Whiteのふりーとーく

非ハンデ戦アプローチ/機甲装兵アーモダイン

About this Page |過去分一覧

近頃版/another blog@hatena/Wiki/BBS

< どうせやるなら。 | しがつついたち。 >

 

非ハンデ戦アプローチ/機甲装兵アーモダイン

D端子セレクタを買って配線した。配線をしたのでPS2がAVアンプにつながった。というわけで、「AVアンプのD端子の口が足りなくてPS2がつながってないから」というダメな理由で買わないでいた機甲装兵アーモダインを購入した。

アーモダイン、実に素晴しいデザインだ。これは、とても革命的な作品かもしれないと思う。

戦術級SLGをコンピュータ上に実装するときの最大の問題は、「人間の頭が良すぎる」ことである。「AIが馬鹿だ」と言い換えることもできる。まあどっちでもいい。肝心なのは、「人間とコンピューターの間に実力差がありすぎる」点だ。コンピューターが動かす陣営と人間が動かす陣営とでは基本的に勝負にならない。互角な条件で戦うと、どっちが勝つかはおおむね明白だ。人間がルールさえ把握していれば、でもってちゃんとそれ用の思考さえすれば、だいたい人間が圧勝する。そのうえ、決められたアルゴリズムで手を進めていくことしかできないコンピューターに対し、人間は試行と思考を繰り返してガンガン戦術を発展させてしまうので、差はどんどん開いていく。

_そこで多くのゲームは、人間側とAI側とで保有戦力に差を付けることでこの問題を突破してきた。物量やパラメータ、あるいは初期配置に差をつけ、その差を人間の知性で突破させるというデザインである。「ハンデ戦アプローチ」とでも言うべきか。

ハンデ戦アプローチはコンピュータSLGが登場して以来、基本的にはずっと採用され続けてきた。パワードールシリーズなどはこうしたアプローチの極みで、「状況把握のために何度か負けて、最後に本命の一回で勝つ」というプレイスタイルを要求する一種のパズルゲームのようなものにまで到達していた。

やや毛色の違うアプローチとしては、リアルタイムストラテジー(RTS)における「手数を大量に要求して人間の思考を飽和させる」があるだろうか。しかしこれも結局は形を変えた物量アプローチであり、人間が十分な操作錬度を得れば再びAIと脳の差が立ち現れてきてしまうことになる。

_もちろん世の中には例外というものがあって、チェスや将棋や囲碁などの古典的なゲームにおいては、「ルールが最初から決まっている」ためにハンデ戦アプローチが使えなかった。ということで、これら古典的なゲームでは、AIのアルゴリズムの研鑚や巨大な演算能力の投入という別のアプローチが採られてきた。だがそうしたアプローチが採れるのは、チェスやら将棋やら囲碁やらが、いわば研究の対象となっているからだ。どれだけの人間がどれだけの労力を突っこんだのかと考えると、かなり現実的でない数字が出てくる。いずれのゲームもコンピューターの土俵に乗せる以前のところで数多のプレイヤーが大量の戦譜を残し、それらの中から多くの定跡が抽出され、その土台を礎に盤面評価や手順探索のアルゴリズムが構築されてきた。いったいそれにかかった時間と頭数がどれほどに達するか。その「総労力」からすれば、チェスのグランドマスターに勝つためにIBMが大人気なく専用ハード(DEEPBLUE)を作ってしまったことなんてそれこそどうということもなかったようにすら思えてくる。

_なんにせよ、コンピュータSLGを一本作る予算と比較すべき数字でないのは確かだろう。そんなわけでコンピュータSLGはまだまだAIの頭の悪さを克服できそうにない。ということで目先のシステムはごちゃごちゃと入れ替えられつつも、結局は戦力差によるハンデ戦アプローチでSLGは脈々と生産されてきた。

_ところがアーモダインは、ここのところで根本的なアプローチにメスを入れた。導入したのは「人間が操作しない」というアプローチである。人間(プレイヤー)は指示を出すことこそできるものの、ユニットの行動を最終的に決定するのはAIとなった。「人間が頭が良すぎる」なら人間にやらせなければいい、というわけだ。これでユニットを動かすのは人間側でもAIでコンピュータ側でもAI。ユニットの行動の質の差で致命的に戦いの趨勢が変わってしまうようなことはずいぶん減る。

そして、細かいところでの決定権を持たないために、人間の思考はもう少し戦術的なレベルに引いた部分を中心に行われることとなる。手元の部隊をどの程度に分割してどこに戦線を作るか、作った戦線が維持できるか否か、維持できぬなら援軍を送るかはたまた退くか。

そんなふうに方針を決めて指示を出す。しかしここで再びAIは基本的に頭が悪いという問題が鎌首をもたげてくる。AIは目先においてそれなりの行動こそ取れるものの、思い通りに動いてくれるわけではない。その結果「兵隊は基本的に言うこと聞かない」「その兵隊をどうやって思い通りに動かすか」という極めて現実の軍隊っぽい動きが展開される、人間は馬鹿な自軍AIの行動を先読みして、できるだけ思い通りの戦闘が展開されるように兵隊たちに指示を出すことになる。

_この戦闘を思いきってAI任せにする、というアプローチだけでも実験的作品としては一本成立するだろうが、アーモダインはここから先にちゃんと作りこみを開始するあたりがえらい。導入されたのはサカつくとかダービースタリオンとかそっち系の育成ゲームのエッセンスだ。あるいは「俺の屍を越えてゆけ」。兵隊に名前を付けて育成させる。そいつが戦場で見事に働いてくれれば愛着が涌くし馬鹿なことをしでかしてくれれば罵声のひとつも投げたくなる、というあたりで戦闘部分の方向性とも一致する

「AI任せにする」という最初のアプローチを定めた上で、それをゲームとして成立させるためにきちんと肉付けが行われている。それが破綻なくまとまって見事にシステムとして結実している。このデザインは、実に美しいと思う。

あとはこの手のゲームの基本とも言えるユニット及び武装の選択とカスタマイズは完備して、ロボット燃えの心をそれなりに満たしてくれるのも「わかっておられる」点だろうか。

_そして特筆すべきはロード時間のなさ。「短さ」ではない。ゲームを始めてしまえばあとは本当に光学ディスクで動いているのかと疑いたくなるようなスムーズさで進行していく。惜しむらくは画面がショボイ点か。正直初期PS2かPSPぐらいのクオリティだと思うと。技術力の高さが、ひたすらにロード時間のなさとか操作のスムーズさに徹底して振り向けられているあたりのストイックさがすごいと思うのだが、それで損もしてるなあ、と思う。

なんにしても、「AI任せアプローチ」には大きな可能性が秘められていると思う。正直アーモダイン自体の売り上げは厳しいようであるが、めげずに同様のアプローチの作品を作って欲しいものである。

TrackBack ping url:

名前

TrackBack:


御意見・御感想の宛先white@niu.ne.jp