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< (no title) | 2006 FIFA WorldCup アジア地区最終予選 バーレーン×日本 >
日本国にとって天皇が如何なるものであるか、ということはもちろん法に記載されている。
_日本国憲法には「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という地位についての記載がある。またその責務であるところの国事行為も憲法第7条にて規定されている。そしてそれらの行為は「内閣の助言と承認により」コントロールされることになっている。
そして皇室典範においては「誰が天皇であるか、ありうるか」が明確に定義されている。
_しかし言ってしまえば、それだけだ。天皇にとって日本国が如何なるものであるかということは(法的には)なんら規定されていない。ただ法文のみに従うなら、国事行為さえちゃんとやってくれれば年中南の島で遊んで暮らしていようが構わないわけである。
だが実際そんなことをするかと言えばもちろんしない。なんのために? ふたつの答えが考えられると思う。「天皇家のために」あるいは「日本のために」である。
このいずれかであるかまでは断定できない。できないが、皇族にとって自己、あるいは家系の存続は(国家によって)保証されていると言ってよい。一方で、「国政に関する権能を有しない」という憲法の条文や、皇室経済法などが示すように、皇族に一般的な意味での「法の下の権利」は認められていないと言ってよい。
にも関わらず、皇族はそれらしく振る舞うのだ。もちろんそれらは(暗に)要請されるものであるから、保証の代価としてそのように振る舞う――と見ることも可能だろう。だがそのように振る舞うことで、彼らは憲法が本来認めていない権能を――実態としてはなんら有せぬまま、しかし確かに――有していくことが可能になる。
_もちろんそれは、日本国という基盤がある以上はみだりに振るわれるべきものではないだろう。だが彼らはその振る舞いによって間違いなくそのようなものを帯びているし、振るってしまうこともできるのだ。しからばそれをどのように振るうべきか――それは誰も定めていない。教育や家訓やそのようなもので規定されてはいくし、なにも持たせまいとする数々の条文や不文律が幾重にも束縛をしてもこよう。だがそれでも、最終的にはただ天皇自身のみがそれを決められる。
むろん暴君となることはできない。だが天皇には、絶対的な奉仕者となるという選択肢が残っている。本来ないはずのその権能を振るい、日本のすべて、あるいは一部のために奉仕するかしないか、という選択肢が残っている。民が頂くものではなく、民を支える柱として。ただ自身の有り様によってのみ抱きうる力で、それを成すことができる。
_それを成すかどうかは、ただ本人の選択にかかっている。けれどもおそらくは、と私は思う。