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2006FIFA W杯 グループF 日本vsクロアチア

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2006FIFA W杯 グループF 日本vsクロアチア

週末の試合は全部見たのだけど見るのでいっぱいだったので観想書いてない。ということでとりあえずこの試合についてだけ。

_試合はどちらもふがいないものだった。どちらも勝ち点3を目指しながら達成できず、課題だけが残った凡戦、書くべきことなど大してない試合だった。だからもう後は、自分の国のチームのことだけを書こうと思う。だが書く前に、とてもじゃないが代表チームに向けるべき言葉でないのを知りながら、敢えて言わねばならない悲しさを表明しておく。

さて、後半、クロアチアに得点を意識しながら加地への対抗をも意識した交替があった。この試合については、その事実がほぼ全てを物語っていると思う。あるいは4年前と今の加地とアレックスを比較すればよい。

加地は本当に成長した。まずは守備的な選手としてチームに入り、守備的なタスクを確立させると、今度は攻撃面でのタスクを自ら学び取った。今やチームにとって不可欠の存在となった。

対するアレックスは、ほとんど何も変わっていない。技術と速さを持ちながら、タスク意識は幾ど育たなかった。良くも悪くも才能頼みのままで4年を過ごし、判断の遅さが折角の持ち味を殺しつづけたのも変わらなかった。

その結果が、攻撃的なはずの選手を配した左サイドではなく、守備的なはずの選手を配した右サイドからの攻撃の方がより効果的な――おそらくは監督の望んだ創造性あるプレーを披露できたという現実だ。無論フットボールに技術は必要だ。だがしかし、フットボールとは技術以上に意識で行うものだ。

_同様のことが、FW陣にも言えると思う。絶好機での柳沢のシュートミスを責める声は当然だ。あれを外すなどもってのほかだ。だがしかし、他のFWはそもそもシュートを打とうとしたか? ゴール前で絶好のチャンスを貰った玉田が(それこそまるで柳沢のように)パスを選択したのは何故だ? 高原はそもそもゴール前でどれほど仕事をしたのだ?

やろうとして失敗したのと、やろうともしなかったのと、どちらがより責められるべきなのか。――無論どちらも責められるべきだろう。彼らはプロで、やろうと思ったことをやるのが仕事なのだから。だがしかし、技術などより意識こそが重要であるのなら、少なくとも意識があったことの方がマシに思える。

_意識がない、あるいは自分の意識に拘りすぎた選手が、真の自由を知る選手にやむなく仕事をさせた。それはたとえば中村やヒデの疲労という形で現出し、彼らが真に成すべき仕事をさせる力をも削ってしまった。

このチームにリケルメのようなことをしていい選手がいるとすれば、それは中村であるべきだ。では実際はどうだったか? 自陣に戻り献身的な守備をしてしかも攻撃のタスクまで背負う、そんな仕事をするべきだったのは誰なのだ?

ところで日本代表にとってもう1つの敵として、我が国の経済規模というものがあることは指摘しておこう。全出場チーム中で2戦とも疲労の激しい昼間の第1試合を戦ったのは日本だけのはずだ。忌々しい時差と商業主義がなければ、もう少しマシな戦いができていたかもしれない――などと悔しがったところで、どうにかなる話でもなかろうが。

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