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英雄の条件

 人は、彼を英雄王と呼ぶ。
 剣技だけでなく、戦略・戦術にも長けた彼は、大陸中央部の小国の王
子だった。
 その彼がひとたび国王となると、一代でその国を大陸有数の国家に仕
立てあげた。
 豊富な人材にも恵まれた。
 だが、何より彼は剣に恵まれた。
 剣達は英雄を求めるが如く、彼の下に集った。
 <中原の覇者>、<白銀の風>、<天を貫く者>、<滅竜の狼>、
<陽光を断つ輝き>、そして<破滅の音>。
 多くの英雄達が携え、そのたびに伝説を造ってきた剣達。
 今、彼がこれまでに手にした剣が一本を除き彼の前に集っていた。
 4人の将軍が、彼の前に集まっている。
 賜剣将軍と呼ばれる、4人の英雄王直属の重臣達。
 彼らは、英雄王から授かった剣の名で通称されている。
「中原の覇者」レーゼンフェイク
「白銀の風」メルファラ
「天を貫く者」ヴェクト
「滅竜の狼」スカーブ
 だが、本来英雄王に冠されるべきであった名は――彼が手にしていた
<破滅の音>は、先の戦いで破壊されて間もなかった。
 神宝――遥か異界より伝わる至高の剣――を破壊されるはずなどなか
ったのに、破壊された。が故に彼は、その戦いを敗戦として、撤退した。
「なぜ撤退されたのです! 戦況は我々が有利でした。もうあそこから
なら御剣が無くても勝てたでしょうに」
 レーゼンフェイクの辛辣な言。戦士より将軍である事に己が意味を見
出しているがゆえの言葉。
「第一、一騎打ちの相手は唯の命闘士というではありませんか。あなた
は一兵卒に負けたからと軍をお引きになったのですぞ」
「……あれは、ゲザックは唯の命闘士ではない。英雄だ、私以上のな」
 何度思い出しても震えが止まらぬ、最期の瞬間のゲザックの力は、
「英雄王」と言う自分の二つ名が霞むほど凄まじかった。剣もなしに、
あれだけの力を導き出す、それほどの覚悟は自分では抱けまい。
「陛下は負けてはならなかったのです。勝ち続ける陛下の名は兵を強く
した。その陛下が、負けたのです。陛下が矢面に立たれてまでして、負
けたのです。もう兵はあなたを疑い始めた。当分は、兵達はこれまでの
数分の一の働きしかしないでしょう。そんな弱兵達で戦えばその度に負
ける。そんな事をしていては、陛下の名はやがて何の力も持たなくなる。
……何の力もね」
「陛下」という敬称を使うも、何等敬意を含まぬその言葉。スカーブは、
相変わらず冷徹な策謀家の顔をしていた。
「何の力も持たぬ私なら用はない、とでも言うのか?」
「そうです。剣を持たぬ今の陛下なら、いつでも殺せるでしょう」
 叛意を露にしたスカーブの顔は、皮肉な笑みをたたえている。
「スカーブ、貴様!」
 レーゼンフェイクが中原の覇者に手を掛ける。
「よせ、レーゼンフェイク。スカーブは、まだ私を殺しはせぬよ」
 英雄王はスカーブの氷と向かい合う烈しさをもって、忠臣を制する。
「しかし、陛下!」
 剣を握る手に力を込めて、レーゼンフェイクがうなる。
「……何故、そのように思われるのですか?」
 スカーブはあざけるように英雄王を見上げ、問う。
「まだ、私の英雄王の名は消えてはいない。戦う事に意味を見出した戦
士なら、私の愚かな用兵を、真の戦士たるに潔し、と思ってくれる」
「ご名答です。一般兵は弱兵になるでしょうが、自らを真の戦士と思い
こんでいる愚か者どもは、以前より強く戦ってくれるでしょう」
 真の戦士と剣を――或いは拳を――交えた事もない紛い物が。
 琥珀色の瞳にそんな嘲りを込めて、英雄王はスカーブを見下した。
 対するスカーブは、戦士としての誇りに満ちた輝きを、汚れきった苛
烈な欲望で受けとめた。名誉や栄光の為に命まで賭して戦うなど、愚か
者のする事だ。戦いとは、勝つ事に、勝って後に利益を得るためにある。
 二つの激しい視線は、交わる事無く決別する。
「必要なくなれば、殺す」
 スカーブは、シャルマーにしか届かぬ声を漏らし、背を向けた。
 氷を思わせるそれは、しかし英雄王を凍りつかせはしない。
「4日後、もう一度私が出る。軍の再編を急げ」
 目だけはレーゼンフェイクに向けて、英雄王は命を下す。
 しかし、その言葉はまるでスカーブに向けられた刃のようにスカーブ
の背を捕らえた。だがスカーブは振り向きもせず、ただ歩いて天幕の出
口へ。
 応えはなかった。
「……陛下。あのような者がいては、陛下の名に傷がつきます。どうか
あやつを討つ命を頂きたい」
 レーゼンフェイク。
 忠実な部下であるが、戦士としての私の心までは理解してくれない。
「陛下。今や神宝を持たぬ陛下が前線に立たれても、何等意味はありま
せん。陛下でも我ら賜剣将軍でも、前線に立ったときの兵に与える効果
はさして変わらぬかと。なれば我々のいずれかにお命じになった方が」
 メルファラ。
 用兵だけを考えれば、確かな言。
 だが、重要なのはそんなものではないのだ。
「……私が出ると、言っているのだ」
 こんな暴君じみた言をせねばならぬとは、もっと賜剣将軍とは心が通
じていると思っていたが。
 どうやら彼らは有能なだけらしい。
「陛下。出陣の折り、私を親衛部隊に加えては頂けませんか」
 ヴェクト。
 背後の敵は、スカーブの如き輩は、私が露払いしてみせましょう。あ
なたが戦場で真に戦士として戦うために。
 瞳が、そう語っていた。
 戦士として目覚めた英雄王は、既に戦士であった彼を、はじめて切望
した。
 賜剣将軍で、彼だけが真に戦場に立つべき資格を持っていると言う事
を、改めて知った。
 勿論、兵を動かす将達は戦場に必要だろう。だが、戦士の心を汲んで
やれぬのなら、戦士達を使う資格はない。
「頼む。親衛隊の一隊をお前に任せる。……そうだな、スヴェンの部隊
がいいか。私から話を……」
「いえ、私は一兵卒で十分です」
 普通の将なら将の名誉とやらが邪魔をして言えぬ事を、ヴェクトは躊
躇いもなく。
 戦士の名誉に満ちた瞳。
 剣も歓喜の声をあげている。剣が、生きている。
 死に絶えて久しい己の剣に手をかける。
 戦士として未熟な私に、この剣はふさわしくない。そう思えた。
「メルファラ。スヴェンを呼んでこい。大至急だ」
「はい。今配下の者に命じます」
「違う。自分の足で動いて、自分の口で伝えろ。私が呼んでいるとな」
「……はい」
 不満そうに答えたメルファラは、英雄王に一瞥をくれてから、天幕を
出た。
 じきにスヴェンはやってきた。その後ろに続くメルファラ。
 英雄王の前に膝をつこうとするスヴェンを制止して、腰にした剣を、
<陽光を断つ輝き>を鞘ごと外し、柄をスヴェンに向けて差し出した。
 もしもスヴェンがそのまま剣を手を取って振り抜けば、英雄王は死ぬ
であろう。
「貰ってくれスヴェン。お前にこそ、この剣はふさわしい」
「陛下! その剣を失って、陛下はどの剣を使うのですか?」
 メルファラの狼狽。
 お前は、剣を振るった事などないのに。
「戦士として未熟な私に、このような想いは継げぬ。時が満ちるまで預
かるだけでもいい。頼む」
「……お預かりします」
 スヴェンは、鞘ごと剣を受取り、腰に下げた剣と取り替えた。
「代わりに、この剣を。無銘ですが、名工の作です」
 うなずいて、英雄王はスヴェンの差し出した剣を手に取った。
「これで賜剣将軍ですな、スヴェン殿」
 忌々しげに、レーゼンフェイクが言葉を紡ぐ。将軍としての、王国中
に名の響き渡る名士としての言葉。戦士へ贈られる名誉は、かけら程も
ない。
「いや、スヴェンには、これまで通り親衛騎士団の部隊長をやってもら
う」
 英雄王の言葉に驚きをあらわにするメルファラとレーゼンフェイク。
 当のスヴェンは、ちょっとだけ意外な顔をしたものの、すぐに気を取
り直す。
「喜んで、勤めさせていただきます」
「しかし陛下、これまでの慣習というものは、どうなるのですか!」
 慣習、などと。いつからお前達賜剣将軍は頭の固い文官となったのだ。
「振るわぬ剣は曇るだけだ。故に、スヴェンには剣を振るっていてもら
いたい。剣の威光に溺れるのではなく、己とともに剣を携えて欲しいだ
けだ」
「もとよりそのつもりです」
 戦士達はそれ以上語るべきことを持たなかった。
 後は戦場のみが唯一雄弁になるべき場所だ。

 その数日後、再び軍を進ませた英雄王は再び、しかし今度は開戦当初
から矢面に立ち、一介の戦士に混じって剣を振るった。
 傷ついた兵を励まし、時には助け起こすというその王らしからぬ姿は、
しかし精兵と勝利をもって応えられた。
「……ようやく陛下も英雄の自覚に目覚めたわけだ」
 対極であるが故に私と陛下とは近しい存在なのかもしれんな、と皮肉
めいた表情はそのままに、スカーブは勝利の雄叫びを上げている英雄王
を見やった。

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