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破門王烈伝 巻の壱、偽装破門の段

 人は彼を<破門王>と呼んだ。
 時はアローメガ教歴1376年、所はエウロバーナ地方の一角。
 時のアローメガ教皇リオネル13世は、幾度の呼出しにも応じず自領
に籠るローガニア国王ローガン1世についに破門を言い渡した。直ちに
教皇領へ赴き、赦しを乞うなら考え直さぬでもない、と言い添えて。
 返事は、「ハナっからテメーみてえなモーロクじじいのいる教会なん
ざ信じちゃいねえよ」(この文は多分に表現を控えたものである。実際
は、これを「親展」として一読した教皇の頭に血が昇りすぎ、3日3晩
生死の淵をさまよう原因となったとの言い伝えである)とのものだった。
 当時のアローメガ教圏、即ちエウロバーナ地方においての破門とは、
死刑も同然であった。破門者は教会に属さぬもの、即ち異端もしくは異
教徒として処理されるのが常であったからだ。
 多分に漏れず、その返事を読んだ教皇も、倒れ込みながらも討伐令を
発した。
 だが、討伐軍の総司令官に任じられたエヴリア国王<天衝王>リヴァ
ネス3世に届けられた一通の手紙により、討伐軍は侵攻停止を余儀なく
された。
 さて、ここで少しローガニアという国とローガン1世という人物につ
いて話さねばなるまい。
 ローガニアは、エウロバーナ地方の東端に位置する国家である。
 古来よりこの地方は、アローメガ教側では「ヴェクトメシュトル(異
教徒の侵入する地)」、ラファーマー教側では「エグザムペクト(異教
徒も住む地)」と呼び、常に互いに領有権を争っている地だった。
 さて、そのヴェクトメシュトルあるいはエグザムペクトは、この20
0年程はほぼらファーマー教側の有する所であったが、20年前、時の
教皇ミラード7世の「エスアラード(聖エスアルの都)奪還作戦」を発
令し、ヴェクトメシュトル地方に大侵攻をかけた。この侵攻作戦は3年
の歳月と多大な損害を残しながらも見事成功し、ヴェクトメシュトル地
方はヴェクトヴァニセス(異教徒を排せし地)と名を変えるに至った。
 この時の作戦で、多大な功績をあげた羲勇傭兵軍の百人隊長として名
を轟かせたのが、後のローガン1世である。
 この時の功績によりローガンをはじめとする多くの戦功者達が教皇よ
りヴェクトヴァニセスの土地を賜わり、そこに多くの小国を建国した。
 このとき、ローガン1世は特に希望して誰も貰おうとしなかったニナ
ード山脈沿いの不毛の土地を含むあまり大きくない盆地を賜わったとい
う。
 教皇は、この申し出に大喜びし、そのような欲のないものこそ讃えら
れるべきである、とまで言ったという。
 だが、ローガン1世の真意を見抜いていたものは少なかった。
 せいぜいが当時全盛を誇っていたフローセスの<黄金王>フロニィ6
世と、権勢を持たない有識者数名ぐらいであったろう。
 かくてエスアラード奪還作戦は大成功に終わったのだが……
 3年後、新たに建国された小国達の警戒心も緩んだころを見計らって、
極西ラファーム帝国軍が侵攻を開始した。
 どうやら皇帝側近の手記から判断するに、この3年後の奪還作戦はエ
スアラード奪還作戦による侵攻を受けた当初から考えられていた作戦ら
しい。敗退しても構わない予備戦力で時間稼ぎをする間に主力を撤退さ
せ、首都近くで再編してからアローメガ信徒達が警戒を緩めた頃に奪還
する、という作戦だ。
 しかも、ヴェクトヴァニセス諸国は国力も小さく、満足な兵力すら持
っていなかった。その上各国の国王の殆どはエウロバーナ諸国の貴族の
次男、三男であったため、その土地に対する執着心もなく、殆どが国民
を放り出して逃げ出すという始末であった。
 結果、わずか3ヶ月でヴェクトヴァニセス諸国は壊滅し、援軍として
送り込まれた教皇軍も返す刀で半滅した。
 ここに至って残されたヴェクトヴァニセス諸国は、エウロバーナの玄
関口となるローガニアのみとなっていた。
 ローガニア領内を通る山越えの道が最も険しくない道であるため、極
西ラファーム帝国軍がローガニアに侵攻するのは明らかであった。
 当然のごとくローガン1世は教皇に援軍を求めたが、教皇はこれを無
視した。
 これ以上の損害を受ける事は得策でないと考えたのである。ならばニ
ナード山脈のこちら側、ベギン王国領内で各国の戦力を結集して戦った
方が良いと判断し、ローガニアを切り捨てたのだ。
 ローガニアの国民は2万、正規兵はわずかに500、精一杯動員して
も3000人がいいところである。陥落は誰の目にも明らかであった。
 ところがローガン1世は、傭兵時代からの仲間など、特に選ばれた精
鋭わずか8人を従えて、たったの9騎で8万の軍勢に突撃し、その軍勢
の中心部に構えていた極西ラファーマー帝国軍総指令官、エドゥン=フ
ァルハラームを捕え、あろうことか彼を捕えたまま9人全員ローガニア
王城へ生還を果たすという、名高い「神速の9騎突攻」を敢行したので
ある。
 実際にはこれは当時まだ12歳であったローガン1世の長男、アルフ
レド=ローガンの正面における陽動作戦のたまものなのであるが、それ
を差し引いても特筆に値する事である。
 それを最も称賛したのは極西ラファーム帝国皇帝、ファル=ラファメ
ド3世であった。「かような剛の者を多勢に不勢で打ち破っても何ら得
る事はない。なればそのような漢は生かしておいた方がよい」
 と述べ、全軍の撤退を命じた。
 さて、随分と長くなったが話を戻そう。
 破門されたローガン1世討伐の軍を率いていた天衝王に届けられた書
簡の内容は、以下のようなものだった。「天衝王リヴァネス3世陛下へ。
 現在、私、ローガン1世は教皇猊下より破門され、その討伐軍の総指
令として貴公が猊下に任じられ、その任に当たっておられるという状況
はいかに愚鈍たる私と言えども察しております。
 しかしながら、それを承知の上で奏上しますに、この討伐作戦、決し
て得策ではないと申し上げる次第です。
 実はローガニアは過去十数度にわたりラファーマー教圏よりの攻撃を
受けております。この幾度の攻撃に際し、わが国も教皇猊下にそのたび
ごとに援軍を要請致しましたが、猊下にも深きお考えがあった事でしょ
う、援軍が送られた事はただの一度もありませんでした。したがって我
が国としては自力でこの攻撃を退ける他なく、そして配下の兵の優秀な
働きにより愚鈍なる私の指揮の下でも見事これを撃退し続けることに成
功して来ました。
 しかしながら、今ローガニアを戦火に巻き込めば、それに付け込んで
ラファーマー教徒の侵攻が行われることは明白です。我が方の兵達とて、
百戦錬磨とはいえ、2方より同時に攻められて堪えきれるとは思いませ
ん。
 私が教皇猊下の下へ赴く事が出来なかったのも、かような事情による
と察していただけるものと思います。願わくば、無意味な兵を引き、ど
うぞ教皇猊下にお口添え頂ける事を願います」
 要は脅しである。
 ローガニアを攻めればその後背にいるラファーマー教徒に反撃を喰ら
うぞ、と。
 しかも、手紙の中ではかなり謙遜して書かれているが、実際にラファ
ーマー教徒の侵攻を食い止めていたのはローガン1世の力による部分が
大きいのは確かだ。
 一騎当千の兵にして、当時のアローメガ教圏において最高の軍事的才
能をもつローガン1世なしには、この地でラファーマー教徒を食い止め
るなど不可能であろう。
 もっとも、アローメガ教圏の教皇に意見を述べられるような人間でロ
ーガン1世を評価しているのは60近くになり今だ健在な黄金王を除け
ば、天衝王、ロエフィスの<倒竜王>エーギール7世、トゥイヴァンの
<剣聖王>ラファシール3世、それと神聖西十字星騎士団長のベルガー
ド・マギン程度だろう。
 そして、今の教皇は徹底的にローガン1世を嫌っているのだ。
 完全に板挟みという奴だ。
 仕方なく、天衝王はベギン王国内で軍の侵攻を停止した。
 多くの難問を発生させる事を知りながら。

 3日後。
 ベギン国王パーリィ4世、<愚劣王>と陰で呼ばれる彼が、天衝王の
もとに密書を届けた。内容は、次の通り。
「リヴァネス3世殿。貴殿は教皇猊下の命を受けて破門者ローガンとそ
の一党を捕えるべく編成された討伐軍の指揮官とであったはずだ。
 しかしながら、現在貴殿は我が国内に留まり、いっこうに破門者ロー
ガンとその一党を捕えようとする向きがない。これ以上留まるのならば、
貴殿にも教会への叛意ありとみなし、その旨教皇猊下にお伝えするとと
もに我が軍を持ってこれを制圧するものなり」
 このようなことをするから陰で<愚劣王>などと呼ばれるのだ、と苦
虫を噛み潰しながらも、天衝王はゆっくりとした前進を命じた。
 翌日の夜。
 天幕を張り野営をしていた天衝王のもとに、一人の密使がやってきた。
 聞くと、教皇からの使いだという。内密に話したい、との事なので、
渋々と剣を携えながらも野営地の外れに出て行った。
 深くフードをかぶった密使は、天衝王の姿を見ると、唇を嬉しそうに
歪めた。
「影武者を使わず自らおいでになるとは、流石ですな、陛下」
 フードを脱いだその男の姿は、まさしくローガン1世その人だった。
「ローガン殿!
 何故このようなところに?」
「いえね、やっぱり直接話をするのが早いと思って」
「……この場で私が貴殿を切り捨てる可能性もあるぞ」
 凄みを聞かせた声で天衝王は言う。
「切れませんよ。その前にあなたの腕が飛ぶ事になります」
 それにも臆せず、変わらぬとぼけた調子で答える破門王。
「……私が兵を呼んでいないとも限らん」
「全部殺せばいいだけです。9騎突攻は伊達じゃありませんから。
 わかってるでしょう、事実上あなた自身が人質になってるって事?」
 そうだ。軽率だった。まさかローガンが直接来るとは思わなかったの
だ。
 だが、納得はできる。彼の腕を持ってすれば、下手に部下を送るより、
よっぽど安全と言えよう。
「さて……簡単に用件を伝えましょう。3日後、ラファーマー教徒がロ
ーガニアを攻撃します。あなたはこれに応じて、ラファーマー教徒を殲
滅して下さい。指揮系統は混乱させておきますので、止めだけ、お願い
します。混乱しているうちに私が敵指令官を討って、首級をあなたに持
って行きますから」
「何が目的だ?
 そんなことをするなら直接殲滅させてもよかろう」
「まあ、聞いて下さい。
 それで、私が『わざと私を破門して、混乱していると見せかけて、そ
こに乗じてやってきたラファーマー教徒を撃退するのが教皇のお考えだ
ったのだ、何と偉大なことよ』とでも言ってしまえば、丸く収まります
から。で、陛下は2月ほどローガニアに駐留なさってください。その間
にエヴリアの貴族連中の反乱を企ててる連中の尻尾は捕まりますから」
 冷静に考えれば大変な話を破門王は実にサラリと言ってのけた。
「反乱だと……?
 初耳だな」
 疑うわけではないが、眉をしかめて天衝王は言った。
「当然です。そんなの陛下の耳に届くはずないでしょう」
「では何故貴公が知っている」
「私は経歴上やばい友人が多いもんでして」
 それ以上は聴かないでほしい、友人達の立場があるから、と頭をかい
て破門王は謝った。こういったところ、まったくもって王らしくない。
「……了解した」
 だが、それでも内に秘めた激しさを知る天衝王は、敬意をもって承諾
した。
「だが、それなら素直に猊下のところに赴けば良かったものを」
「いえ、なにね、3日後に敵が来るのは前々から知ってましたから、出
来れば今回ぐらい楽したいなーと思いまして。いつもは作戦考えるので
凄く苦労するんですよ。今回はこれだけの兵力があるから」
「だが、混乱させておく、といったではないか」
「いや、そんなの私が突撃すりゃそれで十分ですから。その間に城を落
とされる心配がないですからね、今回は」
 どこまで本気なのか。いや、全部本気なのだろう。
「私は根っからの戦士ですからね。慣れない作戦立案なんてしたくはあ
りません」
 じゃ、よろしく。
 全く王同士の対面とは思えぬ軽い挨拶を残して、破門王は立ち去った。
 以後の経緯はまさしく破門王の筋書き通りであった。
 教皇はエウロバーナ中に広がった偽の名声を取り消すわけにも行かず、
仕方なくローガン1世の破門を取り消した。
 教皇がローガン1世に対する怒りを深めたのは言うまでもない。
 ちなみに、後日、なぜわざわざエヴリアの反乱を食い止めるようなこ
とを考えたのだ、とローガンに聞くと、
「そんなことされたら俺の故郷の村が焼けるからですよ。初恋の相手を
内乱のどさくさで殺したくはないですからね」
 という返事が帰ってきたと言う。
 まさしく、天下一の無頼人というところか。

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