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演劇「月」 上演の風景



 劇場の入り口には紙が貼ってあり、そこには次のように書かれている。
「本日は『月』に御来場頂き誠にありがとうございます。
 さて、この演劇におきましては、舞台のみならず客席までもが演劇の
場となっております。よって、いかなる事態が起ころうとも、演出です
ので、お帰りになったり、慌てて逃げ出したりせぬよう、お気をつけ下
さい」
 中に入ると、客席は満杯である。
 じきに、上演を告げるベル。その数分後、もう一回。
 それから、開幕。

 第一幕。
 幕が開く。
 現れたのは、幕。
 第2の幕は、いつまでも開かない。
 客席から声が上がる。勿論、非難の声。席を立つ者もいる。
 時間が過ぎる。
 十分、二十分、三十分。
 怒号は、次第に大きくなる。舞台裏からドタバタという音。
 アナウンスが何やら言っているが、観客の怒号にかき消される。
 四十分、五十分。
「メチャメチャだ、メチャメチャだ!」
 幕の後ろから声。
 幕が閉じて、幕を覆い隠す。
 休憩を告げるベル。


 第二幕。
 幕が開くと、舞台がない。
 従って、その奥にある、舞台裏と楽屋が見える。
「どうするんだ、幕が開いたら、また幕なんて。それも開かないだと!
 そんなバカな話があるか!」
 団長らしき男が怒鳴っている。
 その手前で、大道具係達が困っている。何処にも舞台がないので、大
道具が運び込めないらしい。
 だが、そんな事にはちっとも気付かず、団長の怒号。
「大道具、何をしている! 早く準備だ!」
 大道具係達は仕方無しに舞台そのものを作り始める。が、手際が悪い。
「さあ、第二幕こそは……いや、第一幕か。
 第一幕こそ……違うな、今度こそ、やり直しだ!」
 響きわたる団長の声。
 そして、幕。
 休憩のベル。
 幕の裏からは、トンテンカンという音
 ときどき、ガラガラと何かの崩れる音。


 うるさくて、休憩どころではない。


 第一幕、或いは第三幕。
 幕が開くと応接室らしきところ。
 ところが、舞台の造りがひどいもので、大道具係の一人が応接机を持
ったままで舞台にめりこんでいる。
 しかし、構わずに出演者達――二人の男と二人の女――は応接机を囲
む椅子に座っている。
 そして、何事もないように演技が始まる。
男1「さて、これから始まる舞台は、お客様方を酷く憤らせるものです」
男2「待て! 登場人物が、これが劇だと、認識してはいけない!」
女1「そう言っているあなただって!」
女2「それならあなただって」
男1「となると、我々は登場人物失格ですね。では舞台から消えましょ
   うか」
 言って、男1が拳銃を取り出す。それで他の三人を順番に撃ち、それ
から自分のことも撃つ。
 舞台の上に鮮血がだくだくと流れている。脳漿も散乱している。
 大道具係が何やら興奮した声を上げて暴れ回る。そのせいで、舞台が
めきめきと音を立てて壊れていく。
 四人は倒れたまま、身動き一つしない。
 死んでいるのだろう。
 やがて、不意に大道具係が消え、蛙の潰れるような音がする。
 十分ほど、何も動かない。
 それから、幕。


 第二幕、或いは第四幕
 団長が出てくる。が、後ろから道化に殴り倒され、引きずられて退場
する。
 それから、アナウンス。
「先刻死者が出ましたが。演出です。では、第二幕をごゆっくりお楽し
み下さい」
 幕が開く。
 一人の男が立っている。
 黒いスーツに身を包んだ、年齢不詳の男。ゆっくりと、語り始める。
「観客の皆様。この劇は、出鱈目です。
 いいえ、観客などという言い方は誤っておりますか。
 観客と思ってここに来ておられる皆さんは、第一幕、あの最初の幕で、
お怒りになったでしょう。その後、銃声に驚いたでしょう。それです!
それこそ、台本通り! あなた方は既に観客ではなく、演技者なのです!
 そうなるると、あなたに関わった全ての人間、いえ、この世界のこれ
までの有り様全てが、この舞台なのです!
 そう、何処にも芝居でなかった所など無いのです! 手遅れです!
この狂気に満ちた舞台からは抜けられません! さあ、我々と一緒に、
演じ続けるのです!」
 観客の大半、男の狂気じみた声に、恐ろしくなったか外に出ようとす
る。が、外に出られない。入口も、出口も無い。外にはつながっている
が、外も劇場の中だ。何処に行っても、舞台しか見えぬのだ。
「あなたも逃げられませんよ、そこの、まだ傍観していると思っている
人!」
 幕が降りる


第三幕……或いは第五幕。もしくは第一幕。

幕が開くと、二人の男が立っている。二人の姿形は、全く同じ、瓜二つ
だ。その顔には見覚えがある。私には特に。当然だ。他ならぬこの私の
顔なのだから。
「そう、あなただよ! そこでこの話を読んでいるだけだと思っている
あなたも、逃げられない!」




後書き

 わずかこれだけの話で、後書きもないだろう。だが、この後書きには
意味がある。大体、これが、作品の一環であって、本当の後書きでない
保証が何処にある?
 世の中とは常に不確かだ。そして我々は、無力に流されるだけ。
 全てが、台本通りだとしたら?
 それとも、あなたの世界が、舞台そのものだとしたら?
 そうでない保証が何処にある?
 ほら! 何処にもない。そうだそうだ、何処にもない。
これであなたも、この狂気に満ちた舞台の登場人物だ。

 さて、今回紹介した劇を上演するに当たって、必要な条件を書いてお
こう。
 まず、銃が入手できる事。それから、死ぬ事を望む人間が、四人必要。
何よりも、取り外しが出来る舞台と、人を殴り倒せる人間が必要。
 とは言え、銃はナイフなどでも用できるし、死にたい人間は一人だけ
で、後は無理矢理でも何とかなる。もしかすると、無理矢理にした方が
いいかも知れないが、抵抗されて失敗すると困る。
 もう一つ。私にそっくりな人間を一人。

 ナンセンスだ、あなたはそう思っているかもしれない。
 その通りだ。
 いいではないか。世界が確かである保証など何処にもない。
 確かなものなど、有りはしない。
 むしろ、ナンセンスの方が、強烈に存在感を主張するぶん確かではな
いのか?

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