第3章 秩序の名の下に
「貴方が何を考えてるのかわからないわ!
どうしてアベルなの!?
他の子供じゃダメだったの!?」
こんなに激昂するレイの姿は始めて見た。
アベルの事で、こんな大声を出すとは、信じられなかった。
いや、普段感情を表に出さないぶんだけ、いざ本気になったときは凄
いという事なのだろう。だが、どんなに怒りをあらわにされても譲れな
い線はある。
「自分の事を忘れたのか、レイ」
彼女が忘れたがっている事、エヴァンゲリオンの名、自らの生まれた
わけ。そんな諸々のことを思い出させてしまう、残酷な言葉。
15年前、3年ぶりの対面のとき、父さんはどんな気持ちだったんだ
ろう。
今となっては知る由もない。
何のつもりであんな残酷な事を言ったんだろう。今の僕と同じように
心は泣いていたんだろうか。それとも全くもって平気だったのだろうか。
例え心底冷酷だったにせよ、今はそれが羨ましい。あれほどまでの非
情さがあれば、苦しまなくて済む。
その憂いは表に出さぬようにと無表情を作った。
だが、残念なことに15年も付き合っていると表情などは関係なく、
レイはシンジの心に潜む憂いを読み取った。だから、その酷い言葉に何
かを言い返しもしなかったし、それ以上シンジを責めることもしなかっ
た。ただ、
「ごめんなさい、あなた」
とだけ言って、キッチンに向かった。
ああ、わかってしまったんだ。無表情なまま、シンジは妻の姿を眺め
た。
今さら気恥ずかしくて謝る気にもなれない。
父は不幸だったのかもしれない。少なくともこうやって気遣ってくれ
る伴侶は早々と亡くしていたのだ。もしかしたら、僕は父さんの安らぎ
になってあげるべきだったのじゃないか。
今となってはそんなことを思えるが、あの頃はただ自分が生きるだけ
で必死だったんだ。……違うな。今だって、生きることに必死で他の事
など見えていない。
そうだ、見えてないんだ。見えてないから、レイを傷つけるようなこ
とを言ってしまった。素直に理由を話せばそれで理解してくれたろうに。
何故そんな当たり前のことがわからなかったんだろう。
だが、仮にわかっていたとして、だからと言って素直に理由を話した
だろうか。
否、自分の立場が枷となり、僕の口から真実は漏れずに終わる。
結局冷たい言葉を吐かねばならぬのは一緒。気付いていてやったのな
らそのぶんだけ罪悪感が増す、それだけの事。
やはり冷酷さが必要なのだろうか、僕には。
違うな。僕は父さんにはなりたくないと思っていたんじゃないか。だ
からこそ、この道を選んだ。茨の道だとはっきりわかっていたこの道を。
悩んでいてもしょうがないって事は、とっくの昔にわかっていたはずな
のに。だから、今は、悩まない。後で道がどうしようもなく塞がったら
後悔する。それでいい。悩んでいたって事態が好転するわけではないの
だから。
「レイ、ごめん」
すまなかった、ではなくて、ごめん。
口から漏れた言葉は、素直な気持ちだった。
返事はなく、ただ、包丁の音が心なしか軽くなっていた。
「現在7人目以降の適格者の選出を行っています。
候補者は今の所19名です」
「選考基準は?」
「精神的な安定性及びエヴァに乗る事の理由を見出せる事……エヴァに
乗るのに疑問を抱かない子供、という事ですか」
「僕やアスカのように、だね」
「……はい……」
手元のファイルを提示しながらリツコは苦しい返事をした。
「わかってる。仕方なかったんだからね。でも、おかげで、僕は強くな
れたんだ。今は、感謝してる」
その心情を察してか、シンジはそう声をかけた。
「……どうしてこう知り合いの子供ばかりいるんだ、まったく」
「どうも適格者特性は子供にも遺伝される可能性が高いようですね。後
ろの方には貴方のお子さんの名前もありますから」
「確かに。だが、年齢が低すぎる」
「しかし適格者特性は群を抜いています」
「3歳になるかならないかの子供では無理だよ。将来的には可能かも知
れないが、そこまで闘いを長引かせるつもりはない。もっと年齢が上で
ないと……そう、せめて中学生ぐらいだな」
「それですと候補者は12名です。まあ、評価パラメータの上位者を選
んだだけですんで、もう2、3倍は確保できます」
「コアの準備の問題もあるだろう?」
「問題ありません。カイン=システムの応用で、何とかなります」
「今回の使徒襲来での被害は?」
「死者3名、重軽傷者併せて18名……驚くほど軽微です」
それでも、人は死んだしそれで不幸になった人は確かにいる。直接的
な原因が自分達にあるのではないにせよ、結局原因の一つではあるのだ。
その事実を看過できるほどにはシンジは冷酷になれない。
「仕方のない犠牲なのよ。そんなに気にしても、仕方ないわ」
年上らしい口調で、リツコは言った。
「わかってます……」
その優しい言葉にもシンジの心はほぐれず、唇を強く噛んだ。
現在NERVの保有するエヴァは4体。初号機、弐号機、伍号機、六
号機。
このうち、初号機パイロットはアベル=エイブラハムで決定したので、
残る3機についてパイロットの選出が必要とされる。
現在弐号機はパーソナルデータを惣流・アスカ・ラングレーのまま保
存してあるので、彼女を乗せようと思えば乗せられないこともないが、
今彼女を現在の職から外すのはNERVにとって馬鹿にならない影響を
もたらす。
結局、未経験のパイロット3人を選出することになる。
使徒襲来から3日が経過した今現在の時点で候補者は7人。
戸塚アカリ、日本国籍、14歳
横須賀ユウジ、日本国籍、18歳
カッディーニ・ヴェクサム、サウジアラビア国籍、14歳
ワン・メイロン、中国国籍、15歳
柳シホ、日本国籍、13歳
アンドリュー・マクワイルド、アメリカ国籍、15歳
奥西ツカサ、日本国籍、16歳
「最高年齢が18、というのは?」
「エヴァの操縦システムの習得速度の問題、カイン=システムの応用時
の肉体抵抗能力の問題、およびA10神経の接続の問題等からです」
「まあ、年齢が低いことに問題はない……か」
「確かにエヴァを起動させるだけなら年齢は問題になりませんが、必要
なのは高いシンクロとハーモニクスです。やはり適応性からいくとこれ
以上の年齢では」
「現時点での選考条件は?」
「個人としての学習能力の高さ、コアの準備のしやすさ、NERV本部
へ呼ぶことが出来るかどうか、年齢は13歳以上を要件としました」
「日本以外ではサウジアラビア、中国、アメリカか。統一委員会への情
報洩れなしにこの3人を呼べるのか?」
「カッディーニ・ヴェクサムに関しては、学習能力の高さが際だってい
て、他の面ではいささか……。統一委員会への情報洩れを抑えるのはか
なり困難でしょう。ただ、本人の運動能力の高さもあり、リスト上位に
なっています。
ワン・メイロン、アンドリュー・マクワイルドの両名に関しても同様
です。
ただ、現在試作中の格闘戦対応のG装備の試用者としてはこの3名の
うちいずれかを希望します」
「G装備……ね。役に立つかどうかは眉唾ものだけど」
「実験の必要はあります。適正のあるパイロットを用いて」
「純粋にエヴァへの適正だけで選ぶとどういう優先順位になる?」
「外国人3人ですね。戸塚アカリがそれに絡んで来るかもしれません」
「で、網にかからないにはどの選択がベストだ?」
「横須賀ユウジがあと少しで高校を卒業するのでカモフラージュがきき
ます。あとは戸塚、柳、の順でしょうか」
「奥西ツカサは?」
「現在海外にいます。まあ、偽装はききますがあまりお薦めは出来ませ
ん」
「戸塚アカリ、ワン・メイロンが決定という所かな……あとはまだ決め
られない」
「もう少し条件を甘くしましょうか?」
「いや、とりあえず2人でいい。伍、六号機を使おう。弐号機パイロッ
トは後日ということになる。現在の状況では4体の同時稼働は困難だろ
う。3体でも怪しいもんだ」
第3新東京市のシステムはまだ完全に機能しているわけではない。そ
れを理由にシンジは回答を延ばした。
或いは不幸に巻き込まれる子供は少ない方がいいという無意識の叫び
だったのかもしれない。
決定された二人の被験者のうちの一人、戸塚アカリが第3新東京市に
到着したのは1週間後のことだった。
エヴァンゲリオン伍号機による起動実験の為に呼ばれたことになって
いる。
これに成功した場合、彼女は伍号機のパイロットに任命されることと
なる。
さらに10日後にはワン・メイロンも呼ばれることになっている。彼
女が乗るのは六号機になる。
NERVのスタッフが見守る中、エヴァンゲリオン伍号機の起動実験
が続く。
「世界の平和を……秩序を守るため、か」
ため息をつくように冬月が囁いた。
「そのために、あの子供たちは不幸になる。望むと望まざるとに関わら
ず、ね」
『福音』の名をもつ巨人。
それがもたらすのは不幸でしかない。皮肉なものだ。
「そうまでして、守る必要があるのだろうか、秩序なんて」
シンジのその囁きは小さく、小さく、けっして誰の耳にも届きはしな
かった。
その聞こえない音に追い撃ちをかけるように、
「エヴァ伍号機、起動成功!」
という喜びを孕んだ声が響いた。
←前章へ次章へ→
Arc is not be 目次へ戻る
Evangelionな小説のページへ戻る