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第10章 在らざる魂の嘆き
私は誰?
私は私。ここにいるこの物体が私。
命。
心臓の脈打つ音。
でも、私を動かしている魂は私のものじゃない。
私はここにあってはならない魂。
私は誰?
わたしは誰?
わたしはだれ?
ワタシはだれ?
ワタシはダレ?
ワタシハダレ?
ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシ
ハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?
ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハ
ダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワ
タシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダ
レ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタ
シハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ
?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシ
ハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?ワタシハダレ?
「ああ、ごめんなさい。ちょっとぼうっとしてたの。今の説明、もう1
度してもらえるかしら」
この上なく魅力的な微笑みをゼミの学生に向けながら、レイは一瞬だ
け飛来した、かつての記憶に似た思考を振り払った。
……私は幸せに暮らしているの。もうあそこには戻らなくてもいいの。
胸をいっぱいに痛めながら、レイは強く強くここにいることを願った。
素敵な旦那様と、最高の友人と、可愛い子供達と、それと全ての見知
った人達と。
ずっとずっと、少しずつ変わりながらここにいたいの。
いつか死ぬときが来るけれど、それまでここにいたいの。
『だが、人は滅ぼされねばならん。
それが罪に対する罰だ。
目覚めよ、神の力をもって人を滅っせよ!』
いや。
絶対にいや。
私はここにいたいの。
私はここにいたいの?
わたしはここにいたいの。
わたしはここにいたいの?
わたしは……
「綾波先生? どうかしました?」
はぁっはぁっはぁっ……
いつの間にか荒い息をついていた自分に気付く。
「何でもないわ……最近疲れてるのかしら」
「最近、実験室に籠ってる時間が長いですからね。いくら第一人者の一
人だからって、気を張りすぎですよ」
「……そうね……しばらくはのんびりしようかしら」
「とりあえず、当面の実験は先生なしでもデータは採れるし、そうする
のもいいと思いますよ」
学生達や助教授の優しい言葉がかかった。紅一点であるというのも理
由であろうが、それ以上に人を惹き付ける魅力がレイにはある。
一種のカリスマなのだろうか。
もちろん本人はそんな事は全く意識せず、皆にプレゼントしてもらえ
た時間をどう過ごすかをちらと頭に浮かべてから、
「あ、そうそう。レポートの発表だったわね。ごめんなさい、続けて頂
戴」
と、にこやかな笑顔をたたえた。
眠りは深く深く。
誰も行き着くことのないような深淵にまで夢はたどりつき。
それは人の身では見ることすら許されぬ神の夢。
世を統べる深淵の最も深くに存在する、本当の夢。
そして、ただ一つの真実。
目覚めよ、力あるものよ。
人の身より解き放たれし真なる魂よ。
汝、我が使いとなりて原罪を滅ぼせ。
それは強烈な意志。
全て。
自我が消滅しそうな嵐の中で、
ぼくは必死に抗った。
ただ、
ぼくはぼくでいたい、
というその思いだけを理由にして。
目覚めよ、力あるものよ。
人の身より解き放たれし真なる魂よ。
汝、我が使いとなりて原罪を滅ぼせ。
久々に早く帰ると、子供達のびっくりした顔が待っていた。
「ねえ、ママ、どうして今日は早いの?」
玄関に出向いてきたナギサが尋ねた。
「……みんなの顔が見たくなっちゃってね。それとも、ママが早く帰っ
て来るのはいや?」
「ううん、嬉しいよ」
台所からはコトコトと鍋の中身の煮えるいい匂いがただよってくる。
「レイ、早かったのね?」
台所からアスカの声。
「ええ、たまにはね。シンジはまだなの?」
「まだ仕事よ。いつも帰ってくるのはあなたの直前ぐらいだもの」
知らないことばかりだ。
私はそんなに家を開けることが多かったのだろうか。
そうなのだろう、きっと。
「ねえ、ママ」
カオルの声がして、レイはそれに久しぶりの母親らしい柔らかい笑み
で応えながら、ささやかな幸せを実感した。
その日の夜、何故だかレイは眠りにつけなかった。
何故だかは、分からなかった。
いや、何故だかなのかはわかる。怖いんだ。
ただ、何が怖いのかがわからない。
……わかりたくない。
心のどこかが、それを理解するのを拒んでいる。本当は知っているの
に。
怖い。
ただ、それだけははっきりしてる。
怖い。
一人だけの部屋、孤独になってしまう場所。
自分しかいないところ。
誰も私を守ってくれない。誰も私を守れない。
レイは膝を抱えてベッドの上に座っていた。
眠るのは怖い。眠るのは怖い。
だから私は眠りたくない。
……胸騒ぎがして、シンジは自分の部屋から出て、隣のレイの部屋の
戸を開けた。
どうしてそういう行動を取ったかはわからない。ただ、そうしなけれ
ばならないという、そんな思いがあった。
うわごとを呟きながら、苦しげに息をしているレイの姿がそこにはあ
り……それはまるで15年前、病室に閉じ込められていた頃のアスカの
ようで。
近寄ると、彼女は薄目を開けた。
泣いていた。
「……いや……私はどこにも行きたくない……」
その口は、はただそれを繰り返していた。
ベッドの上で膝を抱えたままの彼女の体に腕を回し、きつく抱いた。
そうしないとどこかへと消えていきそうな、そんな不安。
「……あなた……」
そこで始めてシンジの存在に気付いたレイは、か細い声で囁いた。
そして、本能的に温もりを求めて愛しき男の体に指を這わせた。
この人の腕。
この人の胸。
この人の顔。
この人の背中。
この人の唇。
唇の端に指が行きついた時、何かに駆られるようにレイはその唇に自
らの唇を重ねた。
驚くことなくシンジは彼女に合わせて、互いを求める。
「……怖いの……怖いの」
怯えた瞳。それを癒せるのは、誰かの温もり。
だから、シンジはレイに求められるままに彼女を愛した。
その度に伝わってくる温もりと想いが、レイをゆっくりと癒した。
「シンジぃ」
久かたぶりに彼女から漏れるその名。
「レイ……」
情熱は激しく燃ゆるも、呼ぶ名は静かに、されど熱く。
二人は互いの全てを求めた。
ここに互いがいることが知りたくて、ここに互いが在ることが知りた
くて。
やがて二人が獣であることをやめた頃。
熱病にも似た情熱の渦の去っていく感覚の中、レイは唐突に何に怯え
ていたのか理解した。
それは、在らざる魂の嘆き。
ここは終端。
力吹き荒れるエデンの果て。
目覚めよ、力あるものよ。
人の身より解き放たれし真なる魂よ。
汝、我が使いとなりて原罪を滅ぼせ。
いやだ
ぼくは、にんげんだ
目覚めよ、力あるものよ。
人の身より解き放たれし真なる魂よ。
汝、我が使いとなりて原罪を滅ぼせ。
いやだ
ぼくは、にんげんだ
みんなといっしょに、いきるんだ。
ぼくのためにぼくはいきるんだ。
罪には罰を。
在らざる者には滅びを。
全ては灰塵へと帰し、滅びのみが全てを覆う。
そのための力持つ者よ、
我が使徒となりて全てを滅ぼせ。
ここは終端。
力吹き荒れるエデンの果て。
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