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第12章「人が、人であるということ」

「ミサトさん……いや、ハンニバルが!?」
 シンジの焦燥を多分に含んだ声が、総司令室に響いた。
「はい。現在、スーパーコンピューター・ハンニバルは有機ユニットの
ロジックのループにより、自己否定を続けています」
 リツコが、泣きわめきたい気持ちを抑えて、淡々と報告した。少しで
も感情を込めてしまえば、泣きたくなる。だから、少しも感情を表に出
さない、出せない。
「回復の見込みは?」
 シンジもまた、事務的な顔に戻る、尋ねた。NERVの人間としての
顔に。
「おそらく、回復の前に有機ユニットが壊死すると思われます」
「回復措置は?」
「行っています。しかし、回路が遮断されているため、接触すら困難で
す。現在、強制回線を使用中ですが」
 シンジはそれを聞いて難しい顔をした後、急に私的な場での顔に戻っ
た。
 妙に重苦しい、しかし希望は失っていない瞳。
「……リツコさん。奇跡って奴を、信じますか?」
 真面目な顔で、そう聞いた。
「……普段なら信じないわ。でも、今は信じたい。それでミサトが助か
るんならね」
 それに対しリツコもやはり私的に答えた。私達は、NERVとしてH
ANNIBALが必要なんじゃない。ミサトを、助けたいんだ。そんな
願いをいっぱいに込めて。
 シンジの瞳の輝きにあてられたか、リツコの瞳も曇りから解き放たれ
ていた。
「とにかく、発令所へ。細かい事はそれからで十分だ」
 シンジは総司令の顔に戻って、勢いよく立ち上がった。

  ミサトさん、ミサトさん!
  死んじゃやだ、お願いだよ、目を覚ましてよ!
  ミサトさん、目を開けてよ、いつもみたいにいろいろ話してよ!
  ねえ、ミサトさん、ミサトさん!
  ミサトさ……
 声がしている。それがシンジの声だと気付くのには、時間がかかった。
 死んじゃやだ、か。という事は私は死のうとしているという事か。
 ごめんね、シンジ君。ごめんね、シンジ君。
 結局私はあなたを苦しめることしかできなかった。
 ごめんね、シンジ君。

 私、死ぬのかな。
 そんな事だけを考えていた。
 頭の中が真っ白になって、体の中が灼けるように熱くて。
 何が起こったのかもわからなかった。

 アスカ!
 アスカ!
 アスカ!
 シンジの声がしたような気がした。
 そうだ、私を心配してくれてるんだ。
 私はシンジと一緒に生きていくと決めたんだ。
 だめだ、起きなきゃ。
 そうだ、起きなきゃ。

 アスカの脳波が安定し始めたという報告に、レイは胸をなでおろした。
 私が、人の命を救うなんて。思いもしなかった。
 自分自身を否定していた悲しい魂。生きる事を、何とも思っていなか
ったんだと、今ならわかる。どうして変われたのかしら。どうしてこん
なふうに強く生きる事を願うようになったのかしら。
 きっと、あの人のせいだわ。
 無感情だった私に、感情を芽生えさせたあの人。
 ……まさか、あの人を愛しているのはインプリンティングだとでもい
うわけ?
 そんな、心の中の猜疑的な部分から産まれたくだらない考えを一蹴す
る。
 理由は関係ない。例え私の過去に何があろうとも、私はあの人を愛し
ているし、だから私は生きていられる。例え、私が歪んだ命であったと
しても。

  ミサトさん!
 何十度、何百度目かの呼びかけ。
 無意味に横たわるミサト
 横たわる?
 私には、横たわるための肉体すらない。
 そうだ、私は死んでいるんだ。
  そんなことないよ!
  ミサトさんは、体がなくても、こうやってちゃんと生きてるんだ!
  ぼくのことを見守っていてくれるんじゃなかったの、ミサトさん?
 もう、疲れたのよ。
 もう、いいの。
  嫌だよ、ミサトさん!
  オネガイダヨモドッテキテ……
シンジの声が、遠くなった。
 ああ、今度こそ死ねるんだ。
  ミサト……
 お父……さん。
  生きていくことができるのに死を選ぶのは、死者に対する冒慝だよ。
 加持クン……
  ミサトさん!
再び、シンジの声。
  ミサト!
 ああ、リツコまで私を呼んでいる。
 知っている全ての人の呼ぶ声。
 ああ、そうだ、私は生きていたんだ。
  ミサトさん!
 ああ、そうだ、私は生きているんだ。
  ミサト!
 ああ、そうだ、どんな形であれ、私は生きているんだ。
 人間としての生を続けているんだ。

 これも……ダメか。
 キーボードの前に座ってこんなに慌てているのは実に久しぶりだった。
 そんな事を考える余裕もないほど事態は逼迫していたが。
「ミサト、お願い、戻ってきて」
 祈るように呟いて、再びキーを叩き始める。
 再三響くエラー音。
 ……もう、打つ手はない。
 絶望が、腕を重くした。
 どうしてこんなに慌てているんだろう。
 ハンニバルの有機ユニットとしてのミサトなら、コピーでも十分なの
に、どうしてここまでしてオリジナルを残そうとするのだろう。
 わからない。
 論理的じゃないわね、ちっとも。こんな感情的に動く事があるなんて
ね、とどこか変わっていた自分に微笑みかけた。
 呆然と見つめている画面の片隅、数行の文字の羅列が出現した。
「HANNIBAL有機ユニット維持、再開」
 その文字列の中にそんな言葉を発見した瞬間、リツコの目から涙が溢
れた。

「投下、開始」
 第三新東京市上空を所属不明のステルス輸送機4機が旋回中であった。
 その4機ともそれの射出準備を終了し、あとは作戦の最後の段階を待
つばかりとなった。
「試験、開始せよ」
 通信衛星から高度の暗号化をかけられて送られてくる音声通信に、乗
組員達は慌ただしく動き始めた。
 次々と投下される巨人のような姿をしたもの。
「全12機、投下作業終了。姿勢制御システム、起動を確認」
「パラシュート展開まであと10秒。……戦自のスクランブルを確認。
本部隊の撤退を開始します」
「パラシュート、展開完了」
「領空外へ到達」
「起動用信号、送ります」
「10機の起動を確認。2回目、発信します」
「全機の起動を確認。本部隊は当該任務を完了しました。これより帰投
します」
 数秒後、第三新東京市の防空システムに、謎の物体12機の発見が通
達される。


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