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第15章

少年の瞳を抱いて彼は再び刃を手に取り

 急がなければ、ならない。
 地を灼く炎を止められるのは、自分だけだった。
 だから、彼女は急いでいた。
 一瞬でも早くたどり着かねばならない。
 一つでも多くの命を救うために。

「エヴァ各機のATフィールド、融合して第3新東京市全域を覆うよう
に展開されています」
「月よりの攻撃、大阪に到達しました」
 淡々と行われる報告の声。それを紡いでいる本人達はどこか現実離れ
したものを見ているような目付きをしていた。
 モニターの上の光点が、少しずつ増えていく。
 その現実を未だに見つめている者は、殆ど残っていなかった。
 あるものはただ自分の責務に没頭することで、あるものは明らかに目
を逸らすことで、その現実から逃げ出していた。
 その中で、シンジはひたすらに現実を見ていた。
 ともすれば意志を失いそうになるその絶望の中、怒りに満ちた瞳があ
った。
「……碇……我々には、どうしようもないことだ」
 シンジの肩に手が乗せられ、冬月の声がした。
「わかってます……だから、見ているんです」
 自身にいい聞かせるように言うと、シンジは再び沈黙し。
 また、光点が増えた。

 戦っている?
 そうだ、戦っているんだ。
 みんな、戦っているんだ。
 僕は? 僕は、どうすればいい?
 僕には、力がある。
 この力をどうすればいい?

 たくさんの嘆きが聞こえていた。
 間に合わなかったのだという事実が、彼女の胸を痛めた。
 それでも、少しでも嘆きを減らすために、
 彼女は戦った。
 神の力を振るい 絶対なるその盾をまとい
 そして、遂には神の炎を吐く悪魔の門を消した。
 あれほど絶え間なく響いてた嘆きは、いつの間にか、無くなっていた。
 嘆き以上の沈黙が、より彼女を痛めた。

「破壊された? 浄化の炎が?」
「そうだ。おそらくは、許奴めの仕業」
「あの……偽りの神か」
「だが、既に遅かったのだよ。あとは、邪魔なあの街を――神を模した
兵士を持つのは、我々だけで十分だ」
「しかし、奴はまだ生きているのだろう? どうするのだ?」
「あの街には槍がある。我々の方船を奴にぶつけてやれば、時間稼ぎは
できよう。その間に、槍を取り戻せば、我らの勝利だ」
「だが、奴等とてエヴァを持っているのだぞ」
「かまわんさ。我々の持つ神の兵士なら、圧倒できる。そうだろう?」
「やり方が乱暴でないかね?」
「すでに人類の9割方を殺しておいて、良く言ったものだ。今動けば勝
てる。だが、今動かねば負ける。決まりだろう?」

 泣いていた声がいつしか消えていた。
 変わりに、知っている誰かの泣き声が遠くからしていた。
 それはひどく遠く、
 でもすぐ近くからの声。
 泣いているのは2人だと気付くのに、さほど時間はいらなかった。
 そして、2人ともよく知っていることに気付くのも、簡単だった。
 だから、彼は目覚めて、近くの声に向かって、踏み出そうとした。
その背に、呼び止める声。
『何故に力を持ち出す?』
「僕が、僕の大切なものを守るため」
『其は神の力なるぞ』
「……知ってる」
『ならば、貴様の行いは、神への反逆。それでも、盗むと言うか』
「どうせ、僕は、神様に作られたものじゃないから。
 だから、神様は怖くない。壊されるならもっと前に壊されているから」
『守りたいのか?』
「え?」
『そこまでして、「大切なもの」を守りたいのか、と訊いているのだ」
「……うん。守りたい。僕が僕でいるために、僕はみんなを守りたい」
『よかろう、持って行くがいい、力を』
その存在は、ノアを予感しながら、告げた。
「いいの?」
『構わん。お前に、任せよう。使い方は、お前次第だ。ただ、忘れるな。
 その力は、神の力だということを』
 うん。
 ……ありがとう、もう、行かなきゃ。
 告げて、アベルはその場を後にして、踏み出した。

「月よりの攻撃、中断しました」
 オペレータの声。
「月表面に爆発影を確認しました。おそらく、攻撃拠点が破壊されたも
のと思われます」
「……何が……起こったんだ?」
 指揮台で立ち上がってモニターを見つめるシンジ。
 そのすぐ横が、揺らいだ。
「!」
 その奇妙な感覚に呼ばれ、横を振り向いたシンジの視界に飛び込んだ
のは、失われたはずの姿だった。
「アベル!」
 全裸のままのその姿は、しかし何故か羞恥を煽るようなものではなく
――神々しいと言えただろう。
「母さんが――レイが、戦っててくれたんだ、あそこで」
 言って、アベルは指を天に向けた。
 ゆっくりと、ゆっくりと、微笑んで。
「レイは……生きている?」
 半ば独り言のように訊ねるシンジ。
「うん。……でも、戦っている……」
「戦っている?! 救世府とか?」
「……そう……神様になろうとしている人達と、戦っている」
 興奮気味に訊ねたシンジに、穏やかに返答すると、アベルはもう一度
微笑みなおしてから、ゆっくりと言葉を紡ぎだした。
「力を貰ったよ。神様の力。どう使うか、決めなきゃいけない」
 まっすぐにシンジの目を見つめて。
「僕の力でこの街を永久に続く楽園にして、レイの帰りを待つか」
「それとも僕の力をレイの戦いのために貸すか」
「どちらかを、選ばなきゃいけない。でも、僕にはよくわからないんだ。
どうしたらいいと思う、シンジ?」
 穏やかにアベルは訊ねた。
 答えは訊かずともわかっていたのに。
「楽園を。そうすれば、ここのみんなだけでも助かる」
 そのシンジの答えに、アベルはため息を、一つ。
「……決めたよ シンジと一緒。僕も、戦う」
 しばしの間の後、アベルが告げる。
「そんなことは言っていない! アベル、お前の力は、ここを楽園にす
るのに使え! それで一つでも命が助かるんだ!」
「たくさんの命を見殺しにして? 僕が戦えば助かるかもしれないたく
さんの命を見殺しにして?」
「そうだ。もう、助けられるものを助けられないのはたくさんなんだ。
だから、助けなきゃいけない。助けられるものだけでも、助けなきゃい
けない」
 唇を噛み、こころなしかうつむいて、シンジは絞り出すように答える。
『何バカ言ってんのよ、シンジ。いくらここが楽園になったって、こん
な狭い所で行き続けなきゃいけないなんて、御免だわ!』
『外が全部地獄なら、いくら中が安全でもそこは地獄よ! そんな簡単
なこともわからないの、シンジったら』
 アスカと、メイロン。
『勝ち目もないのに戦ったりしたら、奥様方が悲しむぜ、シンジ』
『カオルちゃんとナギサちゃんとミサキちゃんも、待ってるんでしょ?』
『それに、こんな狭い楽園じゃ、みんな窒息しちゃいますもの』
 アンディと、シホ、それにアカリ。
「理性でなく、ときには感情で決断してみることだよ……常にそれが正
しいとは、限らんがな」
 冬月。
 不安げに見渡したシンジの視線に、皆の強い色が答える。
 シンジはもう一度、答えた。
「戦ってくれ、アベル。僕達と一緒に」
 今度は大きくうなずくアベル。
 しばし優しい表情を浮かべる。
 だが、唐突にその顔をこわばらせると、緊張した面持ちで叫んだ。
「来る!」と。
 それに一瞬遅れて、ミサトの声が告げた。
『空間の歪みを多数確認。使徒と同等の力を持つ存在、推定数200!
自動迎撃システムフル稼働、エヴァ全機を一旦回収、再点検の上、再出
撃の準備を行います』
 すっかり全ての判断を下しきったミサトに、アベルが口を挟んだ。
「点検はいらない、エヴァのことは僕に任せて」
 とだけ言うアベル。
 その瞳を見つめなおして、シンジは応えた。
「信じるよ、アベル」
 アベルはそれにうなずいて、それからミサトにエヴァの回収を急ぐよ
うに促した。
『了解』
 ミサトの声と同時に、発令所中のモニターが目まぐるしく展開し、途
端に慌ただしさが取り戻された。
「碇。行くのだろう?」
 そんな発令所の中、シンジにかかる冬月の声。
 初老の男は、シンジの返事も待たずに続けた。
「せいぜい、ここで援護に徹するとするよ」
 シンジは、お願いします、と言って席を立ち、
 それからアベルに声をかけた。
 アベルはいつか見たような微笑みを見せながら応えた。
「後から行くよ。先にケイジに行ってて。すぐに追い付くから」
 その笑みがどこで見たものなのか、すこし考えながら、「わかった」
と告げ、シンジは発令所の出口に向かい歩き出す。
「……碇司令……いえ、シンジ君」
 その背にかかる、リツコの声。
「ケイジの第3ロッカー室の5番にあなた用のプラグスーツを準備して
あります。使って下さい」
 立ち止まって振り向いたシンジの顔を見るリツコは、激励の目を向け
ていた。
 シンジは、体を発令所に向け、
「……僕のわがままで戦わせて、済まない。でも、あとすこしだけ、楽
園じゃないかもしれないけれど、僕達の場所のために、戦ってくれ」
 そして、よく通る声を、発令所中に響かせた。
「今は緊急事態です。急いだ方がいいですよ?」
 軽妙に言う日向。
「誰も、お前のためには戦っていないよ。自分のために、戦っているん
だ」
 穏やかな冬月の言葉に、うなずき、手をならし、微笑み、快諾のサイ
ンを示す一同。
『さ、シンジくん、いそいでいそいで!』
 15年前と同じ、ミサトの声。
「はい!」
 少年の頃の――決意を抱いた瞳を携え、シンジは発令所からケイジへ
向かい、駆け出した。


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