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ゲームを巡る思考における逸脱。

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ゲームを巡る思考における逸脱。

つーことで、人狼BBSの話を起点としたVidさんとの「ゲーム」論の続き。本論の方は既に煮詰まってるので細かい部分について発散気味に。

_遊びと逸脱の話は、いわゆる<遊び>やゲームに限った話ではなく、人間原理の一つとしての「遊び」みたいな話のつもりなのでむしろ言いたいことは逆かもしれません。新しい発見につながるかもしれない他人の「逸脱」を阻害してまで「自分のゲーム」を固持するのは本当に正しいのか? という視点も同時に必要だと思うのです。で、答えはないんだと思います。ルールを守るのも遊びなら、そこから逸脱するのもまた遊びなのです(*1)

_「人狼」におけるファニー・ゲーム。「人狼」における最も基本的な派生ファニー・ゲームは「ごっこ遊び」ではないでしょうか。これはプレイヤー一人でも成立してしまう遊びですから、コミュニティ/コミュニケーション以前のものでしょう。もちろん「ごっこ遊び」には論理的に規定された終了性はないでしょうから「完全なゲーム」にはならないでしょう。ですのでVidさんの言う「狭義のゲーム」には相当しないと思います。ですが、実際に「ごっこ遊び」を行っているプレイヤーは「ゲーム的な何か」を感じるとも思います(で、私の探求としては一抹でも「ゲーム的」であればそれは「ゲーム」なのです)。

_他に「人狼」でありそうな逸脱には、勝利のためではなく撹乱のためにプレイするとかがありそうです。普通のBBS相手に同じことやるといわゆる「荒し」ですな。この場合、撹乱を目的とするプレイヤーは一人で別の利得空間に存在していることになり、その目的は「いかにゲームを破綻させられるか」です。終了条件もあるのでこれは立派な「狭義のゲーム」ですね。

こういう行動は、リアルゲーマー的にはときどき意図的にやることがあります。端的には、「報復行動」です。悪辣な手段で勝利から除外された場合に、その選択を行ったプレイヤーを勝たせまいとするわけです。これはその一回のゲームを見れば無意味な行動ですが、繰り返しゲームとしては有意な行動です(次回以降に同様の選択をさせない効果が期待できます)。人狼BBSの場合は各回の独立性が強められているので、あまり成立しない選択でしょうけれども。

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