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破門王烈伝 巻の弐 九騎突攻の段

 さて、破門王ローガン1世の生涯を語る上で絶対に省略できぬ戦い
が3つある。
 第1に、生涯最後の戦いである鳳凰戦役の最終決戦、無双四刀の陣。
 第2に、極西ラファーム帝国最強の皇帝、無類帝との初の戦いであ
る、無類帝戦役。
 そして第3が、九騎突攻である。
 この九騎突攻は、その名こそ世間に広く知られているが。実際にい
かなることが行なわれたのかはあまり知られていない。
 時はアローメガ教歴1362年、エグザムペクト解放軍と称した極
西ラファーム帝国軍の侵攻は目前に迫り、頼みの教皇軍はいっこうに
来る気配がない。
 ローガニアの国民2万は自分達の敗北を疑わなかった。
 ただ、わずか十数人ばかりを除いては。
「父上。本気ですか。一人であの大軍に突撃するなんて」
 9月11日、突攻前夜、父ローガン1世が無謀としか思えぬ行動を
するとの噂を耳にした、若干12歳のアルフレド=ローガンは、父の
寝室に赴いていた。
「おうよ。百人隊長ローガンの腕、とくと拝ませてやるってわけさ」
 誇らしげに彼は愛用の剣を手に取った。たくましい腕に絡め取られ、
それはローガン1世の肉体とともに一つの刃と化した。
「無茶ですよ。いくら父上が凄くても、あの統制の取れた軍の中じゃ、
すぐに殺されます」
 幼な子が見ても泣き出すであろう殺気をはらんだその姿にも全く臆
せず、アルフレドは父にそう言った。
「ずいぶん冷静だな、おい、息子よ」
「そりゃいざという時には突進すればまず何とかなる父上と違ってこ
っちは考えないとどうにもなりませんから。あんまり頭を使わないと
そのうち錆びますよ」
「……言ってくれるな、ガキのくせに。
 まあいい、言ってることの筋は通ってる。
 で、どういう策を練るんだ?」
「まあ、どうせ戦力は少ないから大したことは出来ませんけど。正面
から突っ込むよりはましですから」
 と前置きしてからアルフレドは自分の考えた作戦を説明し始めた。
「ふん……面白いな、それは。何人必要だ?」
 満足げな顔をして、ローガン1世は息子に尋ねた。
「荒くれ獅子騎兵団から3人……出来れば8人ってところですか」
「いいだろう。その話乗ろうじゃないか」
 ポーカーテーブルにはした金を乗せるような気楽さで、ローガンは
命を息子に預けた。

「ローガニア城から市民が逃げ出している?」
 極西ラファーム帝国遠征軍総司令官、エドゥン=ファルハラームは
耳を疑った。
 昨日まで徹底抗戦の構えをしていたあの城から、市民が逃げ出して
いる?
「間違いはないのか」
「はい。市民と、それを誘導する兵三百、確かに確認したとのことで
す」
 兵三百とは。わずか五百の手勢しか持たぬローガニアが、三百の兵
を市民の避難に割くとは思えない。
 そう思ったエドゥン=ファルハラームは全軍に現状維持を通達した。

 だが、今回の戦においては、軍に参加した諸公の思惑が絡むという、
総司令官にとっては災難な事実が存在した。
 暴走を起こしたのは皇弟ファル=ガネイ率いる一軍である。
 純粋に戦術的に見ればこの行動は決して愚かではない。
 どう見ても手勢の殆ど残っていない城への入城作戦。
 絶対に成功するはずの作戦であった。

 9月12日、陽刻大鷲の座(午前9時頃)、ファル=ガネイ軍は総
司令官の事後承諾を求める形でローガニア城突入のための進行を開始
した。
 同日陽刻大蛇の座(午前11時頃)、ローガニア城はその城門を自
ら解放。
 ファル=ガネイ軍を無血で受け入れた。
「……ずいぶんと諦めのいいことだな、ローガン1世とやら」
 玉座から立上り、壇上からこちらを見下ろす男を見やると、ファル
=ガネイは吐き捨てるように言った。
「無益な戦いを避けたまでです。それに、ここでムダな人死にを出す
よりは、いずれ訪れるアローメガ神の裁きの時を待つ方がいい」
「ふん……異教徒が。まあいい。無血開城などという不名誉を受け入
れた礼だ。命だけは助けてやろう」
 完全に見下した態度で、ファル=ガネイは言った。
「ならば、その御礼に一つ良いことをお教えしましょう」
「何だ? 言ってみろ」
「私のことです。実は私、偽物でして。今ごろ本物のローガン1世は、
よりすぐりの手勢を連れて、油断し切ったあなた方の本陣へ向かって
る筈です」
 それだけ言うと、男は玉座の裏、死角に隠された穴に飛び込んだ。
「なっ!」
 既にローガニア城開城の報を持たせた伝令を送った後だ。
 まずい、と思ったファル=ガネイが伝令を呼ぼうとした時。
 轟音とともにローガニア城が崩壊を始めた。
「馬鹿な!」
 まさか、無血開城そのものが陽動作戦だったとは。
 驚愕の表情を浮かべながら、ファル=ガネイは瓦礫の山に埋もれて
いった。

 アルフレドの提案した作戦とは次のようなものであった。
 まず、市民を目立つように避難させる。
 これは、絶対に発見される必要があり、なおかつ隠して行動してい
るように見せかけねばならないという、もっとも加減の難しいところ
を要求される行動である。これの指揮はアルフレドが直接取ることと
なった。
 それを見た極西ラファーム軍がローガニア城への進軍を開始したの
を見届けてから、手勢の大半は開城準備をして、後撤退する。
 残ったわずかな手勢は開城のための必要人員のみとする。
 そして、玉座には適当な替玉を座らせて敵軍を引き付け、時間を稼
ぐ。
 これ以上粘れなくなったら、各所にある隠し通路から脱出する。
 脱出を実現するために残す兵力は精兵である荒くれ獅子兵団から出
した。
 ちなみに、この替玉の選出の際のローガンとアルフレドの会話は、
飲物を運んできた側近の手によって記録されている。
「アルフィオスさんなんかどうでしょう?」
「あいつか? あいつじゃどうやっても俺の真似なんかできないぞ」
「だからですよ。アルフィオスさんの方がずっと国王としての威厳に
満ちてるように見えますから。たとえ父上が残ってても、偽物と思わ
れるかもしれませんよ」
「……まあ、な」
 最後の台詞を言いながら、実に悔しそうにローガン1世の拳は固く
握られていた、そうだ。
 さて、話を戻す。
 脱出と同時にローガニア城の各所に設置した爆薬に点火。
 城の崩壊に入城している軍を巻き込む。
 と同時に敵本軍へのめくらましとしても利用する。
 そして、敵がローガニア城の崩壊に気を取られている間に、側方に
回り込んだローガン1世率いる9騎が突攻をかけるというわけだ。
 一見大胆かつ緻密な作戦に見えるが、その唯一の無謀な点をあげる
とすれば、おそらくは最後の詰め、9騎のみで突攻するという点ぶん
だろう。後世のいかなる研究家も、この点ゆえに、この作戦には絶対
は成功する理由がないと主張するところだ。

 さて、肝心の9騎突攻である。
 それが始まったのは丁度正午の事である。
 最初にそれに気付いたのは誰だったか。
 一同皆崩壊したローガニア城に気を取られていて、彼らが軍勢に近
付いている事に気付いたものはいなかった。というか、極西ラファー
ム帝国軍の馬達が、轟音に驚いて暴れ出したのが問題であった。
 最初の一撃は、巨大な投擲槍であったという。それは本陣左翼の一
角を守っていた部隊長の右腕を刺し貫き、当然の如く彼は絶叫を上げ
た。
 事態がどうであるか気付く前に、彼の首は切り落とされた。
「我が名はローガン1世。極西ラファーム帝国の侵略軍ども、この俺
に勝てると思うならまとめて来るがいい!」
 高らかにローガン1世は叫んだ。
「……どこが奇襲なんだか」
 とは、近くにいた十年来の相棒、ガレイドの言葉である。
 それから9人は鬼神のごとき戦いを始めた事になっている。
 だが、実際はそうでもなかったようだ。
 というか、最初の千人までは確かにその形容が納得いく戦いぶりだ
ったようだが、誰1人として一太刀すら与えられずに返り討ちに合う
のを見て、臆したらしい。
 ポツリポツリと抵抗があるものの、所詮散発的、敵う筈もない。
 返り血で全身を真っ赤に染めた破門王──当時はまだ破門王と言う
二つ名はローガン1世に与えられていないのだが、通称としてはやは
りこれが最も知られているため、この名を使用させて頂く──は、や
はり血染めの愛馬を走らせ、兵士の群を蜘蛛の子を散らすようにかき
分けながら、本陣を示す槍旗の下へと突進していた。
「……総司令は殺らせん!」
 そう言って立ちはだかった男一人。
 かなりの巨漢。
 誘うようなその態度に応じ、破門王は馬を降りた。
 そのとき。
「今だ!」
 男は叫んだ。
 同時に、周囲から9騎に向かって無数の矢が、槍が、狙いもつけず
に射ち込まれた。
「……上等だ!」
 叫んだ破門王の左肩には一本の矢が突き刺さっていた。
 だが、特筆すべきはその左手の中であろう。
 そこには、鷲掴みにされた十数本の矢と、三本の槍があった。
 余計な動作なく破門王は槍一本だけ残してそれを掴みなおし、鋭く
放った。
 それは巨漢の喉を過たず貫いた。
 その死を確かめもせず破門王は再び馬に乗り、間近に迫った旗の下
へと馬を進めた。
 もはやそれを阻むものはない。
「……馬を降りられよ。一騎討ちを願いたい」
 ラファーム教圏の騎兵装束をまとった男。
「お前がエドゥン=ファルハラームか。……いいぜ」
 そう言って降り立った破門王。
 互いに剣を抜いて、構える。
 先に動いたのはエドゥン=ファルハラーム。
 喉を狙った鋭い突き。
 だが、それが到達する前にエドゥン=ファルハラームの剣は弾かれ
ていた。
「見え見えなんだよ、太刀筋が。いい腕はしてるけどな」
 事も無げに破門王は言った。
「……私の負けだ。斬るがいい」
「いやだね。そんなことしてお前らの国に恨まれるのは嫌なんでね。
とりあえず人質になってもらうぜ」
 これを拒むことがエドゥン=ファルハラームに出来ようはずもなか
った。
 力量が違いすぎる。あるいは皇帝陛下なら敵うのかもしれぬが、器
の違いか。

 後日破門王自身の口によって突攻そのものの様子が語られた事は無
く、歴史書における9騎突攻の話は、多くが極西ラファーム帝国の生
存兵の、強烈な死の匂いに彩られた不正確な記憶からたどられている。
 また、共に戦った8騎も「必死だった」としか覚えていないほど熾
烈な戦いであったのは確かであるようだ。
 この列伝でももう少々詳しく戦いの様子を書くべきだったのやもし
れぬが、「斬りつけてきた兵士の攻撃を紙一重で避け、脳天なり喉笛
なり左胸なりを一撃」という事しか起こっていなかった、らしい。
 それほどまでに9騎の力量が圧倒的だったという事だ。
 それは、単身でも歴史を動かしうる程の。

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