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第11章「変わる心、変わらぬ心」

「ミサトさん……」
 待つ事しかできない時間。歯がゆい気持ちを押さえるため、シンジは
姿の見えぬ、けれども確実にここにいる元保護者に呼びかけたる。
「ミサトさんは、今の自分の状況どう思ってます?
 その、生きているのに生きていないっていうか、そんな感じのこと」
 私だけと話すときのシンジくん。多分、レイからもアスカからも隠そ
うとしている顔。昔のままの姿。男は、いつもそうだ。無理に本当の顔
のうちの弱い部分を隠そうとする。
「……よくはないわね。実際、ときどき、自分がなんなのかと悩むとき
もあるわ。でも、こうして存在している以上、私は私」
「アスカは、どう思うだろう。ミサトさんみたいになったら」
「アスカも、私みたいにするつもりなの?」
「……わからない……ミサトさんが、こうなったのも僕のわがままのせ
いなのに……わからない……」
 泣きじゃくるシンジ。こんな姿を見るのは何年ぶりだろう。
 アスカがいなくなった時だって、「生きていれば、きっと会えるさ」
と言って(心配こそしたものの)ほとんど動じなかった。
 その彼が、10年前のように泣いていた。
 僕には、何もできないんだ。僕には、何もしてやれないんだ。せっか
く大人になったのに、あれだけ嫌っていた大人になったのに、好きな人
達に何か出来るようになりたいからって大人になったのに、何もできな
いんだ。
 そんな彼にかけてやるべき言葉を、ミサトは見出せなかった。
 見ているのがいたたまれなくなって、ミサトは総司令室の監視カメラ
の回線をカットした。

 どうして私はここにいるのだろう。
 肉体もないのに。
 MAGIシステムよりもさらに先進の第8世代思考強化型OS。
 有機コンピューターと無機コンピューターの利点を組み合わせた新た
なる頭脳。その第一号が私、HANNIBAL。
 その有機コンピュータ部分に植えられた人格・直感ユニットの根幹を
なすのが私、葛城ミサト。
 私は、何者なのだろう。ふと浮かんでくる、その疑問。答えの出ない
疑問。ぐるぐると頭の中を巡る思考。頭?そんなものが私の何処にある
というの?
 私は、何者なのか。わからない。わからない。

「MAGIシステムより報告、HANNIBALの機能低下を確認。自
動的に都市管理機能を代行開始」
「どうしたの? 」
「HANNIBALの人格ユニットがループに陥っています。
 現在、回線の99.89%が遮断、もしくはノイズの為使用できませ
ん」
 ここ最近滅多に仕事の無いオペレーター室が急に慌だたしくなる。
「HANNIBAL、有機ユニット維持回路を停止させました!」
「なんてこと……ミサト、自殺する気なの?」
 画面に表れる各種報告を呆然と見つめながら、リツコはつぶやいた。
「有機ユニット維持回路を、こちらから再開して。強制回線の準備を急
いで」
「しかし、強制回線は危険です。干渉に失敗すると、人格ユニットが精
神崩壊を起こす危険性が……」
「他に方法がないのよ。急いで!」
 ミサトを殺すわけにはいかないのよ。お願い、急いで。
 10年前なら考えもしなかった思考法。
 自分がそういった
「非論理的な」意思に基づいて行動しているとは、リツコは自身では気
付かなかった。

「投与完了。あとは、結果を待つだけ……か」
 長時間の作業に疲弊し切った顔で、レイはつぶやいた。
「御苦労やったなあ、綾波」
 なれない集中治療室を出ると、トウジとヒカリがいた。
「……どうしてもこいつが惣流のことが気になるいうもんでなあ。ワイ
も付き合いや」
 言い訳がましいトウジの言葉。どうして男ってのはこうかわいいんだ
ろう。
「お疲れ様、綾波さん。……どうなの?
 アスカは?」
「やれるだけの事はやったわ。あとは彼女の体力と運にかかってるわ。
あと、できる事は幸運を祈るぐらいね」
 親友、か。
 私とアスカの関係も、そう言うのだろうか。あの人で――シンジでつ
ながった、私達の関係は。
「大丈夫かな、アスカ」
 心配そうに扉を見つめるヒカリ。
「大丈夫やて、あの惣流がそないに簡単にくたばるはずあらへんて」
 ぎこちない動作で立ち上がって、ヒカリの肩を叩くトウジ。
「あ、そんな、無理しちゃ駄目よ、鈴原」
 ヒカリが慌ててトウジを椅子に座らせる。
「全く。まだ、新しい義足にも慣れてないんだからね」
「せやかて試してみん事にゃあ、慣れるもなにもあらへんやろ」
「だめよ。鈴原にまで何かあったら……」
 見ているレイの方が呆れるような会話。
 かと言って、口を挟む気にもなれない。
 そのレイの様子に気付いたか、トウジがヒカリの視界の外、レイに向
けて、すまん、といった感じで手を動かす。
 あーあ、全く、お似合いだこと。口に出さずにつぶやいた。
 張り詰めた神経がほぐれるような感じ。
 こういうのを見せられると、うらやましくなるな、などと思って、そ
う思っている自分に気付き、頬を染める。
 もっとも、そんな浮かれた気分も背後の扉を目にすると、消し飛んだ。
 願わくば私達3人が、昔通りに過ごせるようになりますように。
 めったにしない神頼みを内心で済ませると、レイは二人に手を降って
から歩きだした。
 私も変わったものだ。
 一生をあの親子に捧げてるのかもね。ふとそんな事を思って、でもア
スカさえ戻って来てくれれば幸せであるがゆえに、そんなくだらない考
えを投げ捨てた。
 勝手かも知れないけど、私も幸せでいたいから、だから生き伸びて、
アスカ。


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