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_ 掲示板:YaPW 旧掲示板 SMIL Boston日本語訳(頓座)
昨日の帰りは雨が降っていた&本屋での購入物消費のためBD-1は電車に載っけて。イージーカバー初使用。なるほど、このぐらいでも輪行には十分だ。
_もう少し大きめのサドルバッグが欲しい。今のだと「頑張ればイージーカバーが入る」サイズ。一度中のものを出して詰め直さなければならないのが微妙。
_今日も自転車通勤。所要時間62分。途中水分&サプリメント調達のためコンビニに寄った時間含む。予め準備しておけば1時間切れる計算。
仕事。シリアルやらドメインソケットやらとの格闘は一段落ついたようなので、しこしことコメント書き。UDPについての勘違いあれこれも是正された模様。いちおうこいつをJNI化するという作業も残っているのだけど。
なんちうか、新しくやることが多過ぎて仕事してるのか勉強してるのかよーわからん。楽しいことは事実だけども。
同居人との約束に基づいてWind購入。インストール、ゲーム開始。
……えーと。このCPU占有率は、ひょっとしてウェイトを単純ループで取ってるせいだったりしませんか? 結果としてスピンロック状態に陥ってるんじゃありませんか? マルチタスクOSって知ってますか? とかなんとか思っているうちに、マルチタスク全開な俺様のPC使用状況に耐えられず落下したのでそのまま中断。稼働時間5分。
まあ、ゲームが案外リアルタイム性を要求するものだという事情もわかるし、私のPCの酷使ぶりがDOSベースWindowsには優しくないのも事実だし。んでも、これはちょっとなぁ。
で、そんな事情を鑑みて、2000だかXPだかに変えるかとか思ってみたりも。
深夜にこしょこしょと物書きさんなどをしていると、突如ひらめきが振って来たり。で、考えをまとめるためにいきなり深夜のサイクリングに出撃。しばし走って目を覚まして、ファミレスで夜食などしつつあれこれ思案。どうしようかと思ってた構成案がようやくまとまる体たらく。
とはいえこうなれば書くほかないので、まあぼちぼち頑張ります。今月中に初稿まではこぎつけます。でないと、およそ間に合わんかとは思うので。
巷で話題のマリみては、既刊が全部部屋に置かれてます。同居人の陰謀により。ちょっと手に取った感じは確かに好印象。読んでる暇ないけど。
_といいつつ昨日は見事に五月晴れだったので、予報通りに、ということで何故だか萌え文集カラオケオフに乱入。パパ絶好調。一家強力。ちうことであれこれ楽しく過ごさせていただきました。参加各位に、多謝。
_ちなみに行きは1時間半ほど、帰りは1時間少々で走破。かなーり調子良かったです。
_ついでに査収物紹介
_とにかくシンプルなルールながら工夫の余地があれこれある、良デザインのゲームだ。移動とZOCによる争いは確かに効いていて、考えていて結構楽しい。
_ただ、とにかくコマが動かない(*1)。かなりロングパス重視のゲームになる。ラインの押し上げ、チームでのプレッシング、等の再現は困難。
大半のコマは初期位置からさほど動かない(動けない)のだが、キックオフ前の初期配置は自陣内に限定されている。
結局、一人か二人を敵陣内に突っ込ませつつ、相手の移動権をどう潰すか争い、隙を見て一発放りこんで勝負、って形になる。それ以外の形になりそうな気があまりしない。標準ルールのままでこの膠着を打開するには、ムービング・フットボール的な戦術が鍵になるのか?
_とはいえこれらの難点は、ルールをシンプルに収めようと意識した結果だと思う。値段が低価格なこともあるし、商品デザインとしては正解。ネットでのサポートを軸に、拡張ルールをあれこれ打ち出してくれればよかろう。
_コンポーネントは値段を考えれば上等か。コマが軽いせいで、よく転がってしまうのが問題か。ポジション争いのゲームなだけに、もう少し重いとよかったのだけど。売れ行きが好調ならば、DX版とか出して欲しいところ。
_いくつか変更案を考えてみる。上の方ほどがよさげと思っている案。
ブレインストーミング気味のミーティングに何故かお呼ばれ。未踏ソフトウェア創造事業のプロジェクト応募締切が近いので、ということで。でま、あれこれ煽ってくる。こういうときには、実現のことを無視して理屈やらトポロジやらばかり考えているのが役に立つ。ということであれこれ煽っておいてから逃亡。
あちらこちらで風邪が流行中風味。GW暖かかったから、みんな油断したのかしらん。かく言う私も風邪引きさんですが。今日は早めに帰って温かくして寝ようっと。
君が代を国歌として認めるかどうかという問題に妙に自覚的になったのは、高校の校歌を始めて聞いたときでした。母校には、是非とも一度甲子園に出場&勝利して物議を醸してしただきたいものです。
にもかかわらずあの校歌を時折むしょうに聞きたくなるのは、結局のところあの学校にあの歌が強く結び付いているからだろうな、と思います。あるいは、あれを校歌として包容してしまえるような、そういう気質を学ばせてもらったところでもあるからかも。
日本代表×レアル・マドリード戦。
日本代表は角――優秀な中盤のパサー――がのきなみ落ちていたとは言え、相手は飛車角金銀ぐらいごっそり落ちた状態で開始。でも押される。右サイドの明神の奮闘が印象的か。ますます波戸の当落が微妙に。解説の松木うるさい。誤審だろうとなんだろうと1点は1点だっつーの。で、フィーゴとロベカルまで抜ける。でも押せない。
明神が引いて4バック的になっているので、攻めにでているのは鈴木、柳沢、三都主、森島、稲本といったところ。柳沢がトップ下にでも行かん限り、サイドアタックかムービングフットボールしかできない面々。ピッチの状態との相性は最悪。
後半一気に選手交替。んが、小笠原も服部も、明らかにピッチの状態に戸惑っている。慣れようとしているうちにずんずん時間が過ぎ、気がつくとタイムアップ。
わりかしディフェンスの安定感があったが、参考になるかどうかは微妙。中沢、明神、稲本あたりの出来がよかったか。
PPPが通ったもののpingが通らないという事態に打ちのめされつつ、本日風邪による頭痛に負けて帰り。
あ、「NHKが受信料を廃止する」はアリかもしれません。あるいは「受像機タダでばらまく」とか。それを普及と呼ぶかはいざ知らず。
PPPと格闘中。IPは取ってこれるがその後コケる。認証回りで問題が起きてるのか、それともルーティング回りなのか? はたまたPPPのもっと基本的な部分? なんにせよ、対向側が自前でないため盲なままでトラブルシュートしなければならないのが辛い。そもそも問題がどこで起きてるのかがさっぱりわからんのが問題。
結局RFC読みが宿題になってしまいそうです。さめざめ。
風邪療養のため、昨日は一日寝込て過ごす。話し相手でもいれば気も紛れようが、同居人は仕事で不在。勢い、孤独で過ごすことになる。電話で相手を探すのは妙案だが、病人の暇に付き合うような輩もそうはおるまい。
ともかく、ひたすら床にいると(少々詰まらない理由も手伝って)妙に不安が強くなる。病は気からとはよくいうが、病から気が減じることもある。引き換えに、風邪はあらかた放逐したが。
はてさて、ここは徹底的に根を潰すか。はたまた気をば紛らせに行くか。悩みどころと、いうべきか。
同居人とRegistaの戦術研究など。ゴール前へのロングパスへのカウンター封じ、極めて高い位置でのフラットディフェンスなどあれこれ可能性を検討した後、おもむろに同居人がゴール前に駒を並べる。で、完全なる防御陣形が完成。ということで、一点先制した方が勝つゲームということが保証されてしまいました。駄目駄目。
Wind -a breath of heart- [minori]終了。個人的には好きなタイプの話だった。
システムに関しては、敢えて多くを語らない。いったいどれだけ時間を無駄にしたことか。
_全体の印象を端的に言うなら「わかりやすく展開したAir」か。
声はよろしい。音楽も及第点以上。文章も及第点ではあろうが、同時に「酷い」の寸前か。特に会話文。きっちり練り込みテンポを重視すればなんぼかよくなるのに。少数行窓なせいで読めてしまうのが救いなのかそうでないのか。
_中身に目を転じれば――ときめもがやりたいのかAirをやりたいのかはっきりせい、と思う。別の言い方をするなら「ギャルゲーがしたいのかストーリーを見せたいのか」だ。前半と後半で明らかに軸がずれている。一応ストーリーが軸なのだろうが――だとすればギャルゲー部分が単調で長い。また、ストーリーゲームとしても明らかな難が存在する\\。
どっちにせよ、サブキャラも少し上手く使えよ。折角魅力的で美味しい設定なのに。個人的にはあの絡みがもっと読みたかった。
思うに、もっとコンパクトな物語にまとめてしまえば良かったのではないか。構成をもう少し動的にし、きっちり分岐制御も置き、ついでに挿入ボーカル曲をもう2〜3曲で使い分けてくれるとなおよい。
_ありてい過ぎる言い草:どうすればこの佳作がかくも駄作化するのか。ともかく至極もったいない。「すずがうたう日」の「なぜこんな駄作が佳作っぽく思えるのだ」の反対。
要するに監督のコントロール不足なのであろうか。抑制だか、練成だかが、決定的に足りないように思う。シナリオ毎の出来の差が大きいところを見ると、単なる校正不足なのかもしれんが。
_とはいえ巷の悪評は、ほしのこえフィーバーに翻弄されてる部分も強かろう。商業的成功を取って作品的成功を捨てたという感もある。が、BSFぐらいの注目度で適当に出ていれば、「まあ佳作」と言われたのではないだろうか。風評を気にしないなら、あるいは萌えより物語が好きなどとのたまう人であるなら、まあ勧めてもよいだろうか。
ゴールエリア内味方プレイヤーコマは3個までだそうです。
はい、そのことは考慮済みです。よーく写真をご覧ください。ペナルティエリアにはごそごそ入っているものの、ゴールエリアには一つも味方プレイヤーコマが入ってません(笑) 逆に言えば、3つまではゴールエリアに入れられるので、攻めるための小人数が捻り出せることがわかってます。
今更返答するならば、screenはいいぞはたぶん私です。むしろ使わないのは嘘。
どこへともなく。展開が読めるがゆえに面白いものっちうのも世の中ごまんとあります。そーゆーのは、明らかにバレバレな展開を「どう」見せるかが勝負。むしろそういう直球勝負の方が、作るのは難しいんじゃないかとか思ったり思わなかったり。個人的には「ヒネることなら誰でもできる、ヒネらないのが難しい」――とか思ってますが。
同居人と「ほしのこえ」論議からあれこれと。敬称略は失礼。
今売りのアニメージュで富野が「ほしのこえ」を手放しで褒めていたことに関して。富野は「ほしのこえ」は褒めるしかあるまい。新海の才能はコンテのつなぎ方にあり、それは富野が最重視する力点のひとつである。
新海は、庵野よりは押井に近い才能だろう。ただ、押井のようなヒネたところがないので、育てば普通によい監督になろう。というか押井はスクリーンのこっち側を意識し過ぎだ(そこが味なのだが)。
_とつらつら書いてから、案外と細田とかのラインが近いか、と思いついてみた。というか、背景が作れるゆえにそっちの方向に行ってしまった、というのが正しいかも。
ネタでやっているんだとすれば本気で尊敬するし、本気でやっているんだとすればそれはそれで敬意の対象になると思う。ただし、これらの敬意が憎悪とか嘲笑とかと並立しうることには注意。とはいえ、何事にも一理はある。
基本設計は見事といってもよかろう。ストーリーの力学的にはきっちり仕事を果たしている。また、エンディングにおける物語の切り離し方はどれもこれも見事な出来だ。こと物語の大枠の設計だけに絞れば、この作品、傑作になる可能性すら秘めている。
_が、とかく仕上げが雑なのだ。プログラム然り、文章然り。
たとえば、設定のひけらかし。つい説明したくなる気持ちはわかるが、筆の勢いに任せずきちんと(文章も情報量も)コントロールして欲しかった。感情的に話が進む部分ではその勢いが功を奏している(声の助力も大きいが)だけに、なおさら。そういえば、筆の進みのバラつきも気になる。
あるいは、大枠を前提とした細部での仕込み――いわゆる伏線も不足している。張っておけばいい伏線が、明らかに張られていない。細部に部品を埋めていくときの、意志の統一に失敗した結果なのか。折角の全体設計が泣いている。神を宿らせるべき部分に、必要なものが宿っていない。
_ということで評価撤回。よい物語を感じたいと思うなら、お勧めである。ただし、滅法速いがペース配分に失敗したマラソンランナーを見るようなものなので、覚悟すること。
サッカー代表親善試合、日本-ノルウェー戦。
かえすがえすも森岡の怪我が痛いと思う。
ペースを握りかけていた後半の半ば、守備戦術の裏を取られての失点だ。まず思いつくのは守備組織・戦術の問題であるが、むしろメンタルにこそ目を向けるべきではないだろうか。
正直、今の日本代表の戦術を考えれば、あの失点は仕方ない。あの形が何度か産まれてしまうのは、半ば宿命のようなものである。であればこそ、あの形を、あの失点を許した後が肝心となる。
となるとキャプテン不在が響いてくる。この試合の日本代表には、苦境における鼓舞者が欠けていた。キャプテンマークは宮本であったが、トルシエ監督下の日本代表において、キャプテンマークは「守備司令」以上の意味を持たない。
そして、この試合はまさにそこの対処でヘタを打った。メンタルの立ち直りの機会を得ないまま、モラルが崩壊し、試合が破綻した。
だから、森岡がフィールドにいたならばと思うのである。彼であれば、もう少しモラルを維持できたのではと思うのである。そういう意味では右DF秋田、という選択肢を残しておくべきだったろうが、今更その可能性は残っておるまい。
ともかく、苦境で誰が鼓舞するか、である。声を出し、プレーで仲間のモチベーションを引き出し、逆境の中でモラルを高めていく。そういう役割を誰が担うのか。あるいは、両ボランチが(一時的にせよ)守勢に回って守備組織の立ち直りを待つ、そのような現実的な老獪さを誰が発揮していくのか。
できるものなら、去年の後半あたりからそのための人員をチームに混ぜておくべきであったろう。だが、今からでも遅くはない。この致命的なベテラン不在に、果たしてどんな手を打つのか。明後日のメンバー発表に、いやでも注目せざるを得まい。
相変らず雪駄さんとの間では、作品に対する感想の互換性が高い。激しく同意されているが、それなら私も「Wind、みなもシナリオ終了後のメモ(バレ」に激しく同意しているのだ。というか単にゲームに対する接し方が似てるのだよな。
ゆえに、互いに互いを期待してずんずん仕事をしなくなる罠。というか、あれか。雪駄さんに雑記を書かせるためには、私が彼のやったものをやればよいのか(ぉ
「客観なんてない」という主張は近代の暴走の挙げ句の成果の一つではないのか、とか思ってみる。同様に「私」などいうものの根拠もまた極めて曖昧なのであるが。
と、このような考えを突き詰めてみれば、なにもかもに根拠がないから黙るほかなくなりそうに思う。だが、根拠があろうがなかろうが私は私が存在していると思っているのであり、であれば私は存在しているのだ――とはどこかで聞いたような主張である。
そんなのは嘘だ、客観は確固として存在するから客観で話せ、というのは一理ある主張であるが、すべてが相対的にしか存在しえない近代ないしは現代という名の泥沼においては、それもまた相対的に存在し価値を持つ意見の一つに過ぎないことには留意。
そもそもが、「客観」などという名付けに因われているだけなのではないか。「私」が「私」を「私」と認識するから、「主観」「客観」などが産まれてしまうのだ。自己と他者の間の境界の存在を認識しなければ、主観も客観もなく、世界はどこまでも私であろう。
名付けとは、世界を二分する行為だ。名にあたるものと、あたらないもの。世界を二つに分けてしまう。このリンゴとあのリンゴは違うものなのに、リンゴという一つの名前でくくってしまう。もちろんそのような枠組なしで挑むには、世界はあまりに情報にあふれている。
しかしながら、「私」が「私」を「私」と認識するから私は私なのであって、そうしなければ他者が存在しなくなってしまう。私を私と認識することによる断絶があり、断絶の向こうに他者がいて、その向こうに手を伸ばすことにより怒りや喜びや悲しみや愛しみを感ずることができる。
私はもうそれらの存在にどうしようもなく魅せられていて、だから私は私であることをやめようとも思わないのだ。――そもそも、おそらくは私を私であると思うよう構築されてしまった私というハードウェアが私を私と思わなくなることはなかなかないとは思うのであるが。
ともかく、ごたくはどうでもいい。
私は私であり、それ以外ではない。であれば、私は私として、よりよく怒り喜び悲しみ、そして愛したいと願うのだ。ともかくも、私は断絶の向こうのすべて、あるいはその中心に据わるものに、絶大に愛を奏でたいと願うのだ。