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ゲーム的世界観による発想。

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ゲーム的世界観による発想。

闇黒日記 平成十八年十二月八日付とか読んで。単なる感想だかまぜっかえしだかに近いけど。

高橋氏に據れば、人間は自らの欲望を十分に充足する事を望むし、それを實現する事が自由だが、自分一人が突出すれば他人の自由を抑壓する事になるので、さう云つた事が無いやうに互ひに調整しなければならないし、それを行ふ爲に法がある。

なるほど、一見して、實に尤もらしい。これ自體として、理論として「あり得る」やうに見える。けれども、この「高橋理論」には致命的な缺陷がある。人間の欲望は、放つておけば限りなく大きくなる。欲望を原理として、互ひに自重し合ふ、なんて事を考へるのは、完全な矛盾。限りなく擴大する欲望を前提に、欲望を抑制する事を考へるのが、「高橋理論」の缺陷である。

欲望を無制限に拡大し実践するといずれ周囲から刺されて実現したものをまるごと失うことになる、しょうがないから刺されない程度に自重する、というのはゲーム的にとても正しい挙動だと思うんだけどなあ。そもそも「欲望」がなければ「自重」なんて概念自体が存在しないわけで――というのは多分に言葉遊びですがそれはともかく。

「無私と公正」とか、そりゃ実現できれば嬉しいけど。でも遺伝競争に勝ち残ってきてしまった、それゆえかなり根っこの部分で「勝ちたい、勝ちたい」という欲望を持ってる人間という種の全体にそれを求めるのはまず無理。たとえルールでガチガチに固めようとしても欲望は絶体にそれを打破しようとするはず(そしておそらく達成してしまう)。

_その事実を踏まえたときに、欲望があることを前堤として受け入れてしまって、「いずれ刺される」とか「しょうがないから」の部分をルール化・明文化して、ルール自体も変更させながら全体をコントロールしてやる――というやりくちは、わりと最近になって発見され実践され成果を残している方法なんじゃないかな、と。

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