小説の部屋へ戻る

破門王烈伝 巻の参 無類帝戦役の段

       其の壱 アル=ハドゥン襲来戦


 破門王生存の時代は、英傑に恵まれた時代であった。
 アローメガ諸国では老練なる<黄金王>フロニィ6世、苛烈なる<倒
竜王>エーギール7世、屈強なる<天衝王>リヴァネス3世、華麗なる
<剣聖王>ラファシール3世、勇猛なる神聖西十字星騎士団長ベルガー
ド・マギン。
 ラファーマー諸国では、北方ラファーム帝国皇帝にして「大東征」に
てその名を知られるガロイ=カディヌ、ラファーマー本神殿付き兵団長
ダリーズ=アレサム、極西ラファームの皇帝3代にわたって仕え、その
戦術眼で幾度となく勝利をもたらしたルドゥ=ガネイ元帥。
 だが、それらの英傑の中でも特に抜きん出ていたのが言わずと知れた
<破門王>ローガン1世と、極西ラファーム帝国皇帝<無類帝>ファル
=ルドゥスである。
 その二人が始めて激突した戦いこそが、無類帝戦役と呼ばれる一連の
戦乱であった。

 さて、まずは無類帝戦役について幾分の講釈をしたい。
 無類帝戦役とは、1370年初頭より1371年半ばまで、アローメ
ガ諸国とラファーマー諸国の間で繰り広げられた一連の戦いの総称であ
る。
 無類帝戦役と言う呼び方は、アローメガ諸国の歴史書に見られる呼び
方であり、ラファーマー諸国に於いては、「アル=ハドゥン侵攻」「無
類帝反攻戦」「無双王阻止戦」の3つの戦いに分けられる事が常である。
 実際この分類は、歴史の流れから見て実に妥当であるとの評価が高く、
ゆえに今回はこの3つに戦役全体を分けて語りたいと思う。
 1369年10月9日、聖エスアル生誕祭、この日、教皇リオネル1
3世はエスアラード奪還と異教徒討伐を行なう事を諸候に伝え、翌年1
月27日、ローガニアとベギンの国境に各国軍を集結させる事を命じた。
 これに対し殆どの国は保有戦力の半分〜3分の2に当たる戦力を国王
自らが率いてやってきたが、<黄金王>フロニィ6世のみは既に52歳
という老齢ゆえか、第1王位継承権を持つエクサス王子に自国軍の指揮
を委ねた。このことから当然フロニィ6世が就くと思われていた総大将
の座が空白となり、結果として教皇の信任篤い<愚劣王>パーリィ4世
がその座に付いた。
 この時点でほぼ敗北は決定したのでは、という噂まで流れたが、自軍
の消耗を嫌ったパーリィ4世が、他国軍を主に先峰として使用し、また、
疲弊を狙って酷使したローガニア軍の働きもあり、意外にもヴェクトメ
シュトル地方及びエスアラードの奪還に成功した。
 そして5月17日、遂にアローメガ教圏軍は難攻不落を詠われたアル
=ハドゥン砦に攻め入る事となる。

「籠城戦……こちらが敵城砦内の構造の情報が全くないのを狙っての事
でしょうな、おそらく」
 軍議の席において、エクサス王子は最初にそう発言した。
 すでに一連の戦いで、23歳という若さながらもその勇猛さを発揮し
ており、父に勝らずとも劣らぬ逸材であることを示している王子の言葉
は、総大将であるパーリィ4世を除いた全員に納得を促した。
「アル=ハドゥン砦内には、異教徒軍一の武辺者、皇弟ガルゥ=ルッダ
ームが自らの軍団とともに篭っているはずだ。屈強を誇る第9軍団、8
年前のヴェクトメシュトル蹂躙の際にもその力は確かであった事よ」
 <倒竜王>エーギール7世が深い髭の奥に苦い表情を浮かべながら言
った。
「されど、こちらとてこれまで戦い抜いて来た屈強な軍勢、しかも我が
2万の軍団はほぼ無傷で残っている。これならば問題はあるまい」
 と愚劣王。
 何を愚かな、と一同が思う。
 軍勢が無傷であると言う事は、まったくもって役に立たない雑兵が残
されていると言うことである。戦いと勝利がもっとも軍勢を強くするの
に、愚劣王率いるベギン王国軍はろくな戦闘を経験していない。
 まあ、その考えに行きつく諸候にとっては、もはや愚劣王の軍勢は戦
力外と見なされているので、問題ないと言えば問題ない。
 少し問題があるのがそう思いつけない諸候であるが、まあ、軍勢をま
とめてくれている分には問題がない。
 最も問題があるのが、自軍の勝利を疑わぬ愚劣王である。
 これまでは野戦であったため、諸候の裁量である程度戦いを進めても
問題なかったのだが、攻城戦となるとそうはいかない。攻城戦に於いて
は、良く統率された軍を持つ事の方が多くの軍勢を持つ事よりも重要な
のだ。
 だが、血気にはやる愚劣王は、まさしくそれと正反対と言えるであろ
う。
「明日より全軍をもって突入戦をかける。各軍は、備えて十分に休息を
取るように!」
 激論の交わされた軍議の最後、教皇への体面のため反対できない幾人
かの諸候の気も知らずに、愚劣王はそう命じ、軍議を終えた。

「明日は退却戦になるでしょうな」
 軍議の後、ローガン1世は<倒竜王>エーギール7世の傍らを歩きな
がら、そうつぶやいた。
「滅多な事を口にすると、パーリィ殿に聞きつけられるぞ」
「……<愚劣王>に知られた所で、何も怖くないです。それより、明日
の失敗の後の反撃が問題です。……多分、14年前と同じ罠でしょう」
「やはり、そう思っていたか」
 この数ヶ月来、ずっと秘めていたその疑惑を二人は確かめた。
 ここまで攻め入る数ヶ月、敵の抵抗が思いのほか弱かった事が引っか
かっていたのだ。
「以前よりも負け方が巧妙です。おそらくはルドゥ=ガネイか、新皇帝
かが指揮しているのでしょう。砦に攻め入れば、全滅は必至です。その
前に負けねばならないわけです」
「……その前に負ける、か……わざと負けろと?」
「全滅するよりはましです。もし私がこれからやる事に失敗したら、そ
うしてください。あと、天衝王と剣聖王、それにエクサス殿下と教会騎
士団のベルガード・マギン殿にもこの話をお願いします」
「これから……何をする気だ?」
「命令違反です。ちょいと息子と共によからぬたくらみをね……」

「アル=ハドゥン内部に敵第9軍団が、おそらく近くには親衛軍団と第
1軍団が。新皇帝の力量はわかりませんけど、ガネイ元帥が何も言わず
に従っているのが……」
「ガネイ元帥が噂通りの人間なら、新皇帝の力量が不足と思えば忠告の
一つや二つは……か」
 息子であるアルフレドの言葉を聞き、ローガン1世はうなった。
 これからやる事は既に見えているのだが、決行するには情報が少なす
ぎる。
「さて……どうしたものか」
「どうしたもこうしたも、負けないためにはやるしかないんでしょう?」
「だな」
「だったら、四の五の考えても無駄でしょ? どうせ最後は力押しにな
るんだから」
「……お前の口からそんな言葉が出て来るとは意外だったな」
「力押し以上にいい方法がないんだから、力押しを選びます。策っての
は、力押しよりもいい方法だから用いるんです」
 所詮は俺の息子か。
 アルフレドの言葉を聞いて、ローガン1世はしみじみとそう思ったと
いう。

 さて、歴史学者の間でいつも問題にされるのは、「日付が変わる」と
はどの時点をもってなされるか、ということである。
 特にこのアル=ハドゥン砦攻めに於いては、これほど重要視される問
題はない。
 一般には「終末の剣」の闇が最も強くなる時点、即ち深夜を境とする
のだが、文献によっては、日の出をもって境とするもの、日の入りをも
って境とするもの、極端なものになると「始源の剣」の光が最も強くな
る時点である正午をもって境とするものなどもある。
 まだまだ色々と学説はあるが、この場合、数ある文献の表記が全て5
月17日であるのに、ある文献では日の出説を、ある文献では日の入り
説を、ある文献では深夜説を……となっているのが問題である。
 日の出説を採っているのであれば、これから語る内容は5月16日に
行なわれたことになるはずであるのに、何故かいずれの文献も5月17
日で表記している。
 このことが長年顕在化しなかったのは、これから語る内容が深夜過ぎ
から日の出前という極めて短い時間に行なわれたからである。

 5月17日深夜から未明にかけて行なわれたその戦いを、アル=ハド
ゥン襲来戦と呼ぶ。
 その幕開けを告げたのは、大柄な大人の身の丈の倍の長さはあろうか
と言う巨大な斧を振るったカーレズという男の一撃がアル=ハドゥン砦
の城壁を叩き割った音であった。
 アル=ハドゥン砦の城壁は稀に見る丈夫さ、高さを誇り、当時実用化
されていた如何なる攻城兵器でも揺るがないという威容を誇っていた。
 それが、いかに巨大とはいえ、人間の一人の斧の一撃で破壊されてし
まったと言うのが、どれだけ異常なことかうかがいい知れよう。
 実際この一撃による城壁の破壊は、4辺が大剣ほどの大きさの石材に
正確な断裂を一筋つくっただけであるが、逆に砕かずに断烈をつくった
だけ、というのはこの一撃の鋭さを示している。
 ちなみに第2報となったのはヴェグと言う名の命闘士が放った気炮
(本来肉体に込めることで超人的な力をもたらす命闘士の「命の焔」を、
直接放つことで破壊のための力とすると言う技法)によって壁に完全に
穴が空いた音であった。
「よっしゃ! 突入!」
 破門王の雷を思わせる声が響き、そしてアル=ハドゥン襲来戦と呼ば
れる戦いが始まった。

 ローガン1世とアルベルトが示した作戦とは、概ね次のようなもので
ある。
 まず、荒くれ獅子騎兵団において最も剛力なることを誇っていたカー
レズの斧の一撃と、ヴェグの気炮によってアル=ハドゥン砦の城壁に穴
を空ける。
 アル=ハドゥン砦はその城壁の強固さゆえに、防衛するべきは実質城
門のみである。
 巨大な砦ゆえ、全体を見張ろうとすると膨大な人数が必要であったと
言うのもあるが、それ以上に、この壁を破る兵器など存在しない、と言
うのが盲点だった。
 力押ししかない、と決まった時点からアルフレドはこの「破られるは
ずのない壁を破る」という案を考えたらしい。即ち、相手の予想以上の
力押しを用いれば、それは相手の意の裏をかくことになる、というわけ
だ。
 音を立てるのを恐れて鎧を脱いだり馬具を使わずに馬に乗ったり、或
いは互いの姿を識別できないという危険を犯してまで黒を基調とした装
束で行動して夜の闇に紛れたりと、それなりのことはしたのだが。
 結局最後は力押し、というあたりがローガン1世のやることらしい、
といえばらしい。

 で、その後の戦いの展開であるが、もうこれも力押しとしか言いよう
がない。
 突入に成功した荒くれ獅子騎兵団の総勢100人を、10の部隊、1
0人ずつに分け、それぞれが定められた地点を占領する、とだけ指示さ
れて分かれたのだが。
 ある隊は、正門の確保を指示されたが、道が分からないのでとりあえ
ず正門とおもわれる方向の障害物、もとい建造物をことごとく破壊しな
がら進んでいく。
 またある隊は北西の端にある見張り塔を「どうにかするように」と指
示されて(先刻の大斧使いのカーレズがいたのも悪かったのだが)、塔
をまるで木を切るように叩き切ってしまった。
「おーおー。やっとるなあ」
 各所で巻き起こる派手な音を聞いて能天気な声を出したローガン1世
も、愛用の大剣を振り回して戦傷者を量産している。そのついでにあの
へんやこのへんの壁や柱も壊して行くのはご愛嬌と行ったところ、なら
ばまだ可愛げがあるのだが。
「……そろそろ崩れるか」
 そんなことまで計算に入れて戦っているのだから、ローガン1世とい
う男は恐ろしいのである。
 よくローガン1世は「愛用の大剣1本で2大教圏を手玉に取った男」
と称されるが、これは大間違いである。彼が戦で用いた道具は、部下と、
大剣と、そして何よりその頭である。
 長年の戦闘で培った勘、戦力配分の妙、戦況把握及び状況推理の確か
さ、そして1点突破で突破すべき点の見極め。それら全てを併せ持って
いたがために破門王の剣はただの大剣以上の効果を発揮したのだ。
 例えば。
 そうやって戦っている最中に響く物音。
 聞こえた方向、大きさ、そして同時にあがる歓声。導き出される一つ
の結論。
「退くぞ!」
 叫んで、ローガン1世は真っ先に逃げ出した。道すがら、一本の柱を
叩き切りつつ。
 轟音が響く。北西の塔が倒れた音だ。
 その震動は脆くなった建造物を倒壊させるには十分なものだった。
 狙い通りに、今の今まで戦っていた建物は壊れ、幾つかの悲鳴が轟く。
「……無事だな?」
 返事がないのを無事な証拠だと解釈して、ローガン1世は次の行動に
移った。

「……出てきたな」
 嬉しそうにニヤリと笑う破門王。
「これ以上ここを壊されるわけにはいかんからな」
 瓦礫を乗り越えて現れたのは、浅黒い肌をした巨漢。ラファーマー教
圏の人間と一目でわかる。得物は長槍刀(直刀状の尖端が鋭利であるな
ぎなただと思えば良い)。
「貴様が<無双王>か?」
 巨漢がローガン1世を睨み付けて言った。
「いや、すまんな。これは異教徒は知らぬ呼び方か。……ローガン1世
だな?」
「そうだ。となると貴殿がガルゥ=ルッダーム皇弟殿下、と言うわけだ」
 同様に睨み返しながら、ローガン1世は口を開いた。
「ほう……異教徒から『殿下』などと呼ばれるとは思わなんだ。呼び捨
てにされるか、『異教徒の将軍』で済まされるかだからな、いつも」
「名を知っていてもらったんだ。そのぐらい、当然だ」
「ふん……しかし、派手な事をしてくれるものだな。壁を破られわずか
半刻(=1時間)で、ここまでの有り様とはな。一体どんな魔術を使っ
た?」
「さて……教えるわけにはいかないね。真似をされたら困る」
「まあいい、貴様さえ斬れば後は烏合の集よ。まさか、受けぬとは言わ
せぬぞ?」
 武器を構える皇弟。
 無言のまま、大剣を無造作に片手で振り上げるローガン1世。
 一体どれだけの力が必要なのかと、普通なら目を疑うその構えも、ロ
ーガン1世の手にかかればさほど特別に思えぬから不思議である。
「むぅ……」
 うなる皇弟。破門王の、一見無造作ながら隙のない構えに攻め手を失
っている。
「どうした? 来ないのか?」
 それをわかっていて、破門王は挑発をかけるように、言った。
 ゆっくりと、至極ゆっくりと長槍刀を動かしながら、皇弟は破門王の
隙を探った。
 見つからぬ、見つからぬ、見つからぬ。
 一分の隙もないとは、このことか?
「……臆したか? それともラファーマー神は攻めぬ事でも勧めたか?」
「貴様……神を愚弄するか……」
 思わず長槍刀を握る手に力が入った、その一瞬を見逃さず、破門王は
信じられぬような瞬発力で長槍刀の間合いを飛び越え、大剣の間合いよ
りちょっと内に飛び込んで、両手で大剣を振り下ろした。
 狙い通り長槍刀の刀身を砕いた大剣は、石畳に深く突き刺さっていた。
 大剣を何でもなしに引き抜き、猛る切先を皇弟に向けると、破門王は
ただ一言、「俺の勝ちだ」と言った。
 そして、そのまま何も言わずに背を向け、部下にこう告げた。
「退くぞ。今ならまだ夜が明ける前に戻れる」

 翌朝。安らかなる眠りの時間を終え、戦いの場へ赴かんとする兵士達
を驚かせたのは、燃えあがるアル=ハドゥン砦の姿だった。
「……成功したな、アルフレド」
 それを見て、ローガン1世は自慢げに息子を讃えた。
「ええ、あれを見ればさすがの皇帝でも動くでしょうよ。そうすれば…
…負けられます」
 それに応じて、少し寂しげにアルフレドはつぶやいた。
 結局の所、ローガン1世とアルフレド=ローガンの目論見とは、「皇
帝の軍をおびき寄せるためにアル=ハドゥン砦を餌にする」というもの
であった。
 予想外の大軍を野戦に引きずり出せれば、<愚劣王>は慌てて撤退命
令を出してくれる、と言うのがその考えである。
 ここまでは目論見通りだった。
 だが、<無類帝>の名を冠されるようになる皇帝の力を、未だローガ
ン1世は知らぬ。

小説の部屋へ戻る