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After 10 years APPEND 2
He calls her…

 同窓会の開催通知が届いた。
 その思い出深い日付に、トウジはさすがにうなった。
「なんや……ほんまにこの幹事、わかっとんかいな」
 第3新東京市立第壱中学校2016年度卒業生同窓会。
 よりにもよって、この日とは。
「まったく……やなこと思い出させてくれるわ」
 ぼやきながら、トウジはゆっくりと体を起こし、義足をはめた。
 今日もまた彼女が来て、(まさしく)いろいろしてくれるに違い
ない。それ自体は悪いことではないのだが、どうもこっちが男だと
いうことを失念して行動してくれているようなので、それが困る。
 いまだに純情なのは、ワイがガツンと行かんからやろか、などど
実にふとどきなことを考えていると、来客を告げるチャイムが鳴り、
それから鍵を開けて彼女が入って来た。
「鈴原、おはよう」
 恋人、というか忠実な介護人というか。少なくとも痒い所に手が
届くとは言い難いが、いい介護人であることは確かだ。
「ああ、おはよう」
 そういや、もうだいぶ名前で呼んだことなかったな。などと思う。
 彼女の「鈴原」に相当する言葉が、見つからないのだ。
 名前を呼ぶのは気恥ずかしいし、かといって苗字だとよそよそし
いし。昔は「いいんちょ」で通してたが、この歳になってそれはあ
るまい。
 肉体関係が無かったわけではないのだから、別に恋人扱いしても
よかろうに、そんな軟弱な呼び方はできん、などと考えるあたりが
トウジらしい。
「朝御飯、作るね」
 そう言ってから彼女はキッチンに立つ。もう備え付けになってい
るいつものエプロン(確か今日のは8枚目のやつだ)を見に付ける。
 毎朝出勤前にやって来て、トウジの身の回りの世話をし、それか
ら出勤して、帰りにまたトウジの家に寄り、夕食を作って、身の回
りの世話をして、それから彼女は帰宅する。
 いいかげん、そんなのも終わりにした方がええんやろか。
 あの優柔不断の固まりだったシンジさえ結婚したのだ、いいかげ
ん自分もそうするべきではないか。幸い、就職先は見つかったし
(NERV直属の機関での簡単な事務職。補償の一貫だそうだ)、
年金を合わせれば二人ともう2・3人で暮らしていくぐらいのゆと
りはある。
 これまで何度と無く繰り返して来たそんな思考のプロセスを今日
も繰り返す。
 たいていその思考は、
「ごはん、できたよ」
 と振り向いたときの彼女の笑顔でご破算になる。血の巡りが異常
に速くなり、それどころではなくなる。
 今日も、そうだった。
 ふがいない自分を反省しつつ、いつものように着替えまで手伝っ
てもらい、(変な所に彼女の手が触れても変な気を起こしてはなら
ないと自分に言い聞かせる所までもが)いつも通りの朝は終わる。
「いってきます」
 いつもどおりに明るく言ってから、彼女は出かけていった。

 丁度その日は食堂でシンジと一緒になった。
 ただでさえ量の多いと有名なNERV本部第18食堂で、餃子定
食二人前という、ちょっと見ると吐き気がするほど大量の食事を懸
命に、しかしさほど苦労するわけでもなくかきこんでいると、おも
むろに正面の席に焼肉定食一人前を持ったシンジが座った。
 口の中に入っていた餃子を無理矢理飲み込むと、
「よ、お久しぶり」
 と挨拶した。
「一月ぶりかな、確か」
 答える口調は出会って少しして仲良くなれた頃のまま。
「こないだは、確かシンジの生還記念パーティーのときか。あんと
き、ワシ、いつ帰ったか覚えとらんのやが」
「確かケンスケと久しぶりに会ったからってパーティーの目的なん
て忘れて徹底的に飲んでいいかげんつぶれた所で洞木さんが連れて
帰ったよ」
「……そりゃ偉いすまんことしたなあ」
「ホントに覚えてないの?」
 思いっきり首を横に振るトウジ。
「あいつに聞いてもなにも教えてくれへんし、なんにも思い出せん
し」
「じゃあ、アスカを口説こうとしてたのも?」
「……それ、ホンマか?」
「本当。洞木さん、カンカンだったよ。連れて帰ってもらっただけ
ありがたいと思った方がいいよ。今さら謝るのもなんだから、何か
プレゼントでもしてあげた方がいいかもね」
「……一度に女二人の機嫌とっとる奴の言葉は重みがちゃうなあ、
やっぱ」
「何だかその言い方だと女の人をたくさんだましてるみたいだね」
「いやいや、よくもまあ惣流相手に尻に敷かれんですんどるなあ。
ほんま、感心するわ」
 変に感心して、トウジはうんうんと頷いた。
「まったく、お前がこないな男になるとはちっとも思わんかったわ」
 誉めているのかけなしているのかよくわからないな、とクスリと
笑いながら、シンジは焼肉の一切れと御飯を少し、口に運んだ。そ
れを飲み込んでから、
「結婚とかするつもり、ないの?」
 と尋ねた。
「考えてはおるんやけどなあ。なかなか言い出せんで……お前はど
うだったんや、シンジ?」
「言い出したのは……誰だったかな。確か、ミサトさんか冬月さん
だったかな。アスカがいなくなって1年ぐらいしてから、冗談でだ
けど、そしたら3ヶ月後ぐらいにレイの方から」
「……なんや、お前は何にもしとらんのか……参考にならへんなあ」
 僕にはレイとアスカとどちらかを選ぶなんてできなかったからね。
 内心、そうつぶやいた。
 どうしてもどちらかと結婚する必要があるのなら、クジでもつく
って決めただろう。クジの変わりが、レイの言葉だっただけ。
 アスカのことを忘れかけてたせいもあるのだろうが、でも、あれ
でよかったと思う。結婚したからこそ、アスカの居場所のことを二
人で真剣に考える気にもなったし、だからこそ彼女を忘れずに済ん
だのだと思う。
 あのとき僕達が結婚したから、アスカの帰る場所ができた――そ
う考えるのは、ちょっと傲慢だろうか。
 ま、そんな僕自身のことはさておいて、今はトウジのことだ。
「ただ、承諾の時に改めて僕の方からプロポーズの言葉は言ったけ
どね。だいぶ勇気がいったよ、やっぱり。ま、レイもなんとなくほ
のめかす程度のことしか言わなかったから、先にきちんとした形で
言ったのは、僕の方だったのかな」
「……さよか。……やっぱワシの方からはっきりせんとだめなんか
なあ」
「そうだね、多分。別に最近変わった様子はないんでしょ?」
「ちっとも」
「なら、きっと大丈夫さ。思い切って指輪でも買って、渡すんだね。
サイズは、わかる?」
 横に首を振るトウジ。
「なら、アスカにでも、聞いてみるかな。もしかしたら知ってるか
もしれない」
「……まだやると決めたわけじゃないんやし……」
「こういうことはさっさとやってしまうのが一番。好きなんだろ?」
 力なく、ま、まあな、程度に照れを隠しながら答えるトウジ。
「だったら、Go!だ。人生、いつまでもあるわけじゃないんだか
ら」
 こんな強引さがシンジにあるとは思わなかった。おそらく、ミサ
トとアスカの影響だろうが、始めて会った頃のシンジを思うと、と
ても信じられない。
 その強迫のようなシンジの視線に、トウジも腹を決めた。
「わかった。今日の帰り、指輪でも買って帰るわ」
 幸いにして、貯金はある。その辺に問題はない。
 親の意向も気にする必要はない。どうせ、ヒカリとのことはわか
ってるはずだ。


 帰り道、懐は寒く、しかし重かった。
 シンジが早速アスカに電話して尋ねてみたヒカリの指のサイズ。
 彼女の薬指にピッタリのはずの指輪の入った箱が、懐を重くする。
 ……ほんまにこれ、渡せるんやろか。帰り道の電車の中で、ため
息をついた。いつもの強気さはどこへやら、である。
 しかし、NERVの総司令というのはだいぶ暇な仕事らしい。あ
のあとわざわざ買いものにまで付き合って(トウジが引っ張られた
という方が正しいが)くれたのだ。
 電車を降りた。
 いつものバスに乗って、家の近くの停留所で降りる。
 それから、トウジの足で歩いて5分。
 ふと見ると、前方に見覚えのある影一つ。多分、彼女だろう。
 その証拠に、こちらの姿を見ると駆け寄って来る。
 懐に右手を入れ、そこにあるものをぎゅっと握った。
 二人を隔てている細い道の右手から、低いうなりだけが聞こえて
来る。
 何秒かしてその音の意味に気付いて時、事態を把握した時、トウ
ジは無理に駆け出していた。
「止まれ、ヒカリ!」
 無理に道路に飛び込んで、ヒカリに体当りをかける。
 多分、バッテリー切れ寸前の電気自動車だろう。ライトすら点け
たくない気持ちはわかるが、たまったもんじゃない。
 ヒカリはたまらず元の方向へよろめき、代わってトウジは予想通
りの代物に弾き飛ばされた。あまり速度が早くなかったのが、幸い
か。落下した方向も良かった。左半身をしたたかに打ったが、義手
と義足のおかげで、体そのものにはさほど傷もなかった。少し、血
が出ているだろうか。車に当った右腕が、もしかしたら折れている
かも知れない。
「……鈴原!」
 数瞬おいてようやく事態を把握したヒカリが、駆け寄って来た。
 もう電気自動車は逃げ出そうとしていた。
 そんなのに構わず……というか気付かず、トウジの手を取ったヒ
カリは、彼の手から落ちかけている箱に気付いた。
 箱……多分、指輪の。
 まだ意識の朦朧とするトウジの手からそれをもぎとる。中を開け
ると、きれいな指輪。ちょうど、ヒカリの薬指のサイズ。
「あ……ヒカリ……無事か?」
 朦朧とした意識のまま、ヒカリの姿を見つけたトウジが、うわご
とのようにつぶやいた。
「バカ……」
 トウジの手を持って、ヒカリは、涙をこぼした。
「……何、泣いとるんや。頼むから、泣かんでくれ……ヒカリ」
 名前で、呼んでくれるね。
 そんな些細なことがうれしくて、ヒカリは、しばらく、泣いてい
た。
 5分もして、事態の重要さを認識して、救急車を呼びに立ち上が
るまでは、のことだったが。

 一月後、同窓会の日の朝。
 いつも通りトウジの家での朝食の後、改めてトウジはプロポーズ
した。
 OKの返事が恥ずかしそうにヒカリの口から漏れ、早速エンゲー
ジリングをはめて同窓会に出た。
 ちょっとびっくりされたが、みんなは祝福してくれた。
 結婚式をいつにしようかとか、そんな話をしていると、そう言え
ば今日は、とアスカが思い出した。
「今日って、確か、参号機と……」
 そう、あの日だった。第13使徒、エヴァンゲリオン参号機と戦
った日。
「そうやったな」
 シンジにだけ耳打ちしたつもりだったのに、すぐ近くにいたトウ
ジにも聞こえてしまったらしく、トウジがそう言った。
「あ……ごめん」
 アスカにしてはだいぶ素直に謝った。
「気にせんでええ。もう関係ないことや。……今年からは別の記念
日になったしなあ。な、ヒカリ」
 言ってトウジはヒカリの肩を抱いた。
 すかさず飛んでくる独り身の男性の罵詈雑言。
 だが、それは次の瞬間のヒカリの行動で一瞬、かき消えた。
「バカ……」
 とつぶやいてからの、頬へのキス。
 直後、二人の間に何者かの手が割り込み、二人は引き離され、一
方的にトウジに大量の酒が浴びせかけられた。
「わ、待て、馬鹿、まだ怪我が完全に治ったわけやないんや」
 などと言う言葉も全く無視され、四方八方より飛んでくる手や足
やビール瓶やその他諸々に痛めつけられていった。
 これで彼の怪我が悪化、全治するまで更に半年かかるなどという
事態になったのは余談である。



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