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第1章 使徒、再来


 結婚7年目を迎える碇夫妻は、実に5年ぶりの自宅で二人きりの夜を
過ごしていた。「もう一人の妻」であるアスカは仕事の関係で出張。
「長男」であるアベルは中学校の修学旅行。そして残る3人の子供は保
育園のお泊まり会。
 普段7人も住んでいる家に二人きりだと、妙に淋しくていけない。
「お茶、入ったわよ」
 コトン、と音を立てて置かれたテーブルの上の湯飲みを取りながら、
シンジは妻の方を向いて尋ねた。
「明日も、研究室籠りかい?」
「ええ、そうね。あなたも、どうせ下の方に籠るんでしょうけど」
「明日は非番だよ。特に急務はないから、夕方まで皆が帰って来るのを
のんびり待つさ」
「まだ少し熱いから、気をつけてね」
 湯飲みを口につけようとしたシンジに、レイが気遣いの言葉を投げた。
 昔じゃ考えられなかった言葉。それが、今のこの家にはある。
「カオルとナギサ、それにミサキは、昼過ぎには帰って来るはずだった
っけ」
「お昼を食べて、そのあと帰って来るの……に結構かかるから、午後4
時ぐらいかしら」
「そうか」
 とだけ答えてから、シンジはゆっくりとお茶をすすった。テレビのニ
ュース番組を呆然と見つめながら。


 翌日。
 久々にベッドの中で裸で目覚めた。台所のほうからいい匂いがするの
で、少しだけ慌てて服を着てからダイニングへと出ていく。
 御飯と、味噌汁、それに昨日の余りの煮物。それがちょこんとテーブ
ルの上に乗っている。
「おはよう。いま起こしにいこうと思ったところよ」
 シンジのための焼き魚を運んでくると、レイはいつもの席に座った。
「ああ、おはよう」
 昨夜の房事はちっとも連想できない清楚な姿。
「食べたらすぐ出かけたいから、家の事、お願いできるかしら?」
「ああ」
 シンジは、それに気のない返事を返した。
「あなた!
 聞いてるの?」
「ああ、大丈夫。家事一切、今日は俺がやるんだろ?
 非番の時はいつもじゃないか」
 何を今さら。それとも、そんなに気のない返事だったのだろうか?
「あなた、最近、中年じみてきたわね」
 唐突にレイがそんな事をつぶやいた。
「……心外だな。どのへんが?」
「その、気のない返事が多くなってきたり、ああ、もう、時間はあるん
だから、新聞を読みながら食べるのは止めて」
「……そんな事いっても、習慣なんだから」
「そういう悪い癖は直した方がいいと思うわ。子供達も見てるんだし」
「レイだって、中年じみてきたよ」
「なんですって?」
「その、人のする事にいちいち嫌味ったらしく口を挟むあたり」
 レイの箸が、凍り付いた。だが、すぐにてきぱきと動き出す。
 いつもの半分の時間でレイの食事は終わり、いやにてきぱきと自分の
食器を流しに運ぶとサッと荷物をとって彼女は出ていった。嫌に不機嫌
な声で、
「いってくるわ」
 とだけ言い残して。
 帰って来たら……いや、子供達かアスカが帰って来た折にでも電話し
て、ついでに謝っておくべきか。
 とりあえずそそくさと食事を終え、まずは部屋の掃除を始める。
 一通り仕事を終え、かと言ってお昼までは少し時間がある。昼食まで
のあいだすることもないので、とりあえず適当な本を一冊手に取り、開
いた。
 ところで電話のベルが鳴った。
 ゆっくりと立上り、受話器を手に取る。
「動くわ、奴ら」
 とだけ言って、電話は切れる。聞き間違いでなければ、アスカの声。
 そのまま電話のフックに手をかけ、NERVの番号をプッシュする。
「碇だ。第3種警戒体制をとってくれ。妻に連絡してから私もそちらに
向かう」
 と一方的に告げて電話を切る。
 それから、すぐにレイに電話を入れようとしたが、今朝の剣幕を思い
だした。それでも、仕方なしに電話をかける。
 何度かの呼出しベルのあと、電話口に若い男が出た。
「はい。綾波研です」
「碇……綾波の夫ですが、綾波は?」
「いま、実験中で、ちょっと手が離せないんですが」
「ならば、急に仕事が入ったので出かけるとお伝え下さい」
「わかりました」
 切れた電話のこちら側で、出来れば話しておきたかったな、とちょっ
と後悔する。
 その未練を、仕方のないことだ、と押し殺して、シンジは急いで身支
度をして家を出た。


「どういうことだね、碇」
 発令所に到着したシンジを、冬月の質問が洗礼した。
「アスカからの連絡で、委員会が動くらしいことがわかった。そのため
の準備行動だ。エヴァ各機の解凍作業、どの程度の時間を要する?」
「およそ8時間といったところです」
 真ん中の席に座るオペレーター――名を、戸塚カオリという――が答
えた。
「解凍作業を開始しろ。こちらの現在の権限で出来る限度……ケイジへ
の再格納まではやっておいてくれ」
「しかし、セントラルドグマからエヴァを取り出すには、統合作戦指令
部の承認が必要です。我々は、あくまでセントラルドグマの管理を委託
されているだけで、権限は上層部が」
「構わない。一切の責任は私が負う」
「しかし、セントラルドグマの3レベル以上の解放については監査部の
承認が必要です。エヴァを取り出すとなると監査部が黙ってませんよ」
 今度はオペレータ席の後方に立つ日向が答える。
 シンジは、ふう、と一つため息をついてから、返答した。
「監査部長を呼んでくれ。……いや、いい。私が向かおう。ケイジの受
け入れ準備だけは進めて
くれ」
「了解」
「いいのか、碇?
 監査部に話を通せば、統一委員会に確実に話が漏れるぞ」
「構いません。諜報3課に監査部を見張らせてあります。統一委員会と
監査部の繋がりが露見するのなら、それで十分ですよ。行って来ます。
あとを、よろしく」
 一応の丁寧な口調で返答してから、シンジは席を立った。
「……だんだん父親に似てくるな、あれは」
 そういってからため息をつくと、冬月は発令所の前面スクリーンに向
き直った。


 NERV監査部。
 かつては人類補完委員会によってNERVに付けられた鈴であり、現
在では国連軍統合作戦指令部のものに見せかけた、世界統一委員会の付
けた鈴である。
 表向きは内部からの情報漏洩を防ぐための自己診断のためのシステム、
となっているのは皮肉であろうか。
「……エヴァンゲリオンの凍結解除を要請すると、いうわけですね、碇
総指令」
「そうだ。判断を急いで欲しい」
「ここでは承諾しかねます。これだけ重大な事項となると、監査部の独
断では決定できませんので、統合作戦指令部と連絡を取る必要がありま
す。多少お時間を貰えますでしょうか?」
「連絡はこちらで行なう。統合作戦指令部の了承があれば、監査部とし
ては構わないのだな?」
「……了承があるのなら、ですが」
「それだけ確認できればいい。それだけだ」
「しかし……」
 シンジの背に向かって何か言いたげにしていた男を無視して、シンジ
はその部屋を出て発令所へ急いだ。
「……危険だな。至急、委員会へ連絡を」
 シンジが出ていった後の部屋で、監査部長は部下にそう告げた。


『第1種警戒体制発令、D級職員は至急退避せよ。全市民を所定のシェ
ルターへ誘導せよ……』
 発令所に戻った瞬間、オペレーターの声が響いた。
「来たのか?」
「はい。パターン青、使徒です」
 遅かった、という訳か。
「エヴァンゲリオン初号機及び伍号機を凍結解除。直ちに発進の用意を」
「しかし、パイロットはどうするんだ」
 冬月が耳打ちするように尋ねる。
「ダミープラグと、アベルがいる」
「アベル?
 あの子か?
 だが、あれがエヴァに乗れるとは限らんのだぞ」
「エヴァが無理ならば、カインに乗せればいいだけのことです」
 確信を持って、シンジは答えた。
「目標を第19使徒と正式に認定する。
 目標の進行先予測はどうなっている?」
『おそらく第3新東京市と思われます。
 目的は不明。ただし、主攻撃手段は何らかの物理的、あるいは高エネ
ルギーを利した光学的なものである可能性が高いです』
 シンジの質問に答えたのはHANNIBAL――ミサトだった。
「ケイジの準備は?」
「80%ほど完了しています。実際はすぐにでも受け入れ可能です」
「当面現状を維持。使徒到達までの時間は?」
「現在の状況だと、約8時間後です」
「第3新東京市全市民に避難命令を近隣の国連軍に協力要請を」
 随分と慣れているものだ、と冬月は思う。
 シンジが実際にこうして作戦指揮を取っているのはこれで2回目だと
いうのに。
「……はい、NERVの碇です。統合作戦指令部長のウィッギン元帥に
おつなぎ下さい」
 そんなことを考えているうちに、シンジはもう総司令席の電話を取り、
テキサスの国連軍統合作戦司令部に流暢な英語で連絡を入れている。
 いまや名実ともにNERVの代表としての地位を固めており、もはや
冬月のいる理由もない。だが、それでもシンジからの補佐役としての信
頼が厚いので、辞められないでいる。そろそろリツコあたりに譲っても
いいころだとは思うのだが。
「どうも、碇です。状況はそちらに届いているでしょうか?
 はい。NERVの権限の制限解除要請です。……エヴァの解凍、並び
に日本地域の国連軍への協力要請、及び近隣部隊の統括権です。はい、
当方では目標を使徒と認定しました。はい、使徒、です。わかりました。
エヴァの1次解凍及び協力要請権限は現時点をもって承認、残りは幕僚
会議の決定待ち、ただし危急の際には事後承認で構わない、ということ
ですね。はい。わかりました。では、以後の指揮がありますので」
 電話をゆっくり置いたシンジに、冬月は声をかけた。
「随分と交渉がうまくなったじゃないか、碇」
「ウィッギン元帥は実務派ですから。NERVにもかなり協力的ですよ」
『エヴァンゲリオン初号機並びに伍号機の第1次解凍作業を開始します。
作業終了は2時間後を予定』
 ミサトの声が響いた。
 1次解凍作業はセントラルドグマ深層部におけるエヴァの封印除去と
セントラルドグマからの搬出までの過程である。この部分においては人
間の手が関わることはないと言っていい。ほぼ完全に機械任せの仕事と
なる。
「どうする?
 分析のために使徒に攻撃をかけるか?」
「やめておきましょう。下手に学習されると困ります。むこうの出方を
待った方がいい。それに、行動パターンは大体読めてますし」
 事実の皮肉さにわずかに顔を歪めながら、シンジは冬月の問いに答え
た。
「使徒、か」
 その呼称ですら大義名分に過ぎないのだ。
 モニターの中をゆっくりと進んで来るそれを見つめて、シンジは拳を
握った。


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