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終章 彼女は涙を浮かべて、待ち望んだその言葉を

 シュミセンと名付けられたその船はまるでそこに最初から何もなかっ
たかのように消え去った。
 代りに、その遥か下方、第3新東京市を見下ろせる山の山頂に降り立
つ100ほどの人影。
 皆、何が起こったのか分からずに呆然とする中、その中心に立つ少年
は、いやに青く澄んだ空を見上げた。眼下の戦禍に似つかわしくないそ
の空は、どんな宝石よりも輝いて見えた。
 少年はゆっくりとその空に空いた一つの穴に――ただ一箇所空を覆っ
ていた巨大な影、ラピュタと言う名のその船方船に向かって手を伸ばすと、
宙空を掴んだ。
 すると、ラピュタはシュミセンと同じように消え、代りに少年の手の
中に光が産まれた。それを解き放つように手を開くと、光は弾け、また
も100程の人影が現われる。
「……これで、いいんだよね」
 言った少年の顔は、空と同じ優しい輝きで満ちていたが、
「戻らないと」
 視線を下ろした少年の顔は突如戦場へ赴く戦士のそれになる。
 少年は、瞳を閉じると、燐光となって消えた。
 その幻想に、しばし気を取られていた人々は、ようやく自分達が置か
れた状況の一部を把握した。

 シュミセンとラピュタの消滅。
 破壊ではなく、消滅。何の反作用もなくS2機関はおろか船体ごと、
神の座は消え去った。
 2つの空席のあるその会議場。
 残る4つの席の男達のうち、3人は明らかに狼狽していた。
「……この力、一体!」
「まだだ、まだ、望みはある。残された全ての船を、向ければ」
「総力戦か? 馬鹿げている! あれほどまで有利だった我々が!」
「馬鹿げていてもなんでも、それが現実だ。我々はヘクサ=アークズの
力を過信して努力を怠った。自身の力を過信して、最大の力を向けるの
を怠った。だが、まだ精算は可能だ。全ての力を向けて、エヴァを、神
の力を持つ者達を、我らの敵、ネルフを葬る!」
「できるのか? これまで失敗しているのだ、できるのか?」
「できる……やらねばならぬ。我らのエデンを我々の手で築くためには!」
 それが、たとえ背徳だとしても。
 決意を露に立ち上がった彼らの姿は――或は、彼らこそ真実であるよ
うにも見えた。
『……遅いわ。もう。あなた達は、負けるの』
 割り込む声。
『この船も、すぐに消える。……ごめんなさい、あの子と違うの。あの
子と違うから――私は、あなた達を……倒す』
 澄んだ女性の声は出現した銀の燐光の放つもの。
「誰だ!」
 誰かの問い。
「私は……そう、あなた達と同じ、人間」
 突如現実感を伴った燐光は、1つの形を――白い肌、銀髪、赤い瞳の
女性の姿をとった。
 首席は驚きもせず、怒りも憎しみも孕まぬ目で彼女を見据え、嘲笑う
ように、言葉をぶつけた。
「神の力を持つ女、か」
 一瞬不快さを目元に出しながらも、すぐに真顔に戻った彼女は囁くよ
うに宣言する。
「……そうよ。でも、私は人間」
 まさしく嘲笑が、ひとつ。
「人間? お前がどうやって産まれたかを知っても? 我々は知ってい
るぞ、女よ。お前が如何にして産まれたかを。いや、違うな。お前は産
まれたのではない、造られたのだ」
 まるきりモノを見るような双眸。
 それに挑みかかるように、彼女は静かに言を紡ぐ。
「私は人間よ」
「戯れ言を! 試験管の中の存在が、人などと! 思い上がるな、神の
力を持つものは貴様だけではない! われわれとて、このヘキサ=アー
クズの力をもってすれば、貴様など!」
「それでも、私は人間。私を愛してくれる人がいて、私を人と認めてく
れる人がいる限り、私は人間」
「不愉快だ、貴様など、滅べ!」
 手を振るった首席――その手から、力が放たれる。女を捉える。
「これが我々の神の力だ! ヘキサ=アークズ、人を神にする真なる神
の座、神の王国のための玉座……お前のような失敗作とはわけが違う!」
 それはまさしく神の力、強大なる力持つ彼女を縛り上げる。
 だが。
「……可哀想な人」
 そう言い放つと、彼女はその戒めから容易に抜け出た。
「馬鹿な! 何故だ! 何故、私の力が!」
 首席の顔に、はじめて驚愕が――または絶望が――浮かんだ。
「わからないの? 歪んだあなたの心が。
 神様は、歪んだ心には力を貸してくれないの。
 あなたたちの夢が間違ってたわけじゃないわ。でも、急ぎすぎたの。
壊しすぎたの。だから、私は……決めなければ、ならなかったの」
 言った彼女に涙一粒。
 それが、慈愛であると男達が知る前に。
 怒涛。
 烈光。
 全てを飲み込んだ輝きは、その部屋を一瞬で灼き尽くし――そしてま
た、船達をも灼き尽くした。

「……もう、ダメかもね」
 両腕のなくなった弐号機のエントリープラグの中で、アスカはつぶや
いた。
 自分が偽物なのかも、という疑念は晴れ――否、どうでもよくなって
いた。
「僕は君だけがアスカだと思う」というシンジの言葉と、「造られた魂
で何が悪いのさ!」というアベルの言葉と。それが、アスカを再び戦わ
せてくれたのだが。
 だがしかし、戦いのさなか一瞬の油断をつかれ、両の腕をもがれた弐
号機に戦う力は残っていない。
 残る敵の数、五十余。
 メイロンは少しの突出で罠にはめられた。本人は何とか緊急脱出した
ものの、既に六号機は失われた。
 アンディのβ零はアカリを助けたときの損害が響き、既に動かなくな
っていた。
 拾五号機のシホはパイロットとしての未熟さゆえに戦課はあげたもの
の早々に脱落している。
 残っているシンジもアカリもボロボロ、アベルも振るえる力には限度
があるらしく、苦しい顔をしている。
 良くやった、と言ってあげたい。
 だけれど、その余裕はないだろう。
 子供達のところに、いってやりたい。その想いで胸がいっぱいだった。
 最後に、もう一度抱いてあげたいと、そう願って、涙を流した。

 それは、芽生えたばかりの恋心ゆえの祈りだったと思う。
 アンドリュー・マクワイルド、第6の適格者はただ純粋に、願った。
 大事なときに力のない自分が恨めしかったが、でも必要なときに彼女
を守るための力があった、そのことを感謝したかった。
 不謹慎かも知れないが、この戦いが――救世府が引き起こしたこの戦
いがなければ、戸塚アカリと言う名の、アンディにとって今やもっとも
大切な人に出会うこともなかったのかも知れない、と僅かばかりの感謝
をした。
 それから、また最初に戻って、まだ戦っている彼女の生存を願った。

 シンジはなおも長刀を振るい続けた。
 視界の隅には、メイロン仕込みの武術を活かして戦うアカリの姿。
 気に止めている余裕はない。敵の攻撃は止まらない。
 近くで轟音。
 振り向く余裕はなかったが、何が起こったのかはわかる。アカリがや
られたのだろう。
「僕が行く!」
 アベルが叫んで、シンジの側を離れようとした。
 だが、その隙を突くように、無慈悲な爪がアベルの小さな体を捉えた。
「アベル!」
 名を呼びながら、シンジは大きく得物を振るった。
 それに気押されたように、敵の動きが止まりはするが、対峙は長く続
かない。迷いもなく迫り来る敵にシンジはただ防戦だけを強いられる。
 戦況ウィンドウの端に、アカリの伍号機が撤退したことが示された。
 戦っているのは自分だけ。
 残る敵の数、三十強。
 最期かな。
 覚悟すると、シンジは雄叫びと共に無理矢理に攻勢に転じた。
 初号機の全身の装甲板が悲鳴をあげ、激痛がシンジを責めたてるも、
構わず武器を振り回す。
 最初の敵を一撃で仕留めたころには紫色の装甲は痛ましいほどに削が
れ、生体である本体が露になっていた。
 直接に本体にたたき込まれるさらなる敵の攻撃は、これまで以上の痛
覚をもってシンジに迫る。
 振り払うような叫び。閃光を思わせる斬撃。
 そうしていつの間にか剥き出しになったコアには、幾つかのひび。
 それまでに転がしたわずか3体ばかりの使徒。
 ここまで傷ついてそれだけということに、愕然として。
 それでも最期の力とばかりにもう一太刀を繰ろうとしたとき。
 その顎が大きく開かれ、野獣の吠えが轟いた。
「暴走!?」
 シンジの意を離れ、己のあるがままに動き出す初号機
 凶眼の獣は、本能のまま暴れながら、全てを破壊するようにも見えた。
 何もかもを引きちぎり、握り潰し、あるいは噛み砕いて。
 だが。
 その腕に捉えられ、今にも引きちぎられんとしていた憐れな使徒の苦
し紛れの一撃。不意に、獣の動きが止まり、赤く輝いていた球体の破片
が地にこぼれる。
「まだだ! まだ!」
 こときれた獣の意志を継ぐように、シンジは吠え立てた。だが、その
身体は動かない。
「お願いだ、動いてよ!」
 絶叫は、届かない。
 誰もが絶望したその中。
 永劫とも言える死の終焉は、かつて見た姿の出現だった。
「あとは、任せて」
 少しだけ向けた視線で微笑んで、彼女は凛とした瞳を敵に向けた。
「……ごめんなさい」
 ただ、彼女はつぶやくと、その大いなる力を振るった。
 輝きが、全てを満たし――後には、彼女と少年と骸となった巨人、そ
れに壊れた街が残った。

 幸いなことに、強制排除信号は正常に機能し、シンジの乗るエントリープラグは陽光の下に緩やかに這いでた。
 痛む全身をごまかして、シンジはすぐ下で待つ彼女を見た。
 ふうわりと彼女の身体が風に乗り、シンジのすぐ側に降り立った。
「……アスカもミサキも、ナギサも、あとカオルも元気だよ。それに、みんなも……ああ、いや、違うな、こんなことじゃなくて」
 やけにたどたどしく言葉を紡ぐシンジに、彼女はくすりと微笑んで。
 それから、彼女は涙を浮かべて、待ち望んだその言葉を。
「ただいま」
 ややの沈黙があり、シンジはうなずいて、応えた。
「……おかえり、レイ」
 レイはシンジに飛びついた。
 優しく回された腕が、彼女を包んだ。
「今日だけは、特別だからね!」
 下からいつもの力にあふれた声。
 少しむくれた、アスカの姿。
「さ、帰ろう。『ただいま』を言わなきゃ行けない人は、まだまだいるだろう?」
 ここは、楽園ではないけれど。
 それでも幸せになれると確信して、シンジはレイの手を取った。
 レイは小さくうなずいて、それから涙を吹いて、微笑んだ。
 それまで場違いだった青空が、突如として色彩を取り戻していた。


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