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大地礼讃

 一人旅に出たとき、夕刻も近付いてきたころのこと。
 彼女は、道端に張ったテントのすぐそばで背伸びをしていた。
 その姿を見て、思わずバイクのブレーキを引いた。
 急制動に、キキィとタイヤを鳴らして抗議しながらも、バイクは慌て
て静止して、そこで振り返って彼女を見ると、思ってたのとはあまり似
てないその姿。
「なに?」
 ちょっと残念なままの視線を向けていた俺に、彼女はにっこりわらい
かけてきた。
 どちらかというと、男が男に向けるような、そんな顔。俺は、なんと
なく気恥ずかしくて、照れ笑い。
「ひょっとして、誰かに似てたとか?」
 彼女は、初対面の、しかも通りすがりの俺に実に気安くきいてきた。
 しかも、それが図星だったものだから、
「いや、そんな、ぜんぜん!」
 という俺の答えは見事にうわずっていた。
 すると彼女はハハハと笑い、
「じゃあ、そういうことにしとこう」
 と。
 それから、
「もののついでだし、暇ならちょっと話相手になってくれない?
 夕飯ぐらいは、喰わせてやるから」
 と俺の荷物を見ながら云った。どう見てもきままなバイクの一人旅、
実際もそうであるところの俺が、断われるはずもない。
 それに、疲れてもいるし、腹も減っている。
 きっと、彼女もそれを見越していたのだろう、
「ああ、」
 と答えた俺に、さもありなん、とうなずいた。

 二人で挟んだ焚火の上で、はんごうがコトコトと鳴っている。もう日
は暮れかけて、夜はその忍び足を駆け足に早めていた。
「で、傷心を、癒すために一人旅、ってわけさ」
 どうして俺はこんなことを話しているんだろう、との疑問を抱えなが
らも、俺は話を締めくくった。
 たしかに、話してスッキリしたのは事実だ。
 けれど、ついさっきまで見ず知らずだったこの女に、どうして俺がフ
ラれた話の顛末を事も細かに話したのか。
 もしかすると、髪型のせいで見間違えた、というところから奇妙な縁
が始まったという説明ができるだろうか。俺が止まった理由を説明する
にはそのことを言わないわけにはいかなかったし、となればこの女が俺
の元恋人に興味を持つのもしかたない。
 だが、俺は確かに「話したくない」と断わったはずだ。
 なのにこんな話になったのは、きっと彼女の強引さが悪いのだろう。
「ふぅん……なるほどねぇ」
 けれど、彼女は悪びれもせず、ただそんなふうに何やら物思いにふけ
っているようだった。なんだって、こんな、可愛くもない女のために。
 と思って、改めて彼女を見ると――そこではじめて、相応の美人だと
気が付いた。
 「豪快」という言葉を彷彿とさせる笑い方と、浅黒く焼けた肌のせい
で、そう見えなかっただけの事だろう。あと、ほどを過ぎて鍛えられた
筋肉も、か。
 腕などは、ひょっとすると俺より太いのではないか。俺は決して運動
している方ではないが、大きなバイクを取り回していることもあり、そ
れなりの肉付きをしている自信はあるのだ。
 顔立ちそのものだけ見るならば、どちらかというと、清楚さが似合っ
ているように思えた。それが、豪快をまとっているのだ、魅力が損なわ
れていても仕方がない。
 とは言え――タンクトップにジーンズなどという恰好は、見直してみ
れば相応に魅力的だった。とても女性とは思えないが、気のいい同性と
いう感触としては、ひょっとすると最高に魅力的なのかも知れない。
「どうしたん? あたしの顔なんか、ジロジロ見て?」
 彼女が俺の目をのぞき込んできた。
 慌ててそっぽを向いた。頬の火照りを感じながら、
「別に」
 と不機嫌に答えると、
「ひょっとすると、惚れた?」
 ちゃかした問いがやってきて――――けれど、俺は黙りこんで答えな
かった。そうしてしばらく沈黙が続いた。
 気まずい、と思いながら、チラと視線を向けると。
 突然、彼女が想像以上の大声でハハハハ、と笑い出した。
「あのなあ!」
 なぜだかむきになって振り向くと、ピタリ、と彼女は笑うのを止めた。
それから、すかされた気分の俺に向かって、
「まぁ、あたしも人のことは言えないんだけどさ」
 などと、言ったものだから、俺は完全に怒りのやり場を失くした。
 くそ、と内心で悪態をつきつつ、俺は彼女の顔を見た。
「あたしもね、フラれたのさ。で、傷心を癒すためにここに来たってわ
け」
 けれど、ちっとも悲しそうでない、むしろにこにことしたその笑顔は、
とてもじゃないが傷心しているようには思えない。
「ウソだろ」
 だから、素直に感想をつぶやくと。
「ホントだよ」
 口を尖らせて、彼女は答えた。
「明日の朝になってみれば、わかるって。
 どうしてあたしがこんなに平気そうなのか」
 言いながら、彼女はもうころあいだったはんごうを火から外した。
「今夜は、星が綺麗そうだよ」
 彼女は、空をふりあおいで、言った。
「俺はここに泊まるとは言ってないぞ」
 俺は不満の声をもらした。
「たまにはいいじゃないか、こんな寄り道も」
「……暇じゃないんだ、お前につき合ってるほど」
 当然、というふうの彼女の答えに、俺は憮然として立ち上がり、バイ
クに向かって歩み出した。いまから走れば、何とかどこかのホテルに転
がり込めるはずだろう。
 ところがだ、そんなふうに決断した俺の頭を、後ろから彼女の手が掴
んだ。
「まぁ、待ちなよ」
 思っていた通りの馬鹿力が、俺の歩みを抑え――そして、彼女の手が、
俺の顔を強引に上に向けさせた。
「泊まりたくなったろう?」
 空いっぱい、ありったけの宝石をばらまいたような、そんな星空に、
彼女の言葉が重なってきた。

 翌朝、目覚めは胴体への軽い一撃。
「起きな起きな、そろそろ朝だよ」
 ううむとうなって、まぶたを上げると、どういうことだか、まだ暗い。
 あれ、と思ってめをしたたかせると、ぬぅっ、と彼女の顔が出た。
「ほら、さっさと起きた起きた」
「どこが朝なんだよ……まだ暗いじゃないか」
 少々眠いながら、彼女の勢いに押され、寝袋にくるまれたまま顔だけ
起こす。
「『そろそろ朝』って言っただけで、今が朝とは一言も言ってないさね」
「……だったら、こんなクソ早く起こすなよ。どうせ日が昇るまで、何
もできないだろうがよ」
 確かに、昨晩は相変わらず強引な彼女のせいで、十時ぐらいには寝た
ので、足りるだけの睡眠は取っているのだが、それにしたって日も昇る
前に起こされるなど、尋常ではない。
 だが、
「日が昇る前に起きないと、できない事もあるんだよ」
 彼女は言って、もう一発、腹に軽く蹴りをくれた。
「わかったわかった、起きるから、よせ!」
 さっきよりもほんのわずか強い一撃は――そのうち俺の腹をブチ抜く
のでは、というふうにも思えたので、仕方無しに答えると、俺は寝袋か
ら這い出た。
「はいはい、そんじゃとりあえず出といで」
 いつのまにやら、テントの外に出ていた彼女が、そう言った。
 実に不満だったが、ここで出て行かなければまた蹴られるに違いない。
 せめてもの抵抗の意味を込めて、思いっきり膨れっ面で出て行ってや
ったが。
 その瞬間、俺の顔を金色の光が差した。
「わわっ」
 あわてて俺は目を抑えた。
「おや、ナイスタイミング」
 彼女は言うと、俺の手を取り、強引に引っ張った。
 引き出されて、立たされて、
「前、見てみな」
 すぐ耳元で、生温かい息と一緒の声に促されて、おずおずと目を開け
ると。

みたこともない、
おおきなきんいろのおひさまが、
ぜんぶをそめあげていた。

 黄金色に満ちあふれた草原、秋の実りのようなその輝きは、夏の空気
と一緒だと、とても不思議に思えたが――おひさまは、その不思議を吹
き飛ばすぐらいに、輝いていた。
「早起きした甲斐、あったろう?」
 彼女の声が、もう一度、耳をうった。
 俺は、呆然としたままうなずいた。
 ただただもう絶句するばかりで、俺はそのすべてを焼き付けようと、
まばたきも忘れて見入っていた。
 そのうちに、太陽は少しずつ昇り、ついには黄金色の烈風も止んで、
ただの早朝の風景が、取り戻された。
「どうだい、あたしのお気に入りは?」
 それでも、まだ呆然を続けていた俺の肩を、彼女が叩いた。
「フラれて平気なのも、わかったろ?」
 俺は、言葉もなくうなずいた。
 当然だ。
 こんなのと、たかがフラれたぐらいとを、比べることもバカげている。
 ハハ、ハハハ
 何故だろうか、腹の奥から、笑いがこみ上げて来た。
「ハハハっ! すげぇ、すげぇや!」
 俺は湧いて来たそいつに任せて、大声で叫んだ。
 それから、おもいっきりの声で笑った。
 体に溜った力を吐き出すように、けれど新しく沸き立つそいつは逃さ
ないように。
 ひとしきり笑って、俺が最後の息を吐くと、バンっ、と彼女の手が、
俺の背中を打った。
「満足、したかい?」
 振り向くと、満面で笑った、彼女の顔。
「ああ、そりゃあもう」
 俺が彼女同様に笑みを浮かべると、どちらともなく、声が漏れた。
 今度の笑いは、本当にちょっとで終わったが、ふたりで立てた笑い声
は、ひとりのそれとは、違った感じがした。
「さぁて、んじゃ、朝飯食ったら、畳むとしようか」
 彼女が、腰に手をあて、テントを見やりながら言った。
「あいよ、水、汲んでくるわ」
 俺は、問答無用で水筒を持ち上げ、数百米のところにある川に向かっ
て駆け出した。
「おやおや」
 そんな俺を見てだろうか、彼女が苦笑いの交じった声を立てた。


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