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第1章 再会

 もう、3年になるな。
 綺麗な淡い栗色の――あるいは赤みがかった金というべきか――髪を
した、おそらくハーフと思われる中学生とおぼしき少女の後ろ姿にはっ
としたのがきっかけで、未だ再建中の第三新東京市を走るリニア地下鉄
の混雑した車内で、ふとシンジはそんな事を思った。
 エヴァンゲリオンに、あの忌々しくも懐かしい代物に乗らなくても済
むようになってから、もう十年も経った。ちょうど、あのぐらいの年頃
だったと思う。
 自分の知る、栗色の髪の少女の面影を浮かべてみる。
 ろくな事は浮かんで来ない。
 毎日馬鹿呼ばわりされていたっけ。懐かしげに笑みを浮かべる。
 それでも、大切な家族だった。ただ、心のどこかで彼女のような存在
――ただの友達ではない関係――求めていた事は否定しない。だが、な
により彼女は自分にとって家族だった。
 エヴァに乗らなくなってから、彼女はしばらく無為に時を過ごしてい
た。ちょうど生きがいをなくした老人のように。加持も死に、ミサトも
また……そこまで考えて、少し、涙腺が緩んだ。だが、かつてのように
とどまるところを知らずに涙があふれるわけではない。
 あのときは、失ったものが多すぎた。大切なものは根こそぎ奪われた。
 まだ子供だった。落胆するアスカを、慰める事も出来なかった。
 ただ、時間だけが全てを癒してくれた。

 まだ新しいマンションの部屋の前で、シンジはカードキーを取り出そ
うとした。
 ない。
 ……まあ、妻が帰っていれば入れるだろう。
 そう思ってシンジはチャイムを鳴らした。扉のカメラの動作音が微か
にして、それから扉の鍵がカチリ、と軽妙な音を立てて開いた。
「ただいま」
 まだ結婚して半年の妻の出迎えを期待してわざと大きめの声で帰宅を
告げる。
 だが、返事はない。 何か怒らせるような事をしたのかな、と少し不
安に思いながら、シンジは靴を脱いで、家にあがった。
「おーい、今帰ったよー」
 淋しい気持ちを押えながら、シンジは短い廊下を歩き、リビングへ入
る。
 年齢のわりに広い住居は二人分の年金のおかげだ。
「おーい、ただい……」
 りビングの戸を開くと、この部屋ではついぞ見た事のない色の髪が目
に入った。
 色は、淡い栗色。
「久しぶりね、シンジ。元気してた?」
 ちゃっかりとソファーに座ってグラスなんぞを片手にしている。グラ
スの中身は……とっておきの、ブランデー。彼女らしいと言えば、らし
い。しかも、昔のあの家での身軽な服装そのままで。
「ア……アスカ!」

「随分いい部屋住んでんじゃない。この街じゃ相当広い方でしょ?」
 相変わらずのペースで、いつものように――久しく見ていなかった
「いつも」だが――彼女は言った。
「そ、そんな事より、何でここに、どこ行ってたの、どうやって入った
の?」
 その落ち着きぶりとは好対照にシンジはハトが豆鉄砲を食らったよう
な顔をして、慌てぶりを全く隠せぬまま、言った。
「はいはい、質問は一つにしてね」
 相変わらずの人を馬鹿にした口調。間違いない。アスカだ。惣流・ア
スカ・ラングレーだ。
「じゃ……じゃあ、どうやってここに入った?」
 少し落ち着きを取り戻したシンジは、子供の頃の口調ではなく、エヴ
ァを降りてから身に付けた喋り方に戻した。
「簡単。これよ、これ」
 言って彼女が胸元――はっきり言うと、胸の谷間――から取り出した
のは家のカードキーだった。
「なんでそれを? それに、パスワードがなきゃ入れないはずだ」
「カードは拾ったの。これはホントに偶然。パスワードはね……簡単だ
ったわよ。まさかあんな単純とはねえ。普通サルでももっとひねったも
のにするわよ」
「……い、いいじゃないか別に。俺の勝手だろう」
「はん、まったく。あーあ、オアツイです事。まさかパスワードが[最
愛のレイ]だなんてね。今時誰も使わないわよ、こんなの」
「それこそ勝手だろ! いいじゃないか別に。さあ、そのカード、返せ
よ!」
「いいわよ。勝手に取ってもらっていいわ」
 いいながら、アスカはカードを元の場所に戻した。
「取ってごらんなさい」
 その人を馬鹿にしたような微笑みは、昔のままだ。
 3年前、最後に会った時も同じような顔をしていた。
「いいさ。昔みたいにウブなわけじゃない。どんな手を使ってでも取っ
て見せる」
「あら、頼もしい事。10年前とか5年前とかに据え膳を食べる事すら
出来なかった坊やが、良く言うわね」
 とことん、プライドを逆なでする奴だ。
 憤慨したシンジは、くだらないプライドという奴にまかせて、ソファ
ーに座るアスカに歩み寄った。
 胸を誇示するかのように突き出しているアスカを見下す。
 アスカは臆せずシンジの顔を直視しながら、
「さあ、どうかしらね?」
 と挑発的な態度を崩さない。
 シンジはもの言わず、アスカの肩に手をかけ、その体をソファーに押
し付けた。
「キャッ!」
 アスカの妙に可愛い声悲鳴が部屋に響き、グラスが落ち、ブランデー
が絨毯に広がった。
 あっさりとシンジに抑え込まれたアスカは、一瞬だけ、口の端をニヤ
リ、と歪めたが、すぐにおびえたような表情をして見せた。
「どう……するつもり」
 か細い声でアスカは尋ねる。
 シンジはもの言わずアスカの胸元に手を伸ばした。
 柔らかい二つの膨らみの間にシンジの手が割り入って来る。
 それと同時にアスカは全身の力を振るって、二人の姿勢を逆転させる
べく、起き上がった。
「うわっ!」
 この不意打ちにソファーから落下して頭をしたたかにぶつけるシンジ。
目の前で、星が踊っているようだ。
 遠のく意識を頭を振って呼び戻すと、シンジはその変な感触に気付い
た。ちょうど、アスカの刺激的な姿に、年甲斐もなく膨張してしまった
所だ。このまとわりつくような感覚は……
 おそるおそる見ると、アスカが、むき出しにされたシンジの男の部分
を、アスカが、愛おしげに手と舌と唇とで愛撫している。
「ア、アスカ! 何して……うっ」
 気持ちいい、らしい。
 その証拠にシンジは言葉の続きを言う事すら出来ないほどに歯を喰い
しばって耐えている。
 そのシンジの表情に、サディスティックな笑みを浮かべ、アスカは更
なる愛撫を展開する。
「うっ!」
 あっけないほど早急に、シンジの全身から力が抜けた。
 コクン、とアスカの喉が鳴った。
「言っとくけど、あたしはあなたと優等生の仲は認めてないんですから
ね!」
 唐突にアスカが叫んだ。だが、その目の端に涙が浮かんでいるのを気
付く余裕は今のシンジにはない。
「あなたと優等生の結婚も、婚約も、何もかも認めないんだから!」


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