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破門王烈伝 外伝の壱

王妃殿下の林檎菓子


 宮廷料理と言うものがある。
 その大概は、歴代の専任料理士達が、王族や貴族の贅沢のために考え
出したものである。
 見目は豪華絢爛にして風味は天下逸品、素材も手に入る最高峰をもっ
てするそれは、まさしくその地方の最高の料理であるのが通例だ。
 しかし、ローガニアの宮廷料理は実に奇妙な成立を果たした。
 その料理のほとんどが、一人の人間の手によって完成され、なおかつ
その料理人は専任料理士などではなかったのである。
 ローガニア風と呼ばれる、宮廷料理中にあってひとつ異質な、純朴さ
を持つ「究極の庶民料理」とでも言うべき品々を定着させたその者の名
は、誰あろうローガニア初代王妃、メルファラ・ザムリード・ローガン
である。

 そもそも彼女、メルファラ・ザムリード・ローガンは、貴族階級の人
間ではない。
 それを言えば、ローガン1世とて元々は一介の傭兵だったのだが、過
去を一切明かそうとしなかった彼と違い、メルファラの生い立ちからの
話は、彼女自身からの口伝えによって一通りが残っている。
 彼女の口伝えは、息子アルフレドが晩年に記した『ローガニア創王記』
の外本にてまとめられている。それによると、彼女の生まれは、エヴリ
ア王国の片隅、レニール伯爵領下の宿屋の娘であったらしい。
 レニール伯爵領と言えば、その領地こそささやかなるものの、エヴリ
ア国内で最も豊饒であることが有名である。地方全体が裕福であったの
で、メルファラの生家のあったレニール城下もまた小さくはあっても活
気に満ちていた。宿屋としては中堅であった彼女の生家もまた、繁昌と
は言わぬがそれなりの経営を保っていた。
 そんな店が突如大繁昌しだしたのは、メルファラが14になった頃で
ある。
 理由は簡単、メルファラが本格的に店の手伝いを始め、看板娘として
その名が広まったからである。大変に気立てよしでありながら、同時に
きっぷもよいというメルファラは、店に集う常連達の憩いとして店に福
を招いた。
 さて、そんな店に集う中に、既に少年を離れ青年となりつつあったロ
ーガン1世の姿もあった。当時はただ「ローガン」とだけ名乗っていた
彼は、鎧も付けずに大剣一本で戦場を渡り歩く、傭兵稼業の身であった。
 既に生まれの地を捨て、旅だけを住処としていたローガンは、しかし
メルファラの父ザムリードとメルファラとに惹かれ、この宿を故郷とす
るようになったようだ。
 そのうちに、ローガンとメルファラの2人は惹かれ合うようになって
いたようで、メルファラが16の時に結婚することとなる。
 が、それでローガンが傭兵稼業を捨てられるはずもなく、それどころ
か命闘士ばりの戦いぶりをする彼のこと、あちらこちらで引っ張りダコ
であったようで、街に戻っているのは、年の5分の1ほどしかなかった
らしい。
 さて、そんなふうに亭主が戦場に行っている間にメルファラが何をし
ていたかと言うと、相変わらず父親の宿を手伝っていたらしい。結局、
結婚してからも店の繁昌は変わらず、むしろ結婚後の方が「綺麗になっ
た」と評判が上がったらしい。
 そんな彼女がアルフレドを出産したのはメルファラが17の時、これ
を契機に、メルファラは近くに店を借り、パン屋を開店した。
 当初は売上の大半が父の宿への卸し品であったが、メルファラの腕の
よさもあり、開店の2年後には領主の御用達となったようだ。
 とはいえ、「メルファラのパン屋」は、開店からわずか5年で移転す
ることとなる。
 理由は、エスアラード奪還作戦での功績により、夫ローガンがメゥク
レド盆地を中心とする領土を賜り、そこに己の国を建国することとなっ
たからである。
 突如戦から帰還した夫に、そのようなことを告げられたメルファラは、
しかし
「あら、それなら宮廷作法もちょっとは憶えないとね」
 とこともなげに応えたという。
 このことについては、メルファラ曰く、
「あんな無茶苦茶な旦那ですもの、国王にぐらいなったっておかしくな
いわよ」
 だそうである。
 であるが、ローガニアを建国したローガンは、メルファラにもアルフ
レドにも王族らしい振る舞いなど一つも求めはしなかった。ローガン自
身が、作法やら行動やらが王族としては相応しくなかったのもあるが、
それ以上に余計な負担をかけたくないというローガンなりの気遣いもあ
ったのだろう。
 そんなこともあり、ローガニアという「王国」は建国されたものの、
まったく王国らしくない国となった。
 まあ、その王国らしくなさの一端が、ローガニア王国が商業を基盤と
して国を成り立たせたことに起因しているのも事実だし、ローガニアと
いう国の位置するメゥクレド盆地が不毛の土地であることを考えると、
その基盤選択は当然である、と見えよう。
 しかし、その事実は逆にローガン1世の偉大な所をしめしている。そ
もそも、ローガニアという「唯一ニナード山脈に穿たれた道」を得たの
ならば「通行税で成り立つ王国」を作るのが普通であり、「交易の中心」
として育て産業としての商業を根付かせてしまったということは、特筆
されるべきことなのだ。
 折しもエスアラード奪還作戦の直後、アローメガ教圏の人々の目もヴ
ェクトヴァニセスに向いていた時期に、ローガン1世は、安価な通行税
に、おそらくぎりぎりの代金しか取らぬ国営の宿、それにほぼ無償での
出店の許可をもって多くの人を呼び込むことに成功した。
 だが、そんなことでは国の経営は成り立たぬ。勿論ローガンの傭兵時
代の稼ぎの残りもあるが、喰い潰してばかりでもいられぬ、と思い立っ
たメルファラ。
 彼女は夫に頼み込み、ローガニア城下に「メルファラのパン屋」を開
店するに至った。すると、最初こそ「女王陛下が作っているらしい」と
いう物見気分だったらしいが、開店して3日もすると本当にパン屋に詰
めかける客ばかりとなり、あっという間にレニール伯爵領時代の売上を
抜いたという。
 国営宿が手狭になるのを受けて建てられたいくつかの宿屋も続々とメ
ルファラのパンを食堂に出すようになり、時の教皇が幾度かヴェクトヴ
ァニセスに巡検に出たのも、半分はメルファラのパンが目当てであった
ともいう。実際そのままメルファラがパン作りを秘伝とすれば「パンで
成り立つ国」というものが出来たかもしれない。
 であるが、メルファラはある日の買い出しの折、粉屋の店主に「どう
すりゃあんな美味しいパンが作れるんだい」と冗談半分で聞かれたのに
対し、懇切丁寧、秘伝ともなるであろうちょっとしたコツまでもを一気
に喋り上げた。
 で、その話を聞き付けたとある宿屋の主がズバリと作り方を聞いた所、
更に懇切丁寧に、実演指導までしてくれたらしい。
 とは言え、「経験と勘」がモノを言うのが料理というもの、流石にメ
ルファラのものと同じ味のパンはできなかったようだ。それでも、メル
ファラ直伝の作り方でのものは、それまでのものより数段美味であった
らしく、それゆえあっと言う間に作り方は広まった。
「どうしてあんな気軽に教えたんです?」
 と尋ねられたメルファラが応えるに、
「だって、訊かれたんですもの」
 だそうである。

 さて、そんな具合に王族になっても相変わらずの彼女である。
 であるから、ローガニア王城で振る舞われる料理の一切は、彼女の監
督下にあったらしい。これについては、メルファラ自身の希望もあった
ようだが、実はローガン1世が彼女の手料理を欲していただけ、という
話もあり、その辺りは定かではない。
 ローガニア王国に仕えた料理人は、メルファラの存命中には僅か9人。
 そのいずれもが、当時の各王国から引く手数多であったと言う名うて
の料理人ばかりであった。のだが、その全てが「メルファラ様は越えら
れぬ」という類の発言をしている。
 ということで、メルファラの料理の腕について書かれた記述を見てみ
よう。
 最も参考となるのが、晩年の天衝王の軍師として知られる『天の支え
手』ライヴェルの記した『見聞録』中の記述であろう。
「それまでの料理に見たことのない、庶民のものとしか思えぬ在り様に、
戸惑った。けれども、老いてなお凛と美しくあった王母の勧めに従い、
また陛下にも勧められ、渋々ながら口にすると、美味であった。
(※『見聞録』の執筆当時には、既に王位はアルフレドに譲られており、
メルファラは当然「王母」とされていた)
 それまで庶民料理に美味を感じたことはなかったが、それは確かに美
味であり、しかも庶民風でありながらいずれの宮廷料理にも劣らぬ貴風
を持っていた」
 これだけだ、ただ褒めているだけの記述なのだが、他の記述で料理に
触れている部分を参照すれば、これがライヴェルにとって最大限の賛辞
に近いことが推される。ライヴェルの『見聞録』中の料理への記述のほ
ぼ全ては、「食した」だけであり、「美味かった」「不味かった」だけ
の感想が書いてあることも稀、数行を使って記した例などメルファラの
もの以外には見当たらぬのである。
 ちなみに、このような形で判別できるのは『見聞録』だけである。他
の書を紐解けば、どれもこれも嘘かも知れぬ程の最大限の賛辞の言葉と、
「言い表せぬ」という降伏の言葉ばかりが連ねられている。
 唯一、他に信頼できる資料があるとすれば、アルフレドの妻、アリー
シャの日記に記されたアルフレドの言葉の一つ、「美味しいよ!……母
上ほどじゃないけど」ぐらいであろう。
 既に結婚を決意していたらしいアルフレドに取ってみれば、実に不用
意な一言であるが、そう言わせてしまうほどにメルファラの料理が美味
であったと言うことだろう。勿論、想人の前でアルフレドが緊張してい
たという考えもあるが、「無双将軍戦役」での完膚なきまでの戦いぶり
に見られる、感情の殺し方と極端に理性に依った行動の採り方からすれ
ば、充分に冷静であったと考える方が自然である。
 そのように絶賛されているメルファラが、何故に料理人として名を残
していないか、であるが、これはアルフレドがその偉大さの割に名を残
していない(彼の功績だけを純粋に見れば、伝説の英雄王シャルマー以
上の英傑の才を見て取れるだろう)のと同様、「破門王ローガン・ロー
ガニアの妻」としての名が大きすぎたことに由来するところであろう。
 しかしながら、彼女はその類稀れなる才をもって、ローガニア風宮廷
料理を完成させたその人であり、またローガニア風宮廷料理が数多の宮
廷料理の中でも最も完成された形であることもまた事実なのである。

 そのメルファラの最高傑作と呼ばれている料理が、「王妃殿下の林檎
菓子」と呼ばれる品である。
 実は、ローガン1世はその豪快なイメージと裏腹に、甘味をこよなく
好んでいたようである。それも、豪奢な貴族風のそれではなく、どちら
かと言うと田舎風の純朴なものを好んでいたらしい。
 そんなローガンを喜ばせようと、メルファラの編み出した菓子料理は、
その実、十数種にも及ぶ。
 だが、いずれもメルファラにとっては不満の残る賛辞しか受け取れな
かったらしい。
「もう一度食べたい」や「作ってくれ」という言葉がローガンからもれ
ることはなかった。
 さて、話はアローメガ教歴1385年、無類帝の客将であった『無双
将軍』ローガンが、その地位を辞去し、流浪に出て3年目のことである。
 何やら、遠方より来た行商人が、その出祖の地にて、ローガンらしき
人物を見たらしい。3年前より行方不明の前国王の目撃報告は、ローガ
ニア中を色めき立たせた。しかも、行商人が言うには、その人物は「そ
ろそろクニへ帰るころあいか」などと話していたらしい。
「やっと帰って来るんですか、あの放蕩者が」
 とはこのときのアルフレドの言葉だ。
 ちなみに、メルファラの反応も同様で、「3年も便りの一つもよこさ
ずに」という風であったらしい。
 けれど、この母子の違いは、ここからである。
「いーよいーよ、どーせあの人にゃ国なんて関係ないから」とあきらめ
加減で詳しい情報の入手やら歓迎の準備やらを放棄したアルフレドに対
し、メルファラは俄然、何かに憑かれたように厨房に籠り、様々な菓子
を作り始めたらしい。
 アルフレドは、それに対しできるだけ静観、無理でも可能な限り無視
しようと決め込んだが、しかし、母親としての立場を振るわれて、試食
役をやらされる羽目になった。
 それでも、「まあ、試食ぐらいなら」いうぐらいのつもりでアルフレ
ドは引き受けたらしい。何と言っても、メルファラの料理は天下一品、
試食はさぞ至福であろうから、というのもあっただろう。
 だがしかし。
 アルフレドが食べる羽目になった菓子は、いずれもがおよそ美味とは
言い難い味であったらしく、アルフレドは、それからの2週間、全くと
言っていい程執務一切を行えなかったらしい。
「……空前絶語……」
 その試食品についてのアルフレドの評は、ただそれだけであった。
 大抵のことについて美辞麗句を並べ立てるアルフレドがこれしか言わぬ、
と聞き及び、多くの者はその料理に興味を持ったらしいが、そんな人々
に対して、
「やめておけ、いいや、やめろ、これは王命だ、絶対に今の母上の料理を
食べてはならん!」
 とわめき散らしたアルフレドの姿に、皆ただならぬものを感じたらしく、
被害者はアルフレドただ一人で済んだようだ。
 だけれど、遂に2週間後。
 メルファラが、何人かの友人達を食堂に招いた。
 厨房から何やら美味しそうな匂いが漂う中、しかしそこには戦慄が走
っていた。
 これまでの数日間も匂いだけは美味しそうであったのだ、しかしアル
フレドの様子を見て来た一同は、今ではこの甘く食欲をそそる匂いに恐
怖しか感じなくなっていた。
「アルフレド様はどうしておられる?」
 沈黙に耐えられなくなり、切り出したのはその頃には荒くれ獅子騎兵
団の団長を勤めていたアルフィオスであった。
「……あの人なら、昨日から部屋でうなされてますわ。見ているのも辛
いくらい」
 だけれど、あまりに悲痛な声でアリーシャが答えたために、沈黙は更
に重量感を増した。
 いたたまれなくなって誰かが声を上げても、沈黙しか返らぬ堂々巡り
がしばらく続き――そして遂に、メルファラが厨房から姿を表した。
「お待たせしました。ええと、試しに作ってみたんだけど、食べてもら
える?」
 手にした盆の上には綺麗に切り分けられて個別の皿に盛ったその料理
が、顔にはいつもの魅惑的極まりない微笑みを浮かべて、こころなしか
弾んだ声で彼女は言った。
「はい、義母さま、喜んで」
 引き釣った笑いで、それでもにこやかにアリーシャが答えると、メル
ファラは心底嬉しそうにパァっと顔を輝かた。
「まぁ、そう言って頂けると嬉しいわ」
 まるで容貌を褒められた一介の主婦のように、にこにことしながら皿
を客人の手元に一つ一つ置いていくその姿は、美貌の怪物を思わせた、
と席に居会わせたうちの一人は後に語っている。
 さて、さほどもせずに料理は行き渡り。
「さあ、召し上がれ」
 とメルファラが告げるに、しかし誰一人動かなかった。
 互いに視線で牽制し合い、動こうとしない。
「あの……これ、試食はなされました?」
 ややあって、アルフィオスが尋ねた。腫れ物を見るような目を、料理
に向けたままで。
「いいえ、まだですわ。でも、今日のは自信があるのよ」
 ふふふ、と微笑むその姿に、文句を言えるものはなく。
 しかも、言葉を発してしまったことで、メルファラの注視を浴びるこ
とになったアルフィオスは、もう自分が逃げられないことに気付いた。
 よく見れば、周囲のいずれもが彼に注目している。
 アルフィオスは、覚悟した。
 これまでないほどの戦気を奮い、されどそれを表に放たずただただ中
で思い切りに変え、遂にその料理を一切れ、フォークで取った。
 ゴクリ、と唾を飲み込み――皮肉にも、その仕草は美味なるものに堪
え切れない、とも見えた――そして、含んだ。
 幾度か咀嚼が行われ、やがて再び喉が鳴った。
 沈黙が訪れ、好奇と、期待と、絶望の視線が向けられた。
「……美味い」
 呆然と、アルフィオスが言い、もう一切れを素早く含んだ。
「美味い!」
 こんどは、明確に。
「美味いですよ、これ!」
「まぁまぁ、そんな大げさですよ」
 アルフィオスの感激ぶりに、メルファラはそう応えながら、自らも一口、
それを口にした。
「あら、美味しい。アルフレドったら、こんな美味しいのに、どうして
あんなに必死になって『食べるな』って言い張ったのかしら」
 そのメルファラの様子に、他の客もアルフィオスの気が違ったでない
ことを悟ったらしい、それぞれ料理を喰み、そしてそれぞれが賛辞を口
にした。
 メルファラはそれに、ただ微笑んで応えただけだった。

 アリーシャによると、「メルファラ様の料理を食べた」と床のアルフ
レドに告げたところ、苦しいのも忘れて跳ね起きて、しきりにアリーシ
ャのことを心配したらしい。
 であるが、きちんとした料理だったことと、その席のことを話すと、
「……まあ、素養はあったから……」
 とだけ言って、それから思い出したように苦しみ出し、そのまま伏せ
ったそうだ。
 結局、アルフレドが執務に戻ったのはそれから1週間してからである。
 その日の夕刻、一人の巨漢がローガニア城の門を叩いた。
「帰ったぞ!」
 とだけ告げる彼は、正しくローガン1世その人であった。
 さて、破門王帰還に沸く城下のことなどは他の文献に頼って頂くとし
て、メルファラについてのみ語るとしよう。
 その、盆地じゅうに届くのでは、という声を聞きつけると、メルファ
ラは夫の元に駆けつけもせずに厨房に入り、件の甘い匂いを立て始めた。
 熱烈な歓迎を受けた後、食堂の前を通った破門王はそれを嗅ぎつけ、
厨房の妻に声をかけようとした。
 しかし、わずか早く、厨房のメルファラが、
「食堂で待っててね、あなた」
 と応えた。
 無論、メルファラに破門王の姿が見えていた筈もなく、いかにして先
に声をかけたかは非常に疑問であるが、少々の間を置いて、メルファラ
はやはり件の菓子を盛って夫の前に置いた。
 にこり、と笑った妻の顔に、僅かに目を細めると、破門王はその菓子
を一切れ、口に入れた。
「美味い!」
 その喉から、滅多聞かれぬ賞賛の大声が放たれた。
 それから、すぐさま問いがもれた。
「これは、何という料理だ?」
 それは、メルファラはよほど会心だったのだろう、今にも跳ね上がり
そうなのを、代わりに手を一つ叩いて抑えると、
「あなたのために考えたのよ」
 初々しい夫婦のそれのように、ちょっと顔を赤らめて言うと、夫の頬
も心なしか朱にまみれた。
 ふぅ、とアルフレドがため息をつくのと同時に、誇らしげにメルファ
ラは言った。
「名前は……そうね、アップル・パイとでもしましょうか」

 それからの晩年、ローガンが旅立つことが少なくなったのは、ひとえ
にこのアップル・パイのおかげだと言われている。
 この料理そのものは、以来アローメガ教圏東部に広まったのだが、や
はりメルファラのそれは絶品だったのであろう、ローガンは大変にこれ
を好んで食したようだ。幾度も幾度も彼が妻にアップル・パイをねだっ
た、という話はそれこそ星の数ほど残っている。
 これに「王妃殿下の林檎菓子」と名が付くのは、およそ百年ほど後の
ことで、そのころにはローガニアではただ「王妃」と言った場合には、
メルファラのことを指すのが一般的となっていた。
 というところで、メルファラとその最高傑作についての話を結ばせて
いただく。


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