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After 10 years APPEND 5
Kisses

「ねえ、シンジ、キスしよっか」
 二人の最初のキスは彼女のそんな気まぐれ(と彼女は言い張って
きかない)の言葉がきっかけだった。

 二回目は、彼女が何ヶ月も過ごしたその部屋の中、気まずい空気
が包んでしばらくして、からの彼女の一言がきっかけになった。
「ねえ、シンジ。キスして」
 頬を微かに赤く染めながら、彼女は相手の事をちっとも見ないで
そう言った。直視すると、ますます赤くなりそうで、嫌だったから。
でも、そんな台詞を口にした時点でもうそんな努力は無駄だと気付
くほどには恋するのにまだ慣れていない、所詮は15歳になりたて
の少女の可愛らしさか。
「え……でも、……そんな……何をいきなり」
 しかし、シンジはそれですっかり当惑した。
「私とキスするの、イヤ?」
 前のときも同じ事を言われたっけ。
 でも、今度は、振り向いた瞳が、心なしかうるんでいる。碇シン
ジの唇を、欲している。何のためかはわからないが、少なくともシ
ンジはそれだけは感じた。
「いいの?」
 だから、返事のわかっているその質問をしながら、シンジはベッ
ドのそばの椅子から立ち上がった。
 返事の代りに、アスカは両のまぶたを下ろした。
 シンジの顔が、横たわる彼女の肉付きの悪い顔に近付き、やがて
二人の唇が触れ合った。
 無機的な病室の中、互いの鼓動が妙にはっきり聞こえた。

「ねえ、シンジ……キス、しよ」
 3回目のキスは、それから半年後、高校に合格してすぐ、はじめ
てのデートのとき。
 家へ帰る途中、ちょっとした暗がりの中で。
 普段憎らしくてたまらない彼女の顔が、妙にいじらしく見えた。
 何か企んでるのかな、と思いながらも、彼女の唇の怪しい輝きに
吹い寄せられて、返事もなしに彼女の唇を奪った。
 彼女は目をまんまるに見開いてびっくりしていたが、やがて目を
閉じてそれぞれの感覚を楽しんだ。
 どちらからともなく終わった長いフレンチ・キスの後、彼女はい
つもどおりに微笑んで、
「さ、早く帰りましょ」
 といつもの調子で言った。
 その口調が何だか普段より速いような気もしたが。

「ねえ、シンジ……」
 続く言葉の前に、もう唇は塞がっていた。
 急に唇を奪われた事にアスカは当惑し、彼の力強い腕を振り払お
うとした。でも、できなかった。どうせ、言うか、言わないかだけ
の違いだものね。そんな言い訳で自分を誤魔化すと、アスカはかな
り上手なキスの味に酔った。
「……もう。私は何も言ってないわよ」
「でも、そうして欲しかったんだろ?」
 最近、シンジがちょっと強気なような感じがする。
 出会ってからの3年間ほとんど変わりもしなかったあの弱気な性
格が、徐々に徐々に見られなくなっている。まあ、男らしいしその
方が頼りがいがあっていいけどね、と決して口には出さない感想を
抱く。
「じゃ、頼りがいがなかったら?」
 突然、シンジがそんな事を口にした。
 え?
 どうして私の考えてる事がわかったのだろう。
「わかるさ。もう付き合いも長いしね。それに、僕だって昔のまま
じゃないんだ」
 アスカ達のために変わったんだ。と口に出さずに、付け足した。
 先回りして返事するシンジの顔をキョトンとした目で見ているア
スカが可愛くて、もう一度サッと唇を奪った。

 最後にもう一度だけ、キスしたかった。
 抱いてもらったら、決心は揺らぐ。だから、キスだけ。
 決して考えてる事を悟られないように、昔使ったのと同じ言葉を
使った。
「ねえ、シンジ、キス、しよっか」
 なんだい、急に?
 いいじゃない、別に。私がキスしたいって言ってるんだから。
 そうだね。
 流れるようなちょっとしたやり取りの後、二人はキスした。
 7年前みたいに妙にドキドキするわけでもなく、それでも胸を高
鳴らせて。
 でも、それも最後。
 いいかげん、シンジからは離れなきゃいけない。
 エヴァの次は、シンジに頼って生きてた。
 そんな事じゃ、いけない。
 だから、私は、逃げ出すの。シンジの所から。自分だけで生きて
いくために。
 シンジはそれと知らずに唇を離し、
「じゃ、もう夕飯の支度しなきゃ」
 と部屋を出た。
 アスカの、さよなら、というつぶやきは、届かなかった。


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