購入。インストールして登録してとりあえず遊ぶ。いきなりVHからでもクエスト進められるのかー。射撃が効かない敵とかいてびびる。
しばらくはドキドキしながら遊べそうだ。つわけで、当面は1日1ぷそを目標にー。
松下が一太郎の特許侵害でジャストシステムを訴えた裁判の高裁判決とそれを巡る各所の議論とか見てつらつらと。
_確かに有益なアイデアを産み出した人なり組織なりには相応の報酬が与えられてもいいとは思う。いいとは思うのだが、そのために与えられた権利が別の誰かの研究開発活動を萎縮させるような権利になってしまっては本末転倒なのではないか。
特許権にしろ著作権にしろ、模倣品やら海賊版やらのフリーライド行為を阻止するために産まれた権利だろう。オリジナルの製作者/発行者は多大なリスクを支払ったのに対し、フリーライダーは容易に利益だけを手に出来る。それでは原製作者はあまりに馬鹿馬鹿しい商売だ。だから敢えてリスクを取ることへの成功報酬として、独占的な権利を与える。
しかしその特許権が金になると思ってよってたかって特許申請を始めてしまったら(既に現実はこの段階にある)、この前提は一気に崩れ去る。適当な思い付きをとりあえず申請しておいて現状に合わせて次々と修正申請していく、なんて技法まで産まれている状況では、特許権は本来の「研究開発のリスクに対するインセンティブ」という意味を失い、「誰かの研究開発成果から利益を吸い取る公認フリーライド行為」にすら成り下がってすらいる。
特許権というルールの「有効な」利用が研究されてしまった挙げ句、現状では特許権が本来(お題目として)目指した方向とは逆の方向――研究開発活動に対するインセンティブではなく、むしろ研究開発活動に対するリスク要因――として作用してしまっている、という事実はなんとも皮肉なものに思える。
_ソフトウェア特許については、市場構造との不整合も問題だろう。コンピュータソフトウェア市場は、「デファクトスタンダード」なる言葉の存在が示すように、模倣によるフリーライドで安易に利益を産み出せる構造を有していない。研究開発に対するインセンティブはデファクトスタンダードの確保さえしてしまえば後は著作権で十分に保護できる。そのような構造を持つ市場において、更に特許権までも認めるというのは、いかにもバランスが悪い話だろう。
_というわけでいつものぐちゃぐちゃでこの段も結論は出ない。
敢えて教訓めいたことを付け加えておくなら、過度の独占も過度の競争もよろしくない、ってことだろうか。
そして今の特許権を巡る現状ってのは、過度の独占を目指した過度の競争の結果なにがなんだかわからないことになってコストばっかり増大中ってことなんじゃないだろうか。よろしくないの二倍掛けで、実によろしくないことになってるんじゃないの、なんて言葉遊びは抜きにしても、よろしくないように思えるんだがなあ。
午後になってからへろへろと外出。ロングシートピラーがいつ入荷するかわからないというので仕方なく頼んだF20R用のノーマルピラーを受け取りに。
その道中、本日出社の身分であらせられる同居人様から携帯にメールが。18時池袋合流で劇場版Airを観にいかんか、というお誘いが。特に断る理由もないので承諾。
上野でさしたる問題もなくシートピラーを受け取って、飯。それから時計を見ると、ちょっと直行するには早いかなあ、という時刻。
_ということで気まぐれを起こし都電荒川線で東池袋四丁目から池袋入りだー、というわけのわからない立案が行われる。そんなわけで銀座線→日比谷線で三ノ輪。ここで無計画ぶりに負けて三ノ輪橋までたどり着くのに迷う。都電に乗り込む時点で時間が厳しいかと思ったが、引き返して別ルートを通ってもどうにもなるまい、ということでそのまま乗車。そんなわけで集合時間にはバッチリ遅刻。
がしかし、ちょっとでも時間を稼ぐべく大塚駅で山手線に乗り換え、のタイミングで連絡を入れたら「整理券ないと入れないってよ」という返信が。タイムテーブルを見ると未見のカンフーハッスルが夕食後丁度よさげな時間ぐらいに設定されているのでそれか、ということで焼肉食ってからカンフーハッスル。
_そしてカンフーハッスルは素晴しい映画でした。ストーリーはぶっちゃけぐずぐずだし中身があるのかと言われれば「ない!」と断言するほかないけど、とにかく観ていて気持ちが良くて楽しい、実に映画らしい映画。堪能。で、丸ノ内線→都営新宿線で帰宅。
なんとなくな休日潰しとして上映会。「少女と鉄道」「茄子 アンダルシアの夏」「スキージャンプペア2」「下妻物語」。基本的に笑い系。「少女と鉄道」での笑いはいたいけな少女が鉄分に染まっていく過程ががが、という少々歪んだものだったような気もするが。
無理に焦って1章=ワンエピソードを守るこたあないんだよなあ、というひどく単純な気付きによってなんとか糸口が見えてきた。
周辺の関係性提示、新しく発生した関係の観察、観察による問題の発見、発見された問題の解消、という各段階をきちんと書こうとして押しこもうとしてひどいことになったのが以前まとまって挑んだときの失敗であったのだろう。
それに対して押しこめないなら分割すればいいのだ、という単純な割り切りに到達するまで2年もかかったというのは随分問題な気もするが、ともかくこれまでで一番ましな糸口のような気がする。
そんなわけで、進行させます。是が非でも。
万物理論[グレッグ・イーガン,創元SF文庫]読了。
イーガンをそんなに読んでるわけではないのだけれど、イーガンらしくひたすら詰めこまれたギミックとやたらとSFっぽいパースペクティブに酔える話だった。SF読みにはオススメ。しかし原題(DISTRESS)に対してこの邦訳版のタイトルはどうなのだろうか。キャッチーさという意味では大正解だと思うけど、原題を認識して読むのとそうでないのとでは印象がぜんぜん違う気がする。
それから、最後のあたりは訳が訳し切れなかったんちゃうか、という印象が。この部分だけでも、原文で読む能力があるなら原文で読みたいかもしれない。
そんなわけで投薬始まってからそろそろ一年になるわけですが、近頃なんとなーく依存症感が高まって参りました。まあ、最初の時点で医者には「依存させるからー」と明言されてるし、ある意味順調なのかもしれんけど。
そんなわけで大雑把になってしまっていた投薬量について、多少意識的にコントロールするようにしてみております。投薬によらないメソッドとかも意識してみた方がいいのかしらん。
結婚なんて殺伐とした社会契約から始まってもよかろう、などという殺伐なことを人の日記のコメントに書いてみてから、そんなこと言ってるけどそのへん自分はどうなのよ、自問する。
返答はたぶん簡単で、あんな(あるいはこんな)恋文を書くやつがそんな殺伐な関係を求めると思うかねと言ってしまえば終わりだろう。ロマンチストだと嗤わば嗤え。しかしながら口にしたそれを実現できなかったどころか最も望まない方向の結果が出てしまったから現状の苦悩があったりするわけだ。
_もちろんやり直せるはずはなく、従って彼女の選んだ選択について内心では唾棄するという形で進んで行かねばならないと考えるあたりで、私は他人を愛せる人なのだろうかという疑問に行きあたる。といってもそんなのありふれた悩みだろう。そしておそらくは悩めるぐらいには愛しているのだ。
あるいは、「いる」が「いた」という完了過去にならない限り、私は(不幸にして)他人を愛してしまう感情の装置であり続けるのだろう。それなら私は、感情の装置でありたい。
以前のルーチンには親(呼出し元)資源を握りっぱなしのままforkしてしまうという大きな問題があった。thread使えばそのへんは解決するのだが、敢えてforkでやるために工夫してみたコード:
sub new_with_fork { my $class = shift; my $callback; if($_[0] eq 'callback'){ shift; $callback = shift; } my($parent,$child) = IO::Socket->socketpair(AF_UNIX,SOCK_STREAM,0); unless($parent){ return undef; } my $pid = fork(); if($pid) { # Parent $parent->close(); bless $child ,$class->parentClass(); my $prof = \%{*$child}; $prof->{pid} = $pid; return $child; }elsif(defined $pid) { # Child $child->close(); bless $parent,$class->childClass; if(ref($callback)){ &$callback(); } $class->child_main($parent,@_); exit(1); # never come here. } }
なんのことはない、生成直後に親側の資源を解放するためのコールバック関数を呼ぶようにしただけだ。
呼出し側(スタブ生成元)の記述はこんな感じ:
new_with_fork ChildClass('callback' => \&resource_release_function,@args);
これだとコールバック関数に引数を与えられないとかの問題も存在するがとりあえずそれは目をつぶろう。グローバルに変数を持ちたくなければクロージャーを使えということで。
朝方あんまり寝ないで床屋に行ってさっぱりしてから帰って寝なおし。で、3時過ぎぐらいに起きて出かける。まずはロングシートポストが思ったより全然早く入荷したので上野まで受け取りに。なんかここのところ毎週行っているような気もする。
それから歩いて秋葉原まで移動しつつインベーダーPinkyとか入手。秋葉原駅に着いた時点で丁度いい頃合だったので、あとは電車で有楽町まで移動。
肝心のお疲れ様会はというと、「○×方式」「肉多過ぎ」「ボリビア方式」「コットン100%」などなど、凄い勢いでびゅんびゅんと墓穴を掘るせいるさんがガチでありました(謎 まあ本当のことは名誉のために伏せておく、ということで。
仕事は差し迫っているのだが、なにかをやる気にはなれないでいる。ひたすら去年の今日のことを考える。それが無駄な行為だと知りながら、思考のカラ回りを続ける、そんな日。
きっと来年の今日も同じことをするのだろうけれど、今年よりはマシになるだろう。再来年も、再々来年も。少しずつ。