原則匿名で公開・個人情報は送られません。必要に応じ御署名/非公開希望をお書き添え下さい。
_ 掲示板:YaPW 旧掲示板 SMIL Boston日本語訳(頓座)
なにがどうなってそうなったかを書き記すと相当にプライバシーがバレバレになるため、かいつまんで話すとすると、人の恋路を邪魔した馬鹿1号の尻拭いをするべく、「てめぇオンナゴコロのそんな基本もわかってねぇのか馬鹿野郎」という説教を垂れに馬鹿2号のところへガツンと遠征しガツンと連行しガツンと言い聞かせたという事件があったわけで。
畜生、日々の生活に女っ気のカケラもない私が、なんだってそんなことまでせにゃならんのだ、と思いつつも、流石に「ああこりゃあこの娘は放っておくと壊れるね」という状況を見せつけられてはやらざるを得ないわけで。なんか数年前にもそんなんで墓穴を掘った記憶があるが、そこはそれということで。
まぁ、馬鹿2号にはガツンと言い聞かせたおかげで、件の女の子の崩壊は停止した模様。ということで傍目的にはめでたしめでたしなのだが、誰か遠征費用と時間を返してください。財布の中身が凄いことになってしまいました。
ということで散々非日常な生活に振り回されてグロッキーに陥っていたところに、G馬場が亡くなったというニュース。「なんじゃとぅ!」と叫びつつも、それすらもどこかに遠退くこの非日常感。誰かどうにかしてください。ところで一度アクアラインを攻めたいんですがいかが?>近頃車を手に入れたらしい人
片手間にLaTeX用の打ち消し線スタイルファイル、uchikeshi-sen.styなるものを作成しやした。そんなに使用頻度が高いとは思いませんが、必要な方、使ってみてください。ただし、ほんとにちょこっと組んだだけなので改行対応とかそのへんの仕掛けは皆無ッス。改行が必要(複数行にまたがる)場合には、マニュアルで対応してください。そのへんの改良はいずれしたいけど、必要な技術力っがハネ上がるんだよなぁ……
ついでに、MtGproxy.styも公開します。こっちはベータ版ってことで。使い方は、スタイルファイルを直接覗いてください。ドキュメントはいずれ作成予定。
むぅん、progressive.cls(Progressive編集用クラスファイル)も公開すべきかしらん。パラメータいじったjarticle.clsに、ちょっと改良したnruby.styを組み込んであるだけなんだけども。これはそのうちですな。あ、参加メンバーの方は御一報下されば送りますので>関係者一同
さて、Progressiveの連絡用MLにProgressive4の企画案(と呼べるほどのものでもないけど)を流す。いよいよProgressive4の起動……なのかなぁ? 今年は各人独自の活動をしようやとかいう話もあるし、なにやら某所とツルんでの企画も動き出しそうだし。まぁ、「飽く無き漸進」をモットーとする同人小説誌Progressiveは、とりあえず続けていきたいのだけど。
というようなことを話すべく、6日にはProgressive3反省会をやったのだが……なんで脱線ばかり盛り上がるかな。すっかりいじめっこになってしまった私。しかも「精神年齢44歳」などという評価を頂く。そりゃあ確かに「ああ、子供が欲しいのう、できれば娘が欲しいのう」とか最近思ってますが。
ちなみにオフ会についての詳しい模様は朴念仁な人やら近頃思春期に後退?な人やらなんか黄昏てる人やらの日記を読んでください。よろしく。
ちなみに某所で書かれてる「相手の性別は問わない」はあくまでも条件付きです。むしろ、「そのぐらい限定解除しないと条件を満せる相手も見つからないのではないかという危惧がある」というのが真実。
話をProgressiveに戻す。
編集長としては、別段、同人小説誌Progressiveを止めたいとか思ってるわけではないし、簡単にやめられる程度の愛着しかないと言ってるわけでもない(第一、名付け親はひそかに私だ)。しかし、Progressiveのコンセプトが「飽く無き漸進」である以上、Progressveという本が停滞することはあってはならないし、停滞するようなことになればそのときは切り捨てなければならない、と思うわけで。
要するに、浸っていられるぬるま湯のような環境をつくる気はない、という宣言である。むしろ、そのコンセプトさえ堅持できるならば、同人小説誌Progressiveは不要なのかもしれない。
but氏とサイゼリア。アニメータは凄いんだということを思い知らされる。ガツンと敗北な気分。またやりたいっすねぇ>サイゼリア。
それはそうと、Progressiveの編集に必要なTeXの技術ですが、シロウトに毛が生えた程度で充分です。後は優秀なプリンターが必要なだけ。各小説をperlのスクリプトに通して、全部繋ぎ合わせて、これでだいたいOK。>日大某研究室所属の人
別段TeXにこだわる必要もなし。つーかですね、小説同人誌DTP講座みたいなものは、そのうち簡単にまとめたいな、と思わないでもないです。折角ノウハウもあることだし。やたら実践的なところをまとめて。とりあえずノウハウのあるPageMakerとTeXだけでも。QuarkXpressも憶えるべきでしょうかね? スクリプティング処理はPageMakerより強いようだし。
それから、去年授業で書いた「原稿用紙1枚小説」の連中もアップしようかとかも思案中。とりあえず家のどこかに眠ってるデータを引っ張り出すことを決意。
木曜日は普段から全休の日なのに、休日が重なってなんか負け負けな気分。
あまつさえ、1830をしようとしたのに面子が集まらなくてさらに負け負けな気分。
ふとんで寝ようと思ったのにこたつで寝ていて、気が付くとテレビをだらだら見ていて、昔の自作を読み返してみたらぜんぜんなってなくってめちゃくちゃに負け負けな気分。
そういう些細な敗北感が日々。今日はどうやってすごそうか。どちらにせよ、だらだらし続けて敗北感を感じるんだろうけど。思い通りにはならない日常、思い通りにはならない自分。そこがまた、面白いのだけど。
木曜日に夜更かししたせいで、金曜日の昼からの講義を寝過ごしてショック。むむぅ、貴重な単位が手からこぼれるのか?
土曜日はWORD編集長宅にお邪魔。座談会終了後にmasamasa氏とスフィアを観る。午前6時過ぎに編集長宅を離脱、帰還して就寝。起きたら即ゲーム。ひたすらゲーム。気が付くと11時。をを、この数日ちっとも小説書いてないぜ。むしろProgressive4の活動を開始すべきか。っていうか、来月半ばまでに初稿を書き上げるって目標はいずこへ。
それはそうと、例のよさげなページです>masamasa。オブジェクト指向と哲学の話。
なんか8の発売で盛り上がってるようだし、遅れに遅れで公開反論してみる。反論先はこのへん。1/29の部分。つーかnameタグ付けてください。相互リンク日記の基本だからね!(xmlならnameタグ無くてもリンクできるのだけど……)
FF8、やってなくって雑誌記事やら噂だけで判断するのはどうかと思うんですが、各制作部門が暴走しまくった挙げ句「日本一売れる同人ゲーム」になっているような感がどうもするんですわ。そりゃあ個々の部分にハマるんならそれでOKな気もするけど、一番の問題は、ミクロな楽しみ方を見い出しておかないと、マクロでは遊べないこと。
時間のかかるゲームをする以上、マクロなレベルでの楽しみ(ストーリー全体の演出を追う作業)というのは必須だと思うのですが、やはりFFは(というかSQUAREのゲームは全体的に)それが弱い。ミクロの部分の作り込みは天下一品だし、ああ、高い技術力だなぁと思うけれど、それは結局ミクロな楽しみでしかない。
更に言ってしまえば、私はSQUAREのムービーは美しくないと思うのですが。確かにモノ、背景は綺麗なんだけど、人間がどうしてもモノに見えるのは、手抜きだと思ってしまう。Namcoとかのムービーは、一瞬現実と見間違うけど、SQUAREのにはそれがない。どうしてなんでしょ? と言ったあたりで体育の時間が迫ってきたので続く。
果たして何を想ったか、突如CSSなど使い始めてみました。書くときに参照したページはこちら。
なんでかってーと、Takashi氏と来年度の『学類計算機利用の手引き』について、「html化がどうこう」って話をしたのがきっかけでして。
「LaTeXで書くからhtmlに直すのが面倒なんですよ」
「perlかなんかで一括処理してやりゃ大した手間じゃないじゃん」
「それよりはhtmlで書いてLaTeXに直した方が」
「いや、いっそxmlで書いてhtmlとLaTeXに変換」
などという会話の結果、「そういやぁ俺のページのhtmlも再利用可能性が低いなぁ」と思い立ち。かくして、CSS導入はあっさりと開始されたのでありました。
で、作業開始から1時間強。見事CSS化は成ったわけであります。つーことで、未対応の方々、色属性とかごっそり落ちてると思いますが、CSS外してチェックしてみた感じでは読めないページじゃあないと思うんで、どうぞ御容赦のほどを。
とりあえずはツッコミ返信がとっかかり。
おう、なかなか見やすいですね。
私も試してみようかな。
ぜひぜひ試してみてください。そのときには<a name="???">で、リファレンス用のname設定もお忘れなく。なんでかってーと、リンクを行なうのに非常に便利だからですけど。
そもそもリンクってのは「つながり」って意味なわけで、「ここからめくれるページは、この文書に(あるいはこの単語に)関連しているよ」って意味をはらんだものなわけだ。だからといって、対象のハイパーテキストの全文が必要なわけではなく、一部を参照したい場合――例えば日記なんかはとみにそうなのだが、そういうときには「ここからの部分をリンク対象にしたい」と思う場合もある。
それを実現するためのhtml上での表記法が、<a name="???">であるわけだ。
その効果のほどは、多分実際に使ってみればわかる。
CSSの導入は、htmlにとっては先祖返りのような効果がある。htmlを本来の文書情報構造記述言語に立ち返らせ、CSSが物理構造記述(見栄えやら飾りやらの記述)を吸収してくれる。これによってhtmlは元のシンプルな言語に戻り、文書構造上で意味のあるタグだけが残っていくことになる。
無論抜け道はあるわけで、<DIV>やら<SPAN>やらの「構造上さほど意味を持たない」タグも存在するが、そこはそれ、CSSに則って有意なクラス名を持たせることによって、構造上意味のあるものとして使うことも可能である。
物理構造について言及したタグがなくなれば、当然html文書もスリム化する。スリム化されたデジタルドキュメントは、加工しやすいものになる。印刷/Webのそれぞれ用のスタイルシートを用意してドキュメント本体を共通化させる、他人の製作したドキュメントをリンクによって指定し出力される文章に埋め込む、PUBLICなドキュメントをスクリプト処理して印刷製本領布する、などいろいろ考えられることはある。
文書というものは「物理的コピー」こそ作成できるものであったが、物理的コピーの過程では必ず劣化が発生する。それは、ときには装置の問題であったり参照者の誤認の問題であったりする。しかし、構造化やリンクの利用を高度に押し進めたデジタル化文書ではコピーによる劣化は発生しない。なぜなら、高度デジタル化文書においては、複製というものが存在せず、全てがオリジナルデータの参照によって実現される(はず)だからだ。
例えば詩の一節の引用などは、ネットワーク上に置かれた全文中の該当箇所を指定し、それを表示させればよい。引用元の記憶が失われることはないし、利用者は用意に元文書に到達できる。
確かに見た目にはコピーかもしれないが、それはあくまでも元文の参照である。高度デジタル化されたネットワーク公開文書においては、コピーという概念は意味をなさない。コピーが行なわれるのは、文書がネットワーク公開でなくなるとき――私的な場での利用に持ち込まれるときだけである。
無論、完璧に実現されるまでには無数の障害がある。しかし、それを見据えてなお、文書のデジタル化・ハイパーテキスト化というのは、活版印刷以来の第2の出版革命となりうる。
そして、「ヘビーなhtml」から「スリムなhtml+CSS」への変更は、この革命の意味を、浸透させる起点となる。
とまぁそこまでたいそうなことを考えてCSSを使ってみたわけではないが、そのぐらいのことは、夢見てみたいと思う。
えぇ〜、とりあえず朝就寝→昼起床のパターンを矯正すべく、夕食後すぐに睡眠。20:30〜翌1:00だから……3時間半ってとこ。要再睡眠ですが、まぁ明け方にちょっと寝て、それでだいたい治るでしょと見込んでみる。
つーことでふうっと夜中が空いてるわけですが、深夜番組を見る気もなし、積ん読状態な本は多いけれど手をつける気力もなし。ってことで小説書きにいそしんでみようかと。
むしろ、最近、書いてる原稿のせいかそれともやってるゲームがほわほわしているせいか、頭の中がそこはかとなく乙女ちっくなのがアレ果てた感じです。ふうっと気が付くと素敵な旦那様が欲しいとか思ってるのは危険な兆候ってことで(笑) それとも、思いのほか安定指向なのかしらん>自分。
どうやら私の挑発にひっかかったらしく見事nameタグがついた日記。この調子で関連各位への普及を希望。
CSS導入してからhtmlのソースが美しい。 やはりhtmlドキュメントとはこうあるべきだなと勝手に納得。 スタイル区別用のclass名のおかげで、文書構造もはっきりするし。 次の課題は構造化の推進かな。 日毎にDIVタグで区切るようにした方がいい気がする。
ぼちぼち小説ページの方もCSS化の計画を立てる。
PタグにnewSectionクラスとかを作って、margin-topを多くしてみると素敵な感じだ。む、しかしそれではCSS効かないときに困るではないか。再検討の余地アリである。
なんか時間もほわっと空いているふうだし、FF8でもやってみたいなぁと思うが、金がない。自慢じゃないがFF7はプレイ時間1時間で、「ダメ、こんな手抜きゲームやってらんねぇ」と放り出した人である。二の舞いが怖いので相当躊躇。むしろ他人の色恋沙汰が財布に衝撃的だったのが尾を引いている。
むぅ、小説を書いているはずだったのに、html中から全リンクリストを抜き出すperlスクリプトを書いているのはなぜだ?
いえね、手付かずで停止しているリンク集をブッ潰して全部ふりーとーくに統合しようかなとか、就職やらなんやらでページ移転するときは「メインページが日記」というイカれたコンテンツにしてみようかなとかいろいろ考えてるわけですわ。
そのために、「過去日記全リンクリスト」を生成して、それをリンク集の代わりにしようかなと企んでいるわけでして。しかし、そうするとページ運営するのに根本的にperlが必要になる気が……ますますUNIXなしじゃ仕事できない体になっていく。
まぁ、どうせSSIやらCGIやらをあっちこっちに張り巡らせるページへと変貌しつつありますから、SSI使えないプロバイダとは契約できないなぁと思うわけで――ってページ移転先がそこはかとなく見えるんだよなぁ。SSIとCGIとshellが使えてできれば容量の大きいところって条件になるから。どーせだから今のうちからスペースだけ借りて契約ってのもアリかもしれませんな。と言っておくテスト(笑)
ということも見据えて某候補のページでアクセス状況を調査。
――む、このユーザーが悪さをしている臭いぞ。アクセス数の占有率とかとりあえず入れるところの雰囲気とかからして、なんかアングラな雰囲気が。今入るとこいつと同じサーバーにアカウント登録されるから、次のホストが立ち上がるまでパスですかね。ということで定期的に監視決定。
リンクリストの方は……むぅ、なんか過去の分についてもCSS対応してクラス化すれば余計な情報をフィルタリングしやすくなるか? いや、一度リンクリストデータベースを作れば、過去の分には手を入れなくていいと考えるのが普通だと考えるべきだね。ということでそんな感じで実装開始。今週中には改装してしまえそうな勢いだけど、いかがざましょ?
つーことで、めでたく「過去ふりーとーく全リンクリスト」が完成しました。上の方のバックナンバーのあたりから辿れるので、暇な人は見てください。後は、月イチぐらいで更新可能なようにスクリプト化を押し進めればOK。ああ、階層化とか構造化もした方がいいかな? それにはリンク情報にメタデータを埋め込むべきですな。これは来月以降の課題ってことで。
そんなわけで、じきにリンク集閉鎖の予定。とは言え、閉鎖前に「リンクしていたページの存命チェック」と称して一通りURLをここに書くつもりなので、実はなくならないという(笑) こうして全コンテンツはふりーとーくに集約していくのです。
「相当遅れて反論してみるの事」の続き。やってもないのにFF8を批判してみるという無謀な試み。
論拠となっているのは、FF8、使われている技術は相当のものらしい。まぁ、なんのかんのいってPSソフト作ってるメーカーとしてはトップクラスの技術力・資金力を持ってるわけであるから、当然と言えば当然。個々の技術に目を向ければ相当なカタルシスが得られるであろうことは無論わかっている。
その高い技術力をもってすれば、「やろう」と思ったことを再現することは簡単だろうし、実際出来ているんじゃないかとは思う。じゃあ何がまずく思えるのかっていうと、その「やろう」のベクトルの取り方なんじゃないか。
世の中、何をやるにもベクトル、方向性といったものが肝心である。舵取りをしようにも、向かうべき方向がわからないのでは仕方がない。しかし、どうにもSQUAREのゲーム、特に大作指向であるFFは、この方向性が定まってない気がするのだ。
あちらこちらのメディアからの情報にて判断するに、FF8の密かなテーマは「学園ドラマ」だと推察される。でも、学園ドラマをやるのに、「世界の命運を賭けた戦い」をする必要ってあるのかなぁと、思うわけだ。(ひょっとするとしてないのかもしれないが、多分してるんだろう。宇宙に行くとかどうこういう話も聞けてくるわけだし)
そりゃあもちろん、ストーリー的にミクロな話をするために仰々しい話を展開して、最後はスパッと小さい部分に落す、ってのは王道である。ただ、そういう場合起点と着地点は確実に定まっている。大々的な話の中で語られるテーマは、例えば「Boy meets Girl」などの非常に明快で使い古されたコンセプトだったりする。
が、なんかそのコンセプトの捉え方を、ちと間違ってないかなー、と思えるフシがあり、それは「やりたいこと」のベクトルが、やってる自分らでわかっとらんのが原因でないかと思うわけだ。
大規模なプロジェクトで手綱を握り続けるのは困難な作業である。しかし、プロジェクトが大規模であるからこそ、統括責任者――監督やディレクターと呼ばれる人間は、手綱を握り続けなければいけない。自分達が結果として産み出すモノに、最後の最後まで責任を持っていなければならない。
無論、「現場のやりたいようにやらせる」ことは重要なことであるし、そのためにはディレクターが手綱を握り続けるのは害となる場合もある。しかし、SQUAREのソフトでは、往々にして「それは手を離しすぎだろう」と思える、現場の暴走が透けて見える。
別段、現場の暴走が詰まらないわけではない。暴走の産物ってのは勢いに満ちてて楽しいし、それは手綱を握り続けていては出てこないものである。だから、手綱を手放すのも、いい。
問題は、手放す前の作業を怠っているのではないかと思えるあたりである。最初から現場任せで、上がってきたものを受け入れる。確かに勢いがあっていいものが産まれる可能性は高い。けれど、それでは方向性が曲がってしまっても仕方がないし、食い違いだって発生する。食い違ったものを、食い違ったまま送り出せば、「練り込まれた魅力に乏しい」と判断される要因になる。
そのへん、7は酷かった、と私の1時間のプレイ経験は語る。「なんじゃこのベクトルの定まってないシロモノは?」と思う。8はそのへん、改善されているような気配はしている。批判されたことを受け、どうにかしようとあがいてみた、そんな雰囲気が感じられる。
ただ、根本原因がマクロなレベルでの舵取りのミスであるのに、ミクロなレベルでの努力で改善している、そんな印象が強い。あるいは「たまたま上手くいっただけだ」という烙印を押される可能性も否定できない。
SQUAREというメーカーに欲しいのは、絶対的な権限を持って己の色を主張するクリエイターだと思う。とにもかくにも、「これがCRPGの王道」というライン、手本となることを意識しすぎているんじゃないかと思う。個性を主張しているのは個々のパーツのクリエイターで、それをかき消してくれるような、ディレクターの勝負心が見えてこない。すくなくとも、近作のFFシリーズにはそんな印象を受ける。
だからと言ってグランディアのようにどこからどこまでも勝負し続けるってのはアホのやることだとは思うのだが、やっぱりSQUAREのディレクターには勝負して欲しい、それをかなえるスタッフは揃っているのだろうから、と思わずにはいられない。
ここへの反撃。
でもさぁ、どう見たって映画を意識してストーリー指向で作ってるのに、遊ばせてるのはミクロな部分ってのは本末転倒な気がするわけよ。確かにミクロな部分でも遊べるんならそれでOKなんだけど、どうにもミクロな部分の作り込みに比べてマクロな部分が弱く見える。
確かにまったく不合格なほどダメダメなストーリーじゃないとは思う。けど、壮大かつ重厚なストーリーであるには、各所に見られる(ミクロな部分での)遊びが邪魔になる(CMで流れてる曲を聞く限り、「荘大かつ重厚」を意識してるはずだ)。なんちゅうか、ノリが軽すぎやしないかな、と思うわけだ。
とはいえ、ノリが軽いまんまで荘大かつ重厚ができないわけではない。その好例とも言える「ムトゥ踊るマハラジャ」を昨日の夜に観たんだが凄かった。いやぁ、前半は辛ぇ辛ぇと苦しみながら「いろんな要素をこんだけぐちゃぐちゃ混ぜてどうすんだよ」と思いながら観てたけど、後半で非常にスカッとした。ああいう後半のマクリが果たしてFF8にあるのだろうかと思うわけで、これまでのパターンからしてそれはイマイチ期待薄なわけで。
ちなみにマクロな喜びを求めているのはゲーマー魂ではない。クリエイター魂が、俺にマクロな喜びをくれと騒ぐのだ。欲しいのは別に大層なストーリーじゃない。ただ、例えばたった一つの恋とかを、ひどく丁寧に描いて欲しいのだ。グランディアやらLUNARを褒めるのはそれがきっちり出来てるから。FFをけなすのは、それがちっとも出来てないから。
マクロなものをマクロなまんま見せようたって、そんなんできるわけない。見てる方がパンクする。じゃあどうするかって、小さな核にたっぷりコーティングをほどこしてブチ込むのだ。わかりやすく咀嚼して叩き込むのだ。
でも、その「核となるべき小さな物語」が、FFでは見えてこない。小さな玉をたくさん打ち出してくるので、どれが一番大事かわからないのだ。それは、どの玉が一番大事が見えてないから、わかってないからじゃないか。そして、それがSQUAREの弱さなんじゃないか。
ということで、ベクトルが欲しいという発言につながるわけ。その発想の元になってるのは、「このパワーをまとめられれば凄いものができるのに」って想い。凄い能力を持ってるんだけど、根本的にやり方がわかってないヤツに対するもどかしさ。
まぁ、FFが実験場であってそれが別のなにかにフィードバックされていくんならそれでもOKかなと思うんだけど、あんまフィードバックされてないんだよね。(プレイしているのを傍目で見てるぶんの)ゼノギアスとかは割とフィードバックされてるかなって気もするけど、むしろゼノギアスの場合、大変わかりやすい核があるのが理由な気がする。
ちなみに、おそらくFFのムービーをレンダリングしているのはSGIのグラフィックスワークステーションで、PSはムービーファイルをデコード&プレイしているだけだと思います。凄いのはO2かOriginかなんか。PSが凄いんじゃないと思います。ムービーファイルなら、多少キャラの書き込みを細かくしたって容量的にそんなにツラくはならんでしょう。それに、足りないってんなら背景を削ればよろしい。だいたい、あの背景がよろしくない。どうしてもキャラを背景と比べてしまう。あの背景と比べたらキャラが見劣りするのは当然。背景は雑でいいから、も少しキャラの動きを追求すべき。それって要するに「何を演出の主眼にするか」が見えてないってことだよね。美味しい材料に気を取られ過ぎて、さじ加減を間違えてる。目指すべき味がわかってない。
をを、ムービーというミクロなレベルでもマクロなレベルとおんなじ問題抱えてるんじゃん。ようするにモノを作るときのベクトルの決め方が全面的に下手なだけなのね。誰もベクトル決めてモノを作らないし作らせないから下もベクトルの決め方が下手になる、と。なんかわかりやすい構図だ。なるほどなるほど。
ということは、誰かベクトル決めて仕事できる人間を呼べば解決する気がするなぁ。つーか、体育会系なノリが足りんのかもしれん>SQUARE。とオチがついたあたりでとりあえず了。
ff8、とりあえず終わりました。
私個人の意見としては
ストーリーは7の方が楽しかったです(^^;
8はなんか薄かったです。
一個のイベントにかかる時間が長すぎて
CDROM4枚使ってもなんとなく記憶をたどると
読んだ文字数が偉く少ないような気がします。
んで、ff8はどうだと言うと、
ff7ですでにこけてる方にはおすすめできません。
ff7嫌いじゃない人で、金のかかったムービーの好きな人と
よりうざくなった戦闘を豪華に楽しみたいひとにはおすすめ
って感じがしました。
あと、ff7も一時間、ff8も全然やってないような
立場でうだうだ言うのはやめてもらえないですか?(^^;
楽しんでやってる俺なんかにとっては
非常に悲しいのですよ、こういう話。
とりあえずやってみてからメタメタにぶったぎって、
やる気もおきないのならそっとしといてください。
はい、うだうだ言ってるのは仰るとおりでございます。半分ぐらいヒガミがはいってるわけでございます。しかし本ふりーとーくで何度も言ってるようにあれだけバカ売れするのはSQUAREの、FFのブランドの力なわけでして、まぁそのブランドの力を築いてきたSQUAREが偉いんざんす。でもってここ数日のうだうだは何かと申しますと、「確かにいいものだけど売れる数と出来は正比例してないと思うよ」という苦し紛れの反論でございまして、要は「メジャーであるがゆえの盲目」に対する提言のつもりなんでございます。
とは言え、ここまでコキ下ろした以上8はやってみるつもりではいます。とりあえず狂乱の日々のおかげで懐が寂しいので、来月に入ったら買うつもりです。個人的に期待してないわけじゃありません。言うだけ言って逃げるのは無責任ですし。が、「これ以上やる気が起きないほどつまんねぇ」と思ったらそこまでの時点で投げ出すでしょうし、そのときには「最後まで引っ張れないようなモノを作るのが悪い」という内容のことは言うと思います。
いや、7のときはマテリアのシステムが効果を発揮する前にやめちゃったんで正当な評価じゃないんだろうなとは思ってるんですよ。借りてやってたから、元とらんでもいいやとか思ってたし。今回は買う気なので、ジャンクションが効果を発揮するまでは続けるつもりです。まあ、6時間ぐらいは。そのへんで「ダメだこりゃ」と思ったらやめるんじゃないでしょうか。見るべきところがあればそのために続けます。
ただやっぱ、「パーツがそれぞれ勝手な方向を向いてる」というSQUAREソフトの、いわば同人的な部分が嫌いなんですよ。それはプロのする仕事じゃない、と。ま、同人誌にだっていい同人誌はあるわけで、そうであることを期待してます。ま、全体の整合には最初から期待してないです。それは何度も裏切られてるし。きっとジャンクションとGFをへろへろ楽しむ遊び方をすることでしょう。
で、このへんから本格的に弁明なのですが、一連の攻撃的な文章は、小説同人誌やってる仲間への個人指摘を暗に(そして多分に)含ませてます。「パーツしか見えてない、もっと全体を見ろ全体を」っていうね。そのへんを割り引いて読んでくれると嬉しいっす。
それと、書きながら分析してた部分もあるんですわ。今からならもうちょっとスリムにできると思うんですわ。攻撃的に書くことで分析してた部分もあるので。確かに見苦しい文章だと思います。敵意むき出しだし、好きな人からしてみりゃ不快なことこの上ない。と言っても撤回する予定はないので、御容赦下さいませ。
昨日は4:30ごろ何を血迷ったか東京の友人(高校時代の友人)を拐いに出撃。常磐道+首都高で、確かに法定速度オーバーしまくりとはいえ渋谷の先までで合計所要時間1時間はできすぎ。いやぁ、空いてる首都高って気持ちいいです。筑波&地元(水戸周辺)連中のバカっぷりに巻き込まれた友人の哀れなこと。
帰りの高速道路で、料金所過ぎた直後に前走車が突如スピン。をを、こっちに頭向けて止まってる――ってメチャメチャ危険だがな。その場は事なきを得たが怖かった。
東京からの帰還後、某学生後援会でバイト。想定外――つーか、想定以上の言葉を聞き、巻き込まれの進行を確実に認識する。ええと、俺的には突っ込む足は片方で済ませたいんですけど。
FF8はどこも売り切れっぽい。むぅん、あれだけ騒いだ以上買う気なのに。なんかうまく乗せられた気がしないでもないけど。
そんな感じでブツブツ言ってたら車で事故りそうになる。少しは学内の道の視界の悪さにも原因があるけど、基本的には私の不注意が原因――反省。巻き込んでしまいそうになった方、読んでないと思うけどもうしわけありませんでした。
突如ちょっとだけ見知った人からメール。ほうほうなるほど、そんな大切なことを忘れなさったか。それは難儀な事よ。と親切に返事する。自分の宿題がガツガツたまってるのに人の手助けしてていいのかという気もするが、切り捨てるのも忍びないので。む、ひょっとして俺はお人好しだったのか?
そういえば水戸から攻めてきた友人のおかげで毎週末が無為に過ぎていく。かなり巻き込まれているなぁと痛感。もっとも、基本的に俺の人生は巻きこまれっぱなしな気もする。確かに巻き込んだ人間の数も結構いるけど。
本ふりーとーくへのツッコミへのツッコミを読んで思ったこと(ちなみにURL指定に#が抜けてるっす>Takashi氏)。
Webが、すくなくともこのページが公開コンテンツである以上、発言者は自分の発言に対する責任の一部として、正当な反論を受ける義務を持っている。 ただし、反論をどうとるかは元発言者の自由。無論無視する権利だってあるわけで、それをわきまえて反論するぶんには、どんな反論だって正当だと思う。
単なる好き嫌いでとどめるとか改善案を出すとかは、望ましい形かもしれない。けど「いやだからやめて」ってのは不当な主張ではない。むしろ正当。少なくともツッコミの文面からはそのへんをわきまえてない「論外の香り」はしてこない。ただし、正当な主張・反論であるのと、それを聞き入れるのは別。聞き入れるかどうかを決めるのは私。
もっとも、今後「なんで忠告されたのにやめないんだ馬鹿野郎」という類の発言が連続して来た場合には、私は思う存分無視することであろう。 (たとえいいわけがましくても)私は素直に弁明したし、それでもやめるつもりはないって態度も表明した。にも関わらず攻撃的な発言が続くなら、「要するにものを言っても分らない馬鹿なのね」とおそらく私は判断する。 ただ重要なのは、たとえ馬鹿な攻撃者が発生したとしても、一度コンテンツを公開した以上はそれに対する反論を受け付ける義務が発言者にはあるってことだ。
まぁ、「イヤなら読むなよ」は正当な主張だと思う。ただ、イヤであっても読んで反論する権利はあるわけで、むしろ読んで反論するのが好きだったりするのかもしれない。
とまぁそんなこともあり、なんか考えさせられたこともいくつかあるのでツッコミフォームの注意文をちょっと書き加えました。 他愛もない私信やら、愚にもつかないゴミでない限り、基本的に取り上げると思います。もしも黙殺されたと思ったら、GeoCitiesなりTripodなりお好きなところで反論用のページでも立ててください。再反論に値する反論である限り、リンクすると思いますので。
これの前の発言についてだけど、一つ重要なことを書き忘れていた。
挑戦は受けねばならないのひとことだ。
具にもつかないゴミとは!珍来見習え(と言ってゴミを書く(笑))むしろDDRやってる女の子萌え
むむ、これは私にたいする挑戦だな!
そうだね、たとえゴミでも挑戦ならガツンと勝負しなければならないね。むしろ泣いてる女の子萌え。つーか泣かせるのもアリ。こんな私はダメにんげんなのでせうか?(Y/y?)
あ、リンクは直しておきました。>Takashi氏
嬉し泣きならアリでせう<泣かせる
嬉し泣き、いいっすねぇ。しかし個人的には他人が泣かせたのを慰めるとかも非常にアリっす。もー保護欲がが刺激されまくりでいい感じ。
ところで「ツッコミのツッコミ」なる場所が見当たらんのですが。どんなふうにツッコミ返されたのか謎。 あんど、「泣いている女の子萌え」はダメダメです。っていうかこの前の話のカラミ?
ええと、今の時点ではまだ対象の位置にリソースが存在してないようです。とりあえずは、当面のところはこちらから飛んでくださいませ。
この前の話はちょこっとだけ関係してる心地ぞすれ。むしろうがー。君もあの魅力に気付くといいね。トイざらす&ジョイフル本田に行ってわけのわからないものをいろいろ購入。楽しい無駄遣いを堪能する。「洋式」「和式」は思いの外利用の幅が広し。
それはそうとツッコミへのお返事。
文章が長いよ。要約って言葉知ってる?
はい、もちろん知っております。「文章・事件の重要な点だけをかいつまんで、手短に説明できるような文章を作ること」ですよね? しかしなぜ私が文章を要約せねばならんのでしょうか?
確かに要約した文章は簡潔で読みやすいです。が、要約というのは「本来の文章の意味のいくらかを切り捨てる」ことによって作られるものです。要旨はあくまでも要旨。本意の全てではありません。
確かにこんな駄文、本意なんぞ伝わらないでもいいってのは一理あると思いますが。しかしながら、私とて「うだうだと書くことで得られる効果」ってものを信じて書いているわけです。というわけで、うだうだと書くスタイルをやめる気はありません。あ、「うだうだ書くんなら最後に結論書け」という要望であれば聞き入れるかも。ううん、でも本当にうだうだしてるだけの文章だったら要約したくないですから、それも完全でないか。
ていうか、年上でしょう(笑)>泣き
年上もアリ、年下もアリ。どっちもそれなりの理由で萌え。むしろウソ泣きに騙されたりするのも大いにアリ。
ここ数日、実験のプログラミングに勤むため、反応速度向上中。むしろ現実逃避増えが予想される。
今日になったばかりのあたりに、「要約をしない。」ということでツッコミへの反論をした気がするが、そこを敢えて裏切って、要約をしてみようかと思う。要約対象は今月のふりーとーくのこれまでの全文。
人の恋路の手伝いをして金と時間が無くなり、G馬場が死んだ。片手間にLaTeX用のスタイルファイルを作る。Progressiveの意義についての話。アニメーターはすごい。TeXにこだわる必要はなし。敗北感が面白い。怠惰な週末を過す。FF8は同人ゲームだ。CSSを導入する。ハイパーテキストは第2の出版革命。乙女ちっくな気分。htmlのソースが美しい。FF8したいけど金がない。UNIXなしじゃ仕事ができない。プロバイダのあたりをつけてみよう。リンク集を閉じて「過去ふりーとーく全リンクリスト」に移行予定。SQUAREにはディレクターがいない。SQUAREは体育会系ではない。「やってないのにFF8の文句言うな」ごもっとも。金ができたらやります。東京に行きFF8は買えず事故り気味で毎週末が無為に過ぎる。発言者は反論を受ける義務がある。挑戦は受けねばならない。むしろ泣いてる女の子萌え。要約って言葉は知ってる。うだうだと書くスタイルを維持。ていうか、年上も年下もあり。むしろウソ泣きもアリ。
当社比44倍の圧縮効率を誇る要約でございます。むしろ内容が発散しすぎて要約になってません。頭がアレな人の妄想に近いです。ああ、ひょっとすると人間の思考なんて長期的に見れば皆発散しすぎのアレな妄想なのかもしれません。恐ろしいことです。
敵が出現したようですね(苦笑)実は喜んでません?(苦笑)
世の中なべて敵ばかりなのですよ。私は実験の課題を進めたいのに現実逃避とか現実逃避とか現実逃避とかが胸を叩くのです。確かにこうして書くネタができるわけで喜んでいないわけではないのですが。
かなり喧嘩議論(笑)してますな〜(^^;
むしろ私の言っていることは屁理屈もいいとこなので、あんまり議論になってないでしょう、当社比120%で。 なんか議論風に見えるのはそこはそれ、気のせいってことで。
「文章が長いよ」と言う人へ
「このサイトが決してあなたの人生に必要な物なわけじゃないのだから,製作者の自由に書いていい。うだうだ言うなら・・・来るな,読むな,関わるな(笑)」と思う。どう?
あ,でも,,,ていうか冗談で言ってるんでしょ(^-^;
「文句言う権利は誰にだってある」わけで。それに基づいて文句言ってるんだから、いいんじゃないんでしょうか。文句言うのって楽しいし。少なくとも私はやりとり楽しんでるし。無意味かもしれないけど、価値があると思えるんなら、それでいいような気がしますです。って俺が言っても仕方ないか。
実験のプログラムがおおむね正常動作する。細かいアーキテクチャを詰めねばならないのだけど、ほぼ完成したも同然。提出まであと5日だけど、余裕たっぷり。
友人宅でSocket5 Dualのマザボを発見。っていうかそんな時代のシロモノに、2次キャッシュ512KBついてるのはどーしたもんかね。つーことで、Classic Pentiumやら72pinSIMMやらを大募集。OSはLinuxかのう。
ということを高校時代の仲間うちのチャットで話していたのだが、仲間が全て去った後、Topicに釣られてやってきた見知らぬ人と話し込む。すっかり朝まで楽しくお話しできました。とっても楽しかったです。
今日は日程に余裕があると信じ込んで、これから筑波〜東京〜川崎〜木更津〜筑波のLet's アクアラインなドライブルートに出発の予定。出るのは23:00ごろかな? 詳細は未だに未定なのがアレな感じ。
ちょっとこのへんの日記(99/2/24分)に反論気味に。
私の中では、ブラウザってのは「HTMLで書かれた文書を読む1手法」であって、「唯一無二のHTML参照法」ではない。そして、HTMLというのは、「タグ付けされた構造化文書」であって、「ブラウザ表示用のスクリプト言語」ではない。
ということでHTMLから物理表記を排除したいというのは以前からの願いであり、たまたま使ってみたHTML + CSSという形式はまさしくそれに適していた、ということでHTML + CSSは素晴らしい! と言っているわけである。
ちなみにこのページ、そんなにブラウザ依存じゃあないとおもうのですが。CSS解釈できなければ、確かに味気ないページになるけど読めないわけじゃないはず。そういうふうに意識して作ってるし。単に、「CSSが解釈できると見た目が派手になりますよ」ってだけで、HTML文書としては、かなり由緒正しいシロモノのはず……である。
ま、SGMLやらXMLやらの概念だけをかじっている、ハイパーテキスト信仰者の戯言と言われればそれまでなのだが(^^;
さて、今日のお便りコーナーは……って、近頃ツッコミの利用数多いぞ(^^;
燃えろ山岡屋
ははぁ。山岡屋ですか。確かに私、燃えるように辛味噌とニンニク入れますけどね。「塩スープだろうと味噌スープだろうと最後の味は変わらねぇ」って言われるぐらいには。いやしかし、あのガツンと来る味がいいのですよ。非常に美味。むしろ寿命が縮む心地。
なんか掲示板作った方が良さそうな感じ
というわけでいますぐGO!
そこをあえて作らないってのはいかがでしょうか? いや、自作出来ねぇんなら作らねぇってのがこのページのポリシーってのもありますが(^^; とりあえず時間もないし。