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第13章 別れ

「……使徒……4体も?」
 モニターに映し出された映像。
 それとともに高鳴るあの声。
 戦いの趨勢は絶望的。
 エヴァ3体は、捉えられて動けぬまま。
 口から漏れる絶望の吐息。
「わかってる、わかってるわ。でも、イヤなの。わかってるのよ……」
 純白の使徒は、それぞれに瞳を光らせ、やがて動き始めた。
 その終末を告げるような旋律を止められるのは。
「……わかってる……わかってるの……」

 希望は失われた。
 未だ動き出さぬ3体のエヴァと動き始めた5体の使徒。
『今すぐ、出してくれ! 頼む! シンジ!』
 アンディが一人気を吐く。
 どうせ最期なら、行かせてやってもいいか、とシンジが思ったとき。
「新たなATフィールドを確認、使徒のものではありません!」
 カオリの声とほぼ同時に、モニターのむこう、中空に出現する人の姿。
 見間違うはずもない、その姿。
 モニター越しにこちらが見えているかのように振り向いて、涙で腫れ
た目のままで無理に微笑んで、小さくその口がなにかを言ってから、その
まぶたを閉じて。
 それから彼女は背に生えた光の翼を翻して、5体の使徒の方へと。
「レイ!」
 誰からともなく訪れた沈黙をシンジの叫びが貫いたとき、突如燐光だ
けを残して彼女と使徒達は、消えた。
「…………レイ……」
 画面の向こう、口の動きだけで聞こえなかったはずの声。だが、それ
はシンジには確かに届いていた。
 15年間が築いた絆。
 それが、シンジの手の中からこぼれていく、そんな感覚。
 その最後の言葉が、胸に響いた。
「さよなら」という言葉が。

「……エヴァのATフィールドを取り込むことで、自身のATフィール
ドを強化、ATフィールドを空間とは無関係に変形させる事で生じた空
間の歪みを用いて大質量物を持って来た……ってところかしらね」
 そう言ってリツコは傍らに目を向ける。そこはただの中空で、返事を
するべき彼女の姿はない。
 思わず目を細めた。
「ダメね……まったく……」
 私ですらこれなんだから。
 それほどまでにあの娘が大切だったという事かしら。
 かつては肉塊として憎んでいたのに。
 だが、それだけの力を持った微笑みが、暖かい心を込めた言葉が彼女
にはあった。心すら与えられず道具として使われたその過去を精算する
かのようにたくさんの感情を抱え、必死に幸せであろうとした姿があっ
た。
 この14年間、彼女は必死に生きていた。
 道具としてでなく、人として、自らの意志で生きていた。
 しかし……
「……あの力……使徒……よね」
 背に生えた光の翼。
 ATフィールドに包まれしその身。
 神々しき姿。
 思わず畏敬に震えた記憶が甦る。
「わかってはいたのよ。だって、あれは神様のかけらだもの。……でも、
自らの意志であの力が使えるなんて思わなかった。いえ、思いたくなか
った」
 人として生きる彼女が好きだから。
 道具としての、ひいては神のかけらとしての彼女が嫌いだったから。
「でも、現に彼女は力を振るったのよ。……私達を助けるために」
 そして、彼女はここにいない。
 机の上の真新しい涙の跡。
 ようやくそれにリツコが気付いたときには、もう涙は溢れて止まらな
かった。

 もう一人の母親の不在を誤魔化して子供達を寝かしつけた後、アスカ
はちょっと疲れた声でつぶやいた。
「……かなわないわね」
 暗く沈んだ扉の向うへ立ち入る気力は湧いて来なかった。
 かけるべき慰めの言葉を持てない、それが辛かった。
 そして、それ以上に長い間一緒に過ごしてきた最大のライバルにして
最良のパートナーの一人である彼女がいないという事実が、アスカを苦
しめていた。
「結局、シンジの中での私とレイとじゃ、レイの方が大きいのかな……」
 そんな下世話な話に意識を持っていこうとしても、どうしても空の寝
室が心を凍らせる。
「どうしてなのよ……レイ……」
 せめて最後に言葉を交わしたかった。
 せめて最後に親愛の情を交わしたかった。
 もっとも、何も言わずに別れを強要したのはお互い様ね。  8年前の自らの行動を思いながら、アスカは心の痛みを直視する。あ
のときのシンジやレイの辛さとは、残された者の辛さとは、これなのだ
ろうか?
「何も出来ないのかな、私には」
 無力。
 せめてシンジの心を救うぐらいは出来ると思っていた。
 でも、それすらも無理。
 自信、なくなっちゃうな。
 それでもそうやって僅かに笑える所が今の自分の強い所だと、そうア
スカは思う。
 だから、負けちゃいけないのよ。
 ……5年前、イイ女になるって決めたんだから。
 そう言い聞かせて、勇気を振り絞って彼女は扉を叩いた。

 ノックの音、開かれる扉、入ってくる彼女の姿。
 出て行ってくれと言う気力すらなく、ただ失意のままベッドに横たわ
っている自分。
 その傍らに座り、彼女は……
「コラ! バカシンジ! いいかげんに起きろ!」
 突然大声で怒鳴りつけたてきた。
「起きないんなら……こうだ!」
 アスカは突然シンジの体の弱い所をつつき始めた。
「な、なにするんだアスカ!」
 たまらず飛び起きるシンジ。
「ほら、元気あるじゃない」
「アスカがそんないたずらするからだろ!」
「……でも、元気になったでしょ?」
 シンジは、そう言ったアスカの目だけがいやに真剣なのに気付いた。
「わかったよ……今は無理かも知れないけど、ちょっとしたら、すぐに、
元気になる……約束するよ」
 その目を拒めなくて、だからシンジはそう答えた。
「……本当? 約束、してくれる?」
 シンジは、黙ってうなずいた。
「なら、いいわ。……今夜は、ゆっくり寝てね。明日の朝は、頑張って
美味しい朝御飯つくったげるからね」
 少しだけ元気を取り戻したシンジの表情を見て、アスカは満足げに微
笑んで、それからウィンクなぞしながらシンジの部屋を出た。
「……ありがとう、アスカ」
 つぶやくと、シンジは、さっきよりもだいぶましな気分でベッドに横
になった。

 見つめる天井は、いつもと変らなかった。
「……さよなら……か」
 聞こえていなかったはずの明瞭な言葉。
 耳に何故か響き続けている。
「……3度目だったかな、確か」
 本当はもっともっとたくさんの「さよなら」という言葉を彼女の口か
ら聞いていたのだろう。でも、それはいつもの言葉。
 いつもの言葉でないさよならは、3度目。
「さよなら、か」
 彼女が普通でないのは知っていたし、NERVの司令になってから何
度かその話に振れる機会もあった。だから、あの力については漠然と知
ってはいたから、疑問はなかった。
 ただ、彼女が別れの言葉と悲しい瞳を残して行ってしまったことが、
シンジの心を暗くしていた。
 アスカのおかげでだいぶ軽くなったとは言え、それでも彼女の最後の
涙が、忘れられなかった。
 あんなに悲しそうな瞳。
 時々あんな目をしていたのを知ってる。でも、それが自分に向けられ
たのは始めてだった。
 彼女は確かに僕を見ていた。
 モニター越しに、向うからは見えていないはずなのに、確かに僕を見
ていた。
 だから、最後の声も僕には聞こえたんだ。
「……もう、会えないのか」
 15年間。
 彼女がいた時間。
 それがもう帰ってこないということ。
 永遠に続くと思っていた、永遠に続いて欲しかった日々が、失われた
ということ。
 不思議と、涙は、出なかった。
「そう言えば……笑ってた」
 突如レイの最後の表情を思い出す。
 無理な笑い。
 悲しみが溢れて来るのを隠そうとした笑い。
 でも、無理だったかも知れないけど、不自然ではなかった。
 それはぎこちなくはあったけれど、心の底からの微笑み。ただ、同時
に溢れてくる悲しみが少し邪魔をしていただけ。
「……笑ってたんだ、レイは。……でも、どうして」
 帰って来れるから?
 また会えるから?
 違うな。だったら、あんなに悲しんだりしない。彼女は、強いから、
また会えるのならあんなに悲しい目をしない。
 なら、どうして?
 あんなに悲しいのに、どうして?

 目が醒めた。
 夢を見ていたと思う。
 2度目の、さよならのこと。
「さよなら」
 そう言った彼女の腕を強引に掴んで。
「ダメだ、行かせない。絶対に、行かせない。……僕が、守ってみる、
守ってみせる!」
 なんでそんな事が言えたんだろう。
 あのころは──今もだが──すごく弱かったのに。
「私がいると、迷惑がかかるもの」
「それでも、行かせない。だって、行ったら、どうなるかわからないん
だろ! だったら、行かせられない」
 14年前の、決意。
 あれから始まった、「さよなら」から始まった絆。
 目覚めて、記憶に残る夢を思いだし、それから2度目のさよならを思
い出した。
 それは、ひどく儚くて。
 あのときの彼女は無表情、ではなかったと思う。僅かに芽生え始めた
心のかけらが見え隠れしていた、今思えばそんな気もする。
「……でも、今度は、笑ってた」
 昨日の最後の笑顔が脳裏によみがえる。
「さよならっていいながら、わらってた」
 柔かい、とても暖かい微笑み。
 この15年で彼女が身に付けた、最高の宝物。
「そうだ……確か、約束、したんだ」
 唐突にシンジは鮮明にその記憶を取り戻した。
 悲しい顔でさよならは言わないって。
 確か、13年前、僕らがここで暮らせる事になったとき、わかれても
いつかきっと会えるから、悲しい顔でさよならしないって、決めたんだ。
 だから、シンジは、約束通りに微笑んで、言った。
「さよなら……レイ」
 と。

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