第13章「悪夢、再び」
「謎の物体? まさか、使徒?」
色めきたつNERV本部。
「映像、入ります!」
メインスクリーンに映し出されたそれは、忘れようのないあるシルエ
ットにいやというほど似ていた。
「エヴァだとでもいうの?」
呆然と、リツコが呟いた。
それに追いうちをかけるように、MAGIの判断結果が届く。
「解析パターンオレンジ、当該体が使徒である事を保留。しかし、使徒
を何らかの形で利用している可能性に関しては、三者一致で賛成してい
ます」
「やはり……エヴァなの?」
リツコは喰い入るようにスクリーンを見つめた。
「あれを投下したのは?」
冬月のいやに冷静な声が尋ねる。
「現在戦自が所属不明のステルス機を追跡中ですが、電波撹乱がひどく
追跡は困難な模様……今、消失したとの連絡が入りました」
「碇。どうするのかね」
冬月が、あくまで冷静に問う。
「……エヴァは、凍結を維持。とりあえず、あれが敵性体だとは断定で
きません」
「そうか。だが、判断は早くした方がいい」
そうしないと、後悔する事になるからな。苦い思いで心を満たしなが
ら、冬月は内心つぶやいた。
「HANNIBALの判断、出ました。目標をエヴァンゲリオン同形機
と仮定して対処するのが妥当。エヴァンゲリオンの凍結解除の要有りと
認む」
オペレーターの声が再び響く。
「第3新東京市、戦闘形態に移行。総員第一種戦闘配備」
シンジの声が発令所に響く。かつては父の声だったのだ、これが。
「総員、第一種戦闘配備」
エマージェンシーを意味するサイレンがNERV本部と第3新東京市
を包み込んだ。
「10年ぶりだな、この音を聞くのは」
手を後ろに組んだ、いつもの立ち方で、冬月がスクリーンを眺めたま
ま昔を懐かしむように言った。
「エヴァはどうしますか、碇司令」
「解凍作業の第2ステージまでを行って、以後は待機とする」
堅く、重苦しい口調。いつの間にこんな口調を身につけたのか、と思
える程威厳に満ちた口調。昔のシンジ君からは、考えられないわね。
そんな想いは、リツコだけでなく他の昔からシンジを知る人間も同じ
だった。
「了解しました」
そんな事はお構いなしに、この姿しか知らないオペレーターは至って
事務的に答えた。
戦闘形態に移行した第3新東京市が、目標に猛攻を加える。
だが、それは殆ど意味をなさなかった。
「効くはずもない……か」
やはりエヴァを凍結解除するしかないという事か。
あきらめに似た心境で、シンジがリツコに解凍全作業の実施を伝えよ
うとしたとき。
10年前のあの日が脳裏をよぎった。
シンジの意を離れ、自ら動き出す初号機。
ぼろぼろにされる参号機。
握りつぶされるエントリープラグ。
子供が、乗ってるんだ。あれにも、きっと、子供が、乗ってるんだ。
そう思って見つめたスクリーンが、これまでと違って見えた。
そうだ。気付かなければ、父さんと同じ過ちを犯すところだった。そ
うなってはいけないと、わかりあったのに。それではいけないと。
「冬月さん。後を頼みます」
後先考えず、シンジは脱兎の如く駆け出した。
「待て、碇!
どこへ行く!」
冬月の制止も聴かず、シンジは発令所を飛び出した。
「敵性体の襲来?
それ、本当なの?」
「ええ、本当よ……もしかしたら、またエヴァに乗る事になるかもね」
先刻目覚めたばかりのアスカに、レイは手短に状況を説明した。
「10年ぶりか……今度こそ、何かできるといいんだけど」
10年前の、心壊れる前、プライドばかり先走っていた頃のように、
アスカは呟いた。
「無理しないで。まだ体調は万全じゃないわ」
「無理でも何でも、やらなきゃいけないんでしょ?
だったら、やらなくちゃ」
ウインクしながら、アスカは答えた。
自分はもう元気だってことと、昔みたいにゆとりがないわけじゃない、
ってことかな。それなら、きっと大丈夫。胸をなでおろしながら、
「だって、シンジを守るためだもの、かな?」
アスカの台詞をレイが先取りして言った。
「……お見通しか……ホント、変わったよね、私たち」
「ええ、そうね。でも、あの人が好きなのだけは一緒」
「お互いにね……シンジが、指揮、してるんだよね」
そのはずよ、とレイは感情を出さずに答える。時折見せるそんな表情
だけが、過去の彼女を思い出させる。
「……そうだ……」
急にアスカの顔色が変わった。
「私……その敵性体を知ってるかもしれない」
「何ですって?」
少しだけ、焦りの交ざったレイの声。
「見たのよ、テキサスで。そうだ……確か……そう、思いだした!」
苦しげに頭を抱えながら、アスカは必死に記憶のパズルを組み上げて
いく。
「カインと、アベル……エヴァンゲリオン参号機と四号機のアーキテク
チャを利用した、統一委員会の決戦兵器開発計画……統一委員会でエー
ジェントをやっているうちに偶然その資料を手にいれて……始末されて
も構わないからって、記憶を操作されてから、NERV本部へ潜入する
よう命令を受けて……」
「やめて、アスカ。もうそれ以上はいいわ!」
そうしないと、またアスカの意志が暴走する。
ただそう思ってレイは制止の声を張りあげる。
「だめ……そうだ……私の記憶……私はその兵器のコントロール用の有
機ユニットのためのデータを採るために、統一委員会にスカウトされた
んだ。純粋に能力を買われたんじゃない、私がエヴァに乗っていたから、
スカウトされたんだ。騙されたんだ、私……」
だが、アスカは、シンジの力になれるかもと言う想いだけで、その苦
しみになおも挑み続ける。
アスカの口から漏れた真実に、レイは息を飲んだ。
まだ、私たちを縛り付けるというのか、エヴァは。何が、
「EVANGEL」だ。不幸せしかもたらさない、神を夢見た人間の作
った罪そのもの。
レイは、アスカのために、涙を流した。
アスカの手を取って、レイは、嗚咽を続けた。
「……呼んでる……呼ばれてる……」
茫然自失のアスカの口から、そんな言葉が漏れた。
やがて。
「……誰……この声?
……泣いてるの?」
レイの耳にも、呼ぶ声が、微かに届いた。
「呼んでる?
僕を、呼んでる?」
地表へ直通のエレベータシャフトの中で、シンジもそれを聞いた。
そう、誰か、……あのエヴァに似たものの中から?
そう思えば、子供の声のようでもある。
その呼ぶ声は、泣いているようにも聞こえた。
「行かなきゃ」
どうしてだろうか、そう思った。
エレベーターに乗り込み、地上へ出た。
シャフトを出ると、そこに、巨大な影があった。
ビルの破片が、飛び散っていた。
エヴァに似たあの巨人のようなものが破壊しているのだ、第3新東京
市を。
「……だめだ!
そんなことしちゃ!」
シンジは、その子に向かって叫んだ。エヴァに似たものの中に乗って
いるであろう子供に向かって。
「何であそこにシンジ君が!?」
リツコがモニターに映し出されたシンジの姿を見て驚愕していた。
「……迎撃戦の状況は」
一方の冬月は、あくまでも冷静に、指揮を続ける。彼が動揺を見せる
事は、あってはならない。
「絶望的です。現在、第3新東京市システム稼働率30%
エヴァを使用しない限り、完全に破壊されることがほぼ確実です」
ここまでか。できればあの力、再び使いたくはなかったのだが。
「……早急にエヴァンゲリオン各機の解凍作業を終了させろ!」
冬月は、声高に指示を飛ばす。その拳が、悔しげに固く握られていた。
「ま、待ってください司令。敵性体が動作を停止しました」
「どういう事だ?」
「……え……あ……総司令と……碇総司令と、言語による直接対話を行
っている模様です」
「言語による直接対話?
説得でもしているとでもいうのか?」
「はい、その模様です。音声、入ります」
『中に乗ってるんだろ!
ダメだよ、こんなことしちゃ。
これは、いけない事だって、わからないの?
おとなしくしてくれれば、僕たちは何もしない』
本当に、説得しているとは。
半分あきれて、半分感心して、冬月はモニターの向こうのシンジを黙
って見ていた。
敵性体が動き出すまでは。
再び動きだしたそれは、シンジをその手でつかみ取った。
シンジは、微動だにせず、なすがままにされた。
「……!
攻撃、急いで!」
リツコの悲鳴ともつかない声が飛んだ。
「無理よ!
シンジ君が!」
ミサトの声が響いた。
「このままじゃどのみちシンジ君が!」
リツコが言い返したときには、シンジの姿は敵性体の手の中にもなか
った。
ただ、彼があったであろう所、敵性体の手の中に、こぶのようなもの
があったが、それも次第に小さくなり、やがて消えた。
「い、碇総司令……敵性体に、吸収されました……敵性体、沈黙を守っ
ています」
なんてこと……
リツコは、ただただスクリーンを見つめていた。
「シンジ君!」
ミサトの悲壮な声が、スピーカーから轟いた。
「碇……」
また、取り込まれたのか。
どうもあの家系は取り込まれるのが好きなようだ。
そんな思考で落胆する自分を無理矢理引き起こした冬月は、次の指示
を出し始めた。