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第8章 理ノ消滅


 アベル・エイブラハムの容体は?
 その質問の答えは沈黙をもって為された。
「アベルを連れて行きたいところがある。構わないな?」
「はい。脳が『槍』の衝撃に耐えられずに壊れてしまって治療の見込み
はありません。植物人間のまま生かすのが精いっぱいですから」
 このまま生かしても現代医学ではどうしようもないと、そう医師は言
った。……もし本人の「遺言」があるのならそれに従いますが、とも。
「わかった」
 じゃあ、その本人の遺言があるんだ。そう言ってから、シンジは誰の
手も借りずにアベルを寝台に載せ、NERV本部の中を二人で進んでい
った。最深部へと続くエレベーターに乗り、その中でも特に封印された、
最下層―─ターミナル・ドグマへの扉を開く。
 そこには、第1使徒――アダムの能面と、「弟18使徒群」カインの
一団が待ち構えていた。
「さあ、アベル……着いたよ」
 声をかけると、アベルの体は心なしか透き通り、光の粒子をまとって
いて、その姿はまるで天使か妖精を思わせた。
 そのままその幻想的な様を見ていると、やがてアベルの体は空気と同
じぐらい薄くなり、光の粒子の一団はカインのうちの一つに向かって漂
っていった。
[ありがとうシンジ。
 ……たくさん休んだら、
 みんなのところへ戻って来るから
 ……それまで……バイバイ]
 綺麗なアベルの声が響きわたり、直後、静寂が訪れた。
 あり得ないようなその光景は、しかしシンジにとっては何の疑問もな
く受け入れられた。
『シンジ君……何なの、今の?』
 落ち着き払ったシンジとは好対称の、ミサトの狼狽した声がした。
「ああ、ミサトさん。知ってるでしょ? 彼が人間じゃないことは?
そう思えば、不思議じゃないですよ」
 そう。ミサトは――HANNIBALは知っていた。アベル・エイブ
ラハムは厳密には人間ではなく、その遺伝子はまさしく彼が「使徒」で
あることを示していると。
「だから、帰してあげたんです。アベルの本来の居場所へ。カインの中
へ」
『……みんなには、どう説明するの?』
「本当のことを、話しますよ」
『帰ってこないかも知れないのよ。現に物理的には彼は消滅したわ』
「構いません。消えてようが、消えてまいが。でも、可能性はあるじゃ
ないですが。僕がエヴァに取り込まれたときと同じで」
 微笑んだシンジの顔はここしばらく見たことがない程晴れ渡っていた。
「アベルがそうする事を望んだんです。僕にはそれを見守る権利しかな
い。でも、送るときには笑ってあげたいじゃないですか。迎えるときだ
って」
 アベルがそうすることを望んだから、僕はここへ彼を連れてきた。
 僕らが出会った場所。彼の半身、カインの中へと、彼を連れていくた
めに。
『わかった……リツコには私から話しておくわ』
「お願いします」
 途切れた声。一人取り残されたシンジは、振り向いた。
 アダムの亡骸は、ただ悲しく、自らの血の海を見下ろしていた。

「アベルのこと、どうしたの?」
 アベルの病室に帰るとアスカが待っていた。
「カインのところへ帰してきた」
 空になったベッドを見つめ、アスカにはちらとも視線を向けずにシン
ジは返答した。
「聞いたわ。ミサトからね。でも、何で?」
「アベルがそれを望んだんだ。だからそうした」
 もう話したんだ。
 きっと、ここに来たアスカが騒ぐ所に、ミサトさんが口を挟んだのだ
ろう。でも、きっと信じていないだろうな。そう思って視線を初めてア
スカに向けたとき、
「……というと、あれは夢じゃなかったのね」
 やっぱり、といった顔をして、アスカはそう呟いた。
「……夢を見たのよ。その中でアベルが言ってたわ。『僕はしばらく休
むけど、心配しないで』ってね。……レイも見たそうよ、同じものを」
 嘆息混じりのその言葉は、そんなこともあるのね、といったふうな何
らかの諦めをはらんでいた。
「レイは?」
「そうね、その夢を見て安心したみたいで、落ち着いてるわ。今日は大
学を休んで、家でゆっくりしてる」
「アスカは何でここに?」
「仕事よ」
 言葉短かにそう言うと、とたんに彼女の表情が曇った。それはNER
V諜報特務課員としての顔。
「引っかかったのよ、奴らが網に。強力なエネルギー反応。検出された
のはロサンゼルスの沖合いの地下部分よ。海底スレスレのところね。
残念ながらそれに関する資料は殆どないわ。あるのは……私の記憶に少
しだけ」
「どんな?」
 シンジの顔付きもまた変わった。父親としてのそれから、NERV総
司令としてのそれに。
「箱船の存在は知られてはならない、って、そんな言葉を、アメリカの
奴らの拠点に侵入したときに言ってたのよ」
「……アメリカの当該地域付近で使途不明の金属の購入者がいないか、
調べてくれないか」
「もう調査済み。それらしきものはあったけど、全部完全に足取りが消
えてるの。見事な仕事だわ。特級品ね。どっちにしろもう遅いわ。もう
エネルギー反応は検出されたんだもの」
「時計の針は戻せないってわけだ……」
「そう。多分奴らは動き始めるわ。……あの子供達に休む暇も与えずに
ね」
 パイロットに精神的負担を強いるエヴァの操縦においてもっとも危険
なのは、短期間のうちの多数回の登場に起因する精神汚染である。
 暴走するぶんには、電源をカットするなり、他のエヴァで抑えるなり
すればいい。しかし、精神汚染が極まると、あとに残されるのは半植物
状態の崩壊した未来の無い子供だ。
 そしてそれはシンジがもっとも望まぬ所である。
「予備を準備した方がいいわ。それと……E+計画を開始しないと、多
分奴らの侵攻は止められないわ」
「レイを……巻き込むのか」
「今更方法をどうのこうの言ってられる場合じゃないわ。
 私個人としてはそういう甘ったれた考えをしているシンジの方が好き
だけど……」
 その言葉の後半だけは僅かに口元をほころばせながら、アスカは言っ
た。
「でも、それが通用するとは思えないわ」
 唇を噛みしめるように、アスカは口をつぐんだ。
「わかってる」
 おざなりなシンジの答え。
「……わかってる」
 2回目は、自分に言い聞かせるように。
 嘘だわかってなんかいない何もわかっていないんだ理屈ばかりでわか
っていると思い込んで本当のことは何ひとつわかっていない子供のまま
大人になれない大切なものを守れない僕は弱いんだ僕は子供なんだ僕は
まだ子供なんだ……
 それでも、子供でも、僕にできるだけのことをして、できるだけでも
みんなを守りたいんだ。
「わかってる」
 決意を込めた、3度目の言葉。
 その瞳の輝きは、あるいはいささか狂的だったのかもしれない。だが、
その怪しい魅力は確実にアスカを捉え、さらにその瞳の奥にある未来へ
の希望を彼女に感じさせた。
「E+計画は、改めて綾波博士に協力を求めてみる。断わられたらNE
RVの現有技術でこれを行なう。統一委員会に関する説明も、必要とあ
らば解禁する。……アスカ、レイに、話してみてくれ」
 最後の言葉だけ、碇シンジという個人に戻ってシンジは語った。
 その頼みは、アスカにとって「絶対」にも等しかった。
「わかった……できる限りね」
 もしかしたら、私よりもシンジの方がずっとずるいのかもしれない。
 だまされている自分に歓びを感じながら、アスカはちょっとだけそん
なことを思った。


『我々はここに、腐敗しきった人類の粛正と神の手による新たなる世界
の建設のため、救世府を設立する! 全ての神を信じる民は我々の方船
により新天地へと逃れ、腐敗の種となる背徳者どもは地を覆う炎により
焼き尽くされるであろう!』
 突如、TVの画面が切り替わり、そんな演説が流れた。
「どうした?」
 全世界で一斉に、皆は口々にそう言い、みなチャンネルを切り替えよ
うとした。
 しかし、そこでも同じ画像が待ちうけていた。
『我々の言葉が偽りでない証しに、これから極東の島国を、貴様ら愚か
な人間が作り出した炎で焼き尽くしてやろう。二度と立ち直れぬ死の大
地となるまでな』
 画面の中の法衣を着た男は、少し大仰に手を振った。

『監視衛星より受電、世界各地からICBMが日本に向かって発射、初
弾到達まであと10分!』
 発令所に足を踏み入れた途端、ミサトの声が響きわたった。
「国連軍の対空防御システムは?」
 その唐突な急報に動ずることなくシンジは声を張りあげた。
『作動を確認せず。おそらく何者かの妨害にあっているものと思われま
す』
「MAGI、HANNINBALともに在日国連軍の対空防御システム
にハッキングをかけろ! 無理でも何でもシステムを稼働させるんだ!
都市の機能維持は放棄せよ!」
「りょ、了解!」
 長門が自らを奮い立たせるように応えた。
 その手がキーボードの上を舞い始める。
「全市民にAA避難命令、エヴァンゲリオン各機はポジトロンライフル
で対空迎撃の準備!」
「日本政府はどうしている?」
「政府上層部へ伝達、AA避難警報を日本全域に発令せよ!」
 次々とシンジの声がNERV本部発令所を動かす。
 1秒でも時間が惜しい。その時間があれば、1人がシェルターに隠れ
られる。
 1人の命を救うことができる。
「第3新東京市、広域対空防御体勢!」
 何人がこの攻撃で死ぬことになるのか。
 そんなことは考えたくなかった。
 一斉に降り注ぐ核の雨。その恐怖を考えるのは後でもできる。
 今は1人でも助かることを。ただそれだけを。
「初弾25発は全弾第3新東京市が目標!」
 オペレーターの悲鳴が報告する。
「本部は対核防御されている、ここが一番安全だ!」
 逃げ腰になっているオペレータ達の目を覚ますため、冬月が叫んだ。
 皆、必死なのは一緒だ。
『対空防御システム、掌握完了。第3陣からは完全に防御可能!』
 ミサトの声。
「第2陣の弾数は?」
『およそ30発』
 それだけあれば日本は死の大地となるに十分だろう。いいや、影響は
日本だけではない。全世界に間違い無く影響は及ぶ。
「第2陣は防げるか?」
『全弾防御確率0.0000000006%』
 シンジの拳が机の表面に叩き付けられた。
 絶望。
 そう名付けられた魔物が彼の体を食らいつくそうとしていた。
 誰もがダメだと思った。
[みんなを、守るんだ!]
 声がした。
 燐光が空を包んだ。
 優しい、優しい、それは神の慈愛の光。
 全てを包む母の光。
 アベルの声だ。そう悟った。

 ターミナルドグマの異変に気付くものはいなかった。
 今やそこにアダムの姿は無く、ただ一体のカインが世界を灼き尽くさ
んばかりの輝きを放っていた。それは、30年前の大破壊の訪れに似た
輝きである。

今や理は崩壊した
神の力が復活したのだ
 誰?
神の力を持つものよ
愚かなる大地を滅ぼすため
今こそ目覚めのときぞ
 だれ?

神の使い
使徒と称されるものよ
 ダレ?

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