「銃の不法所持、傷害、器物破損……かてて加えて禁止薬剤の保持と服
用。ま、軽く見て5年ってとこだな」
机の向かいに座る刑事の声には、いささかの諦めが入っていたか。
刑事が胸にしたプレートには、彼の顔写真と、『ロドニー・ゲイザー』
という名があった。ロドニーは、苦い笑いを浮かべて言葉を続けた。
「お前さんがいくら腕利きのサムライだからって、街中でドンパチ始め
たのはまずかったな。こうなりゃ、いくらなんでも隠し通せんぞ」
「……ルールを破ったのはヤツの方だ。俺の責任じゃない」
まだ幾分の狂気を残したままの男は、頭を抑えながら応えた。
今ごろは、ドラッグの副作用で常人なら暴れ出すような苦痛に見舞わ
れている頃だろう。だというのに見せる冷静さに、刑事はいつものよう
に感服した。
「ああ、裏の理屈じゃそうだな。けどよ、表ってのは裏とは違うルール
で動いてるんだ。でもって、お前さんみたいに表にも裏にも足踏み込ん
でる連中は、両方のルールに縛られてる。わかるか?」
とは言えそれとこれとは別と、刑事はは子を諭すように言った。
「わかってる……けれど向こうがルールを破った以上、ああしなければ、
……やられる奴が、増えていた」
男の言葉に、刑事はため息をついた。どちらの言うことも正論で、と
ても交わりそうにない。
「だけどな、お前さんが捕まって明確な証拠付きでここにいるってのは
事実だ? どうする?」
「……脱獄、するさ」
間断なき男の答えに、流石の刑事とて驚愕の表情を浮かべた。
だが、続けた男の顔が示す決意に、刑事は言葉を失くした。
「5年が倍になっても構わん……その前に、ヤツだけは、殺る」
「レグト・ラファニル……北4番区のエナジータワーの管理区最上階が
館だそうだ。
カンパニー・サイレイジの最高顧問で、裏社会とのツナギ役。まぁ、
よくあるコンサルタント・ヴァンパイアだな。
ただ、最近は少々血に飢えていたらしい。それが、昨日の吸血事件の
原因だろう」
翌日、同じ取り調べ室にて。
ロドニーは、手元で開いた手帳の中身を読み上げた。
「レグトは、どこだ?」
けれど、そんな話には興味が無いようで、男はそうとだけ訊いた。
「急くなよ。
それに、そいつは俺の仕事じゃない。裏の連中を探すなら、裏の連中
に頼んでくれ」
ロドニーが少々の不機嫌を見せて言うと、男は沈黙した。
中年の刑事はニヤリ、と笑うと、再び目を手帳に戻した。
「サイレイジはこの件については沈黙、まぁ常套通りだ。
警察では、傷害事件として一応追ってる。
被害者の女性については、公式には重症で、ナイフによる裂傷からの
出血多量が……」
「実際は、吸血傷、だろ?」
わかりきったように、男が刑事の台詞を奪った。
「ああ、もう『処分』も済んだ」
ロドニーはうなずきながら後味が悪そうに言い、視線を伏せた。
当然だろう。傷害という名目で保護された女性を、仕方ないとは言え
意図的に葬ったのだ。根っからの刑事であるロドニーという男にとって
は堪えがたい現実であるはずだろうから。
「で、当然容疑は俺にかかってるってわけだ?」
けれど、そんな中年の刑事の想いを知らぬのか、男は皮肉げに言った。
「そうなる」
うつむいたままで、ロドニーは答え、しばし沈黙した。
男もやはりだまったまま、しばらくの空白が続き。
やがて、ロドニーがその間を破った。
「脱獄、してくれ」
その一言とともにようやく視線を上げて、ロドニーは男を見た。
「言われなくても」
男は無表情につぶやくと、黙ってロドニーの横顔を殴り付けた。
中年の肉体は派手に吹き飛び、けたたましい音を立てる。
そんな様子も確認せずに、男は何かを噛み砕き、恐ろしい勢いで狭い
取り調べ室を飛び出した。
「貴様!」
「追え!」
「逃がすな!」
若い刑事達の熱くなった声が戸口の向うで響く。
そこで、30ぐらいの――ロドニーより、ひと回り下というところの
刑事が取り調べ室にゆっくりと入って来た。
「逃がしといてやれ」
ロドニーが、視線を合わせもせずにつぶやく。
顔が腫れている。だいぶしたたかだったのだろう、幾分呆然としてい
るか。
入って来た刑事は、そんなロドニーを抱え起こすと、笑んで応えた。
「わかってますって」
と。
「レグトは相変わらずのとこに入る。少々<渇いて>ても有能だからな、
引く手は数多だ。だったら、サイレイジも……」
「礼だ」
自慢げに説明する情報屋の言葉を遮って、男はいくばくかの宝石をテ
ーブルに転がした。情報屋はあからさまに不満を顔にしたが、机の上の
宝石の予想外の大きさに、途端に目を輝かせた。
「待ちな、おまけに侵入路のアタリもつけてやるから」
「いらん。正面から行く」
感情を見せずに答えた男に、そりゃいくらなんでも無茶だ、という情
報屋の声がかかる。
けれど、男は構わずその暗がりの地下室を出て、裏通りの隠蔽された
怪しい扉を抜けて、こころなしか雨振る街へと出でた。
「北4番区、エナジータワーか」
いくつかの記憶をたどりながら、男は歩きだした。
途中、何度か若い刑事達をあの手この手でやり過ごしながら、小1時
間も歩いた頃、男は問題の場所に立っていた。
陽光を浴びて電力と成すその塔は、あいにくの雨模様にも関わらず、
威容を誇っていた。光発電パネルで覆われた全体は、ともすれば黒曜の
塔にも見える。
閉ざされた入口の前に立つと、男は無言のまま戸を叩いた。
当然ながら返事はなく、ならばとそれ以上の問答もなしに銃を引き抜
いた。
すると、応えるのか、あるいは逃れるように扉は開き、男を招いた。
「……御招待、か」
にぃっと、吸血鬼がそうするような残忍な笑いを寸瞬浮かべると、男
は戸をくぐった。そこはガランとした空洞になっていて、何もある様子
はない。
ただ、外周に細い階段が着いていて、それだけが上方へ向かうための
術らしい。
待ちぶせされたらひとたまりもないな、とつぶやきながら、男は段を
昇った。
しかし、予期していたような事態は起こらず、けれどその朗事に男は
ため息を着いた。
こんな調子で最上階まで昇るとなると、先に神経の全てがすり減って
しまいそうだ。
だが、相変わらず道は階段しかない。そもそもエナジータワーという
システムは、完成すれば廃棄処分になるまではほぼ永久稼働するものだ
し、これまで「壊れた」という例も聞いたことがない。
初期型であればいざしらず、こんな量産型のエナジータワーに階段以
外の文明的な――言い換えれば、高価な設備がある筈もなく、階段があ
るだけましだと思うべきだろう。けれど、長く果ての見えない階段は、
男の張り詰めた神経を嘲笑うか、進めど進めど同じ光景ばかり連ねてい
た。
それでも遂にはその段の果て、小さな踊り場とそこに据えられた扉と
に行き着いた。
「ここまで、何もなし、か」
待たれているのか、と唾を飲み込むと、男は得物を確かめた。
右手には、旧式の回転弾倉式銃。一方の左手には最先端の技で鍛えら
れた超綱セラミックスのナイフ。
レーザー銃やレーザーナイフが広範に普及した時世、一見すれば時代
遅れの装備達は、しかし趣味や酔狂などでなく、目的をもって手の内に
あった。
すなわち、レーザーのように「断つ」のではなく銃弾や刃をもって
「えぐる」ためのもの。精神の危うさを代償に力を得た者達の心を、
「痛み」から来る恐怖をもって破壊するための得物であった。
今一度、握り直して安堵を得ると、口に含んだままの数粒のカプセル
を吐き出した。床にこぼしたまま、気にもせずに、ナイフを持つ手で、
腰に吊るした小さなビンの中身――吐き出したものの倍程の量の新たな
カプセルを、無造作に口に放り込んだ。
口の中で2、3度カプセル達を弄ぶと、男は神経の全てを得物と扉に
向け、全身にアドレナリンを沸騰させた。
沸騰させたまま、けれど冷徹なままで、男は扉に左手をかけた。
開いた向こうに銃を向けると――案の定、その間の主がそこにいた。
「レグト・ラファニル――ヴァンパイア、『不文律』破りだな?」
「是」
男が尋ねると、主は振り向き、いささか血に塗れた牙をニイッ、と剥
いた。
「確かに我は『不文律』を侵した。けれど、それに何の関係がある?」
傲岸不遜をそのまま表すと、吸血鬼は嘲瞥を男にくれた。
「『不文律』を破ったものの末路を、与えに来た」
言うなり、男は口に含んだカプセル達を噛み砕いた。
中に封じられたいくつかの薬品が、全身に火を点け、体中が危うき刃
と研ぎ澄む。
「サムライ風情が!」
その様子を見取ると、吸血鬼はますます嘲り、必殺の爪を向けた。
先日よりも数段増しの斬撃は、しかしまたも男の刃に阻まれた。
その交錯の起こす甲高い響きのさなか、ドラッグの引き起こす苦痛の
うちのひとひらの快楽に頼って、男は右手の引金を絞った。至近で弾け
た銃撃を避ける暇があるはずもなく、弾丸が吸血鬼の体にめり込んだ。
天を裂くかと絶叫が鳴り、けれど吸血鬼は爛々と狂気を映した瞳を男
に向けた。
「くたばレヨォっ!」
恐怖したか、悲鳴とも思える男の叫びと、続く3撃の銃声。
それにも吸血鬼は耐え――爪を、大きく振り上げた。ぐぉふぉぉ、と
吸血鬼の唇が音を漏らす。恐れで蒼白でありながら、男もまた応じるよ
うに同種の音を繰り出した。
もはや互いの瞳に理性の色など残らぬ。
血走った渇望の輝きだけが互いを睨んでいて、凶暴に任せるまま鋭い
刃を繰り出した。一方はその爪を、他方は短剣を。
同時に互いを捉えんとした互いは、けれど刹那だけ早く片方が刺さっ
て。
「くふぅぅ」
吸血鬼から、吐息が流れ。
そして、片方の輝きは奪い取られた。
どう、と吸血鬼の身が崩れた。
「オォォォォォォ!」
それでも、男は猛り吠え、こと切れた敵の身に、幾度も刃を突き立て
た。
その心の糸が切れてしばしの眠りに落ちるまで、繰り返して。
「5月17日夜半に発生した傷害ならびに器物破損事件は、犯人の断定
不可能として棄却、翌18日夜に参考人のショウ・キスギを解放した、
ってことで決着したよ」
彼は警察手帳を僅かに開き、目の前の席に座る男に向けて読み上げた。
「そうか」
全く無感動に男が応えると、ロドニーと言う名の刑事は、まだいささ
か腫れた顔で、不満げに笑ってみせた。
「苦労したんだぞ、あれだけ派手にやったものを揉み消すってのは……
しばらくは警察の無能ぶりが叩かれることになるだろうよ」
「それがあんたの仕事だろう?」
言うと、男は席を立った。
午後の日射しにまぶしそうに目を細めると口の中のカプセルを、転が
した。
「また、世話になる」
禁断症状に唇の端を歪めながら、男は一つ手を振り、席を離れた。
あまり大きくなく、薄暗い喫茶店に、刑事は一人残り、出て行く男を
見送った。
「サムライ……か」
閉じられた戸に、秘やかに一瞥をくれると、刑事はコーヒーを一口含
み、身に馴れたその苦みに酔い痴れた。