近頃版/another blog@hatena/Wiki/BBS
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結婚なんて殺伐とした社会契約から始まってもよかろう、などという殺伐なことを人の日記のコメントに書いてみてから、そんなこと言ってるけどそのへん自分はどうなのよ、自問する。
返答はたぶん簡単で、あんな(あるいはこんな)恋文を書くやつがそんな殺伐な関係を求めると思うかねと言ってしまえば終わりだろう。ロマンチストだと嗤わば嗤え。しかしながら口にしたそれを実現できなかったどころか最も望まない方向の結果が出てしまったから現状の苦悩があったりするわけだ。
_もちろんやり直せるはずはなく、従って彼女の選んだ選択について内心では唾棄するという形で進んで行かねばならないと考えるあたりで、私は他人を愛せる人なのだろうかという疑問に行きあたる。といってもそんなのありふれた悩みだろう。そしておそらくは悩めるぐらいには愛しているのだ。
あるいは、「いる」が「いた」という完了過去にならない限り、私は(不幸にして)他人を愛してしまう感情の装置であり続けるのだろう。それなら私は、感情の装置でありたい。