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1999年7月。「ゲームウォッチ!」が創刊された。
同年8月、創刊以来着実に勢いを落としていた「gM」の第四号は、これに触発されたかのような勢いで創刊時の輝きを取り戻した。
これにより、先行誌「ゲーム批評」と並び、ゲーム評論系の雑誌が三誌市場に流れることとなった。市場がそのようなものを求めたのか、それとも作り手側からのアプローチなのか。ゲーム批評こそ創刊から数年が経過しているが、gMは創刊から半年、ゲームウォッチ!に至っては創刊号が出たばかりの今、伺い知ることは未だ難しい。
しかし、このような本が複数誌並び立った状況は大変興味深い。ゲームがいよいよ文化として育つのか、それとも商業主義の道具として埋もれていくのか。その分岐点にあるのではないかという気もしてくる。
そこで僭越ながら「掟やぶりのゲームレビュー誌レビュー」と称し、「ゲーム批評」「gM」「ゲームウォッチ!」の三誌をレビューしていきたいと考える次第である。
「ゲームウォッチ!」はレッカ社編集制作・双葉社発行のゲーム評論誌である。
創刊号の特徴は、とかくクリエイタ─のインタビュー記事に全面を割り振った構成。また、「はじめの一歩 実践的ゲームクリエイタ─入門ガイド」や「デジタルクリエイターを目指すキミのツールガイド」などの連載(予定)記事を見るに、ユーザー、プレイヤーというよりはクリエイタ─予備軍に向けた誌面構成がうかがえる。
一方ゲーム個々のレビュー記事の方はいまひとつといった感。ゲームを題材にしたコラムという従来誌のゲームレビューの域を抜けていない。レビューでの山下章、大槻ケンジ、あるいは連載コラムの大森望などオタク/ゲーム系雑誌には欠かせないとも言えるライターの登場など、非常に堅実とも言えるつくりである。
しかしながら目を引くのは、(誌名にひっかけたのか?)いわゆる「ゲームウォッチ(LSIゲーム)」の特集記事やゲームコスプレ、あるいはPGL(*1)のレポートなど、ゲーム周辺の文化・風俗などについての記事である。ゲームを文化の一面と捉え、様々な視点から切り込んでいくスタイルは興味深い。
「売れ線」でアクを抑え、そこにこっそりと主張を忍ばせる。そんな誌面作りの印象を受ける。FF7のフランス語ローカライズについての記事などに、特にその感を強くした。
今後、「売れ線」が強くなるのか「主張」が強くなるのか。それともこのままバランスを保ち続けるのか。そういうところも含め、今後が楽しみな雑誌ではある。
(*1)PGL(Professional Gamers' League)全米規模のオンラインゲームのプロリーグ。
さて、ゲーム評論系三誌の中で、最古参となるのが「ゲーム批評」である。誌面の特徴は、裏表紙を見ていただければ一目瞭然である。「ゲーム批評は記事の公正を守るため一切の広告を入れません(*)」と。
(*):詳細な記述については未確認。ただし、主旨に関しては外れていない。
確かに公正中立であることは、メディアにとっての理想論ではある。しかし、ゲーム批評という雑誌そのものが商業主義に則って商売せざるを得ないものである以上、この主張は最善であるとは限らない。
それを守った上できちんと誌面を作っていくのならよい。しかし、ゲーム批評は、評論誌として質がよいとは、お世辞にも言えない。特集記事のインタビューや、業界人のコラムなどには面白いものが見受けられるが、肝心のゲームレビュー記事は、結局のところ「けなす」ことができるという一点でしか、従来誌のレビューと代わり映えせず、そこから新たな視点を産んでいく力に乏しいように思う。
確かに立派な主義を守るのもいい。しかしその主義の本質が「良質の評論を展開する」ところにあるのに、形式だけを重視してしまっている。そんな感が否めないところである。
実際、読んでいてコンスタントに面白いのが(所詮ライターとしては素人であるはずの)カプコンの岡本吉起、コナミの小島秀夫の両コラムという現状ではいただけないと、思うのである。
個人的には、もっともアングラ的で好き放題できる誌面を利用して、ゲームそのものの構成論とか、そういう話をブチ上げるライターが出てきても良い、と思うのだが。
最後に取りあえげるのは「gM」である。「ゲームファンのサブテキスト」と題されたこの雑誌は、なるほど、その名に恥じない誌面作りを志しているように思う。
ゲームを語ることを、恥ずかしくない行為にしようという心意気があちこちからする。毎回の巻頭記事の「巻頭ロングインタビュー」は歯に衣を着せぬ鋭い意見を惜しみなく掲載しているし、誌面の各記事にもライターの主張が見て取れる。
取材にも堅実に資料をあたる姿勢があるように思うし、取り上げるゲームも純然と話題作・人気作をというよりは、記事として、テーマとして面白いもの、という印象を受ける。
レビュー記事も、期待できる出来である。最初からライター個人の主張であると宣言した上で、それを常に忘れない姿勢でレビューできる面々が並んでいる。ゲームを考える上での背景への言及、それでいてゲームの紹介から極端に外れないなど、ゲームを「文化」として育てていくのに必要な記事になっていると思う。
多根清史、金子光晴など実力のあるライターの重用、あるいは第4号の「カルドセプト」特集にゲーム分析記事(特に「電源不要系」の)を書かせたら日本一とも言える朱鷺田祐介を持ってくるあたり、あるいは巻末記事「他誌済々(たしさいさい)」にて他ゲーム誌発言へ言及しながら自誌の姿勢を明確にし、それでいて過度に攻撃的でない言に留めているあたりに、編集側の力量を感じる。
とくに朱鷺田の記事はゲームの解析記事としてはお手本に近い。影響を受けているゲームの言及、その「面白さ」の要素分析など、これまでのコンピューターゲームメディアがないがしろにしてきた部分を、完璧にこなしている。
ただ、連載記事の一部にどこか自らをサブカルチャーだと定義している面が感じられる。そのような記事は、ゲーム=文化という認識の一般化を狙っているように思える同誌にとっては、むしろ不要のものではないか、という危惧を抱くものである。
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